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Truck Track
星の天蓋

 どこまでいっても牧歌的なだだっ広い風景だ。ジョシュアは、まわりを見回してため息をつく。正直、この風景にも飽きてきたところだった。
 古いトラックはがたがたと揺れ、道がいかに舗装されていないかを示しているようだった。
「おい、ジョッシュ!」
 隣から、聞き飽きたがなり声が飛んでくる。ジョシュアは面倒だなと思ったのだが、顔には出さなかった。ハンドルを握っている人物は、眉を少しひそめた。
「聞いているのか、ジョシュア!」
 リョウタ・アーサー・タナカ軍曹は、いらだった声をあげた。そろそろ、雷が落ちそうだ。ジョシュアは、やんわりと答えた。
「聞いております。軍曹殿」
「うむ、なら、毎回返事をしろ! それが上官に対する部下の礼儀というものだぁっ!」
 軍人らしく響く声をお持ちの軍曹殿は、そう怒鳴りつけはするが、なんだかんだいって軍人としては甘い方である。ちょっとロマンに酔いやすいし、純粋すぎてついていけないところはあるが、ジョシュアは、ともあれ比較的上司には恵まれていたのかもしれない。
 軍曹殿は、三十手前。アゴに無精ヒゲの目立つ精悍な顔立ちの男だが、普段はそれでもきちんと剃っている。今はそれどころでないので、自然と無精ヒゲが生えてしまっただけだ。噂によると軍曹殿は、自称キューシューダンジという話だが、キューシューがどこにあるのか知らないジョシュアにとっては、それの意味する所はわからない。そもそも、うちの軍の中でも、キューシューがどこのどこにあるのか、知っているのは軍曹殿しかいないのではないかとおもうのだ。
 爆音のような激しい音を響かせて走るトラックは、突然、静かになる。ゆるゆるとスピードを緩める車にジョシュアは、思わず顔をひきつらせた。やがて、そのまま、前から煙が漏れだし、軍曹殿はアクセルをやむなくはなした。
「止まったな……」
「止まりましたね」
 軍曹殿は、じろりとジョシュアを睨んだ。
「まったく、貴様が返事をせんから、止まったではないかっ!」
「オ、オレのせいじゃありませんよ。軍曹殿」
 睨まれてジョシュアは、肩をすくめた。
「いや、貴様のせいだ! さっきから、貴様が返事をせんたびに止まっている!」
「そんなゲン担ぎしないでくださいよ!」
 軍曹殿は、不機嫌だが、ここでジョシュアと言い合っても仕方のないことに気づいたのだろう。ハンドルからようやく手を離した。
 二人は仕方なく、ドアをあけて外に下りた。今時、ばたん、と大きな音を立てる車なんて、と思うが、ジョシュアもそろそろこの古い文明に大分なれてきていた。
 ボンネットをあけて、軍曹殿は顔をしかめた。煙を噴くエンジンを見やりながら、どうしたものかと考える。
「ううむ、これは修理工場にもっていかねばならんかも」
「軍曹殿、せめて徴用するにしても、もっと最新式のいい車にしてくださいよ」
「う、うるさい! 本当にディーゼルで走るとは思っていなかったんだ!」
 事の起こりは、軍曹殿ことタナカ軍曹とジョシュアが乗っていた輸送機が、敵機によって撃墜されたことから始まる。いきなり撃墜され、たまたま就寝中だった軍曹殿とジョシュアは、逃げ遅れたのだった。みんなが逃げた後、傾く輸送機から慌てて降下して命拾いしたのはよかったが、慌てた軍曹殿が通信機を落としたり、その他もろもろのアクシデントが重なった。
 多分、他の隊員達はもうとっくに救助されていると思うのだが、そんなわけで明らかに間違ったポイントに降り立った二人だけが、この未開の文明の大地におきざられたのである。
 ここ周辺には、彼らの友軍の基地はない。それどころか、敵軍の基地もない。というより、言葉は通じないし、正直、軍曹殿もジョシュアも、ここがどこだかわかっていない。
 一応、軍隊の徴用だということで、身振り手振りで一台車を借り、おそらく、基地があるかと思われる方向に走ってみることにした。だが、その徴用した車が、ものすごい問題を抱えていたのだ。
 もうちょっといい車もあったのである。そちらをジョシュアが借りようとしたら、軍曹殿が、いきなりオールドタイプのこのトラックを示したのだ。
「これを借りたい! クラシックでロマンを感じる!」
 ジョッシュが、この軍曹の部下であったことを、生涯の内で最も呪ったのはこの瞬間かもしれない。いや、これから先もありそうな気がするから、最もという形容はさけておこう。
 ともあれ、結論から言うと、ロマンを感じるという理由でかり出されたトラックは、本当にその名の通り、男のロマンを感じさせる超年代物だったのである。ロマン至上主義者の軍曹殿でも、このホンモノの超年代物には焦るには焦ったのだが、やがてその考えを変えた。
「どうせ、借りてしまったのなら、このままでいくぞ!」
 などと、彼はいう。
「昔、オレはボロ車で世界を旅する偉人の映画を見たのだ!」
 軍曹殿は、輝く瞳でそういった。ジョシュアは、何か言おうと思ったのだが、結局その気力がなかった。
 そして、まさに今の悲劇に――
 そう、そしてジョシュアは思ったのだ。夢を追う冒険家についていくということは、並々ならぬ決意を必要とするのだなあと。


