一覧 戻る 進む 苦い昼の挿話-6 「思ったより元気そうではないか」 「皮肉だな、エーリッヒ」 コーヒーの香りのけぶる茶店で、ジャッキールはとある男に会っていた。 目の前にいるのは、すらりとした細面の男で、街の中にいても殺気をかすかに滲ませている。とはいえ、危ない雰囲気を持っているのはジャッキールも同じことで、彼は自分よりはいくらかマシだとは思っている。 蠍のジュバは、ため息をついてコーヒーを啜った。 「まさか、お前とこんなところで会うことになるとは思わなかったぜ」 「まったくだ」 サッピア王妃によるシャルル=ダ・フール襲撃未遂事件以降、蠍のジュバは、ジャッキールの紹介でハダート=サダーシュ将軍の元にいた。 「まあ、お前には感謝しているぜ。あの旦那は、なかなか話が分かるし、俺とは気がそれなりに合うんでね。雇われるにはいい相手さ。今も保護してもらいながら、適度に仕事も請け負ってるよ」 「それはよかったな」 ジャッキールは内心ほっとしていた。何せ、自分が仲介した相手だ。淡白なジュバの性格なら、ハダートとはそれなりに気が合うとは思っていたものの、もしうまくいかないようなら困る。一応、あの事件については終了したとはいえ、生き残りで裏切り者のザハークやジュバを狙うものがいないとも限らない。まあ、ザハークは、自分で何とかするかもしれないが、蠍のジュバはザハークほどには無敵ではないし、戦い方も違う。さすがにこの街で一人野放しにしているのは危険だ。 「俺はお前らの方が心配だったぜ。サギッタリウスと騒ぎを起こしたんだとか、旦那から聞いたんだが」 「あれは、あいつが全部ひとりでやった。俺は知らん。俺は迷惑をかけられただけだ」 ジュバに言われてジャッキールは、不機嫌に言い捨てる。その様子に、彼は相変わらずだなと苦笑した。 「まあ、それについては深く聞かないが、アイツもココにいるらしいな」 「まあな。腐れ縁というやつだ」 ぶっきらぼうにいう彼を見てジュバは、こっそりと笑いを押し殺した。実は彼はハダートから、ジャッキールがザハークの助命を申し出たことを知っているのだ。 (相変わらず、仲がいいのか悪いのかわからねえな、コイツら) 昔からそうなのは、ジュバはよく知っている。本気で戦っていると思ったら、文句を言いながらカードや将棋で勝負しているのもよく見かけたものだ。 「あれ、ダンナじゃん。何やってんだ?」 不意に窓の外から声をかけられて、ジュバは反射的に構えるが、ジャッキールといえばのんきなものだ。彼にしては珍しく、ちょっと視線を横に向けて窓の外を見ただけだ。そこには、派手な上着を着た童顔の青年が立っていた。 「あれ、お連れさんいるのかい。それは、邪魔してすまなかったな」 ゼダは、ジュバに気付いて素直に謝ってきた。ジュバも彼に一度会ったらしいことを思い出したので、警戒を解く。 「いや、別にそれはいいのだが、なんだ、こんなところで何をしている」 「いや、その、暇なんでちょっと買いものをね、へへへ」 ゼダは、ジャッキールがまだ例の計画について知らないらしいので、思わず笑いそうになりながらごまかす。ジャッキールは深々とため息をついた。 「それなら、俺の部屋にいる三白眼のやつをどこかに遊びに連れて行ってやれ。入り浸られて困っている」 「あー、あいつね。いや、その、これからちょっと遊びに行く予定はあるから、アイツ誘ってもいいんだけどさ。でも、ダンナは、その、夕方は帰るんだよな?」 ちょっと心配になってそう尋ねると、ジャッキールは不気味そうに眉根を寄せた。 「なんだ、その言い方は」 「あっ、いや、なんでもねえんだけどさ。