シャーは、苦笑いをしながら素早く覚悟を決めた。一度覚悟さえ決めてしまえば、後はどんな行動でも取れる。
 ふと向こうで砂の音がした。シャーは、唇をゆがめると、ざっと音がした地点に向けて地面を蹴った。サンダルが砂を噛んで音を立てる。
「いくぜ!」
 闇の中、一瞬だけ相手の姿を掴んだ。シャーは横になぎ払うとみせかけて、そのままそこに突きかける。それを紙一重でかわしたらしい相手の曲がった刃物が月光の光を受けて一瞬だけ、ぎらりと恐ろしい光を放った。それが、独特の軌道を描きながらこちらに向かってくる。
「くそっ!」
 シャーは反射的に体をのけぞらせた。刃が上等な上着の脇腹の部分の布に掠って、それが無惨に引き裂かれていく。かろうじてその一撃をかわして、体を斜めに倒しながらシャーは体勢を整える準備をする。と、刃の銀色が向こうに流れていくのが見えた。そして、その一瞬に見えたのだ。剣を振るったせいでできた相手の隙が。
「そこだ!」
ヒュッと空気を切り裂く音がする。相手もそれに気づいたのか、防御態勢をとろうとする。だが、シャーの突きの方がわずかにはやかった。服を擦るような音がし、相手がきびすを返したのがわかった。
 相手の足音が微かに聞こえる。再びかかってくるのかと思ったが、反撃する気はないらしい。
(逃がした?)
 シャーは、少し上がった息を整えながら、相手の様子を探っていた。
(…いや……)
 少し刃を見て、そしてシャーはポツリと言った。刃先に、かすかに自分のものではない血がついているのが見える。
「手応えあり…か」
 シャーは静かにいい、刃についたわずかな血糊を引き裂かれた上着の切れ端でぬぐった。
「シャー。大丈夫?」
 戦いが終わったのを知ってか、リーフィが駆け寄ってきた。そして、ふとシャーの様子を見て、心配そうに眉をひそめる。
「リーフィちゃん。大丈夫だった?」
 シャーは刀を直しながら先ほどまでの態度が嘘のように、けろりとした表情を見せた。
「わたしの方は大丈夫よ、でも、シャー、あなた…手が…」
「え? あぁ、これ。大丈夫。ちょっと血が出てるだけだから」
 そういってシャーは、右手の甲を見せた。本人は「ちょっと」などといっているが、右手はほとんどそれで赤く染まっていて、気の弱いものなら思わず卒倒しかねない。普段なら、こんな流血をみれば一番失神しそうなシャーであるが、彼自身は慣れているのかもしれない。シャーはにこりと笑い、何でもないようにそういうと、手を振りながら笑っていった。
「酒でも引っかけておけばそのうち止まるよ。それより…」
 シャーは申し訳なさそうな顔をして、ちぎれた上着を見せた。
「ごめん。これ、破いちゃった。借りてきてくれたのに。まずいよね…」
「いいのよ。もともと相手がくれるっていったのに、悪いから借りるだけにしておくってわたしがいっただけのものなの。だから、やっぱりいただいておくわって言っておくから」
「ホント? ごめんね」
「シャー、それより、これを使って」
 リーフィはスカーフをはずしてシャーに渡した。
「えっ、悪いよ」
「いいから。助けてもらっているんだもの。これぐらいいいじゃない」
 リーフィにそう言われて、シャーは申し訳なさそうにしながらもスカーフを受け取った。
「ありがと」
 シャーは微笑むと、スカーフを右手に巻いて口と左手で器用に結んだ。すこしきつめに結んでおき、シャーはリーフィに笑いかけた。
「でも、さっきので一つ分かったことがあるんだ」
「え? 何が?」
 リーフィはきょとんとして聞き返す。シャーは少しだけ歪んだ笑みを浮かべた。
「このハナシ、もしかしたら切った張ったで片づくかもしれないよ。オレが、勝てればのハナシだけどね」
 そういうシャーは、ふいに空に目をやる。いつの間にか雲行きが怪しくなってきているようだ。ここのところ、割合に晴れていたが、まだ雨の気配は残っているようでもある。




 翌日、またこりもせずにシャーは酒場にふらっとやってくる。もちろん、自分の金はほとんど持っていない。持たずにやってくるというよりは、財布を持っていても、中身がほとんどないだけだ。
 今日は珍しく曇っていて、いつか雨がこぼれそうな空だった。
 ふらっと酒場に入り込むと、シャーはいつもの奥の席に座る。カタスレニアの大体の酒場と食堂には、シャーの「指定席」なるものが存在しており、大体奥の壁側だ。シャーは壁に背をつけつつ、いつもちまちま何かを飲んだり、食ったりするのである。


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