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笑うムルジム20


 シャーは、ジャッキールに容赦するつもりはなかった。
 ジャッキールの挑発には、素直に腹を立ててもいたし、元から機嫌も悪かった。それに相手はジャッキールだ。不死身が売りのジャッキールのこと、多少痛めつけても大丈夫だろう。
 第一、今日はどうやら穏やかでいられるらしいが、ジャッキールには例の病気があるのだ。一旦、戦闘意欲に火がついたらどうなるのかわからない。
 だから、逆にシャーも気兼ねなく喧嘩を売れたのかもしれない。
 シャーは、真っ向からジャッキールに切りかかった。甲高い音と共に短剣がそれを受け止める。シャーの方にも衝撃はあったが、もちろん相手の方にかなり負荷がかかっているはずだった。
 そのまま体を預けるように押し込んで、シャーは、足をジャッキールの足にかけた、が、さすがにそれには引っかからない。諦めてさっと距離をとり、シャーはすばやく相手に突きかけた。 
 すばやく連続的に突きを食らわしてやるが、ジャッキールもさすがのもので、それを短剣を使ってうまく受け流してかわす。
 今日の彼は冷静な分、防御の動作が丁寧で細やかだ。血が上っている時は、防御もほどほどに即座に攻撃に続けてくるのだが、今日はそういうことはない。
(そんな小手先いつまで続くかな?)
 シャーは、ふと剣を引き、体重を乗せながら、気合の声と共に踏み込んだ。ジャッキールは、舌打ちし、体勢を整える。彼にはそれが今までよりかなり重い一撃であることがわかっていた。
 ギィンと重い音が響く。ジャッキールは、短剣の鍔の部分を使って片手で受け止めていた。シャーの指にも、しびれるような衝撃が伝わる。
 はははは、とシャーは笑い出した。
「はっはー、それを片手で止めるとはね! やるな、ダンナ!」
 シャーは、にっと白い歯を見せた。
「だけど、いつまで続くかな! いい加減、まじめに攻撃してこいよ!」
 ギリ、と刃の接触面に火花が散り、すべるようにかすかに動く。シャーは、このまま押し切ろうとそのまま力を入れる。ジャッキールがわずかに歯噛みしたのが見えた。いくら彼でも、片手では押し切られてしまう。
 と、厳しい表情だったジャッキールの口元が歪む。つい、と力をわずかに斜めに流す。そのせいで、刃先が滑る。シャーのバランスがかすかに崩れた所で、ジャッキールはそのまま斜めに体を逃して彼から離れた。
 が、シャーもそれぐらいで体勢が崩れるほどは甘くない。そのぐらい想定内だ。そのままジャッキールに執拗に追いすがる。
「てえっ!」 
 シャーは、わざと大振り気味に斜めに切り下ろす、が、ジャッキールは身を翻して避ける。いつもの彼なら、その隙を突いて攻撃をしかけてくるはずだが、今日はそうしない。積極的に攻撃しないようにしているのかもしれない。それとも、武器が短剣であるので、シャーの懐深くに飛び込まなくてはならないので、浅い攻撃を避けているのかもしれない。
 シャーは、常にある一定の間合いを取っているので、短剣で攻撃しても当たらない。逆に、シャーの刀はそれなりの長さがあるため、一方的に攻撃を仕掛けることができるのだった。
 そのまま、斜めに二、三度振り回してやると、ジャッキールは、短剣でそれを受け流して弾くだけだ。彼としては距離を詰めたいはずだが、シャーはそれを許さない。逆にシャーから距離を詰めた時は、力で押さえ込んで簡単に武器を使わせないようにしていた。
「どうした、ジャッキール!」
 一方的に攻撃を仕掛けているシャーは、彼を煽るように嘲った。
「短剣だけで十分じゃなかったのかよ!」
 シャーは、思わずにやりとしながら、連続して攻撃を叩き込む。下から跳ね上げた一撃をかろうじて受け流したジャッキールが、唸るように呟いたのをきいた。
「いきがるな、小僧!」
 ジャッキールは、わずかに表情をゆがめていた。
「俺に剣を抜かせると、冗談で済まんことは貴様もわかっているだろう」
「だから、そういう状況にしたいんじゃねえか!」
 ジャッキールが何を考えているのか、シャーには皆目わからなかったが、彼の攻撃が消極的な事も気に食わなかった。
(絶対に、剣を抜かせてやる!)
