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サギッタリウスの夜-31


「何故、お前はここに戻ってきたのだ?」
 ザハークは、そう静かに尋ねた。
「俺は帰れといったはずだ。俺は、お前が帰ったなら、それ以上追うつもりはなかったのに」
 ザハークは、残念そうにため息をついた。
「ここにお前が来たのなら、俺はお前を殺さねばならん」
「それなら、どうしてここで待ってるんだ?」
 そうたずねられると、ザハークは苦笑した。
「俺が言い出したことだったからな。だから夜半まで待つつもりだった。たとえ、誰も来なくても、約束は約束だからな」
「蛇王さん」
 シャーは、そう呼びかける。
「蛇王さんは、もうあの女から解雇されているんだろう? それに、アイツらとも戦った。もう奴らんところには戻れないはずだ」
「無論。頼まれても戻るつもりはないな」
「それじゃあ、今更、オレとアンタが戦う理由がどこにあるんだよ? どうしてオレとアンタが戦わなきゃいけねえ?」
 シャーは、静かに抑えた口調でたずねる。
「ふふ、それももっともなことだ。だが、俺は、ずいぶん前にお前を殺すと決めてしまったからな」
「それが、オレを射落とした時かい?」
 シャーがそう尋ねると、ザハークはうなずいた。
「そうだ。あの砂漠の上でな。俺は、わずかな迷いから、貴様をしとめ損なったのだ」
「オレが死んでないってわかってたのか」
「もちろん。射ったのはほかならぬ俺だ。あの状況、あの距離、俺が的を外すわけがなかった。しかし、実際は外れた。お前には神の加護がついていたのかもしれないな。俺は、あの時珍しく動揺した」
 ザハークは、やや自嘲的な笑みを浮かべていた。
「狙いをつけるときに、俺は、敵将であるお前が、あれほどの手錬れで、あれほどの殺気、あれほどの存在感を戦場で放ちながら、お前が思いのほか、まだ餓鬼だということを知ってな。しかし、お前は倒すべき司令官であり、一人前の戦士であり、けして侮ってはならぬ相手だということも同時にわかっていた。だが、それで俺はわずかに狙いを甘くつけてしまったのだ。俺は、その自分の失態を許すわけにはいかない。相手は必ず殺さねばならないのだ」
 しかし、と、ザハークは付け加えた。
「俺は今の貴様なら殺せるぞ。今のお前は、立派な男に成長したからな」
「立派かどうかはわかんねえよ。見込み違いもあろうさ」
 シャーが、苦笑しながら答えるが、ザハークは笑って答える。
「安心しろ。十分立派だろう? 俺のことを知りながら、お前は俺の矢の前に立っただろう。あれは褒められるべきことだ」
「そうか。あの時、やっぱり、オレのことを知ってて勝負に乗ったんだな。いい性格だよ」
「ははは、そういうな。あれはな、俺にとっても貴様を量る機会でもあったのだ。この数日お前と付き合ってきたが、果たして、お前が目的の男なのかどうか。最終確認をしていたわけだな。お前は、俺といるときには、けして正体を見せなかったから」
「それじゃあ、いつから、アンタ、オレの正体に気づいていたんだ? オレの顔を覚えていたのなら、最初からかい?」
 ははは、と、ザハークは笑った。
「俺はな、さほど記憶力はよくないのだ。ただ、お前のことは、最初からタダの遊び人ではないとは思っていたし、どこかで見たような男だな、とは思っていた。しかし、俺とて、すぐに確信したわけではない。はっきりとそうだと気づいたのは、二日目か。俺があの役人を撃退した時の手並みを見るお前の目でな。だから、俺はあの書状を書き、お前に届けた。そして、その反応を見て、確認をしたということだ」