夕方からアイツ誘って遊びに連れてってやろうかなーっと思ってんだけど、アイツがダンナのとこにいるなら、ダンナの家、留守にするのも悪ぃかなあと思ったんだよ」 「別に、俺も夜には用事はないからもうすぐ帰る。むしろ夜までアイツに付き合っていると頭が痛くなるから、どこかに連れて行ってやってくれ」 できたら、部屋の隣に住み着いている奴も連れて行ってほしい。などとジャッキールは心の中で付け加える。しかし、ザハークを助けただけでなく、親身になって面倒を見ているとか誤解されるのも嫌なので、口には出さない。 「ああ、それならいいんだ。んじゃ、まー後でダンナの家寄るわ」 ゼダはにやにやしながら言って、手を振る。ジャッキールは、やれやれと言わんばかりにコーヒーに口をつけたが、ふとゼダがひょいと顔だけ戻して付け加えた。 「あ、そういや、ダンナの隣に蛇王さん住んでるんだっけ?」 ジャッキールは、思わずコーヒーを噴き出した。 「さっき、ちょっとあの辺歩いてたんだけど、蛇王さんがお菓子大量に買って帰るのに出くわしてさ、偶然、ダンナと一緒の長屋だって聞いたんだよな。あんたら、腐れ縁が酷すぎねえ? でも、蛇王さん、相変わらず自由な感じでいいよなー」 げほごほ咳き込むジャッキールを無視して、言いたいことだけいってしまうとゼダは、じゃーなーと声をかけて去って行ってしまう。きれい好きのジャッキールは、慌てて手ぬぐいで口を拭った後、飛沫を拭き取って取り繕うが心中穏やかではない。 (大量の菓子だと……。しかも、隣にあの三白眼小僧。……なんだか、嫌な予感しかしない) まさか、すでにシャーの奴はザハークのことに気付いているのでは。そして、ザハークのやつまで他人の部屋にあがりこんできて、自分が朝からきれいに磨き上げてきた床にボロボロ菓子でも落とされているのではないか。 「いかん。絶対に悲惨なことになっている」 「ん? 何が? 大丈夫かエーリッヒ」 うっかり口走ったところで、ジュバにそう尋ねられ、ジャッキールは我に返った。 「い、いや、すまん。なんでもない。本当になんでもない」 そうも言いながら、ジャッキールは、すでに部屋が汚れ放題汚れている気がして、気が気でない。あのヒゲと三白眼殺すと心の中でつぶやきつつ、なんとか平静を保つのだった。 「いや、別にいいんだけどよ」 ジュバは、何やら先ほどの若造にからかわれっぱなしのジャッキールが、逆に新鮮に見えていた。昔は、そんなスキを見せるような男ではなかったのだ。 しかし、確かに、ジャッキールは自分の知っているジャッキールであるのに間違いないのに、何となく、前と違って見えた。昔から知っている人物ではあったが、こんな冷静で落ち着いた様子を見るのは初めてである気がする。戦を控えた場所でしかあったことがないせいもあるが、今のジャッキールは何かの憑き物が落ちたかのような、いっそ、生気が抜けたかのような感じさえするのだ。 とはいえ、ジャッキールの腕が落ちたわけでもないのは、彼がジャッキールに逃がしてもらったときによくわかっている。いつも通りの殺気立ち、狂気に彩られた彼も、また今まで通り存在はしているのだ。 「いや、珍しいんだなと思ってよ」 「何がだ」 ふとそんな風に言ってきたジュバに、ジャッキールはきょとんとした。ジュバは苦笑した。 「いや、サギッタリウスにも言えることだが、こんな街に住みついちまってよ。いや、確かに騒ぎがない街じゃないんだけど」 ジャッキールは、二度ほど瞬きする。 「特に、お前にはもっと血生臭い戦場のが似合ってるし、砂と血にまみれたような、そういうとこしか行かねえのかなと思っていたからさ」 「そんなことか」 ジャッキールの方も思わず苦々しく笑って、コーヒーを啜る。普段の彼は、実は戦場で見せる彼とは裏腹に、動作が緩慢でおっとりしている。ゆったりとカップを下してから彼は答えた。 