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魔剣呪状21



 夜道をひたひたと帰りながら、ゼダは、かすかににやついていた。
「今頃、あの野郎、オレがいねえことに気付いて焦ってやがるだろうなあ」
 そういって、ゼダは忍び笑いを禁じえなかった。
 先ほどまで、シャーと一緒に、不穏な輩と剣を交えていたゼダだが、シャーが彼らを押さえ込むのに一生懸命になっているうちに、自分だけするりと抜けてきたのだった。それは随分鮮やかなもので、敵のうちの数人も気付かなかったし、シャーですら気付いていないほどだった。それで、今、ゼダは、一人、人気のない道を夜陰にまぎれつつ、帰途についているのだった。
 それにしても、気付いた時のシャーの顔を思い浮かべると。ゼダの口元には、大きく笑みが広がる。シャーの奴は、滅多に見られないほど焦って、それから、烈火のごとく怒り出すに決まっているのである。あの青みを帯びた三白眼が、天をにらんでいるに違いない。
「へへへ、まァ、おめえさんにゃあ悪いが、オレは今日は疲れちまってるんだよ」
 ゼダは、そういって笑った。さて、これからどうしようか。さすがにしけこむにも、刻が遅い。ザフのところによれば、どうせ上着はどうしたのかとか、色々ととやかく言われるのが目に見えている。忠実で機転の利くいい使用人だが、ゼダとしてはいい加減坊ちゃん扱いはよして欲しいところもあるのだった。
 赤い上着もないままに、ゼダはふらふら歩きながら、顎をなでやる。
「シーリーンところに寄るってのも悪いだろうしな。アレはもう休んでいるだろうし、休んでなければかえって心配だ」
 会っていない間に、なにか無茶をしていないかと、それはそれで心配だが、自分が行くと、あの娘が過剰に気を遣うことをゼダはよく知っている。だから、時々しか寄らないのであるが、それにしても、シーリーンの名前が、いきなり自分の口から飛び出たことに、ゼダは薄く自嘲の笑みを浮かべた。
 ということは、今日は大人しくどこぞの宿にでも泊まることにしようか。
 ゼダがそう考え、金の算段をしようとしたとき、ふと小さな声が聞こえた。
「確かに渡してくれるのだな?」
「はい」
 ゼダは、息を潜めると、そっとそちらの方に近づく。といっても、近づきすぎては、相手に悟られる。ゼダは、相手の声が聞こえて、しかも、悟られないぎりぎりの場所に位置を取った。
 壊れかけのレンガ塀の向こうの道で、馬車が止まっているのがかすかに見えた。ゼダは、その塀に身をつけながら、話をきく。
 馬車からほんの少し顔が覗いているのは、貴族風の男だった。
(カディン卿だな)
 その、見覚えのある風貌をちらりと垣間見、ゼダは素早く相手を判断した。これはまた、絶妙なタイミングで出会ったものだ。先ほど、自分とあの黒衣の男を襲ったのは、まず間違いなくカディンの手先に違いないのである。ということは、ここに来ているのは、さしずめ高みの見物といったところか。
 では、もう一人は? 