 いつの間にか空はくれていた。旅の夕暮れは、大変情緒的なモノであるという。だというが、トラックを押して歩くジョシュアには、まるで太陽が見放して沈んでいくような感じである。
「軍曹殿。今日はもう諦めましょう」
 トラックを後ろから押しながら、ジョシュアはいった。
「日が暮れましたよ」
「わかっている」
「星も出てきました」
「わかっている」
「じゃあどうして諦めないんですか?」
 ジョシュアは、やあれやれとため息をつく。
「街がまだ全然見えないからだ」
 そりゃ、そうだろうな。
 それはジョシュアにもわかる。いくらなんでも、こんな砂漠のど真ん中で壊れたトラックを囲んで野宿はしたくない。心が寒い。
 とはいえ、元々分からない土地だ。暗い中、走ってどうこうなるものでもない。いや、この場合、走るというより歩くだろうか。
 軍曹殿もさすがにつかれて、ため息をついた。
「仕方がない。今日はもう休むとしよう」
「やっぱりそうしましょ。軍曹殿」
 迷ってわけがわからないところにでるのは、心が寒いより切ないのである。


 休むことにして、あれこれ用意をしていると、あっさりと日は落ちて闇が訪れた。今日は月が出ていない。あたりは真っ暗だ。
 ともあれ、携帯していた固形燃料を燃やして暖をとりつつ、携帯の非常食を食べる。何となくぱさぱさした味だが、まあ、ないよりましだ。軍曹殿は、何を食べても同じ顔なので、名シェフの店で食べるときも、携帯食を食べるときも同じだ。かわいそうに、味覚は敏感じゃないのだろうなあ、とジョシュアはこっそりおもった。
 とはいえ、こういう場合、味覚が鈍い方がいいのかもしれない。何でもおいしくいただければ、それはそれでいいのだ。実際、ジョシュアも、あまり優れていない自分の味覚に、何となく感謝した。
「なあ、ジョッシュ」
 ふと、軍曹殿が話しかけてきたので、ジョシュアは不機嫌そうな顔をした。
「なんです。軍曹殿。上官命令でも、非常食は命に代えても渡しません」
「そうではないわ!」
 軍曹殿は、カッとして怒鳴りつけた。慣れっこなので肩をすくめないジョシュアに、ごほんと咳払いして、軍曹殿は態度を変えた。
「前々から思っていたのだがな、他の連中がいると貴様も答えづらいだろうとおもって言わなかったが」
 軍曹殿は声をわずかに潜めた。
「前々から思っていたが、貴様、どうして軍人になった?」
「…………」
 ジョッシュは、珍しく即答せず、顎をなでやった。
「軍曹殿は何故、軍人になったのですか?」
「オレか。オレは、宇宙探索隊にはいりたくてな」
 質問をそらされたのにも関わらず、軍曹殿は悪い顔もせずにそういった。
「……それは空軍に入らないとダメなのでは……」
「オレは士官学校にはいれんかったのだ」
「左様で」
「なので、軍隊にいれば、いつかチャンスもあるかもしれんと思ったのだ」
 熱い語りに入りそうだったので、ジョシュアは肩をすくめた。これは突いちゃいけないところをつついただろうか。
 ところが、軍曹殿は、それを続けずに、改めてきいた。
「で、貴様はなんなのだ?」
「就職がなかっただけですよ」
「本当にか?」
 ジョシュアは黙り込んだ。 
「貴様、大学出だろうが」
 片目を閉じて軍曹殿は聞いた。
「しかも、射撃ではもの凄い好成績だったとか」
「知りませんよ」
 ジョシュアは、眉をひそめた。明らかに不機嫌そうな顔をするのは珍しい。