「俺も最初はそう思っていたのだが、いや、この街の生活、なかなか捨てたものでもないのでな」 ジュバは意外そうにジャッキールを見やる。 「ガキどものお守りをしてるかと思ったら、そんなこと言うのか。らしくねえな、エーリッヒ。あんな不良どもの遊びに付き合うようなお前じゃなかっただろう?」 「まあ、そういうだろうが。しかし、奴らとかかわっている間は、それなりに刺激もあるからな」 珍しいことを言うジャッキールに、ジュバは本気で興味深げな視線を向けていたが、やがてため息をついて腕を組んだ。 「ふむ、まあ、でもそうか。そういや、”アイツ”はこの街の出身だったしな。お前にとっちゃ、実は憧れの街だったんじゃないのかい?」 ジュバは、にっと笑った。 「”アイツ”だよ。俺たちがリオルダーナに雇われていた時の敵将、青兜将軍(アズラーッド・カルバーン)さ」 彼らが最初にアズラーッド・カルバーンと呼ばれる敵将を見かけたのは、もちろん戦場でのことである。 蠍のジュバは、当時から自他ともに認める冷めた性格をしていた。 あまり他人に興味もないし、ただ金になって身を守れそうな方に流れる傭兵だ。小剣を使っての接近戦や暗殺に向いていたが、こうした戦場でもそれなりの戦果をあげており、シャルル=ダ・フール王子の東征に対応するリオルダーナ側の征西に参加していた。 当時、傭兵の部隊をまとめていたのは、顔見知りのジャッキール、彼には古いなじみの名前のエーリッヒの方が通りがいい、その男だった。 ジャッキールは、相変わらず武官然とした物言いをする男で、傭兵達からは高飛車だと思われがちなうえ、例の悪癖の為にあまり好かれていなかったが、その戦闘能力と采配にはある程度の信頼がおかれていた。 その才能を見出したのは、リオルダーナの戦王子と名高いアルヴィン=イルドゥーン王子だった。彼は次期国王と目される人物であったが、彼自身はたいして権力には興味がないらしく、むしろ、ザファルバーンとの領地の奪い合いが楽しくて仕方がないらしかった。ジャッキールを見かけたアルヴィンは、彼の素質を見込んで何かと目をかけて、彼を傭兵隊長にしたが、実際はやがて自分の元で将軍の一人にしてやろうとも考えていたらしい。当時、まことしやかにそんな噂が流れていたのをジュバは覚えている。それが周囲の嫉妬を呼んで、彼に対する反発が強まっていたのも知っているが、所詮他人事ではあるし、ジャッキールはそれに介入を許すような男でもなかった。ジュバはそれに関して深入りしなかった。 蠍のジュバにとっては、というと、昔なじみの彼のことについては大体知っている。一時、組んで仕事をしていたこともあるから、彼に危険な部分があるのは知っているが、逆に本当は非常にまじめで律儀な彼が、理由なく裏切ることもないのも知っていた。戦闘時だけ気を付けて敵にさえ回さなければ、ジュバにとってジャッキールはさほど危険な人物でもない。むしろ、味方でいるうちは、ある意味歓迎すべき人物でもあった。 サギッタリウスにしてもそうだ。つかみどころのない男だが、対応を間違えなければ害はないし、むしろ協力的でもある。ジュバにとっては、彼らはほかのものが思うほどには疎ましい存在ではなく、むしろ協力するべき人物でもあったのだ。 そんなわけで、時々、彼らは行動を同じくすることがあり、その日たまたま彼らは一緒に”彼”を見たのである。 青い空と黄色い砂の上で、その男は青い武装を身にまとい、白馬に乗っていた。目に焼き付くような青いマントと青く染めたクジャクの羽を翻し、青い色で彩られた戦士は、少年であるにも関わらず、戦場で燦然と輝いていた。 しかし、戦場で見た彼は、思いのほか子供ではあった。