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笑うムルジム4
 
ゼダは一気に核心に近いところまで話を進めた。シャーには、強引なようにも思えたが、ゼダは今までの会話の積み重ねですっかり会話の主導権を握っていた。猫を被っている彼のそれは一見穏やかで控えめな会話だったのだが、さすがにゼダは食わせものだ。穏やかな男を装いながらも、肝心な部分をしっかり掴んでいる。
「あら、意外なところなんてどこで?」
 ミシェがきょとんと首をかしげる。
「ああ、カタスレニア通りでね」
 一瞬ミシェがどきりとしたようだった。ゼダはそれをしっかり確認しながら、全くそれに気づいていないふりをしてつづける。
「たまたま、あのあたりに用事があってね、通りがかったんだけど。あのあたりは寂しいところだから、君が一体どうしたんだろうと思って」
 ゼダは、優しく言った。
「一体何の用事だったのかな?」
「ちょっと、調べたいことがあって……」
 ミシェは言葉を濁した。ゼダは、かすかに首を振る。
「ごめんね。きいてはいけないことだったかな?」
 ミシェは慌てて首を振った。
「いえ、そんなことはないんです。……ただ、ここのところ、困ったことがあったから」
「困ったこと? なにか悩み事でもあるのかい?」
 ゼダは、大きな目を瞬いて、その童顔にとろけそうなやわらかい笑みをのせた。
「もし、君が大丈夫なら私に話してくれないか。少しは力になるかもしれないよ」
 ミシェはゼダのほうを見た。こころなしか、その目には信頼の色がうつっていた。
(コイツ……)
 シャーは、内心あきれ返りながらも感心してしまった。最初から事情をある程度知っているくせに白々しい。そうしている間にも、ゼダはなにやら最後の詰めに入っていた。
「ああ。こちらの彼は、ここの言葉があまりわからないし、それに口も堅いから気にしないで。私も誰にも言わないから」
「若旦那になら、お話してもいいのですが」
 ミシェが、ふと折れる様子を見せた。あの強情そうな子が、こうもあっさりと陥落しているのをみると、シャーとしてはちょっと複雑な気分である。ゼダのやつはそんなに魅力的なんだろうか。
「実は、カタスレニアには人を探しにいっていたんです。数日前から」
「人?」
「ええ、女の人を」
 ミシェは、ため息をついた。その様子は、昨夜と随分違っている。ミシェは、観念したように顔を上げた。
「実は、その女の人があたしの探している人を知っているときいたんです」
「探している人? それは」
 ゼダは、言葉を慎重に選んでいった。
「それは、ミシェの大切な人なんだね」
 思わず彼女が、ふと頬を染める。
「秘密ですよ」
 少し嬉しそうにいったミシェだが、すぐに彼女は顔を曇らせた。
「けれど、その人は一週間ぐらい前から行方がわからなくなってしまって……。彼の友達にきいても、どこにいったか知らないというの」
「それで君はカタスレニアの女性のところへいったんだね?」
「ええ」
 ゼダは、性急に追求しないで、あえて彼女の返答を待った。
「……その女の人が、彼の前の恋人だったというようなことをきいたから」
「君は彼女のところにおしかけたの? そうか、彼が前の恋人のところにいってしまったのかと思ったのだね?」
「ええ。お恥ずかしいことですけれど」
 ミシェは、元気のない様子で深く息を継いだ。
「でも、多分間違いだったんだわ」
「間違い?」
「ええ。その人は何も知らないみたいだった。もしかしたら、彼とも何の関係もないのかもしれない」
「人違いだったっていうことだね?」
「そうだと思うんです」
 ミシェは、もう一度ため息をついた。
「でも、急にお金が手に入るから、っていって飛び出していって……。彼の行方を知るのに、聞きまわっていたら、もともとの恋人がとても綺麗な人だってきいたから、あたし……」
「本当にその人が好きなんだね、ミシェは」
 ゼダは、慰めるようにいって様子を伺いながら、そっと聞いた。
「その、彼、いや、こういうところじゃあ名前は教えてはくれまいね」
 彼は自分からそう断った。シャーが名前をきけばいいのに、とばかりに視線を送ってきたが、ゼダはちらりとやった目でそれを否定した。こういう店だけに、心に決めた相手がいるということも余り口外できないのだ。当然、相手の素性など教えるわけがない。万一、その名前が外に漏れれば、場合によっては別れさせられることもあるし、とても厄介なことになる。
