魔剣呪状19
目の前を手にもったランプの光がちらりと揺れている。
夜道は慣れているので、あまり怖いとは思わないことが多かった。だが、それでも、今夜だけは少し彼女でも不安になるものだった。暗い夜に不自然に明るく浮いたような月のせいもあるかもしれない。
あちらのシャーとゼダは、喧嘩ぐらいはしそうな気もするが、まあうまくやっているだろう。だが、あの二人が相手と切り結んでいる事実が、嫌でも、あの事件を想起させる。この不安は、そこからきているものだろうか。
事件が起こる中でも、リーフィは、さほど、夜道を怖いと思わなかったが、今日だけは別のようだ。勘の鋭い彼女には、今日の月夜が特定の連中の心理に作用することを無意識に感づいているのかもしれない。
夜道を不安に思うなんて、と、リーフィは、自分でも思わず苦笑してしまいそうだった。本当に珍しいことだ。
「馬鹿野郎!」
急に声がきこえ、リーフィは反射的に身を潜めた。声はそのまま向こうの方からきこえてくる。
「お前ら! 何やってんだ!」
「すみません、隊長!」
リーフィは、そうっとそのまま向こう側を覗く。そこにいたのは、何かと見覚えのある色の黒い大男だった。酒場でシャーと飲んでいたメハルとか言う男だろう。ということは、あのときの役人の隊長だ。
メハルは、なにやら焦っているようだった。だが、それでも、ついつい部下に説教してしまう性分なのか、ぶつぶつと文句を言っている。
「大体、お前らは駄目すぎる。謝って済む問題じゃねえだろうが! 目的の奴が切りあってるって情報がきてたのに、該当の場所に本人どころか、死体一個も落ちてねえなんておかしいだろ」
「それはおかしいと思うんですけれども」
「思ったら探せ、馬鹿野郎!」
だから、探してもないんです、となにやら切ない言い訳をしている情けない部下達を見回し、メハルは頭を抱えた。
「しかたねえ! 俺が探す! とにかく、今逃げてる奴は、この辺の人間とちょっと違う風貌をしているらしいし、目立たないわけがねえ。その辺の人間たたき起こしてきいたりしてみれば、すぐわかるにきまってるぜ!」
いや、それは迷惑だろう。そんな顔をする部下達だが、メハルはすでにやる気らしい。
「行くぜ、お前ら!」
「た、隊長! 待って下さい!」
メハルが突然駆け出したらしく、その後をあわただしく部下達がついていく男がした。ばたばたとあわただしく去っていく足音をきいてから、リーフィは、建物の陰から表に出た。
一瞬、今暴れている最中のシャーとゼダに狙いを定めたのかと思ったが、そうではなさそうだ。それにひとまず安堵を覚えるが、それにしても、黒服というのは。
(シャーの言っていた人のことね)
確か、名前はジャッキールとか言っていた。その名前自体をきいたことはないが、シャーに言わせると腕利きの傭兵だとかいう話だ。旅の傭兵なら、きっとメハルがいったとおり、このあたりの人間でなくてもおかしくないだろう。
彼はやはりこの街に潜んでいるのだろうか。それについては、後で少々シャーにきいてみたほうがよさそうである。
と、リーフィは、再び足を止めた。今度は、目の前に人影が見えたからである。それも小さな影だった。彼女は眉をひそめる。子供がいるにしては、少々時間が遅すぎる。
リーフィは、怪訝に思いながら、早足でそこに佇んでいる子供に近づいた。そして、ふと首をかしげた。 どうも見覚えがあると思ったが、近所の子供によく似ている。
「レル?」
リーフィは声をかけてみる。案の定、女の子がこちらを振り向いた。少し泣いたあとのような顔は、不安そうにこちらに向けられた。
「レル、私。リーフィよ。安心して」
リーフィは、不安げな彼女にそういって笑いかける。
「どうしたの? お母さんは?」
レルの母は、リーフィとは違う酒場で働いているが、同業者ということもあって結構仲はよく、面倒をみている経緯があった。すぐにレルはリーフィに気付いたのか、こちらに駆け寄ってきた。
その様子がどうもおびえているようなので、リーフィは少し身をかがめつつ、レルの様子を伺った。
「どうしたの?」
リーフィはそういって、レルを覗き込んだ。レルの頬に泥がついているのを見て、リーフィはそれを拭いつつ、心配そうに聞く。
「どうしたの? けがでもしたの?」
「わ、わたしじゃないの。おじさんが……」
「おじさん?」
「うん。あっちの方にいるはずなの」
レルは、ほとんど泣きそうな顔になっている。レルの言うおじさんが誰のことかはよくわかららない。
「でも、あなたも、膝をすりむいているじゃない? おうちに帰りましょう。お母さんも心配しているわよ」
レルは母の帰りが遅くて出てきたのかもしれない、とリーフィは推測したが、さすがにそろそろ帰っているだろう。一緒に家まで帰ってあげようとリーフィは、レルの手を取ろうとしたが、彼女は首を振るばかりである。
「でも、おじさんが……。あのままじゃ、死んじゃうかもしれない……」
「レル、でも、おうちに帰らないと……」
リーフィはそういって眉をひそめるが、どうもレルの決意は固いらしい。動こうとしないレルをみて、リーフィは軽くため息をついた。
