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笑うムルジム38


 王都が厳重な警戒にさらされている中、サギッタリウスを含む決行隊は既に安全な場所に逃げ延びていた。
 暗殺の可否は問わず、どちらにしろ避難する場所は決まっており、暗闇の中、塔をいち早く抜け出した後、とある神殿の地下へと案内された。神殿の地下であるのは、国王の軍であれども、そう簡単に神殿に立ち入ることは許されないからだ。たとえ、立ち入ったところで、細かな詮議がしづらいのだった。
「ちっ、もう少しだったのに!」
 エルナトは、ここに来るなり荒れた様子だった。それも仕方がない。エルナトの狙い自体は外れてはいなかったのだ。ただ、標的が自分達の攻撃を察知してすばやく回避したのだから、無念がろうものだ。
 荒れているエルナトとは対照的に、サギッタリウスは、腕組みをしたまま飄々としたものだった。 
「残念だが、標的は俺たちのほうを見ていた。ひょろっこい小僧のようだったが、案外やるものだな」
 サギッタリウスは、にやにやしながら、慰めなのかそんなことを言う。
「まあ、運が悪かったということだ」
「運が悪かっただと? それじゃあ、アンタはどうなんだ。アンタの矢は、思い切り的をはずしてただろう?」
 サギッタリウスの他人事のような口ぶりに、エルナトがむっとしてそう問い詰めると、彼はにんまりとした。
「そうだったか?」
「ああ、そうだとも。壁に当たっていたよ、アンタの矢は。サギッタリウスの腕前も大したことがないな」
 エルナトに言われて、彼は冷たく笑う。
「そうかな。俺は、ちゃんとシャルル=ダ・フールを射抜いたつもりだが」
 サギッタリウスは、すっとぼけた様子だ。
「的すらわからねえとはな」
「まあまあお二方とも。今回は仕方がなかった。まさか、あの病弱でひよわな男が、あんな機転を利かせるとは」
 二人の間に、彼らを案内していた男が慌てて割って入ってきた。依頼主の直属の部下らしい男は、色々と事情を知っている風である。
「まさか、影武者ではあるまいな。……いや、しかし、もともとあの男は、病弱を装っているとの話だったからな。何せ遠征では仮にも指揮をとっていたし」
 男は、サギッタリウスのほうを見て、思いついたように尋ねた。
「サギッタリウス殿は、あの男を見かけたことがあるだろう。実際、身体が弱いというのは本当なのかどうなのか」
「ああ、その話か」
 サギッタリウスは、あごひげをなでやり、そのときの青い装束の少年のことを思い出した。
 射抜かれた後、その少年はサギッタリウスを睨みつけ、彼の首を狙う雑兵を数人斬り捨てた後に倒れた。鮮やかな青いマントをたなびかせ、少年は砂の上に吸い込まれるようにして倒れたものだった。
 けれど、あの時の視線。あの殺気に満ちた視線。修羅場を幾多も潜り抜けたサギッタリウスの肝すら冷やすあの視線。そんな視線を持ちながら、あの男はまだあどけない少年だったのだ。
 その攻撃性は、多分彼のもろさにも繋がっている。何となく、そんな気がしたことをサギッタリウスは覚えていた。
 彼の終生の宿敵であるエーリッヒもそうだ。あの男の凶暴性は、あの男が持っている繊細さの裏返しでもある。あの男は、繊細でなければ、ああして狂うこともなかっただろう。
 しかも、彼はまだ少年といっていい年頃だ。あの後、彼に何があったのかは知らないが、その後の肉親同士の殺し合いを含む権力闘争で、彼がどれほど傷ついたのかは想像に難くない。少なくとも、遠征後、しばらく病に伏せった。そのことは本当なのかもしれないと思う。
 ふっと、サギッタリウスは苦笑した。
「俺がみた男は、少なくとも病んでもおかしくない印象だったな」
「なるほど、では、うわさは本当だったのかな?」
(精神的にな)
 サギッタリウスは、そのことを付け足さなかったが、男もそれ以上追及してこなかった。
 不意にサギッタリウスは、ああ、と声を上げた。
「そうか。まったく気づいていないのか。皆」
「何?」
「いや」
 サギッタリウスは、冷笑を浮かべてため息をついた。
「なんでもない」
