「ラ、ラゲイラに唆されたんだ! わ、私のせいじゃない! 兄上! 頼む!」
「……兄上?」
シャーは聞きとがめるようにもう一度繰り返した。
「今、オレを兄上と呼んだのか?」
シャー、いや、シャルルは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「オレを兄上と呼んだのは、何度目だ? いいや、兄と呼んだことはなかったな、ザミル」
ふとザミルは口を閉ざす。シャーは、激しい怒りの色を帯びた目をザミルに向け、突然声を荒げた。
「てめえの都合だけでべらべら喋りやがって!お前のせいで、何人の人間の運命が狂ったと思っているんだ!」
シャーが本気で怒るのを、ラティーナは初めて目の当たりにし、思わず身が竦むのを感じていた。シャーは、激しい口調で続けた。
「オレはな、王位なんててめえらにとっととくれてやってもよかったんだよ! なんで、オレが戻ってきたかわかるか! お前らが、勝手に殺し合いやがったからだ!それを止めるのに、オレは呼び戻された。本来なら、オレは王位につくような男じゃないし、そんな器じゃねえ! お前がラハッドを殺しさえしなければ、オレは王なんかにならずにすんだ! あの娘は、こんなことに巻き込まれずにすんだ! あの娘がどれほど辛かったか、てめえにはわかるわけねえよな!!」
ザミルは震え上がっていた。真っ青になり、がくがくと肩を震わせている。あの冷酷さも横柄さも、無残なほどにそこにはなく、ラハッドに似た穏やかそうな顔がかえってこの場で哀れを誘った。
「……やめてくれ!殺さないでくれ!」
シャーは、異母弟を忌々しげににらみつけた。刀を握った手が、怒りのためなのか震えている。
きっと、シャーはそのままザミルを殺すだろう。ラティーナはそう思った。シャーはしばらく小刻みに震える切っ先をザミルに向けたまま、冷たく輝く瞳をそののど元に向けていた。しかし、やがて、シャーはその殺意にぎらつく瞳を隠すように、ふとそのまぶたを閉じた。そのまま剣を引く。そして、彼はザミルに背を向けて歩き出しながら、後ろに向けて叫んだ。
「ハダート!」
いきなり呼びつけられて、さすがのハダートも少しだけびくりとする。それほど、シャーの口振りがいつもと違ったからであるが、ハダートにはそれを追求する間も雰囲気も与えられなかった。
「連れて行け。後の始末はお前の独断に任せる!」
「わ、わかりました」
応えながら、そういうシャーの顔が、半分は怒りに燃え、半分は暗く沈んでいるのを横目で見た。彼とて許したわけではないのだろう。ただ、シャーには曲がりなりにも血の繋がった弟を殺すことができなかっただけだ。そして、自分に命令を下してきたのは、多分ハダートがそれなりに自分の意を汲むだろうことを予想してのことである。
(そんな損な役回りばかり押しつけてくるなあ、あんたはよ。)
ハダートは兵士にザミルを連れて行くように命令しながら、わずかに笑った。
「兄上! 命だけは助けてくれ!」
ザミルが最後に、もう一言だけ無様に叫ぶのがシャーにもおそらく聞こえていただろう。ハダートは、兵士とともに部屋の外にでて、そして扉を閉めた。
「ザミル殿下。今更見苦しいじゃありませんか……」
ハダートが冷たくいいながら、そしてにやりと笑った。
「オレがあんたの兄上なら、間違いなくあそこで殺してるけどな。自宅謹慎ですませようって思っているんだよ、あの三白眼はさ」
と、彼はなれなれしくザミルの肩に触れた。それから、寒気のする様な冷徹な目を彼に向けた。ザミルは、思わず声を飲み込む。
「あの馬鹿はまだあんたに温情をかけるつもりだ……。だが、二度目はないぜ。……今度なにかあったなら、アレが気づく前に、オレがあんたを殺す」
ハダートは低い声で脅すようにそうささやくと、きっと部下に命令する。
「とりあえず屋敷に送り返して幽閉しておけ」
ザミルは言葉を飲み込んだまま、声を立てなくなった。それを部下達が引っ張っていくのを少しだけ見送り、ハダートは肩を軽くすくめて扉をあけて中に入った。
その途端、ガッシャアン、と派手な音が鳴ったので、ハダートは思わず肩をすくめた。護衛の兵士も、自分の部下もいなくなった部屋の中で、シャーは、抜いた刀で、先ほど真っ二つにされた机を蹴り倒して、それをさらに叩ききっていた。思わずハダートは息をのむ。かつて、彼が一度だけ荒れた時を思い出し、ハダートは戦慄した。
「あの野郎!」
シャーは、歯を噛みしめながらいった。
「なんで、兄弟で殺し合いなんかしなきゃいけねえんだ! あのクソオヤジ! 生きてやがったら、オレがトドメを刺してやる!」
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