東征王子のシャルル=ダ・フール本人とも、シャルル=ダ・フールが病弱であるゆえに影武者であるともいわれていたが、なんにせよその男は、まだ二十歳にもならぬ少年であった。それにも関わらず、妙な威圧感があった。 彼は堂々と味方を指揮しながら、こちらの前線まで斬り込んできていた。ジュバとジャッキールは、混乱する前線の状況を探るのにちょうど前に出てきたところで、丘を登ってきた彼に出会い頭に出くわした形になった。 徒歩の彼らを騎乗の青兜は相手にせず、蹴散らすような形で彼らの傍を通り過ぎた。 その際、間際で彼の顔を見た。青い兜の下に、防護の意味も含めてか装飾の多い仮面をつけていた。その仮面の下の目が、ちらりと一瞬だけ彼らを見たが、あとはそのまま無視するように走り去っていく。その背中の刺繍のついた青いマントが美しく翻っていた。 彼が通り抜けたのだから、後続の兵がやってくる。ジュバは慌てて退避しようとしたが、肝心のジャッキールが動かない。 ジャッキールは、先ほどの青兜の男を目で追ったまま、茫然とたたずんでいるのだ。 「何してやがる! エーリッヒ!」 そう声をかけられて、ジャッキールは我に返り、ジュバの後を追って逃げ延びた。 その戦闘が終わってからも、ジャッキールは妙だった。この男が戦のあとで放心するのは、特に珍しいことではない。戦闘での興奮状態のツケが回ってきてしまうのだ。しかし、この時はいつものような危なっかしいものではなく、心ここにあらずといった感じで何かに気を取られている風であった。大体、今日は彼は始終冷静な彼のままで、一度も狂乱しなかったのだから。 何やら考え込んでいる様子の彼に、ジュバは声をかけてみた。 「どうした、エーリッヒ」 「いや」 ジャッキールは、ため息をついて腕組みをした。 「ずいぶん、美しい生き物だったなと思ってな」 何のことを言っているのかわからない様子のジュバに、ややジャッキールはせき込んでいった。 「あの青い兜の男のことだ」 ジャッキールは、神妙な面持ちでうなずいた。 「少年ながら、あの堂々とした態度、存在感。戦場で上に立つものは、かくあるべきなのかもしれない」 ジャッキールは、真剣な顔で唸りながらそんなことを言った。そういわれて、ジュバにとっても思うところはあった。その男は、ジュバにとっても鮮烈な印象を残してはいたのだ。 「確かに、……戦場で見るきれいな生き物には違いなかったがよ」 「剣の腕もちらりと見た限りとても良いようだし、一度ならず手合わせ願いたいところだ。しかし」 ここまではそれでもいつものジャッキールの言葉であったが、彼が珍しいことを言い出したのだ。 「……いずれあれを殺さなければならないのは、惜しいことなのかもしれない。あれが大人になれば、どんな人間になるのだろう」 ジャッキールという男は、これで意外と繊細だ。感受性がジュバよりも豊かな彼は、少年の持つカリスマ性になにがしか思うところがあったらしい。 「俺もあのような将軍の元でなら、何の迷いもなく命を賭して戦うことができるのだろうか?」 そんならしくもないことをつぶやく彼の姿を、ジュバは印象深く覚えているのだった。 「青兜(アズラーッド・カルバーン)か」 ジャッキールは、苦い顔になって少し笑みをひきつらせた。ジュバにはその理由はわからないらしいが、ジャッキールには大いに理由のあることだった。 「いや、確かに懐かしい名前だが、俺はそんなことまで言っていたのか?」 「お前が例の暗殺未遂に手を貸したのは、そのせいもあるのかと思っていたんだぜ。お前はアイツに心酔もしていたし、一度手合わせしてから再戦を願っていただろう? サギッタリウスに先を越されたときにはずいぶんと凹んでいたじゃねえか」 「そ、そういうこともあったかもしれんが……」 ジャッキールは言い淀みつつ、ビミョウな笑みを浮かべたままだ。 