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魔剣呪状16


 さすがのゼダも、そろそろ息があがっていた。 壁側に背をつけながら、息を整える彼とくらべ、相手のほうはまだ余裕を漂わせている。
「浅いな」
 ゆらりと黒いマントが闇にまぎれながら波打つ。足を一歩差し出すと、ちょうど月光の中に黒い靴が不気味光る。続いて下げた剣の切っ先がぎらりと反射した。
 切れ長の瞳に、どこか危なげな血の気配をのせながら、男は薄い光の中に姿をさらす。ジャッキールは、青ざめた顔を少しゆがめるようにして笑っていた。 
「貴様の技は小手先ばかりの目くらましだ。一度見切ってしまえば、何ということもない」
「へえ、で、見切れたのかよ?」
「まあ、十のうちの七つほどは、な」
 ジャッキールは、軽く肩をすくめた。流れの傭兵である彼は、普段からも、それなりの武装はしている。鎖帷子でも着ているのか、ちゃりと金属の音がなる。
 十に七つということは、残りの三割の確率で、ゼダの技が決まることもあるということである。別に低い確率ではない。だが、そういう風に宣言されるのは、さすがのゼダにもプレッシャーがかかるのだ。ゼダは、わずかに口元を引きつらせた。
「それじゃあ、速攻で決めた方がいいってことかい」
「それでもいいかもしれんが、だが、最悪相打ちの斬りあいになっても勝つ自信はあるぞ。貴様の剣は、一撃で相手をしとめるのには向いていない」
「あんまりないい様じゃねえか」
「では言い方を変えようか」
 ジャッキールは、薄笑いを浮かべたまま続けた。
「貴様の剣が不気味なのは、一体どこから来るか、どこを狙っているか、一瞬わからなくなり、受ける方が混乱するからだ。だから、逆に言えば、貴様が勝負をしかけてきたのがわかれば、俺は命に関わる場所だけに気をつかっていればいい。多少の傷を負うのはやむをえないと考えれば済むだけのことよ」
「へえ、言い切ってくれるじゃねえか」
 ゼダは、一瞬冷や汗をかいた。それは、以前シャーにやられたのと同じことではないだろうか。いや、ある意味ではシャーだったからでこそ、この前はほとんど互角の結果になったわけであり、この男だとそうはいかない。
 あの時、刺されることは覚悟で勝負を挑んできたシャーも相当危なかったが、この男はまたソレとは違う。「異常」なのだ、この男は。あの時のシャーにも、それなりの覚悟はあったのである。だが、この男にはそういう気負いもなければ、覚悟もない。それは、彼にとっては別に特別に仕切りなおして考える必要のないことなのであろう。この男は、今、この後の勝負など考えていないのである。
 もしかしたら、ジャッキールは、誰かを追ってここまで来たことも、これから誰かを追わなければならないことも、すっかり頭から抜けているのかもしれない。目的を持って戦っている場合、その後の利害を考えるのが当たり前だが、そんなことを彼は考えないのだ。それぐらいに戦闘のみに陶酔できるというところで、ジャッキールという男は、シャーや自分よりも、明らかに一線向こうに飛びぬけているのである。
 それとも、もしかしてあれだろうか。この男、今日の冷たく光る月に酔っているのか?
(これはちょっとまずいな)
 ゼダの顔色は、さすがに少々まずくなる。
ジャッキールは、薄く微笑みかけてきた。死神でも取り憑いているのではないかと思うぐらい、冷たく不吉な笑みだ。
「そろそろ時間も時間だな。月が南中する頃合には、勝負を決しておきたいが」
「へえ、気がなげえことだな。そういう余裕かましてると、後で泣きをみたりすることもあるぜ?」
 はっ、とジャッキールは軽く笑った。そして、一瞬、その唇が笑みの形を崩し、こちらをその目が向いた時、ジャッキールの上体がぐっと伸びた。直後、目の前に刃物の光がまぶしくよぎる。ゼダは咄嗟に、身を低めて横に飛んでいた。
 鋭い風の音と共に、掠った服がやぶれる音が聞こえた。ぎりぎりでそれをかわしたゼダは、さらにそのまま逃げ、続いてきた軽めの一撃を剣を縦にして弾く。
(何が月が南中するまでだ? もう勝負をしかけてきやがって!)