 こうなったら彼も意地だ。いやでも本気にさせてやる。
 そして、そろそろこの戦いが、かなりまどろっこしくなってきてもいた。早いことジャッキールに剣を抜かせて、勝負に持ち込んでやろう。
 シャーは、下段に構えながら、隙をうかがいながら歩き回る。ジャッキールはというと、いつの間にか露天商の使う天幕を背にしている。
 それは、ジャッキールが防戦に徹することを示すものでもあるのだった。彼も自分が不利であることはわかっているらしい。
「チッ、ダンナにしちゃあ用心するねえ!」
 シャーは、笑いかけた。
「いつまで意地張ってるつもりかしらねえが、オレは容赦しないからそのつもりでな!」
「調子に乗るな」
 ジャッキールが、不機嫌そうな声で応じる。
「酔っ払いの貴様など隙だらけだ!」
「それじゃあ、たまにはてめえから攻撃してみろよ! ジャッキールッ!」
 シャーは、再び先制攻撃に出る。下段に構えてのまま突撃して、下から上へと切り上げる。ジャッキールは、身を引いてそれをよけるが、かすかにそれが右腕をかすった。
 が、シャーは宣言どおりに容赦しない。切り上げた剣に両手を添えて、まっすぐに切り下ろす。ジャッキールがかろうじて正面から受け止めるが、シャーは競り合うのを嫌って自分から身を引いた。が、彼の攻撃は緩まない。そのまま胴目掛けて切り上げる。
 火花が散る。ジャッキールはどうにか短剣を引き下げてきて、その一撃を受け止めていた。その左手が、左腰の長剣、彼の恋人とも言える魔剣フェブリスの柄にかかっていた。
 ジャッキールはそのまま落ち着いてシャーの剣を払う。シャーも一旦引き下がり、再び彼らの間には、五メートルほどの距離ができる。
「さあ、抜けよ! ジャッキール!」
 シャーは、剣を構えたまま言った。
「短剣のアンタをぶっ倒しても、何の自慢にもならねえからよ!」
 ジャッキールは、いまだに左の腰に手を置いていたが、それをすっとはずす。
 ジャッキールは険しい顔をしていた。舌打ちをして、彼は右手の剣を確かめる。先ほどかすった二の腕に、じんわりと血が滲んでいた。
「貴様……!」
 ジャッキールは、かすかに唸る。
「抜かないなら、どうなってもしらねえぞ!」
 そんな彼などお構いなしに、シャーは追撃に出た。
「いい加減にしろよ! この……!」
 ジャッキールは、そう吐き捨てて、ぐっと攻撃に向かうシャーを睨んだ。その瞬間、ジャッキールの瞳に一瞬ぎらぎらとした殺意が煌いた。
 彼のそれは、危険信号でもある。いわば、普段の彼が、戦鬼としての彼に変貌することを示すものだ。その目の光が灯るとジャッキールは、行動が途端に豹変するのである。
 今まで几帳面なほど丁寧にシャーの攻撃を受け流し、避けていた彼は、唐突に攻撃に転じた。シャーが攻撃を仕掛けているというのに、彼は行動に移ったのである。
 シャーも、そのことに気づいた、が、遅かった。しかも、その次の瞬間、ジャッキールの取った攻撃は、シャーの予想もつかないものだったのである。
 ジャッキールは、いきなり握っていた短剣を投げた。シャーは、はっとして攻撃を止めて守りに入った。
 が、実際はそれは近くの地面に向けて投げられたものであった。その手の動きで、シャーは自分に向けて投げつけてきたのだと誤解したのである。そして、当の素手のジャッキールはその懐に飛び込むように走りこんできた。
 ジャッキールの投げた白刃が、地面に突き刺さったのをシャーは目で確認し、彼の意図を理解した。が、そのことに気づいて攻撃をしかけようとしたときには遅かった。
 いきなりジャッキールの右手が視界に飛び込んできた。