 エルナトも依頼主の部下達も、多分、その事実には気づいていない。しかし、サギッタリウスには、そのことを明かす義理はなかった。いや、明かしたところで、自分のような男の発言がどこまで用いられるものだろうか。
 サギッタリウスがあの時天窓からみた青年は、彼の知っている青い兜の少年の成長した姿ではない。まったくの別人だった。姿かたちで判断がつく距離ではなかったが、身のこなしや気配が、まったく違っていた。
 だから、サギッタリウスは、矢を射る直前で狙いを切り替えたのだ。シャルル=ダ・フールをあらわすタペストリーの真ん中に。
 先ほど男が偶然言ったとおり、影武者ということになろうが、ひとつ彼が読みはずしているのは、彼に限っては”本人のほうがずっと武芸に秀でた危険な人物だ”ということである。
(まあいいか。どうせ、言ったところで信じてもらえんだろうし)
 サギッタリウスは、悠然と構えていた。
(他の人間に標的を奪われても困るからな)
 そう、あの男は自分の獲物だ。
 これで勝負が終わったわけではない。これから、この国にいる間に、自分は必ずあの青い兜の男を探し当て、そして射抜く。
「ふふ、これは随分と、おもしろくなってきた」
 彼は楽しそうにそう呟いた。壁のランプの炎のゆらめきを見やるサギッタリウスの目は、赤く輝いていた。


 
 隠れ家では、ひとまずの祝宴が慎ましやかに行われていた。あまり騒ぐと、外回りの兵士に目をつけられるので、なるべく静かにしていたが、そうでなくても、今日の彼等は何かと疲労度が高かったので、それほど騒ぐ気にもならなかっただろう。
 そのころには、シャーも回復していた。無理をしない程度に酒をたしなみつつ、リーフィがつくってくれた粥などを口にしている。
 リーフィの作ってくれた料理に手をつけつつ、ゼダが、ため息をついた。
「やれやれ、まさかこんなにしんみりした宴になるとはねえ」
「仕方がないわ。だって、お城のほうで何かがあったみたいですものね」
 リーフィがそうこたえ、首を振る。
「だって、新しい王様になってから、まだそんなに経っていないもの」
「まあ、大分、ゴタゴタしてたからな」
 ゼダはそういって苦笑する。
「明日からの状況によるけれど、しばらく酒場も閉鎖されるんじゃないかしら」
「ああ、そうか。てなると、しばらくオレも身を潜めないといけねえな」
 ゼダが、腕組みをして困惑気味に言った。
「おい、お前もどっか潜んでないといけねえんじゃねえのか?」
 突然、話を振られてややぼんやりとしていたシャーは、慌てて反応する。
「え? 何だって?」
「お前だって、酒場が閉鎖されてたら行くあてがねえんだろうなと思ってさ。オレは、あっちこっち探せばいいんだが」
 ゼダが顎をなでやりながら、そう尋ねる。
「そういや、お前さあ、帰る家あんの? たまに道で寝てるだろ?」
「ば、馬鹿にするなよな。あ、あれは酔って帰るのが面倒なだけで、オレにだって帰る家ぐらい……」
 そういわれて、シャーは、ふと詰まる。帰る家がないわけじゃあない。一応、シャーにも、ちゃんとした棲家は、存在するのだ。あまり居心地もよくないし、ボロ家だし、なんといっても借家だったりもするのだが、一応自分の家ではあるのだ。確かに路上で筵や毛布かぶって寝ていたりもするのだが、毎日そういうことをしているわけでもない。
 だが、こういう状況になると、正直、困った。あの隠れ家は、シャーの身内も知らない場所にあるのだが、この機会に誰かに突き止められるとそれはそれでマズイ。色々と本来の身分を示す厄介なシロモノも隠してあるので、逆に今は近寄りたくない場所だった。かといって、宮殿に行くわけにも行かないし、酒場にもいけないし、こんな警戒の中、路上で寝てたらしょっぴかれそうだし。
 だからといって、リーフィの家に泊めてくれというのは、厚かましすぎる。この際、ジャッキールにでも頼んでみようか。でも、毎日、あのオッサンと暮らすと、朝が早くて大変だな。
 と、シャーが悩んでいるのを見越して、ゼダがにんまりとした。
「やっぱり行くところねえんだろ」
「うぐ……」
「シャー、それなら、私の家に来る?」
