魔剣呪状12
いつもの場末の酒場、よりは、少々立派な酒場。シャーのような男がいても、さほどおかしくはないものの、さりとて、いつもの連中で騒ぐには、ちょっと違和感のある程度の酒場だった。宵からすでに酒場はそれなりに盛り上がっていた。例の事件以来、酒を飲む人間も減っているにも関わらず、ここだけはそうでもないらしい。
まあ、それはおそらく、ここにいる男達の多くが、どこか闇の世界の匂いのする命知らずな連中だということも関係するかもしれない。
シャーは、珍しく不機嫌だった。酒さえ飲んでいれば機嫌のいい彼が、こんな顔をしているのは珍しい。グラスをぎりぎり握り締めながら、苦い酒を飲むシャーは、明らかにその店では異色の存在だった。彼の握っているグラスが丈夫な金属製だったのはよかったかもしれない。握り締めすぎて手からそれて床に落としても割れないし、意外に握力の強い彼が割ってしまうこともないわけなのだから。
どこから、得体の知れない視線を感じるが、正直、シャーは、今はそんなことどうでもよかった。今の最大の懸念事項は、ともあれ、リーフィのことだ。ここで多少自分に危険が及んでも、別に返り討ちぐらいなんともない。むしろ、返り討ちできないからこそ、シャーは、軽く貧乏ゆすりをしながら杯をがたがた言わせるはめになるのである。
「……が、我慢ならん」
酒をあおりながら、シャーはちらりと後ろを見た。綺麗に着飾ったリーフィが、後ろの方の席で男達につきっきりで酌をしているのが見える。その服装が、いつもより明らかに露出が多いだけでも、シャーにとっては大事なのだが、本当の大事はそこではない。
「そうなの。……まあ、とても頼もしいんでしょうね?」
リーフィのあまり感情のこもらない声が、いつもより何となく甘く聞こえるのは、シャーの耳が悪いからだろうか。
ちょうど後ろの席で、リーフィは、もうひとりの女性と共に、柄の悪い男達に囲まれていた。体格のほうもいいし、シャーが見る分でも、おそらくそこそこの腕は持っているだろう戦士達である。やくざものというよりは、ジャッキールと同じような流れの傭兵風の印象があった。
今日のリーフィは、いつもより艶やかな服装をしていた。大きく肌をさらけだす衣装を着て、華やかに着飾った彼女は、いつもの酒場にいる彼女とは、また違う印象がある。
もちろん、もとから目を引く美人のリーフィだから、男達のほうも何かと彼女に話しかけたり、時にはべたべたとその肩や手に馴れ馴れしくふれたりしている。
「カディン」「剣」などという、意味深な単語はきかれるので、おそらく彼らをカディンの部下だと見たリーフィの見立ては図に当たったのだろうが、正直、シャーは、カディンなどどうでもよかった。
リーフィは、なにやら、妙に綺麗な笑みを浮かべている。ああいう笑い方もできたのか、と思うのだが、どこかぎこちないそれは、多分作り笑いなのだろう。
(普段みたいに、ちょっとだけ優しく微笑んでもらえるのはオレだけ)
そう思うと、シャーの気分も落ち着くといえば落ち着くのであるが、それにしても気分的にはいいものでもない。
なにせ、あの連中、リーフィに妙に密着して、酌をついでもらったり、なにやら語らって笑ったりしているのだから。何か危険が迫ったら助ける、ということで、シャーが付き添っているのだが、シャー的にはすでに危険が迫って助けてやらねばならない状態のような気もする。
「別に、嫉妬とかそういうんじゃないんだけど、ないんだけど、ないんだけど」
自己暗示のようにつぶやきつつ、シャーは、やけ気味に酒を注いで飲み干した。じんわりと染みとおるアルコールの感じに、シャーは先ほどリーフィと話した内容を思い出した。
リーフィによると、例の刀好きの貴族とやらの部下が、この酒場にのみに来るという話だった。カディン本人が来るには、少々柄のよくない酒場だが、どうせろくなことをする部下でもないのだろう。そもそも、彼のやっていることを考えると、こういうところにたむろする連中が関わっていてもおかしくない。むしろ、そういう連中とつながりがあって当然でもある。
そういうわけで、シャーとリーフィは、この酒場にやってきていたのだが、今日、リーフィは、この酒場で臨時の手伝いとして働くということになっていた。いいかえれば、そういう名目で忍び込んだということなのだが。
「リーフィちゃん。やっぱりまずいよ。止めとかない?」
化粧やら準備をしているらしいリーフィを待ちながら、シャーは壁一つ向こうの彼女にそういった。
「いや、そこまで無理することないと、思うのよね」
「でも、ここまで来たんだし、ねえ、シャー、やってみる価値はあるとおもうの」
リーフィは、妙に前向きである。いつからこの娘はこんなに前向きになったのだろうか。
「価値があるのはわかるけど、でも、なんというか、ほら、リーフィちゃんに危険が及ぶと……」
「まぁ、私なら大丈夫よ」
リーフィは、なにやら余裕な様子で笑っている。シャーはやや慌てた。
「いや、リーフィちゃんが大丈夫でも、オレが大丈夫じゃないっつーか……」
「でも、私が今日働く分で、シャーのお食事代は払えるっていうし、あなたは久しぶりにいいものを呑んだり食べたり出来ると思うわ」
「い、いや、それはそれで物凄く気がとがめますけど。女の子におごられるのはちょっと、ほら、いくらオレでもねえ」
「じゃあ、私のことを女の子じゃなくて男だと思えば大丈夫よ。それに、シャーは私を守ってくれるんだから、その分だと思えばいいの」
(えっ、やっぱり……)
どうも、昨今の相棒扱いについてのシャーの悲観的な予測は当たっていたかもしれない。とりあえず、恋愛対象あたりをすっ飛ばして、信頼だけが高まっていたらしい
(あああ……、なんというか、別に信頼関係があったらいいんだけど、いいんだけど、どうなのそれって?)
