客人は、豪華な椅子に腰掛け、少し落ち着かない様子に見える。まだ若く、そして着ているものなどからも、その男が貴人であることがわかった。今は、何かおもしろくないことでもあったのかもしれないが、少し不機嫌に見える。その気むずかしそうな客人を怒らせないよう、ラゲイラは気を遣いながら尋ねた。
「殿下。シャルルの動きはどうでございますか?」
「どうもこうも、相変わらず寝室にふせったままだ。ここのところ、一ヶ月ほど、動く気配はない。……宰相のカッファは、相変わらず、国の建て直しに気をとられていて、我々の存在には気がついていないようだ」
男の返答は素っ気ない。
「そうでございますか」
ラゲイラは、少しにやりとする。
「それでは、そろそろ、こちらも動いた方がよろしいかと存じます。準備はすでに整えましたし、これ以上待てばカッファ=アルシールに気づかれるかもしれませぬ」
「だが、お前の方はどうなのだ」
貴人らしい男は、眉をしかめた。
「どう、と、おっしゃいますと?」
「とぼけるのはよせ。シャルルのイヌに嗅ぎつけられたという話を聞いたぞ」
「あぁ、その話でございますか」
ラゲイラは、少し複雑そうな顔をした。実は先ほど、部下から、密偵とラティーナを取り逃がしたという話を聞いたばかりなのである。
「しかも、逃げられたとか」
「確かに、それは事実ではございます。そのことに関しては、言い訳いたしません」
男の口調に焦りと怒りが混じる。
「あの狂犬が密偵と対決した際、一人で戦ったのが原因だと聞いたぞ。わざと逃がしたのでは?」
「狂犬? ジャッキールのことでございますね?」
ラゲイラは、ふとため息をついた。
「殿下はあの男を嫌われますが、あの男は信頼には足る人物です。一見、危うい人格の乱暴者にも見えますが、あの男の中身は一流の武官でございます」
ラゲイラのいいようは、ジャッキールをかばうような口ぶりだ。
「今まで私が、前宰相ハビアスや第二夫人の刺客から襲われたとき、あの男にずいぶんと世話になっております。そもそも、あれは、食客として、私が無理やり引きとめたもの。危険な性格はしておりますが、欲のない男ですし、こちらが信用してやれば、けして裏切ることはありません。今のように根拠もなく、疑っておりますと……」
「野良犬に少々肩入れしすぎではないか? ともあれ、私は反対だ。あんな不吉な男をとどめておくなど」
「そうでございますか……。殿下がそういわれるのなら、今回の計画の中心には置きません」
ラゲイラは、忌々しげに吐き捨てる男をみながら、ため息をついた。彼のほうは、すでにそのことに興味がなくなったのだろう、少しいらいらしながらこう切り出す。
「どうするつもりだ。密偵が生きているならシャルルに報告する。シャルルという男は、あれで頭が切れる。すぐに我々をつぶそうと動くはずだ」
ラゲイラは冷静に、そして、わずかに微笑みながら言った。
「ですから、申し上げているように、今すぐ先手を打つのです。もとより、私の方の手の者は、すでにシャルルの宮殿内におります。手勢は私の私兵とそれからハダート将軍のものが揃っております。すでに、こちらの状態は万全。シャルルとて、まだ、詳細を知らぬはず。それに、カッファもシャルルも今はまだ、全ての臣下を即座に自由に動かせるだけの力はございません。何しろ、シャルルの戴冠には反対する者達もまだ多いのですからな。おまけに、将軍達はゼハーヴ将軍以外すぐに動ける状態にはないでしょう」
ラゲイラは、静かな目に不穏な光を宿していった。
「ですから、我々の方が先に行動するのです」
「行動だと!」
男は少し興奮したような口調になった。
「早すぎやしまいか」
「殿下」
ためらう様子の男に、ラゲイラは詰め寄る。
「ご決断を。やるとすれば、今より二日間の間です。それができなければ、我々は壊滅するかもしれませぬ」
「しかし、…………」
蝋燭の火が、男のため息でゆらりと揺れた。ラゲイラは、静かに沈黙している。遠くで馬蹄の音がきこえているだけで、都の夜は実に静かである。
だが、その馬蹄は徐々に奇妙であることがわかってきた。闇にひびいたのは、一騎二騎の馬ではないらしい。十騎ほどはいると思われた。それが、徐々に近づいてきたとき、ラゲイラは、不意に顔を上げた。
ちょうどその時、外で馬のいななきと人の号令らしいものが聞こえ、一行が止まったのがわかった。どうやらこの屋敷の付近のようである。
「何だ、こんな夜更けに」
貴人らしい男は怪訝そうに首を傾げただけであったが、さすがにラゲイラは鋭かった。ただならぬ様子を察知して立ち上がる。男が口を開きかけたが、ラゲイラが先に言った。
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