「い、いや、それは、さすがに悪いよ」
 リーフィが親切心からそう声をかけてきたので、シャーは慌てた。というのも、ジャッキールが、隣で凄い目で睨んできたからだ。
 その様子を面白そうにみていたゼダが、はは、と笑い声を上げた。
「ま、いくところがねえのは確定なんだ」
「う、うるせえな。色々と家庭の事情があるんだい」
 歯切れの悪いシャーに、にやりとゼダが笑いかける。
「んじゃ、テメエにこの家貸してやるよ」
「は?」
 唐突な言葉に、シャーがきょとんとする。
「この家ごと、貸してやるっての。ここは長いこと使ってなかったが、誰かがいるほうが都合がいいしな。オレもザフから逃げる時に、こういところが会ったほうがいいんだよ。第一、テメエらとつるむ時に便利だからなー」
「な、何言ってやがる。オレは、お前とつるむつもりは――」
 ゼダの情けにすがる構図は、どうにも避けたい。シャーが強がってそういうが、ゼダのほうはどうもそこまで拘っていないらしかった。
「いいじゃねえかよ。ここんとこ、何かと絡むことも多いし。な、ダンナだってそう思うだろう?」
「そうだな。まあ、落としどころとしてはそんなところだろう」
 ジャッキールが、安堵したように答える。そして、シャーの方をじろりと見た。
「貴様も、つまらん意地を張るな。今回は本当に行くところがないんだろうが」
「う、うぐ、そ、そうなんだけどさー……」
 ジャッキールにそういわれると、シャーもちょっと弱いのである。
「んじゃあ、決まりだな。あとで鍵を預けとくぜ」
 ゼダは、なにやら上機嫌だ。
 シャーは、そんなゼダを見やりつつ、違和感を感じていた。いつの間にか、ゼダのヤツ、自分に懐いてきている気がする。そもそも、こんなに協力的なヤツではなかった気がする。相変わらず、意地悪はしてくるし、ここぞという時に裏切りかねない要領のいいヤツではあるのだが、何かと自分にかまいにくるようになってしまった。
「オ、オレは、別に感謝とかしねーからな」
「ああいいぜ。別に感謝の言葉なんざ、期待してねーからな」
 シャーは、ひねくれた口調でそういうが、ゼダはにやにやして余裕だ。何となくシャーには、気にいらない態度である。
「それはそうと、ダンナはさあ」
 ゼダは、ついとジャッキールのほうに目を向ける。
「よく考えると、そんな完全武装してどこ行ってたんだよ? 昼間は就職活動だとかいってたけど、帰ってくるのが遅すぎるだろ?」
「あ、そういや、そうだよな? 一体何してたんだ?」
 シャーが、それに乗っかってきた。ハダートのところで何かしていたらしいのは、シャーも知っているが、それにしても、自分達が大変な間に、彼は一体何をしていたのか。
「まさか人斬って来たわけじゃないだろうな?」
「ま、まさか。そんなことをしていたら、この厳重な警戒の中、素直に解放してもらえんだろうが」
 ジャッキールは、慌てて答えたが、若干動揺していた。
(今日は、斬ったことは斬ったが、一応、殺してない筈だからな)
 手加減もしたことだし、返り血は浴びていないと思う。多分――。
「えー、それじゃー何やってたのよー。大体、オレ達、色々忙しかったんだから、手伝ってくれてもよかったのにさあ」
「そうだよなー。一回戻ってくるかと思ってたのに、結局戻ってこないからオレたちだけで決行したんだぜ。で、オレ達犠牲にしといて、職見つかったの?」
「あ、それ、オレも知りたい。いい仕事見つかった?」
 ゼダとシャーが、二人してジャッキールに追及にかかる。こういうときだけは、妙に息が合っているし、仲がいい。
(この餓鬼どもが……。お前らの為に苦労したのに)
 怒りを抑えつつ、ジャッキールは、ふいと顔を背けた。
「やかましい。不景気なんだ」
「へー、大変なんだね、ダンナも」
 シャーは、他人事そのものの口ぶりで、面白そうに言った。
「私、今回、皆に、随分と色々心配かけてしまったみたい。ごめんなさいね」
 不意にリーフィが、そう言った。シャーが慌てて口を開こうとしたが、先に口を開いたのはゼダのほうだ。
「へへ、気にするなよ。困った時にはお互い様だよ、な」