「じゃあ、わかったわ。私が見てくるから、レルはおうちに帰って。私があとで、レルの家に立ち寄るから」
「ホント?」
「ええ、嘘はつかないわ」
リーフィは軽く微笑むと、レルの家のほうに向けた。なるべくなら送ってあげたいのだが、この様子を見る限り、どうも今すぐリーフィが探しにいかないと納得しなさそうである。幸い、ここからは家は近いので、リーフィは角までレルを送った。
「じゃあ、ここからその人を探してくるから、レルは家に帰るのよ」
「ありがとう。お姉ちゃん」
レルは、そういって少しだけほっとしたように頷くと、そのまま家のほうに走っていった。レルが家の前に着いたのを見届けて、リーフィは、きびすを返す。
ともあれ、約束は約束だ。それに、レルの話をきいてみると、そのおじさんとやらは危険な状況にあるらしい。
しかし、と、リーフィは首をかしげた。
「一体、……おじさんって、誰のことかしら」
とりあえず、シャーとゼダではなさそうだ。妙に年齢不詳感の漂うシャーともあれ、童顔のゼダはどこからどうみても「おにいちゃん」にしか見えないし、そもそも、先ほどまでリーフィは彼らと一緒にいたのだから、あれからレルを助けるなどということはない。そういう意味では、メハルなどの役人の可能性も薄い。
リーフィは、やや警戒しながら、少し小走りになりながらあたりを見回した。ここは裏路地に当たる。そもそも、リーフィのような娘が一人で借りられる場所なのだから、あまり治安のいい場所でもないのだが、この辺りは特に人気がない場所でもあった。廃屋が多いので、住んでいる人間もいない。特に夜は、寂しさを越えて不気味さを覚えるほどだ。
その不気味な廃屋の通りを、随分進んできたが、周りには人間どころか、いきものの気配もなさそうだった。このまま諦めて帰ろうかと思った時、リーフィは、手に持ったランプをそっと道に近づけた。何かが見えた気がしたのだ。
「これは……?」
道の上に点々と黒いものが落ちている。いや、厳密に言うと赤い色なのだが、夜の闇に黒く見えていただけかもしれない。間違いない。血の跡だ。
リーフィは、服に隠してある短剣を一応確認しながら、そっと足を進めた。石畳で整備されていない砂にしみるように、ほぼ一定間隔にそれは続いている。時によろめいたのか、大きく横にふれているところもあった。
リーフィは、息を潜めて立ち止まった。ちょうど、建物の影のあたりにつながるところで、血のあとは途切れている。リーフィは、少し顎に手をあてて考えた後、そっと声をかけた。
「だれ?」
リーフィは、そうっと路地裏の影をのぞきやった。誰かいるような気はするが、返事がない。リーフィは意を決して、もう少し近づいてみることにし、足を一歩進めた。暗い建物の影である。闇に目が慣れたリーフィでも、すぐには向こう側が見通せない。
と、いきなりリーフィの手の先のランプが落とされ、油が広がって燃え移り、大地の上をパッと明るくした。直後、リーフィの鼻先に、白い剣の切っ先が突きつけられる。
リーフィは息を飲む。だが、目の前に掲げられた白刃は、さっとそのまま引かれた。
「……す、すまない」
男の声が聞こえる。どこか辛そうだが、はっきりとした発音だ。訛り、でもないが、どこか発音が違うのは、彼がここの人間でないということなのだろうか。
「まさか、婦人とはつゆ知らず……。驚かせてしまったな。理由はどうあれ、いきなり女性に剣を向けるとは、この非礼、わびてすむものでもないだろうが、どうか許されたい」
城の武官でもなかなかここまで妙に堅い言葉は使わないので、ずいぶんと珍しい。
リーフィは、暗がりにいる男を見やる。足元で音を立てながら燃える油のおかげで、そこにいる人物の姿は多少なりともわかるようになっていた。かなりの長身で、割合にがっしりとした体格をしている。月の光のせいだけとは思えない青ざめた顔色に、鋭い目をしていた。黒い服を着ているからすぐにはわからないが、左肩辺りが濡れているようだった。
「あなた……」
口を袖の裾で押さえながら、リーフィは呆然とつぶやく。視線を向けられたジャッキールのほうが、やや戸惑った様子になった。大声を上げられるとおもったのだが、その前に、向こうの方で人の声が聞こえた。リーフィには、先ほどすれ違ったメハルの部隊の声だろうということに簡単に予想がついた。男にもそれはわかったのだろう。その声に反応し、彼は立ち上がり、リーフィをそのままに逃げようとした。
「待って……。あなた、怪我をしているわね?」
声をかけられ、男は静かに振り返る。リーフィは、月の光の中で、男の風貌を見た。頬に、自分のものか返り血かはわからないが、赤い血しぶきが飛んでいる。整っているが冷たい顔立ちに、わずかに戸惑いの色が浮かんでいた。
「私と一緒に来て」
リーフィに言われ、男はきょとんとした。まさか、そんなことをいわれるとは思いも寄らなかったのだろう。
「……しかし……」
「追われているのでしょう? 早くしないと、このままでは捕まってしまうわ」
こっちじゃないか、と向こうの方で声がした。男は、少しためらったが、やがて剣を収めて、リーフィのほうをみる。彼女は頷くと、そのまま進み始めた。