一覧 戻る 次へ



3ジートリュー-19


 セトは、そのまま、ジャッキールの部屋に直行した。
 ジャッキールは、というと、戦闘の時の血走った様子は消えており、静かで落ち着いて、少し暗い感じのする、いつもの彼に戻っている。知らないものが見ると、あれはあれで結構衝撃的なのだが、何度も見たセトは、その時の恐怖心をそれなりに引きずりつつも、彼に普通に接することが出来る程度には慣れていた。幸い日も経っている。
 ジャッキールは、ちょうど将棋盤を前において遊んでいる様子だったが、セトがきたのでそれを途中に放っておくことにしたようだ。
「すまんな、セト」
 食料を受け取って、机におきながらジャッキールは礼をいう。ちょうどコーヒーを淹れて貰ってきていたので、セトはそれと茶菓子を差し出してにやりと笑う。
「いえいえ、これもあたしの楽しみなんで」
 セトはおべっかをつかいながら、今日はどうやら機嫌がいいらしいジャッキールの様子をみてとった。この調子なら、うまくいけば聞きだせるのかもしれない。ジャッキールは、コーヒーカップを手にとって、それに口をつけてのんびりときいた。
「セト、敵は戻ってくる様子はないようか?」
 上から回ってくる情報は、ジャッキールのほうがよくしっているが、末端の噂話はもちろんセトのほうがよく知っている。ジャッキールがそういうということは、上からは何もきいていないのだろう。
「ええ、今のところはないようですね」
「しばらく様子をみるつもりか? 油断はできんが」
 ジャッキールは、腕を組んだ。
「しかし、敵は奇妙でしたね」
 セトは、不意にそういった。ジャッキールが、彼のほうに目を向ける。
「奇妙?」
「ほら? 奇襲されてっていうのはあったんでしょうが、アッチの方が大軍だったし、士気も低くなさそうでしたよ。いきなり変な行動とって総崩れなんて」
「俺もそれが気がかりでな」
 ジャッキールは、コーヒーを口にしながら言った。
「あれから少し考えていたのだが、原因は、おそらく情報の乱れではないだろうか」
「情報の乱れ?」
「敵の命令系統を故意に乱しているのだろう。何か仕込んでいたに違いない。たとえば、間者でも忍ばせているとかな」
 ジャッキールは、菓子をゆっくり手にとりながら、考えつつ続けた。
「アルヴィンがここしばらく大人しくしていたのは、それの仕込みかもしれん」
「なるほどねえ」
 セトは、思い当たる節があったらしい。
「そういえば、ここいらには、何かといわくのある連中も潜んでいることですからねえ。そいつらを使っている可能性はありますね。しかし、有利に動いているならいいじゃあないですか。今まで戦王子がおとなしくしていたのは、それの準備だったんですかね」
「そうかもしれん。しかし、それだけだろうか」
 ジャッキールは、なにやら考え込んでいる様子だったが、ふとにやりとするとセトに小声で言った。
「この後、……奴から急に命令がくるかもしれん。俺の予想が当たりならの話だが」
「そりゃあ、気まぐれな戦王子らしいことで。……分かりました。それなりにおれたちも心の準備をしときましょう」
 そうしたほうがいい。と、ジャッキールは続け、ゆったりとコーヒーをすすっている。彼にしても珍しいほど、のんびりしている印象である。
「ああ、そうだ。あの小僧はどうしている?」
「は?」
 ジャッキールの様子を観察していたセトは、いきなり思わぬことを話しかけられて我にかえった。
「あの、うちの部下で一番年下ではないかと思われる少年なのだが」
「ああ、あのラトラスとかいう餓鬼ですか」
 うむ、とジャッキールはうなずいて、不意に眉をひそめた。
「あの小僧は、戦闘は初めての様子だったのでな。おまけに、俺が随分と醜態をさらしたせいで、おびえているのではないかと」
「あれぐらいで恐がってりゃ、こういう商売にはむきませんよ」
 セトは、敢えて冷たく言った。
「まあ、初陣ってのは色々不安なとこもありますが、一度乗り越えちまえばこんなもんてなところもありますしね」
「まあ、それはそうなのだが」
 ジャッキールは、苦笑した。
「俺も余り記憶はないのだが、随分脅かしてしまった覚えがあるのでな。さりげなく様子をみておいてくれないか」
「そ、そりゃあ、別にいいんですが」
 セトは、思わず瞬きをした。ジャッキールがそんなことを言い出すとは思っていなかったのだ。
「それなら、寧ろ旦那が声をかけてやったほうが」
「そうしようと思ったが、逆効果になるともかぎらんからな。まあ、できれば少し話を聞きだしてくれ」
「わかりました。が、かっわいくねえ餓鬼ですよ」
 セトが口を尖らせると、ジャッキールは苦笑した。
「あの年頃の餓鬼は、大概かわいくないものだ。許してやれ」
(時々、突然まともなこというんだよなあ、この旦那)
 穏やかなジャッキールの表情を見ながら、セトはため息混じりにそう思った。
 ひとまず、ジャッキールの食事を妨げるのも悪いので、セトは退出することにして部屋の外に出た。
(全く、あんな餓鬼なんて気にすることないのに)
 セトは、そう心で吐き捨てた。それには、ほんの少し嫉妬のようなものも含まれている。セトはそれに気づいて、思わず苦笑してしまう。