「やべ……!」
 そのまま、があっと首をつかまれた。喉がぐっと絞まり、彼にそんな強引な攻撃をされると思わなかったシャーに、抵抗の機会は与えられなかった。
「くそ餓鬼がああっ!」
 ジャッキールは、咆哮と共に、シャーを振り回して地面に投げ飛ばした。容赦なく、ドンと思い切り地面に叩きつけられたシャーには、受身を取る暇も与えられなかった。
 衝撃をもろに腰に受けて、シャーは悶絶する。一瞬呼吸ができなくなり、思わず剣を握っていた指が離れてしまう。
 ジャッキールは、そんな彼を見下ろしていた。が、それ以上の攻撃を加えることはなかった。先ほど、危うげな光を灯したその瞳も、今は普段の穏やかな彼のものに戻っている。しかし、さすがの彼も荒い息をつき、肩が上下に動いていた。
「この、馬鹿がッ!」
 ジャッキールは息を整えつつ、そう彼を叱責した。 
「飲んだくれて、みっともない八つ当たりなどしている場合か!」
「う、……うる、せえ、な……」
 シャーは、咳き込みながら起き上がる。
「あんたにゃ、関係、ねえだろ! 何をしようが、オレの勝手じゃねえかよ!」
 シャーは、起き上がって剣を握りなおした。
 勝負はすでについている。しかし、シャーは、ありったけの怒りと憎悪を込めてジャッキールを睨みあげた。
 だが、常人なら卒倒しかねないその凶悪な視線にも、ジャッキールはびくともしなかった。ただ、静かに目を細めただけである。
「別に貴様がどうしようと貴様の自由だ。だが、自棄になったところで、物事は何も解決しない。それぐらいわかるだろう?」
 ジャッキールは、静かに言った。
「第一、貴様が自棄になって暴れても、あの娘が救われるわけではないだろうが」
 シャーは、はっとする。
「……ど、どうしてそのことを……! だ、大体、なんでアンタがここにいるんだよ!」
 ジャッキールは、ため息をつく。
「こうなるとは思っていたからな。時間を見計らって出てきたまでだ。まさかここまで荒れているとは思わなかったがな」 
 シャーは、ぎりと歯をかみしめた。
「ッ、てめえ! オレがこうなるってことを見越して、あの子の家にいけって言ったのか? わかってたんだろう!」
 シャーは、ジャッキールにつかみかかろうとするが、ジャッキールにあっさりと払いのけられた。彼は眉根をひそめた。
「わからん奴だな。俺がそういう風に予想したのは、貴様の態度があまりにもおかしかったからだ。……お前が誰かに嫉妬しているのは、傍目にもよくわかったからな」
「そこまでわかっていて……!」
「それならどうした? あの娘とぎくしゃくしたまま、毎日過ごしたほうがよかったか?」
 シャーの言葉を封じ込んで、ジャッキールは、その胸倉をつかんで引き起こした。
「このまま誤魔化し続けることができるとでも思っているのか?」
 シャーは、彼を睨みつけたが、ジャッキールは目を逸らさない。シャーの燃えるような怒りに満ちた目と裏腹に、ジャッキールの瞳は冷徹なほど静かで冷たかった。狂気に堕ちていない彼の瞳は、波紋一つ立てないような揺るがさを持っていた。それは、彼の持つ確信がそうさせるのかもしれなかった。
 シャーは、歯噛みした。
 その目を見ているうちに、シャーは今日の彼には勝てないことを知った。ジャッキールには、すべてを読まれている。そんな気がした。自分の心を焦がしていたなにものかの感情すらも――。
「来い!」
 ジャッキールは一言いうと、シャーをひきずるように胸倉をつかんだまま歩き出した。
 


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