妙にシャーが、そもそもの問題とは違うところで葛藤していると、リーフィは準備を終えたらしく、部屋から出てきた。
いつもより、少々華やかな化粧をしたリーフィは、またいつもとは違う趣がある。その様子に少々ぼんやりしていたシャーだが、ふとあることに気付いて、ハッと頬を赤らめた。
「あ、あの……リーフィちゃん、そ、その服、一体なんなのかな?」
リーフィが着ていたのは、珍しく肌の露出が多い服装だ。踊り子だと思えば、そう過激な服装でもないのだが、リーフィは普段が普段なので、少々どきりとしてしまう。
「え? コレ、今日は踊り子のひとりとして忍びこむんだから、と思って……」
「と、思ってってー……あ、あの、オレ、あんまり正視できないんですが」
「……え、そんなに露出度高いかしら?」
どこまで本気なのかどうなのか、そう聞かれてシャーは苦笑した。
「そ、そんなこと、オレに聞く?」
「あら、聞いてはいけない?」
「あ、いや、その、ねえ……別にそういうことはないんだけど」
どちらにしろ、シャーの立場とすれば酷である。
ともあれ、そんなことがあったものだから、シャーは余計に今の状況を見守りつついらいらしているのだった。
リーフィの座る近くの席で、後ろ向きにちらちら様子を見たり、盗み聞きをしながら飲むシャーだが、危うくここに何をしにきたのか忘れてしまいそうになっていた。
(何くっついてんだよ、ナンパ野郎。……あ、そんな肩に手を!)
シャーは、グラスをつかんだまま歯をかみ締めた。足をゆすった折に、椅子からかたんと立てかけておいた刀がはずれて音を立てる。こういう時に、刃物などみるものではない。シャーは、あえて目をそらした。
(り、理性がなかったら、マジで刃傷沙汰起こしそうだよ、リーフィちゃん)
本当に気が気でない。シャーは、深々とため息をついた。
「そうやってうっかり、剣に手が出たりするか?」
ふと声が入ってきて、シャーはわずかに眉をひそめてちらりと目をやった。そこには、彼と同じく、少々この店には似つかわしくない男がいた。彼はすぐに無言で隣の椅子に座った。多少いい格好はしているが、それでも、無骨な印象はぬぐえない。
その顔には覚えがある。確か、メハル隊長とか呼ばれていた、この一件の捜査をしている軍の幹部だ。そういえば、この前、リーフィと歩いていて、例の事件に当たった時に部下の兵士達をどやしつけていた男だ。
「あれ……」
「やっぱり、お前は少々怪しいな」
メハルは、酒をふくみながらカマをかけるような口調で言った。
「本当は結構できるんじゃないのか?」
「何が?」
シャーは、わからないといいたげな口調で言った。
「あくまですっとぼけるつもりか? じゃあ、別の言い方をしようか」
メハルは、ちらりと目を輝かせた。
「……お前、なんか探ってるだろう?」
メハルが突然そう切り出してきた。シャーは、慌てて首を振る。
「そんなわけないでしょっ? 何勘違いしてるのよ。オレは、別に……」
だが、メハル隊長は、大きな目を疑わしげに彼のほうに向ける。
「いや、オレの目はごまかせないぞ。……テメエ、只の馬鹿じゃねえだろ」
「いやー、ただの馬鹿でいいですよ、扱い」
シャーはそういって、酒を飲む。だが、メハルは、シャーの目を見ずにどこか別の場所を見ているようだった。さしずめ、その酒杯を持つ手。
「それじゃあ、まあ、ただの馬鹿っつーことにしとくが、それでも、お前、手だけは嘘をついてないんじゃねえのか」