「オレがあの手紙を見て、待ち合わせ場所に兵を差し向けるとは思わなかったのかい?」
「ふふふ、その程度の男なのを見抜けなかったなら、俺の見る目がなかったというだけのことだろう」
「それじゃ、オレを助けたのは一体どういうことだい? 誰かにオレを殺させたくなかったからかい?」
「それは違う」
 ザハークは、苦笑した。
「俺の考えなどあまり理解してもらえないかもしれないが。あの時、俺がお前のことを友だといったのは、本心からだ。それに偽りはない。俺が貴様を助けたのは、お前が好ましい人物だったからだ。お前達と遊んでいた数日は非常に楽しかったし、俺はお前達には好感を抱いた。だからこそ、俺はお前を助けたのだ。友人を助けるのは当たり前のことで、ごく単純な理由だろう。しかし、戦士としての俺は、しとめそこなったお前を逃すわけにはいかん」
 ザハークは、目を伏せた。
「面白そうな奴らだと思って、思わず声をかけてしまったが、こんなことになるのなら、関わり合いにならなければよかった」
 ザハークは、そういって苦笑する。
「まったく、俺が殺さねばならんと決めた相手は、いつもこうだ。エーリッヒといい、お前といい、いいヤツばかりがそうなる。神もずいぶん皮肉な運命を俺に背負わせる」
「それは、曲げられないことなのかい?」
「はは、ここで待っている俺は、お前の友人ではなく、お前を付けねらう戦士としての俺だからな。だから、俺は帰れといった。お前が帰ってくれているなら、俺は、あえて手を出すつもりはなかった。その方が、俺もお前も幸せだったのだ。しかし、お前はここに来た。そうなれば、戦わねばならない」
「どうしても、やるんだな?」
 シャーは確認するように尋ねた。
「無論だ」
 シャーは、そうか、とつぶやき、そして、ぼそりと言った。
「オレ、ホントは、あんたとはやりたくねえな」
「ふふふ、俺もだ。だが、致し方ない。貴様もここにきた時にわかっていたのだろう?」
「ああ」
「それなら、何故来た。戦いを望んでいないのに、何故戻ってきてしまったのだ」
「アンタがオレをかばってくれたからさ」
 シャーは、笑わずに素直に答えた。
「オレもこう見えても男の端くれなんでね。それほどオレとの勝負を望んでいるなら、アンタの情に報いるためにオレができるのは、せいぜいそれぐらいなもんだと思った」
 ザハークは、ふっと笑い出した。
「ははは、お前もずいぶん不器用な男だな。……だが、感謝するぞ。俺にその機会を与えてくれたことにな!」
 きっと、ザハークは、シャーを見た。その視線が、突然、鋭いものに変わった。
(来る!)
 シャーは、反射的に飛びずさり、ザハークと間合いを取った。ザハークは、腰に下げていた曲刀の柄を右手で撫でるようにして握る。篝火の光に、曲刀を飾る三日月の装飾がきらめいた。
「改めて、名を訊こう。小僧」
「名前なんて、もう知ってるじゃないか」
 シャーは、そう答えつつ、腰を落としながら、左手で鯉口を切っていた。ザハークの周囲の殺気は張り詰めている。いまだほとんど仁王立ちの彼だったが、いつ、動いてもおかしくない。
「俺が知っているのは、かつて戦場で呼ばれていた名前だ。全兵卒の支配者にして、諸将の将たる東征大将軍、青兜将軍(アズラーッド・カルバーン)。お前はその名前で呼ばれたいのか?」
 シャーは苦笑した。
「懐かしい名前だな。ははは、でも、オレがそんな風に呼ばれてたのは今は昔さ。今、その名前はよしてくれよな」
