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※注!この小説には、暗殺編の内容を踏まえています。多少ネタバレする可能性があるので、ご注意下さい。
なお、この番外編(暗殺編ネタバレあり)を読んでいただいてからのがわかりやすいかと思います。

兄様の憂鬱

 ちょうどいい気温の夜だった。寒くもなく涼しげな程度。のぼったばかりの月の光がぼんやりと周りを照らす。いい夕方だ。
 いつものことだが、思わずシャーもそんな夜にひかれてふらふらと外にでてきていた。
「いいお月さんだこと。今日っていう日に、一人で物思いにふけるようなことしちゃいかんね。お月さんに失礼だよ」
 まるでネズミみたいなことをいいながら、シャーは、いつものごとく酒場に足を向けた。
 夕涼みのいい夜は、ちらっといっぱい引っ掛けて帰るのがいいに決まっている。とはいえ、シャーは、ちょっと飲んで帰るような真似はしない。いって、うまいこと弟分を捕まえれば、満足するまで好き放題遊んでかえるに決まっているのである。
 ともあれ、シャーは、のんびりと気ままにいつもの酒場に足を踏み入れた。
 まだ、中はそれほど人がいない。目当ての弟分たちもまだいないようだった。それじゃあ、リーフィを探そうかと思ったのだが、彼女も姿が見当たらないらしい。
 シャーは、適当にあいている席につくと、腰にさげた刀を壁にたてかけ、サンダル履きの足を組む。シャーが一人で来ていても、どうせ何も頼まないことは知っているので、酒場の女性は近づいてこない。しかし、リーフィが気になるシャーは、思わず彼女を呼び止めた。女が一瞬身構えた。リーフィはともかく、ほかの女性たちは、それほどシャーには好意的ではないのだ。
「お酒ならおごってあげないわよ」
「やだなあ。別にそんなことをお姉さんたちに頼んだりしないってば」
 シャーは苦笑しながら、答える。
「リーフィちゃん、今日お休みかい?」
「リーフィねえさんなら、もうちょっとしてから来るわよ」
「そうなんだ。思わず病気でもしてるんじゃないかと心配したよ」
 シャーがあごを手のひらにのせながら、そうぼんやりいう。彼女は、やれやれと首を振った。
「ねえさんも変わってるわよね。こんなのにまともに付き合ってあげるんだから」
「こんなのとは失礼じゃない。オレとリーフィちゃんは、マブダチなんだよ」
「そうなの。ねえさんも、本当に変わってるわ」
 女はため息をついていってしまった。やはり、何か恵んでくれる気配はないようだ。わかっていたながらに、シャーは思わず苦笑いする。
「あてがはずれたわね」
 不意に若い女の声が聞こえた。ほかの女の子が笑ったのかと思ったが、その冷たい声には、なんとなく聞き覚えがあるのだ。思わずどきりとした。
「こんなところで遊んでいたのね」
 もう一度声が聞こえ、シャーははっと身を起こして隣をみる。まだ十五、六ぐらいの、あどけなさの残る少女が座っている。
 ゆるく波がかった髪の毛を高く結い上げて、髪飾りをさしている。大きな瞳がとりたてて目立ち、意思の強そうな眉の勝気な美少女だ。そんなに似ているはずはないが、雰囲気のどこかに、シャーと少しだけ似たようなところがある。
「リュネ!」
 シャーは、思わず立ち上がってそう叫んだ。少女のほうは、別に彼の反応を気に留める風もなく、酒場のあちこちを見回している。
「兄様の根城ってこういうとこにあるんだ」
「リュネ、お、お前、どうしてこんなところに」
 シャーは、困惑したような顔になった。
 リュネザード=アルシール、つまり、カッファの娘だ。別にシャーと血のつながりはないのだが、それでも、シャーは、暇があるときには、は彼女を実の妹のように世話をしてきたのである。もっとも、途中から説教されることも多かったが。
「こんなところに、どうしてきているんだよ」
 驚きがおちついたのか、シャーは少し非難がましい口調になっていた。いつもは軽い兄の不機嫌な顔を見上げながら、リュネは肩をすくめた。
「何よ、その言い草は」
「何をしにきたんだよ」
「遊びにきたのにきまってるじゃない」
「あのな」
 シャーは、ますます眉間にしわを寄せる。
「お前みたいな世間知らずの箱入りが、こんなとこで遊んじゃだめだろ。大体、こういうとこはお前には危ないの」