 ちょっといい男風にそういいつつ、ゼダは、シャーの方に視線をやる。台詞をとられたシャーは、むっとしつつ、リーフィに慌てていった。
「そ、そうだよ。リーフィちゃんが困ってると、オレも落ち着かないから。気にしないでよね」
「うん、ありがとう。ジャッキールさんにも、随分と迷惑をかけてしまって……」
「あ、ああ」
 ふと、一瞬、考え事でもしていたのか、ぼんやりと彼らをみていたジャッキールは、苦笑した。
「いや、俺は別に大したことはしていない。礼なら二人に言ってくれればいい」
「お、ダンナ、案外カッコつけるねー。イイ男は、一味違いますな」
 シャーが、横から茶々を入れてくるのを睨んで黙らせつつ、ジャッキールは、リーフィに言った。
「まあ、紆余曲折はあったし、色々晴れ晴れとしない部分もあるが、解決したようでよかった。今後は、過去に引きずられずにな」
「ええ、ありがとう」
 リーフィが、柔らかく微笑んだ。
 まだ、外では兵士達がうろついているらしい。そんな気配が漂っている。
 彼らににらまれないように気をつけつつも、ようやく、訪れた少しの平穏を味わいつつ、彼らの夜は更けていく。
 ささやかな宴が終わり、ゼダが、リーフィの為に寝床を作るといって向こうの部屋を片付けだし、リーフィが皿を片付けだした時、シャーとジャッキールは、まだ飲んでいた。
「ところで、ひとつ訊きたいことがあるんだけどさ」
 シャーは、なにやら一仕事終えた顔で酒を飲んでいる、ジャッキールに尋ねる。どういうわけだか知らないが、宴会が終わりにさしかかってから、妙に落ち着いた様子で飲み始めた彼だった。それにどういう意図があるのかはわからない。
「何だ?」
「あいつらが狙ってたムルジムって呼ばれてたやつが、この騒ぎの一件に関わっていたんだろう?」
「うむ、そう考えるのが妥当だな」
「でも、その名前、多分偽名だよな。そいつが賞金稼ぎのゴロツキどもに捕まったのかどうかは、この際有耶無耶になっちゃったし、そのことについては、蝙蝠の兄ちゃんが調べてそうだからいいんだけどさ」
 シャーの質問の意図が良くわからず、ジャッキールは横目で彼を見た。
「結局、”ムルジム”ってなんだったのさ。」
「ん?」
 ジャッキールは、一瞬反応して、そして思わず苦笑した。
「さあな」
「あそこまでこだわってて、なにも知らねえってことはないよな? 一体、誰なんだよ、”ムルジム”ってさ」
 シャーの追及をかわすように、ジャッキールは首を振る。
「すでにこの世にいない男の名前だ。お前が知るほどの価値もない名前だよ」
「そうかねえ。ダンナ、本当は、何か知ってんじゃねえ?」
「し、知らんといったら知らん」
「実は、ダンナが昔悪いことしてたころの名前だったりして?」
 一瞬、どきりとしつつ、ジャッキールは首を振る。
「だから、俺は知らん。もういいではないか。一応、解決はしただろう? 犠牲者はいないし、奴らを逃亡させる目標は一応達成した。リーフィさんは過去への思いを断ち切ったし、貴様も立ち直った。うまくいってよかったではないか。ふっ、ふ、ふふふふ、ははははは」
 何かを誤魔化すように、ジャッキールはぎこちなく笑う。その笑い方がちょっと不気味で、シャーは思わず身を引いた。
「ちっ、なんか気にくわねえなあ」
 シャーは、ため息をついた。
「ま、いいや。今回は、アンタには随分世話になったからね。一応、礼は言っておくぜ」
 シャーはそういうと、立ち上がり、空の杯を手に、片づけをするリーフィのほうに歩いていった。どうやら、手伝うつもりらしい。といっても、手伝う余地はなさそうだから、それを口実に何か雑談でもしようという、そういう魂胆に違いない。
 これからのことを考えると、まだ色々片付けなければならないことが起きそうだ。しかし、今日ぐらいは、のんびりさせてもらいたいものだとジャッキールは思った。
 向こうの方で笑い話をしているシャーを横目で見ながら、彼がにやりと笑ったことに気づいたものはいなかった。



笑うムルジム:完


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