「今は、では、地を統べし、民の支配者たる偉大なる諸王の王、か?」
 シャーは、皮肉ぽく鼻で笑った。
「違うね。オレにはそういう仰々しい名前は不似合いだよ。第一、オレがその名前で呼ばれる男として行動したなら、アンタの挑戦に応じて一人でここに来ることはなかったさ。だから、名無しのシャー=ルギィズで結構だ」
 ザハークは、からからと笑った。
「はは、気に入ったぞ。では、俺も名を名乗ろう」
「サギッタリウスじゃないのかい?」
「それは俺が名乗った名前ではない。勝手に周囲が俺につけた名前だ」
 にっとザハークは、口の端をゆがめ、そして真剣な顔になった。
「俺の家は、リオルダーナの旧王朝の王族に連なる家だ。かつての王は、蛇を神と崇め、その名を一族の嫡男の名として残した。そして本当の名は伏せられるのが決まりだ。俺もそれを守って、滅多とこの名前を口にはしない、が、他ならぬ貴様には名乗っておこう」
 ふっと、一瞬、ザハークの周囲の重い空気が動いた気がした。シャーは、静から動に変わる瞬間を感じ、身構えていた。
「俺の名は、ザハーク=”ウロボロス”=ハイダール!! 行くぞ、シャー=ルギィズ!」
 ザハークの手が斜めに動き、滑らかに曲線を描く美しい刃が月光にきらめきながら弧を描いて抜かれた。いくぞ、とザハークは咆哮し、一気に動いた。その巨体に似合わず、ザハークの動きは滑らかで速い。
 シャーはそれに呼応するように剣を抜いた。覆いかぶさる闇のように襲いくるザハークの剣を跳ね上げ、シャーは、後退を余儀なくされた。一度はじいた感じでわかったが、やはり、その一撃が重い。はじいた瞬間に手が痺れるような衝撃があった。
 のけぞるようにして後退するシャーに、ザハークはそのまま勢いに任せて斬撃を加えてくる。シャーは、その力を上手く逃しながら後退した。
(コイツ、やっぱり、いちいち一発が重いぜ。重量級は、ダンナで慣れてるつもりだったが……)
 しゅーっと忍び込むように剣が流れ込んでくる。ジャッキールも妙にしつこく引っかかるような独特のクセのある剣筋だったが、またタイプが違う。外見に合わず流れるような滑らかな上品な太刀筋でありながら、実際受けてみると非常に重い。まともに正面から打ち合うのは危険だ。
 そう考えていたところで、突然、ザハークは大振りの一撃を混ぜてきた。シャーは敢えて受けずに、すばやく横に逃れ、着地した際に、勢いをつけてそのまま反撃に転じた。
「今度はこっちから行くぜ!」
 シャーは、そのまままっすぐに剣を振り下ろす。ザハークは、それを軽く弾いてしのぐが、シャーはそのまま突きに転じた。間合いを取られてよけられるが、かまわずに連続で突きかける。ザハークは、それを弾き返しながら、笑った。
「甘い!」
 最後の突きの際に、ザハークが力任せに下から弾き返してきた。シャーは、その力に煽られる形で体勢を崩す。
 ちっ、と舌打ちして、体勢を整えるが、その時には既にザハークは間合いに入り込んでいた。シャーは追われる形になり、そのままザハークの攻撃を受ける形になった。最初の一撃を受け流すが、ザハークはそのまま剣を左に振り切った後、手のひらを返し、気合の声とともに跳ね上げてきた。
 ガッと、重い金属音が響く。真正面から受けきれなかったこともあり、シャーは弾かれて後退し、追撃を恐れて慌てて距離をとったが、ザハークは一度手を止めていた。
(ったく、なんでこんな化けモノみたいなヤツが、オレの周りにちょろちょろしてるんだい!)