 シャーは、珍しくしかめつらしい表情でそんなことを言う。
「早く家に帰って、大人しく裁縫の勉強でもしてなさい」
「自分は来てるじゃない」
「オレはいいの。オレは、男だからな!」
 リュネは、ぐっとへそを曲げる。
「なにそれ。兄(にい)、そういう考え方してると、本当にもてないわよ。これからは、女性だってもっと自由じゃなくっちゃ! それに、あたし、それなりに強いわよ」
「オレが教えてやったからだろ、それは」
「それじゃ、あたしの腕前は大体わかってるじゃないの」
 一瞬、シャーは詰まって、咳払いをした。
「それでもだめ。箱入りがそんなこといってるのが一番危ないんだ。大体、油断大敵なんだぞ。それに、ここには戦闘狂の人斬りおじさんとか、たらしのねずみとかをはじめとして、オレでもやばいかもしんないのもいるし。とにかくいろいろあぶねえのが多いの」
 シャーは、改めてリュネをにらみながら、威厳をつくりながら言った。
「夜の浅いうちにかえんなさい。というか、カッファが心配してるって」
「大丈夫よ。その許可はとりつけてあるもん」
「カッファ、何やってんの!」
 シャーは思わず頭を抱えた。
「オレにはさんざんうるさくいっておいて、一番危ないところに甘いじゃないか!」
「ふふーん、シャー兄は、日ごろの行動が悪いのよ」
 リュネは、得意がって胸を張る。かわいらしい淡い桃色の服がさらりとゆれる。確かにそこに、護身用の短剣ものぞいているのだ。
 しかし、兄としてここでまけるわけにはいかない。シャーは、むっと口を曲げながら立ち直った。
「でも、オレは反対。こういうところを、年端も行かない女の子が歩き回るもんじゃありません! とっとと帰れ!」
「大丈夫よ。だって、あたし、一人で来てるわけじゃないもん」
 しれっと答えたリュネに、シャーは一瞬どきりとして後ずさった。
「えっ? ま、まさか、母上が来てるんじゃないだろうな」
 あの母なら十分ありえる。シャーは、少々気まずそうな顔になった。
 シャーは今でこそ、ちょっと問題はあるが、さほど偉ぶらない性格なのだが、実はカッファの家に来た当初は、相当荒れていたのだった。身分と権力をかさに着て、手を上げられないカッファに色々と口をきいたこともあったのである。そんな彼を一番最初に殴り飛ばして更正させたのが、カッファの妻であるカーラだった。肉親とのかかわりが薄いシャーにとっては、甘えさせてくれる母親でもあったのだが、そういう経緯もあってか、いまだにシャーは彼女に頭が上がらない。
 そんなカーラに外見がそっくりなリュネをみやりながら、この娘は本当にカッファとカーラの娘だなあと痛感するシャーである。強引で強情なところは、なんだかカッファによく似ているし、この男勝りな行動力は間違いなく母譲りなのだ。
「母上じゃないわよ。さすがにここまでは来ていないわ」
「それじゃあ、誰。ま、まさか、カッファじゃないよね?」
 それだったらそれだったらで、つれていかれそうだ。シャーは、半ば焦った顔をしたが、リュネはにんまりと笑うばかりである。
「そうじゃないわよ。でも、兄も知ってる人だわ」
「オレが知ってる? ……どうせろくな人じゃないんだろうけど」
 シャーが眉をひそめつつ、そんなことを呟いたとき、ふと目の前にある人物が入ってきた。
「やあやあ、リュネちゃん、お待たせして悪かったね」
「げっ! こうもり男!」
 やたら優雅な挙動で入ってきた人物に、反射的にシャーはそうはき捨てる。彼は、優美な顔を少しゆがめて、シャーを見た。銀色の髪に淡い色の瞳に、つくった笑顔を貼り付けて、しかし、今のシャーの一言に笑みを少しこわばらせている男は、そのままややいやみたらしく続けた。
「おや、誰かと思ったら……。相変わらず、無一文の癖に遊んでいるようで、優雅なことですな」
「ハ、ハダート=サダーシュ!」
「そうよ。下町を歩いてみたいっていったら、ハダートさんが連れて行ってくれるっていってくれたの」
 リュネはそういってにっこり微笑む。
「でも、ハダートさんには何度かお会いしていたけれど、近くで見ると本当にいい男ね。兄様とはえらい違いだわ」
「それは光栄ですよ。ま、比較対照の問題もありますけれど」
 にやにやしているハダートに、シャーは思わず敵意丸出しの目を向けた。
「き、き、貴様、嫁もいるのに、よもやリュネに手を出そうなどという不埒な」