 ゼダは、相手を探ってみるが、その顔ははっきりとしない上に、馬車の陰に隠れてしまっていて見えない。もう少し前に行けば見えるかもしれないが、そういう危険を冒すのはゼダとしてもまずいと思った。ここの位置からは馬車にいるカディンと男しか見えないが、カディンが一人で歩き回るはずはない。必ず、ボディーガードの男達が数人ついているはずである。
「まあ、慌てる必要もないでしょう。もう少しお待ちください」
「とはいえ、本当に渡してくれるのだろうな?」
 カディンは、もう一度確認するようにいい、わずかに眉をひそめた。
「ええ、ご心配には及びません。全て終わりましたら必ず」
「そうか、ならば、貴様のすすめにしたがった甲斐があるというものだ」
 カディンは、信用することにしたのか、少々ほっとした顔を覗かせた。
「しかし、先ほどのことは本当か? あの傭兵、深手を負ったのだな?」
「卿。私の方からも、隊長からきいております。ですが、そこから、数名を斬って逃げおおせたという話です」
 カディンの側についているらしい男が、そう補足した。
「しかし、あの傷では逃げられるとは考えられません。役人もいることですし」
「確かに。貴様がそういうのであれば、そうであろうな」
 カディンは、そういい、腕を組んだ。
「では、もう一つ、貴様にもいっておくが、青い服の三白眼の男が、素晴らしい剣を持っていた。アレについてはどう思う」
「あれは素晴らしい剣でございましたな」
 ゼダは、む、と眉をひそめた。どうやら、今話している内容は、シャーのことについてらしい。
「あの下郎、私に向かって挑発までしてきおったのだ。……おまけに、このことについて、多少感づいている風でもある。……貴様にとっても悪くない話だと思うが」
「そうですな。……立ちふさがるようなら考えておきましょう」
 男はそう答えると、ふらりと立ち上がったようだった。
「それでは、私はひとまずコレで……。あの男の様子も知りたいところですしね」
「そうだな」
 カディンはそう頷いて、男を見送ろうとした。男はそのまま一礼すると、すたすたと歩き始めた。ちょうど影の部分に体が入って、顔が見えない。ゼダは、目をすがめてみたが、残念ながら男の顔は見えなかった。
「ああ、少し待て」
 カディンの引き止める声に、ゼダは、再び息を殺す。
「フェブリスは、無事で済むであろうな」
「何をご心配なされます、卿」
「いや、もし、剣を奪うのを目的だと、あの傭兵が悟ったら、わざと折ってしまわないかとおもってな」
「馬鹿なことをおっしゃいますな」
 男は、軽く嘲笑するように言った。
「あのジャッキールという男。そのような真似はおそらくできますまい」
「しかし……」
「あの男は、あの剣に心酔している。そのようなものを折るとは考えられません」
 それはそうかもしれない。カディンは、自分のことを振り返ってそう思った。そうして納得しかけたとき、ふと、男が笑って思いも寄らぬことを言った。
「ただ、剣の方も無事というわけにはすまないかもしれませんが」
「何だと?」
「アレは、ハルミッドが、あの男のために作ったような剣です。たった一人、持ち主のためにつくられた剣が、その持ち主の血を浴びる。そうした剣がどうなるか、私は知らないので、そう申したのです」
 かすかに月光で見える男の顔は、どうやら若いらしい。その口元が、どこか歪んでいる気がした。
「持ち主の血を浴びるだと?」
 カディンは妙な顔をした。今まで、欲しい剣をそのものを殺して奪ったこともある。だが、何も起こらなかったはずだ。目の前の男は、そんな迷信じみたことを本気で信じているのだろうか。
「いいえ、私が言っているのは、あの剣が、持ち主の命を絶った時のことをいっているのですよ」
「む、どういう意味か?」
「あの男、追い詰めれば、必ず自ら命を絶つ。それだけ気位が高いのです。剣を手放し、辱めを受けるぐらいなら死んだほうがましだという。流れの傭兵の癖に、そのくらい気位が高いのですよ」
 男はそこで一息切って、不気味に薄ら笑いを浮かべた。
「あの男は、死を覚悟した時、必ず自らに刃を向ける。そうして絶対にフェブリスを握ったまま死ぬのです。そういう男です、アレは」
「ああ、確かに……」
「つまり、フェブリスが、持ち主を喪った時に浴びる血は、あの傭兵の首から虹のようにふきだした赤い血になるはずなのです。あの剣は、自分の主人を自ら殺す、そういう呪われた運命にあるのですよ」
 思わずカディンは、息を飲んだ。男の語り口は、彼の目の前に、血にまみれ、剣を握ったまま倒れ行くジャッキールの最期を幻のように映したのかもしれない。或いは、思い浮かべたのは、それと同時に、持ち主の血を浴びて、涙のように血の雨を滴らす、美しい一本の魔剣の姿か。
 カディンの思考を読んだように、男はポツリと言った。 
「……そうなったとき、あれはどれほどの魔剣になるのでしょうな……。それは私には想像つきかねるのです」
 そういったときの男の目は、どこかうっとりとしていた。カディンは返事をせず、どこか呆然としたような目で男を見ているばかりだった。
「それでは、卿。私はこのあたりで」
「あ、ああ」
 男に言われて、カディンはようやく返事をした。男は、再び一礼すると、きびすをかえして、今度はカディンに声をかけさせる暇もなく立ち去った。





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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。