 シャーは、内心、そう悪態をついていた。息を切らしつつ、シャーは、相手を伺いながら息を整えていた。
 第二神殿の篝火が天窓のないこの神殿を照らしているせいか、既に太陽の気配は消えているというのに、視界は通っていた。闇にまぎれることもなく、ザハークはその中央に右手で剣を下げたままたたずんでいた。その新月刀の装飾が、時折きらきらと輝く。綺麗な剣だと素直に思った。
 そんなことを思っていると、ザハークの声が聞こえた。
「いい剣だな」
 にやっと彼は笑った。
「その類の剣は見たことがない。どこの剣だ?」
「さあね」
 シャーは、一旦息をついて、呼吸をほとんど整えた。ザハークの疲労度合いについては、わからない。彼は、相変らず涼しげな顔つきだった。
「コレは、オレが師匠から貰ったモノでさ。東の果てから来たのだといっていたが、どこからやら知らねえよ」
「ほう、しかし、名のある剣だろう。気品もあるし、切れ味もよさそうだ。そして、何よりもお前に良く似合っている。師はいい目をしているな」
「師匠はイトキリといってたよ」
 シャーは、そういってちらりと刀の柄を見た。
「銘があるらしいが、オレには読めない文字さ。それより、オレはアンタの剣のが気になるね」
「ふふふ、コレか」
 シャーがそう尋ねると、ザハークはにこりとした。
「これは、シャムシール・ラ・ルーナ」
 ザハークが軽く刀を掲げると、きらりとその刃が美しく銀色に冷たく輝いた。
「月光の降り注ぐ晩に手に入れた魔物だ。この剣には金色の髪をした異国の魔女が憑いていて、俺に連れて行ってくれと頼んだ。俺はその願いを受け入れ、それ以来、俺のことを守ってくれているのだ」
 シャーは、くすりと笑った。
「へえ、アンタにしちゃ、ずいぶん色気のある話だね」
「そうでもない。古今東西、良いモノには魔物が憑くものだ。お前の剣にもきっとな」
 ザハークは、そういって話を切った。再び、冷たく鋭い殺気が場を支配する。
 シャーは、神殿の中央にたたずむ彼の周囲を、時計周りに動きながら隙をうかがっていた。
(真正面から飛びかかるのは、やっぱりキツイな。しかも、図体でかいくせに反応が早くて、素早く動いてもちゃんとついてくる。見かけは、余裕みたいだけど、ああ、相変らず顔色が読めねえ男だな、蛇王さんは)
 シャーは、思わず苦笑しそうになった。
(でも、小細工しても読まれそうなら、……どうせなら正々堂々とやるしかないか)
 ゆるやかに周囲を半周した後、シャーは、だっと床を蹴った。
 そのまま相手に向かって走りこみ、気合の声を上げながら鋭く切り込んだ。ギラリと目の前を光がよぎり、ザハークの剣に弾かれる。それすら重くて剣を逸らしてしまいそうになるのをかろうじて抑えて、シャーは、そのまま素早く、深く鋭くザハークに突きかかった。
 はっと、ザハークは目を見開いた。鋭い突きに体を右に傾けてかわしたが、それが左のこめかみをかすったのか、頭巾の一部が破れて飛んだ。
「行くぜ!」
 ザハークの体勢が初めて傾ぎ、シャーはチャンスとばかりに一気に攻勢をかけようとした。そのまま、振りかぶって力任せにたたきつけるも、それはザハークにがっちりと受け止められた。ぎぎぎ、と軋んだ音がして、火花が散る。
 つばぜり合いの形になり、二人はにらみ合っていたが、ザハークが力任せに押し切ってきた。シャーも、体格差のあるザハークに力で勝つつもりはない。そのまま、後退しつつも、シャーは体勢を崩さないことを念頭においており、ザハークの追撃を弾きながら、逆にステップを踏みなおして襲い掛かる。
 シャーがかなり振り回したせいか、ザハークにも少し疲れが見えるようだった。追撃を外した彼の胴ががら空きだ。シャーはそこを狙ってすかさず切りかかったが、ふと違和感を覚えて動作を止めた。