(仕方ねえ。少しだけ話相手にでもなってやるか)
 セトは、ため息をつき、改めてラトラスの様子でもみてこようと足を向けかけたが、ふと我に帰って立ち止まった。
「あ、しまった。奴のことをきくのをわすれたよ」
 今日は、折角ジャッキールの機嫌がよかったのだ。うまく聞いたら教えてくれただろうに。うっかり、ラトラスの話をされたもので、そちらのほうに関心がいってしまっていた。
(今から戻るのも気まずいよなあ)
 それだけを教えてくれとは言い辛い。忘れ物でもしたといおうか。いや、それもわざとらしくないだろうか。
「おい」
 乱暴に声をかけてくるものがいて、セトは思考を中止した。
「はい、何でしょう……」
 言いかけてセトは、思わず背筋を伸ばした。
「貴様エーリッヒの腰ぎんちゃくだな」
「お、お前は」
 目の前に、ザハークが立っていた。猛禽を思わす瞳がこちらを見ているのを見て、セトは、じんわりと嫌な汗が流れるのを感じた。
「な、何の用で」
「奴に会うのが嫌だから、お前に伝言を頼むのだ」
 ザハークは、ぶしつけにそういうと、ジャッキールと同じく黒い色で固められた衣装をゆらせて彼に近づいてきた。
「奴に言っておけ。すぐに理性が飛ぶのは、普段の鍛錬がたりん証拠だとな。いい加減悪い癖は治せ、間抜けといっておけ」
 ぶっきらぼうにそんなことをいうザハークに、セトは少しあきれた。
「そんなこといたら喧嘩になりますよ」
「望むところだ」
 ヒゲの中でにやりと唇をゆがめるザハークである。それがやけに楽しそうなので、セトは恐る恐るこう付け加えた。
「あの、少しは事情を知っておりますが、今は休戦していらっしゃるのでしょ? 味方同士なのですから」
「俺と奴に休戦協定などない。同じ所属だろうと、俺と奴の間にそのようなものは関係ないのだ」
「……さ、左様で」
 力いっぱいそう宣言するザハークに、寧ろ少し脱力しながらセトはうなずいた。なんと言うか、随分強引な男だ。余り悪気はなさそうなのだが。
 と、ふとあからさまに敵意を秘めた声が背後から聞こえた。
「声がすると思ったら、どこぞの蛇男か。一体こんなところに何のようなのかね?」
 嫌味たっぷりにそう声をかけたのは、いつの間にか後ろに立っていたジャッキールである。また最悪のタイミングで出てきたものだ。旦那も聞かないふりをしていればいいのに。
 セトが、思わず額を抱えそうになるなか、ザハークは作り笑いをしながら彼に向き直った。
「用がなくても通りすがるぐらいする。別にここは貴様の私有地ではないからな」
「貴様は私有地だろうとなんだろうと気にする神経がないだろうが」
「貴様も同じだろうが」
 言い返して、ザハークは、ほほう、と声を上げた。ジャッキールの手に、シャトランジの駒が握られているのに気づいたらしい。にやりと笑ってザハークは続けた。
「貴様、また下手な将棋を打っていたのだな。下手すぎて相手がいないのだろう。哀れな」
 首を振ってそういうと、ジャッキールが、ふっと嘲笑った。だが、いつもほど余裕がない。唇が引きつっている。
「貴様も大概下手だろうが。それとも、何か? 貴様も暇すぎて将棋でも打ちたいのか? ああ、構わんぞ。かわいそうだから相手になってやっても」
 なんだと、と、一瞬色めきだちかけたが、平静を取り戻し、ザハークは鼻先で笑った。
「俺は別に暇などしていないが、そうか、貴様は友人がいなくて寂しい男だから、俺に相手をしてくれと頼んでいるのだな。頭を下げれば相手をしてやらんでもないぞ」
「貴様に下げるような頭などないが、貴様を哀れんでいるのだ」
 ジャッキールは薄ら笑いを浮かべる。ザハークはさもあらんとうなずいた。
「なるほど。貴様の首は半分飛んでいるから、下げたらなくなってしまうからな」
 ジャッキールは、顔をゆがめると、吐き捨てるようにいった。
「減らず口を。なんだ結局やるのか、やらんのか、はっきりしろ!」
「うるさい男だ。わかった。かわいそうだから付き合ってやろう!」
「それは俺の台詞だ」
 ジャッキールは、手にある駒をぐるぐる回しながら忌々しげに吐き捨てると、ふとセトに向き直った。
「全く、他に娯楽のない暇人は困るなあ。そう思わんか、セト」 
「は、はあ」
 セトが生返事をする間に、ザハークはジャッキールの部屋にどかどかと入っていく。
「貴様との勝負など、短時間で決着がついて詰まらんに決まっているが、哀れなので一勝負だけしてやろう!」
「何をいっている? 後でほえ面かくなよ」
 ジャッキールはそう答えると、黒いマントを翻して、ぶっきらぼうに自分の部屋に戻っていく。部屋の中で、まだわいわいと言い合いが続いているが、同時に駒を並べる音が整然ときこえはじめていた。
「なんだい、あれ……」
 一人残されたセトは、狐につままれたような顔をしながら、部屋のほうをのぞきやった。
「結局、仲がいいんじゃないか、アレ」




一覧 戻る 次へ


背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
読まれた方はよかったら押してみてください。励みになります。


感想などあればお願いします。

©akihiko wataragi