「言葉遣いがカッファ殿になってますよ」
 低く笑いつつ、ハダートは余裕の様子である。
「ちょっと街中を案内する前に、兄様にもご挨拶と思って、立ち寄っただけなんですがねえ」
「なあにがご挨拶だ! オレは認めないぞ! とにかくリュネは、まだ嫁入り前のいい年頃なんだぞ。てめえー、まさかそういう趣味が」
 シャーの必死な様子に、ハダートはいかにも面白そうに、しかし、外面は体裁をたもちながら答える。
「別に。私は、カッファ殿に頼まれてリュネちゃんの護衛についてきただけですからね、ねえ」
「そうよー。兄様より信頼できるわ」
「なんだー! そんな男ー! この世で一番信用できんわ!」
 思わず、そんなことを言い出すシャーに、ハダートはやれやれと肩をすくめる。そろそろいじめすぎただろうか。
「へえ、お兄ちゃんもえらく心配性だなあ〜? まあ、でも安心してもいいぜ。オレは、年端のいかない子に興味はないから」
「へえ、それはよかった」
「でも、十年経ったらオレの好みの範疇な気もするけどな」
「あああ! そういえば、あんたの嫁はああいう……」
 気付いてシャーはにわかに慌てだす。
「ま、まさか!」
 真っ青になるシャーは、思わず刀の柄をにぎりかけている。
 といいつつ、ハダートに別にそういうつもりはないのであるが、この男、結構からかうと面白いところもある。
(年の離れた妹がかわいくてかわいくて仕方がない、っていう奴かねえ)
 シャーの場合、家庭にちょっと問題があるからこその気もするが、ともあれ、シャーは、案外身内に足をとられるところがある。義理の兄といい、心配をかける身内が多いというのもまた事実なのだが。
 血のつながりなどまったくないのに、あの三人並べて兄妹というと、妙なバランスが保たれている気がしないでもない。
 不意にリュネが一歩前に出てきた。
「いつまで四方山話をハダートさんにふっかけているのよ。迷惑になるでしょ」
「よ、よもやま話ぃ! あのなあ、オレは、リュネが心配でこういう……」
 思わず、地が出てしまいながら、シャーは、リュネの肩をつかもうとしたが、彼女にするりと逃げられる。そのままリュネは、ハダートの背に隠れる形になった。
「うるさい兄でごめんなさい。もう、本当にアルシール家の恥なんだから。ハダートさん、いきましょ。美味しいご飯、楽しみですわ」
 リュネがせかすと、ハダートはにっこりと笑ってうなずき、シャーのほうをチラッと見やった。
「それじゃあ、また」
「また、じゃない! リュネ、どうでもいいが、そこの蝙蝠男だけはやめなさい! 不幸になるぞ!」
「大丈夫。シャー兄より、明らかに顔がいいから」
「な、何だとう。そういう男は軒並み危険なんだぞ! 人間外見じゃなくて中身なんだから」
「兄は遊び人だから、中身も経済力も危険だと思うけど」
 冷たく答え、リュネはハダートとともに酒場から去っていく。 
「オ、オレは、それなりに誠実だぞー!」
 シャーは、そう叫んだが、それはむなしく外へと響き渡っただけであった。
 

 月がちょうど空にのぼってきたいいころ。遅れてきたリーフィが、酒場にでてみると、なぜか今日のシャーは、騒ぐ舎弟たちから離れて、ぽつんとひとりで酒を飲んでいた。
「どうしたの? シャー」
 新しく酒をもってきてあげながら、リーフィはいつものように無表情に小首をかしげる。
「なんでもない……」
 シャーは、むっつりしながら酒を飲んだ。
「ただ、現代の若者に絶望しただけなんだ」
「そうなの」
 事情はよくわからないが、シャーが落ち込むということは大変なことなのだろう……と、彼女が判断したのかどうかはわからない。リーフィは無表情だから、彼女の外見から何を考えているのか推し量るのは、至難の業なのである。
 ともあれ、リーフィはシャーの正面に腰を下ろした。
「大変そうだから、今日はお話きいてあげるわね」
「リ、リーフィちゃん!」
 思わず感極まって、シャーは危うく涙ぐみそうだった。
「リーフィちゃんだけだよ。やさしいのは」
「なんだか大変みたいね。シャーも大変なのね」
 顔は相変わらず冷たいが、ちょっとやさしいリーフィの言葉に、シャーは、思わず癒されてしまうのだった。



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