 ゼダは心の中で吐き捨てる。先ほどの一撃は受け止められないと判断したゼダの行動は正しかった。彼が受けたところで、今のは受け流せるようなものではない。押し切られて、肩から切り裂かれていたはずだ。
「いい判断だ! だが、それがいつまで続くかな!」
 ジャッキールの声が追ってくる。避けられたとはいえ、ゼダの不利は一切かわっていない。ここから反撃に転じるべきか、だが安易に反撃するのはアブナイ。
 と、その時、ゼダは、何かの違和感に気付いた。が、すでに戦闘にとらわれたジャッキールは、まだそれには気付かない。ゼダは、相手を避けながら気付いた違和感について口を開こうとした。もし、彼が感じたことが「当たり」なら、こんなところで戦っている場合ではない。
 だが、彼が口を開くまでもなかった。その次の瞬間、遠くの方で悲鳴があがったのだ。
 その悲鳴は、闇に消されるようなわずかなものだったが、それでも、さすがに彼の熱くなった頭を冷やすのに十分だった。戦い以外の現実に引き戻され、彼は、はっと顔を上げる。そして、彼はようやく周囲の状況に気付いたようだった。動きをとめたジャッキールから、いくらか離れたゼダは、からかうように声をあげる。
「お? 顔が変わったな? 何かゴシュジン様におおせつかった用事でも思い出したのかよ。それとも、純粋にアブネエことに気付いたのか? ええ? 狂犬!」
「チッ、生意気を……!」
 ジャッキールは、ゼダにそう応じるが、だが、すでに彼の表情は先ほどまでのものと違っていた。そして、ゼダもその理由に気付いている。
 先ほどの悲鳴と別に、もうひとつ、後ろでことが起こりかけている。いつのまにか、彼らは周りを取り囲まれているのだった。
「時間をかけすぎたみたいだな」
「……全くだ。少々遊びに熱を入れすぎたようだ」
 ジャッキールは、やや唸るようにしながらも同意するしかない。そろ、と衣服の裾をする数人の音が聞こえると同時に、明らかな気配が辺りを包む。
「ああ、なるほどね」
 ゼダは、にやりとして、剣を腰の近くに引き寄せた。ゼダは、自分に付けねらわれる理由がないのをしっている。おまけに、役人ならともかく、周りを囲んだ連中は、そんな話が通じそうなまっとうな人間でもなさそうだ。自分でないなら、狙われているのは、間違いなく目の前のこの狂犬じみた傭兵。おまけに、先ほどから見れば、実にいい剣を持っている。
「オッサン、あんたが原因てわけ」
 ひく、と眉をひそめ、ジャッキールはゼダを見てから顔をそらす。
「ふん、生憎、貴様の首は次まで預けることになりそうだな、小僧」
「ははは、残念だな。お互いに」
 どちらかというと自分が不利だったくせに、そこを偉そうに切って捨ててしまえる辺りのゼダの切り替えの早さに、ジャッキールもさすがに舌を巻く。
「さて、どうするつもりだい?」
「知れたこと。邪魔するなら斬り捨てて走り去るまで。そうだろう?」
「まあな。じゃあ、オレはあっち側に逃げるとするかね」
「……」
 要するに、ゼダに、あんたは反対側を通って逃げろと示唆されたわけである。とはいえ、こんなところで揉めても仕方がない。ジャッキールは、先ほどの悲鳴が気にかかっているのだし、特に異論を出すことはなかった。
「さて、じゃあ、そういう方向で。その辺で斬られて死んでたら、ま、花の一本でも手向けてやるぜ」
「ふん」
 ゼダの軽口を軽くあしらい、ジャッキールはちらりと周りを見る。彼らはすでに姿を現していた。全員剣を抜いて、すぐに飛び掛ることもできる位置まで近づいてきている。
「じゃあな! 狂犬野郎!」
 ゼダは突如としてそう声をかけた。同時に、左側にいた男が、悲鳴をあげる。ゼダが投げた小刀が手に刺さったのだ。ゼダはそのままだっと走り出し、その後を追うように影がついていく。
 一方のジャッキールもそれを合図に、同時にそこを飛び出している。目の前に立ちふさがってきた男を突き伏せ、そのまま通り抜ける。狭い路地を押し通りながら、ジャッキールは、先ほどの悲鳴の方向へと向かった。もう手遅れかもしれないが、それでも、今夜は何かがあるような気がした。この月夜が自分に作用したように、必ず相手も、血に飢えてうずくその手を押さえきれなくなるはずだからである。