「い、いや、当初の事件への関与についてはな、その理由よりも、雇われていた男に対する義理が主な理由だ。助けられている恩義があるので、断り切れなかった。もちろん、ついでに再戦願えればとは思っていた。暗殺対象と同じ人物であるという噂も知っていたしな」 ジャッキールはため息をついた。 「だが、青兜はこんな平和な街にいるべきではない。アレは戦場の生き物だ」 「じゃあ、それなのに、ココにとどまる理由はなんだ。お前は失敗して、下手したら追われる身だったかもしれないのに。またいつか青兜がどこかで現れると予測して、決着をつける機会を狙っているのか?」 ジュバに追及されて、ジャッキールは思わず苦い顔になっていた。 「い、いや、そういうつもりではない。そのつもりなら、むしろこの街を離れていた」 ジャッキールは苦笑した。 「それじゃあ、何故。それとも、結局、そいつに心酔してるのかい?」 ジャッキールはそう尋ねられ、軽くうなった。 「心酔とは違うな。俺の第一印象はちょっと大げさすぎた。大体、あんなに手のかかる奴だとは思わなかっ……」 「ん? 何か言ったか?」 思わずぶつぶつと本音を小声でつぶやいてしまったのを聞かれ、ジャッキールは慌てて首を振る。 「い、いや、まあ、その、なんだ。……奴は平和な街にいるべきではない存在なのだが」 ジャッキールが狼狽する姿を見るのは、ジュバにとってはあまりないことだ。汗をかきながらジャッキールは、コーヒーをぐっと飲んでしまうと一息ついて、それから告げた。 「もし、奴のような者が今もこの街にいるのかもしれないと思ったら、この街がずいぶん刺激的で魅力的な場所に見えてくるではないか? そして、実際に刺激的で俺には合っている。それだけのことだ」 * 「あれ、あそこにいるのジャッキールじゃない?」 話の途中で、ラティーナがふと声を上げた。 リーフィとラティーナは、一緒に服や装飾品を見た後、喫茶店に入って雑談に興じていたところだった。 いろいろ化粧やおしゃれのことを話したあと、話のはずみでラティーナは過去の恋愛について話すことになり、死んだラハッド王子の思い出話をしていた。実はいまだに引きずっている部分があるラティーナは、ちょっとまなじりに涙を浮かべて話をした。リーフィは聞き上手で優しく、今まであまり同年代の女性にこのことを話したことのないラティーナは、ずいぶんと気が楽にはなっていたのだが、さすがにもう少し明るい話題をしなければ彼女に悪いなと思っていたところだったのだ。 そんな時に、窓際でコーヒーを飲んでいる男二人が目についたのだ。 ジャッキールは今日は軽装で黒い半そでを着ているが、背が高いし、今でも少しだけ危険な香りを漂わせているので割とすぐにわかる。 「あら、本当だわ。一緒にいる人はあまり見かけない人ね」 「ええ」 (どう見てもカタギじゃないような気がするけれど) まあしかし、ジャッキールの連れならさもあらんと思っていると、窓の外でゼダらしい派手な上着の男がちらりと見えた。何やら雑談して去っていく。 「よかったわ」 リーフィが不意に安堵したようにため息をつく。 「よかったって何が?」 「多分、あの感じ、きっとゼダはシャーと遊びに行くと思うの。なんだかシャーさみしそうで、悪いかなと思ってたからよかったなって」 リーフィは、気が咎めていたらしくそんなことを言う。 「もう、シャーがああやってごはんもらえない猫みたいな顔するの、いつものことなんだから。リーフィは、迷惑かけられ通しなんだから、たまには大丈夫よ。友達も多いし」 「でも、シャーって、あれでなかなか本音出さないから、意外と本当に頼れる人ってほとんどいないのよ」 リーフィにそう言われ、ラティーナはそういえば、と思い当たった。