「彼は、急にお金が手に入るといって飛び出していったということだけど、詳しい話は君もしらないのかい」
「ええ、全く。ああ、いえ、でも」
 ミシェは、記憶をたどるように、途切れ途切れに答えた。
「急に、仕事が入ったんだといって飛び込んできて。彼は、その、借金があって、少し危ない仕事もしているんですが、今回は、特に危ない仕事だって……。ああ、思い出しましたわ」
 彼女は、瞬きをしてゼダに向き直った。
「ムルジム」
 彼女はぽつりとつぶやく。シャーは、あまり聞きなれない言葉を覆面の下で声に出さずに反芻した。
「『ムルジム』の首さえあれば、俺たちは金持ちになれるんだ。って」
「ムルジム?」
 ゼダがききかえして、眉を潜めた。
「その名前は一体なんだろう」
「あたしもそこまでは。ただ、しばらくはムルジムを探すといって出て行ったんです。それから行方がわからないから、あたし……。ムルジム、も調べてみたけれど、一体なんのことなのか」
 ミシェが泣き出しそうな顔になった。ゼダは、肩に手をやってやさしく言った。
「大丈夫だよ、ミシェ。その人は無事だ。ムルジムというのがなんなのか、私も調べてみよう。そのうちに、彼の行方もわかるかもしれないよ」
 ゼダは、そっと声を低めた。
「ここでは、その名を口にするのははばかられそうだから、何かの機会に私にそっと教えておくれ」
 ミシェは、うなずいて頼もしげにゼダを見上げた。
「けれど、私も、ムルジムというのをきいたことがないから、まずはそれを調べてみないと、彼と交差することはなさそうだね」
「けれど、危ないことになりそうでしたら、若旦那を巻き込んでしまうのは」
「いいんだ。私には、色々なお友達がいるからね。彼等に協力してもらうよ」
 ゼダは、小声でそういった。
「ありがとうございます、若旦那。そうですね。あたしが考えるより、若旦那はとても強いお方ですもの。そちらの方も、若旦那の頼りになるお友達ですものね」
「ああ、そうなんだ。彼もとても強い男なんだよ」
「まあ、頼もしいわ」
 ちらりと彼女はシャーに目を向けた。そして、目が合った一瞬、ふと彼女は首をかしげた。
「けれど、もしかして、どこかでお会いしたかしら」
 思わず、シャーはどきりとした。会ったことなんてないです、と思わず言葉が口を付き添うになったが、ここで喋ってはいけない。それをどうにか飲み込んでいるうちに、ゼダが慌てて入ってきた。
「おや? 顔見知りだったのかい?」
「いえ、そういうわけではないのですが、どこかでお会いしたような気がして。でも、あたしの思い違いかもしれませんわね」
 ミシェはにこりと微笑んで、思い立ったように腰を上げた。
「お酒がなくなったみたいですから、もってきますわ。そろそろ、追加の料理もできているころですし」
「ああ、ありがとう」
 ゼダが微笑んでいうと、ミシェはもう一度愛想笑いをうかべて部屋から出て行った。彼女の足音がリズムよく弾んで遠くに去っていくのをきいたあと、シャーは深々とため息をついた。
「あ、危なかった」
「本当だぜ。俺のほうが焦ったじゃねえか」
 一瞬で、ゼダはいつものゼダになっている。どこか据わった様な目をしたゼダは、シャーを横目で見ながらやれやれとため息をついた。
「しかし、オメエ、今日はここで引き上げたほうがよくねえか。ほれ、そこに窓があるからあそこからでていけよ」
 ゼダは窓のほうに顎をしゃくった。いきなり彼がそんなことを言ったので、シャーは不服そうである。
「何だと?」
「どうせ俺も今日はこれ以上は聞きだせねえよ。あまり、急いで聞き出すとあいつが俺を怪しみだすだろ」
「それはそうかもな。でも、いきなり帰れってどういう意味だよ」
 何となくゼダに指図されること自体が嫌なシャーが、口を尖らせるが、ゼダは肩をすくめて嘲笑った。
「何でもかんでもあるかい。このままだと、ミシェに正体ばれちまうぜ。あの娘、案外勘がいいのさ。そのうち、お前の覆面とれとかなんとかいいだすかもしれないぜ」
「う、それは、まあ」
「だから、今のうちにずらかっちまえと俺はいっているのさ」
 シャーは少しうなって、立ち上がった。確かに、このままでは正体がばれてしまいそうである。シャーはあいている窓の桟に手を当てた。部屋は一階なのでどうにか逃げられそうである。