 彼は、そこに佇んでいた。先ほど斬り捨てた通行人を見るでもなく、月を見るでもなく、ただそこにたっているのである。月の光は、妙に明るく白く冷たい。月というのは不思議なもので、同じ色をしているのにも関わらず、見るものによってその印象はかなり違うものになるのである。
 この光を暖かく思うものもいれば、冷たいと感じるものもいる。一体、月の光というのは、人間の視覚と心のどこに作用しているのか。
 そして、その場に、その月光を彼とは真逆の感性でもって受け取っていたものがいることも、また大きな皮肉のような話だった。
 ざ、と砂をするような音に、彼はそちらを振り向く。
「あ……!」
 押さえられた高い声があがる。そこには、まだ十にならないほどの少女が立っていた。こんな夜にどうして少女がいるのか、ということに、彼の意識はいかなかった。それよりは、どうして気付かなかったのだろう、と思ったのだ。先ほどから、小さな影が彼の前をよぎっていた筈なのに、何故か今になって、彼は初めて彼女がここにいたことに気付いたのである。
 顔は見られただろうか。いや、あそこはここからでは逆光になる。ろくに顔など見えていないだろう。だが、確実に、自分が通行人の男を殺したのを見られた。そこを見られていなくても、この状況を見られた。
 以前に女にも見られたが、あの時は寧ろ姿をわざと見せたところもあった。だが、今回は偶然に「見られた」のである。その事実が、彼の気に障った。
「こ、来ないで!」
 彼が足を進めたのに気付いたのか、少女、レルは声をあげた。少女は、彼女自身の運命を悟ったのだろうか。恐怖の表情を顔に張り付かせながら、懸命に狭い路地を後ずさる。だが、逃げ場はないのもわかっているのだ。
 彼は、剣を振り上げる。一人の刀鍛冶が狂気の末に作った異形の剣を。
「見つけたぞ! メフィティス!」
 声がかかり、びくりと彼は肩をすくめた。そちらに目を走らせると、そこには若干息を切らせてはいるが、刀を抜いたままの男が立っている。黒い闇夜のようなマントをたなびかせているが、血の匂いがする気がするのは、誰か斬って来たのだろうか。
 だが、彼にはそれが決して味方でないことはわかっただろう。常に自分を追っている傭兵の存在に気付いた彼は、そちらに目をやった。
「悪いが、一度見た剣はこれでも忘れん方でな! 間違いない、貴様があの時の男だ!」
 ジャッキールは、そのまま血をはらったばかりのフェブリスの切っ先をつきつけた。
「いつもはすでに距離があったから逃げられたが、今日はこの距離だ。逃げられると思うな!」
 じゃりと音が鳴り、メフィティスを持った男の影が揺れる。予想外の乱入者の存在に、彼はさすがに動揺したのだろう。後ずさりしながらも、その行動には合理性がない。後ずさりをはじめた男に、ジャッキールは逃亡の可能性を知る。
「逃がすか!」
 ジャッキールはそのまま男に飛びかかった。慌てた男が振るったメフィティスの異形の輝きが、ジャッキールの瞳を射る。
 しかし、その程度の攻撃は彼の予想の範疇である。そのまま力でもって切り下ろしてやれば、それで勝負は終わりだ。
 だが、ジャッキールの目に飛び込んできたのはそれだけではなかった。男が、そばにあった何かをこちらに突き飛ばしてきたのである。それをもろとも斬ればいい、と思っていたジャッキールだったが、それが何であるかを知った時、彼はわずかに驚いた。
(子供が……!)
 ジャッキールの位置からは、レルがいるのは見えなかったので知らなかったが、その死角にはいっていた少女を男はこちらに突き飛ばしてきたのだ。
 飛び込んできた少女はちょうどジャッキールと相手の真ん中である。重いジャッキールの剣はこのまま振り下ろせば途中で止めることはできない。必ず少女ごと斬ってしまう。
 月光が交わった刀身にあたってぱっと光が弾けていった。そして、一瞬の後、赤い色が黒い闇の中に飛んだ。





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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。