確かに、彼は友達は多いのだが、なんでも相談できるような人間はさほどいないのだ。第一、いろんなものを隠しすぎている。 「ゼダとはいつも口喧嘩しているけれど、ゼダはシャーのこと、本当に心配してくれているし、シャーもなんだかんだいいながら、ゼダのことを本気で嫌っているわけではないのよ。彼が同年代の男性とあんな風に無遠慮に喋るのってゼダだけだものね」 くすりとリーフィは笑う。 「だから、ゼダみたいな人や、ジャッキールさんみたいに相談に乗ってくれる人が現れたのは、シャーにとってもいいことなんじゃないかしらと思ったりするのよ」 「それはそうかもしれないわねえ」 ラティーナは同意しながらも、彼女の話の中に登場する男たちにややげんなりしてしまうのだ。 とにかく、リーフィの周りにはろくな男がいない。 童顔だが実は結構腹黒く、あからさまに二重人格で口のうまい遊び人のゼダ。 高飛車で第一印象が良くないわ、戦闘中に見境のなくなるジャッキール。 どうも普通の人間ではなさそうで何となく底知れず、何を考えているのかわからないザハーク。 そして、色々な隠し事をしている放蕩無頼で住所不定無職のシャー。 消去法でどれが一番まともかと考えるだけで頭が痛い話である。 (シャーなんかは、レビ様周囲の女官までが不良物件っていったのよね。絶対やめといたほうがいいとか言われてたり) レビ=ダミアスの近くには、彼とシャルル=ダ・フールの秘密を知る限られた数人の女官が存在する。 彼女たちは既婚者が多く、たいていその夫は同じく秘密を知る近衛兵が多く、大変口が堅い。ただ、同じ仲間同士ではざっくばらんにいろいろ話すことも多いらしく、ラティーナにもあれこれ教えてくれるのだった。 「”殿下”は、荒れてる時は、相当な悪だったからねえ。ちょっとカッコイイところ見せたからって、あんなのについて行っちゃだめよ」 どうやら、女官たちも主にレビ=ダミアスのことを”陛下”、シャーのことを”殿下”と呼んでいるようだ。まあ、実際、そんな風に扱う時間が多いので理に適っているのだろう。思わず呼び間違えることもないので便利だ。当初はいい顔をしなかったカッファも、遊んでばかりいるシャーのこともあってか、結局便利だと思ったのか、自分もそんな風に呼ぶようになっている。 「荒れてた頃は飲む打つ買うは当たり前の生活してたし、廓借り上げてたりしたこともあったし。その割には、意外と女癖は悪くないらしいってきいたけど、その分、意外と繊細で面倒だからねえ。大体、王家の人間と恋愛関係になるのって、とにかく重たいもんなの。あんなんでも、一応王様の端くれなんだから」 「それよりなにより、仕事するのが嫌っていう根性が終わってるのよ。ああいうのに近づかない方が身のためよ」 まあ、多少からかっている部分もあるらしかったが、そんな風にさんざんなことを吹き込まれたのだった。 ともあれ、色々聞いた結果、友達であるリーフィにお勧めできるような人材ではなさそうである。 (シャーはリーフィのこと気に入ってそうだし、彼みたいに重い荷物しょってる人と付き合うのは大変だけれど、リーフィぐらい器のあるコなら或いは……。だったら応援してあげたい気持ちもないではないんだけど。シャーの評判の悪さ聞いてると、友達としてリーフィにお勧めできなさすぎて頭痛いのよね……) そんなことを考えつつ、ふと思い出したようにラティーナは顔を上げる。 「あ、そういえば、私の話ばっかりしちゃって、リーフィのお話し聞いてなかったわね。お話し聞いてもらえて、とっても楽になったのだけど」 「ああ、私のことならいいのよ。