「ちょっと待ちな」
 ゼダは、懐から財布を取り出して、その中から硬貨を適当に取り出すとシャーの手に掴ませた。
「お、おい、なんだこれは」
「今日はそのナリじゃあ、ろくに飲めなかったんだろ。恵んでやっから飲みなおしな」
「な、なんだとう!」
 思わぬクツジョクに、怒りの声を上げるシャーだが、ふいに足音が聞こえて声を飲み込んだ。
「いけね」
 シャーはぽつりとつぶやいて、慌てて外に飛び出した。
 同時に扉の開く音と、ゼダの声が聞こえた。
「ああ、ありがとう、ミシェ。友人なんだが、飲みすぎて気分が悪くなったようで、先に帰るということになったんだ。ごめんね。彼は酒がまるで飲めなくてねえ」



「畜生。あの野郎」
 シャーは、窓から店を逃げ出して、にぎやかな通りを裏に入っていた。華やかな歓楽街が遠くなるにつれ、人の通りも減り、道も暗くなっていく。
 シャーは、サンダル履きの足をずりずりと砂にすりながら、ぶつくさ文句を言っていた。
「なんだい。かっこつけやがって」
 手のひらの硬貨をじゃらじゃらさせながら、シャーは唇を尖らせた。
 クツジョクである。シャーは人に恵んでもらったりおごってもらったりするのは平気だし、寧ろそうやって生きているところがあるのだが、さすがにゼダに恵まれるのはプライドが許さない。
 さりとて、この金をどぶに捨ててしまうのも気が引ける。シャーの懐は、今日もいつものごとく空っぽに近かった。だからといって、ここで言われたとおりに飲んで帰るのも癪だ。
 少し欠けた月が空に浮かんでいる。まだ夜は早い。夕暮れから、二時間ほどだろうか。まだまだ夜はこれからだから、飲む店はどことも開いてはいる。
「あーあ、どうしようかねえ。くそっ、むかつくー!」
 シャーは、そういいながらどんどん花町から離れた場所を歩いていた。露天商のいなくなった寂しい通りを歩いていくと、一軒、煌々と明りのついた建物が見えた。かなり大きな建物で、人通りがちらほらと見える。
「なんだ、風呂屋か」
 シャーはつまらなさそうに言った。
 街にはいくつも公衆浴場がある。この周辺の土地では蒸し風呂が一般的だが、西方の影響が少し強かった時代があり、さらに王都は水が豊富であることから、湯を張る形式のものもあった。いくつかのものは、王立のものであり、もしかしたらここもそうかもしれない。王都の郊外にはよい温泉もあり、多少温泉水を使っている場所もあるとかきいた。シャー自身は、あまり風呂が好きでないからそれほど興味がない。
 シャーは、昨日ぶどう酒を頭からひっかけられたこともあり、今日の昼間にさっさと風呂に入ってしまったので、今から入浴する気などなかった。それに、そろそろ客足も少なかった。当然だ。ここは遅くまでやっているほうだが、普通日が沈んだ後には閉めてしまうのだった。だから、もうここも終了時間なのだろう。
「やれやれ、なかなか、この腐った金をつかっちまう方法がみつからないなあ」
 シャーは、深々とため息をつきながら、浴場の前を横切ろうとした。
 と、不意に入り口から出てきた黒い影が目の前を通りすがった。
「おっと」
 慌てて避けたが、体をぶつけてしまい、相手の持っていた荷物が地面に落ちた。石鹸と手ぬぐいらしいものが下にころりと転がった。どうやら浴場にきていた客のようである。
「ああ、ごめんよ。見てなかったんだ」
 シャーは素直に謝った。相手の石鹸と手ぬぐいを拾い上げて手に渡してやる。相手は男のようで、シャーよりも背が高かった。
「いや、こちらこそすまなかった」
 相手の男はそういって頭をさげて石鹸を受け取り、もっていた桶の中に入れた。
「私もよくみていなかったようだ」
 妙に丁寧な男だ。何となく気がかりになって、シャーは彼の顔を覗き込む。低い声に聞き覚えがあるような気がしたのだ。
 ふと、顔を上げた男と目が合った。
 月明かりの下に浮かぶ青ざめた頬。鋭い、少し色の薄い瞳。その全身から立ち上る、ありがたくない気のようなもの。いかにも潔癖そうな短髪と、怜悧な刃物のような、整った冷たい容貌に。
 そう 簡単に忘れられる顔ではない。シャーは思わず身を引いた。


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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。