「オレがいうのも何だが、どうせ出世できるなら最初からそちらに行った方がいいぞ。オレなんぞは、どれだけ成功しても少尉になれればそこそこだからな」
「そうかもしれませんが……。オレは意気地のない男ですから、責任をもちたくないだけです」
 ジョシュアは、思わずそんなことをいった。
「ふむ、まったく。つかえない男だ」
 軍曹殿は何となく気のない返事をした。怒鳴りつけられると思っていたジョシュアは、内心意外そうに乾燥した食べ物を口の中に入れた。
 軍曹殿は、恐らくジョシュアの経歴をみんな知っているのだろう。ジョシュアが、大会社の社長の御曹司だということや、わざとエリートコースから外れたのも。ジョシュアのことは、同じ隊の連中の中では有名な話だ。いくら軍曹殿がうわさ話に鈍いといっても、知らないはずはない。
 それは、ジョシュアが、わざと親に反抗しているだけということも。そんな青い理由があることも知っていて、軍曹殿は口にしない。
 男のプライドを大切にする軍曹殿は、他人のプライドも大切にするのだ。
 ジョシュアは、水をふくんで口の中に張り付いた食べ物を喉に流し込んだ。
「とりあえず、明日は、街を探すことから始めましょう」
「そうだな……。このまま行方不明なままで、戦死疑惑や脱走疑惑などかけられたらたまらん」
 何の気もなく夜空を見上げれば、星のきらめきはまるで天蓋にはりついた宝石のようだ。軍曹殿とジョシュアは、なんとなく美しい空の下、無粋な工場探しに思いをはせる。
「というより、どうして救援要請が届かないんですか?」
「仕方がないだろう。……ここの通信機では古すぎて、我が軍の通信機器とかみあわないのだ」
「アナログここにきわまれりですか」
「言うな。切なくなる」
 軍曹殿はこともなげに言って、ごろりと砂の上に寝転がった。
「しかし、綺麗な空だ」
「そうですね」
 そりゃあ、何もないからな。ジョシュアは思う。
 ジョシュアは、少なくとも、星空をみたことがなかった。街の灯が強すぎて、ほとんどの星は姿を消してしまっていたからだ。月が申し訳なさそうにつくりもののように輝いているのが、何となく可愛そうだった。
「昔、アル何とか宮殿にいったことがある。旅行でな」
 突然ぽつりと軍曹殿がいった。
「へえ」
「あそこの天窓にそっくりだ」
 感慨深げな口調に、ジョシュアは、腕組みをする。
「こういうのは何ですが、軍曹殿に言われても、綺麗なイメージがわきません」
 がばあっと軍曹殿が起きあがってきた。
「なんだ、貴様! 上官の思い出を汚すか!」
「いいえ、別にそんなつもりは……」
 ジョシュアは慌てて手を振った。あまり怒らせると厄介だ。案の定、軍曹殿は、思い出がどんなに熱く大切なものなのかを語り始める。

 
 果たして、アル何とか宮殿にある天窓とはそんなに綺麗なモノだろうか。だが、無骨者の軍曹殿がそういうぐらいだから、きっと美しいものなのだろう。
 明日からの艱難辛苦を思って、ジョシュアは、上官のお小言を完璧に聞き流しながら、さしあたってため息をついておいた。


 軍曹殿とジョシュアが、基地に着く頃には、戦争は終わっているかもしれない。





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背景:MIZUTAMA様からお借りしました。
©akihiko wataragi