魔剣呪状-3
暗い夜はどんどん更けていく。
酔いがまわったというわけでもないのだが、ジャッキールは、そのまま机の上でうとうととしていた。彼のひざに立てかけられたフェブリスが、鞘の中で静かに眠っている。
ジャッキールのような男でも、あるべきものが自分の手に返ってくることは、それだけで安堵すべきことなのだろう。テーブルにひじを置いたまま眠る彼は、どこか安心した様子でもあった。
暗い夜である。その暗さは、ジャッキールのような男の感性にも影響するものであったらしい。少し、彼もいつもより深く眠りの底に引きずりこまれていた。
扉がわずかに開いた音がしたが、彼はすぐには目を覚まさない。そこから闇のように足音もなく忍び込んだ男が、一人。やがて、ジャッキールのひざに立てかけてある剣に目をつけた。確認するようにそれを見やりながら、徐々に近づいていった。手を伸ばし、剣をそっと手にしようとする。黒い手袋に覆われた指が、そうっと彼の剣に触れようとしたとき、突然目の前に光が散った。
「何をする!」
男はざっと後ずさる。剣を手にして、既に半分抜いたジャッキールの目が、こちらを静かにとらえていた。舌打ちすると、男はそのまま身を翻して走り出す。
「待て!」
ジャッキールは、鞘を一気に払うと、ランプに輝く刀身をひらめかせながら、逃げる男を追いかけて扉を抜ける。砂漠近くの乾いた地面が、暗い夜の闇の中にうすく砂埃を散らせる。
星明りもろくに感じられない闇に、剣の白い光が時折暗くひらめいた。ジャッキールは、警戒した。目の前にいるのは、多分一人ではない。
と、いきなり刃物の気配を感じて、ジャッキールは身をそらした。わあっという掛け声とともに飛び込んできた男をさけ、ジャッキールは身を翻す。
「チッ!」
ジャッキールは、た、と近くに立っている木を背後に取った。敵は一人ではない。闇に目が慣れてくるにつれ、多少の人数はわかるようになっていた。一人二人、目で確認できるものは、それでも五人。闇には果たして何人まぎれているだろう。
「……貴様ら、何者だ?」
ジャッキールは、そういったが、案の定返答があるはずもない。ざり、と靴が砂を擦る音がした。ジャッキールは、反射的に剣を横に薙ぐ。青い火花が散って、手に衝撃が返ってくる。闇にまぎれながら襲ってきた男は、弾き飛ばされながらも、まだジャッキールへの攻撃をあきらめていないようだった。そのまま、足を踏みなおして飛び掛ってくる。
「遅い!」
きらりと目を閃かせ、ジャッキールは振り返りざま、握った剣をこともなげに振り下ろした。空気が一瞬凍りつき、一拍遅れて ぎゃあっという悲鳴をあげて、男が倒れる。ジャッキールは身を軽く寄せ、男が倒れ掛かってくるのを避けた。どさりと音が鳴る頃には、その場の空気はすでに変わっていた。
明らかにジャッキールへの評価が変わったのである。今までは得体の知れない男だが、どうせ一人だと思っていたのだろう。大した動作もとらず、一瞬で切り捨てられた仲間を見て、彼らの間にも多少の警戒と戦慄が走っているようだった。
ジャッキールは、というと、そのまま倒れた男には興味を示さず、剣を握りなおす。フェブリスという名前の剣は、血を吸ってなお、凛とした凄絶な美しさを闇夜に誇る。暗い夜のわずかな光を浴びて、ジャッキールにはそれが薄く赤い色に輝いたようにも見えた。
「さすが」
ジャッキールは、満足げに薄ら笑いを浮かべた。
「この剣は違うな」
どこか狂気を帯びてきた瞳を返し、闇に潜む男達を見やる。
「まずは馴染ませるためにも、試し切り、と思っていたが……」
マントをやや跳ね除けるようにしながら、ジャッキールは、だらりと下げていた剣を両手で握った。
「そんなに死にたいなら、ちょうどいいな。かかってこい!」
フェブリスを構え、ジャッキールは相手を見据える。闇にまぎれて半数はわからないが、それでも、相手にはかなり効果があったようだった。
さっと頭領らしき男が、手を振るのが見えた。今まで相対していた男達は、その合図をみて、慌てて駆け出す。すぐにジャッキールの目の前からは、人間の気配は消え去っていた。
「つまらん。臆病者が」
ジャッキールはそう吐き捨てたが、別に追おうとはしなかった。やがて、馬蹄の音が聞こえ、そのまま遠ざかっていく。
あの方向は王都だろうか。馬蹄の去る方向だけを確かめ、ジャッキールは顎に手をやった。
「剣を盗もうとしたようだが……」
ジャッキールは、軽く眉をひそめた。ハルミッドの剣は、有名である。盗みにくる連中がきても別に不思議でもない。一応の納得をみたところで、ジャッキールは、ほっと一息ついた。