ラティーナはいろいろ大変だったんだものね」 「ううん、リーフィにお話し聞いてもらって、いつまでも私引きずってちゃだめだなあって改めて思えたわ。本当にありがとう」 ラティーナは、力強く強くうなずく。 「あ、でも、リーフィなんかは、すごく綺麗だし、華やかで素敵な恋の話なんかもあったりしそうよね。また、今度聞かせてね」 「私?」 ラティーナは話の流れで何気なくいっただけであったが、リーフィがうっかりとそれに反応してしまう。 「私は……、本当は恋らしい恋はあまり……。ただ、婚約者がいたのだけど」 いきなり空気が重くなったので、ラティーナは、はっとしたがすでに遅い。 「いろいろあって破談になってお金も無くなったから、婚約衣装を質に入れたりして……」 あわわとラティーナは慌てるが、リーフィはややうつむき加減に暗くぼそりと付け加える。 「そうね、今思うと、あまりいい出会いがなかったのかもしれないわ……」 (し、しまったー!! 聞いてはいけないことだった!) ラティーナは、さっと青くなるがこの空気はどうしようもない。 「そ、そうだったのね。ご、ごめんなさい、変なこと聞いて」 「ううん、いいのよ」 リーフィは一応けろりとはしているが、なぜか周辺の空気が淀んでいる気がする。息苦しい。 「残念ね、いいえ、きっとそれはリーフィに合わなかったのよ」 どうしようもない空気が漂っている。どうにか巻き返さないといけない。ラティーナは焦りながらそんなことを言ってみる。 「も、もっといい人がこれからも見つかるかもしれないし、ね?」 「私、こういうお商売だから、なるべくお仕事に私情を持ち込まないようにしているから……」 (うわあああ、またやってしまった!) リーフィの暗い返事に、ラティーナはみるみる真っ青になってしまう。が、リーフィがふと思い出したように言った。 「あ、でも、一人だけ……、私、彼には片思いしたのかもしれない。そんな人がいたわ」 リーフィが、ふとそう口にした。 「本当はとても高貴な人だったみたいだけど、なんだかしゃべりやすい人で、少し寂しそうな感じで……。けれど、とても素敵な人だった」 珍しくリーフィが、ちょっと懐かしげにそう口にする。 「きっと今では結婚して幸せになっているのでしょうね」 「そ、そうなの? ど、どんな人? リーフィが素敵っていうぐらいだもの、カッコイイ人だったのよね!」 わらにもすがる思いでラティーナは、慌ててそう持ち上げる。せっかく見つけた突破口だ。この淀んだ空気をどうにかしなければ。 「カッコイイといわれれば、そうね、かっこよかったかしら」 しかし、リーフィがうっとりしたように見えたのは一瞬で、すぐにいつもの乾いた彼女に戻ってしまうのだ 「実は、顔があんまりわからなかったから、正直顔の形がどうかすら覚えていないのよ。なので、再会してもわからない自信があるわ」 「えっ、そうなの」 なんだその変な自信は。 (リーフィ、いったいどんな状況で出会った人なのかしら……。いや、でも、このコ、しっかりしてるのに、意外と大ボケかますからな……) リーフィの語る素敵な男性像が一気に謎になってしまう。ラティーナがどう話を継ぐか悩んでいると、リーフィがふと続けた。 「あ、そうだわ。そういえば、白目の面積が意外と多かった」 「し、白目の面積……」 ラティーナはそう反芻しながら、意外とボケているところのある友人にため息をついた。 (シャー、でも、いい情報よ。リーフィの好みの男は白目の面積が多い! 一縷の望みはあるわ!) とは思いつつ、こんなことを教えてあげたところでシャーが喜ぶ気もしないし、実は嫉妬深いシャーがなんとなく凹みそうな気もするので、ラティーナは結局、その情報とリーフィの素敵な人の話は、そっと胸にしまっておこうと思うのだった。 一覧 戻る 進む |