「ふん、ただの夜盗か」
ジャッキールは、特に気を止めた風もなく剣を払って、そのまま鞘に入れようとしたが、ちょうど、そのとき。いきなり、ハルミッドの家の方から、悲鳴が高く響き渡ったのだった。
「なんだ!」
ジャッキールは、鞘におさめようとした剣をそのままに、閃かせながら走り出す。なにやら嫌な予感がした。
「ハルミッド!」
だっ、と開け放ったままだった扉をくぐる。先ほどとは違い、家の中は荒れていた。窓際の花瓶が飛んで、床の上に花ともども無残な姿をさらしている。自分が出て行く前は、これほど荒れていなかった筈だ。
嫌な予感が、やがて確信に変わる。確かに、血の匂いがした。ジャッキールは、開かれていた工房への扉をくぐる。ジャッキールのような上客でも、ハルミッドはほとんど、その鍛冶場を見せてくれることはなかった。だが、彼がいるとしたらそこ以外考えられなかった。
かすかに唸り声が響いた。ジャッキールは、慌てて荒れた鍛冶場の隅の方に倒れている老人に目をやる。
「ハルミッド!」
「あああ、……ジャッキールの……」
ハルミッドは、わずかに顔を上げて、ぽつりとつぶやいた。服が赤く染まっているのを見ながら、ジャッキールは、ハルミッドが肩口から斬られているらしいことを知った。伸ばしてくる手にも赤い色がはっきりと見える。
「しっかりしろ! 何があった!」
ジャッキールは、ハルミッドを抱き起こしたが、一目見てもう助からないことはよくわかった。その顔には、すでに死相が浮かびつつあった。ジャッキールは、弱った老人の虚ろな瞳をみやりながらたずねる。
「誰だ! 誰にやられた!」
「メフィティス、メフィティスが……」
虚ろだが、この期に及んでいまだに剣に取り憑かれたような目は、狂気と紙一重の光を帯びているようだった。何かに取り憑かれたような瞳に、少し寒気を感じながらも、ジャッキールはその言葉をはっきりといった聞いた。
「メフィティス?」
ジャッキールは片眉をひそめた。メフィティスというのは、先ほど鑑定した剣の名前だ。
「あの剣がどうしたというのだ?」
「アレは失敗作だ……。そのままにしておくと……大変なことに……」
声はどんどん小さくなっていく。ジャッキールは、耳をつけるようにしながら聞き取った。
「あれを回収して捨ててしまわないと……」
「なんだ……。何が起こる?」
ジャッキールは、そう訊いたが返事はもうかえってこなかった。ハルミッド、と声をかけようとしたが、ジャッキールは首を振った。目を閉じた彼は、すでに事切れているようだった。
ため息をつき、ジャッキールは、ハルミッドをそのまま床に下ろした。
「……メフィティス、といったな」
うわごとのようにつぶやいていたハルミッドの言葉に、ジャッキールは慌てて室内を探す。ハルミッドの工房の壁には、様々な剣が並んでいたが、メフィティスらしい剣は見当たらなかった。
「まさか……」
もしかして、先ほどの夜盗の狙いは――。ジャッキールが、そう頭をめぐらせてるとき、ふと、悲鳴が聞こえた。
「うわああ! 師匠が!」
ジャッキールは、扉の方を振り向く。そこには、テルラが立っている。その目に浮かぶ驚愕の色が、やがてジャッキールの方に向けられた。そのとき、ジャッキールは、彼が今何を思っているかを理解した。
「ま、待て!」
抜き身の剣を持ち、黒では目立たないが、うっすらと返り血を浴びてもいるかもしれない。そもそもがどこか薄暗い殺気を帯びている、血の匂いのするようなジャッキールである。この状況で、疑われないわけがない。おまけに、テルラは最初からジャッキールに対して警戒心を抱いていた。
「お、お前が、師匠を殺したんだな!」
「お、俺ではない!」
ジャッキールは、さすがに焦った様子で首を振った。
「俺が駆けつけたとき、すでに下手人は去っていたのだ! 俺ではない!」
だが、テルラは聞き入れない。叫びながら逃げていくテルラを見ながら、ジャッキールは慌てて立ち上がった。
「ちょっと待て! 俺ではない! 話をきけ!」
テルラをおいかけて、外に出ようとしたジャッキールは、ふと馬蹄の音をきいた。それが何を意味するかすぐにはわからなかったのだが、テルラがそちらに大声で何か言いながら、近づいていっているのを見やり、ジャッキールは、身を翻した。テルラの安堵したような声と、話している内容が聞こえ、ジャッキールは自分の考え方が正しかったことを知る。
ちらりと背後に目をやると、闇に慣れた目に、見覚えのある旗が映った。
(野盗の取り締まりにあたっている役人か?)
ザファルバーンにも治安維持の警察的な組織はある。だが、こんなはずれの村にすぐに来るとは思えなかった。先ほどの夜盗が呼んだのだろうか。それにしても。
ジャッキールは、その黒ずくめの体を夜陰に紛らわせ、駆け出す。後ろから、事に気付いたらしい役人達の声が追ってくる。ジャッキールは、そのまま長身をくらませるように近くの茂みの方に逃げ込んだ。
「どっちに逃げた!」
「あっちだ!」
「黒い服装の男だったぞ! 剣を持っていた!」
声がいくつか響く。ジャッキールは、軽く息を整えながらも、気配を殺す。さすがにここで大立ち回りをやるわけにはいかない。
数人の足音が去っていく。音が遠ざかり、背後に気配がなくなってからジャッキールは、ようやく一息つく。
「……アレは役人のようだが……連中が誘き寄せたのか?」
チッ、とジャッキールは舌打ちをした。いくらなんでも役人が来るのが早すぎやしないだろうか。だが、役人が相手になると、さすがのジャッキールも少々困る。
「まずいな。役人を斬ると、後が面倒だ」
つかまるのも面倒だが、だからといって斬り捨ててしまえば、本当につかまる口実を作ってしまう。
「かといって、このままでは、俺が本当にハルミッドを殺したとしか思われないな」
困った。ジャッキールは、身を潜めながら腕を組む。もう少し口がうまければ、申し開きもできただろうか。いや、しかし、あの弟子共の様子をみると、自分の印象は思ったよりも悪いのだろう。
「おまけに、師の大切にしていた剣を持っていたなどといわれては……盗賊と間違われるのも仕方がない」
軽く頭を抱えつつ、ジャッキールは、苦い笑みを浮かべた。ようやく理解できたのだ。
「俺は、はめられたのか?」
さて、どうしたものだろう。真犯人を捕まえない限り、自分は、ハルミッド殺しの下手人にされてしまう。おとなしく捕まってやるほど親切なつもりはないが、ジャッキールとしても、その醜聞はききがたいものだった。
それが真実ということになれば、自分は、丸腰の一般市民に手を下したということにされてしまう。
ジャッキールは、これでも剣士である。彼が相手にしていいのは、あくまで戦士だけだ。相手が戦士なら遠慮なく斬ってきたジャッキールだが、彼はいくら血に飢えたからといって、一般人を斬ろうなどとは考えたことはなかった。それは、彼なりの誇りをかけての決まりごとなのである。今は落ちぶれた傭兵とはいっても、それを侮辱されるのは、ジャッキールとしても許せないことだった。
それにだ。ハルミッドは、剣に取りつかれた峻険で、もしかしたら狂気に陥った男だったかもしれない。だが、ジャッキールにとってはかけがえのない理解者でもあった。流浪するばかりの信用ならぬ流れ者の、そんな自分の才能を買ってここまで信頼してくれたというだけで、彼にはそれだけの借りがあるのだ。
「だが、あの手を見る限り、かなりの腕利きだったな。あれは……」
ジャッキールは眉をひそめた。ハルミッドは一撃で致命傷を負わされていたが、あれは素人の斬り方ではない。相当剣に精通していないとできない斬り方だった。彼は、軽くフェブリスを握る手に力を込めた。
だが、相手が強かろうと弱かろうと関係はない。自分に罪をなすりつけ、ハルミッドを殺した人間。それはジャッキールにとってはこれ以上ない、正当な怒りをぶつけていい相手でもあった。
半分狂気に陥ったような自分が、義憤などとおこがましいことをいう気はない。ただ、ジャッキールにも許せないものはあるのだ。
ジャッキールは、フェブリスを目の前にかざす。すらりとして気品のある剣は、その情熱と殺意を内に秘めているようだった。その姿が、ジャッキールにはとても美しく思えたのである。それは、多分ハルミッドの魂が込められたものでもあるのだろう。
「……ハルミッド、貴様の無念は俺が晴らしてやる!」
闇にそうつぶやき、ジャッキールは剣を収めた。そして、闇にまぎれながらふらりと歩き出す。 彼の行く先は、先ほどの集団が去った方向。つまり、王都カーラマンである。
ジャッキールは、そのまま王都へと足を進めた。
そして、ジャッキールが王都に向かったこと。そのことが、王都を震撼させる大事件に発展しようとは、まだこの頃は誰も知らないことである。たった一人、消えたメフィティスをのぞいては――