 隙を見せていたザハークの動きが変わる。振り切っていた右手の剣を素早く持ち直し、そのまま下から振り上げてくる。今のは、フェイントだったのだ。
「ちッ!」
 シャーは、慌てて身を逸らした。風圧を感じ、風を切る音がすぐそばで聞こえ、右胸にかすかな痛みを感じた。シャーは、そのまま、身を翻しながら追撃を避けて、神殿の部屋の隅の方まで逃げ延びた。
「よくかわした!」
 ザハークの追撃はなく、代わりに声が飛んできた。
「流石は小僧! それでこそ俺の標的だ!」
 ザハークは、相変らず中央に立っていた。先ほどシャーの突きで頭巾の結び目が千切れたのか、それが外れ、前髪をすべて後ろに流した癖の強い長い髪の毛が、いつの間にか吹き始めていた夜風にふわりとなびいていた。その額に赤い血が流れており、左目に入りそうになるのを、かすかに首を振って防ぐ。
 シャーは、低く前かがみの姿勢のままだったが、ふと、痛みを感じて右胸を確かめる。先ほどの一撃が、やはり彼の体を掠ったらしく、横一文字に薄く傷が入り、所々に血が滲んでいた。シャーが傷に左手を当ててみると、指に赤いそれが滴る。
「ふッ」
 シャーは思わずふきだした。
「ははははははッ、アンタすげえよ!」
 シャーは、突然狂ったように笑い出した。
 唐突に笑い出したシャーにも、ザハークは取り立てて表情を変えなかった。
「強いとは思っていたが、想像以上だ。本当にすげえよな、アンタはさ!」
 興奮気味にザハークを賞賛しながら、シャーは、身に纏っていた青いマントを外した。先ほど切られた影響で、ぴらぴらと翻って邪魔だったのだろう。夜風がその青い布を攫って流していくのも、彼は目を向けない。珍しくやや陶酔したような、熱を帯びた目をしたまま、彼は笑っていた。
「オレも楽しくなってきたぜ。まるであのころに戻ったかのようだよ! 何の恐れも知らなかったあの頃にな! 久々の感覚さ。こんな血が逆流するような感じはね」
 いささか興奮気味のシャーと対照的に、ザハークは静かで落ち着いていた。
 普段は饒舌で明るいこの男は、戦闘中は恐ろしく冷静になるのだろう。ただ、にいっと口元をゆがめて笑う彼の、その瞳はいくらか昂揚が映っているかのようだった。
「それなら良かったな。俺も楽しいぞ」
「ああ、こんな充実感は久しぶりだね。後々、クセになったらヤバイくらいのな」
 シャーは、そういいながらいつでも飛びかかれるように前傾姿勢を保っていた。ここからだ。ここからどう動くか。
(ああ、ジャッキールの言うとおりだったな。滅茶苦茶強いでやんの)
 シャーは、不意にいまだにやってくる気配のないジャッキールのことを思い出していた。せっかく立会人ぐらいにはなって欲しかったのだが、この様子だと、どうも間に合いそうにもない。
(そういや、ダンナは、素早いのが苦手だったが、蛇王さんはちゃんとついてくるんだな。多少は疲れてるかもしれないが、この程度の疲労なら、活動量の多いオレのほうが先にへばっちまう)
 ザハークも、多少は息を上げているようだったが、その姿勢は変わっていない。しかし、そろそろ、勝負を決めなければ。持久戦に入ると、おそらくザハークの方が体力がありそうだから、もっと不利になってしまう。
 先ほど、切り込みから突きに入った時には、ザハークはやや対応が遅れていた。素早く攻撃を組み合わせていけば、もしかしたら――。
(でも、確かに機敏で細やかな動きは苦手そうだし、それに、あの図体だ。逆に懐に飛び込むぐらいの方がいいんじゃないか。それで勝負を決めるしか……)
 シャーは、かすかに目を眇めて相手を見ていたが、ふっと、突然、自嘲的に笑った。
「はは、考えてもダメだな。埒があかねえや! 行くぜ!」
「来い!」
 三日月と尖塔を背負ったザハークが、剣を構える。
 シャーが、不ぞろいな石畳の床を蹴って声を上げた。そのまま、大振りに振った剣をザハークは、さっと横に逃れてかわし、代わりに斜めに切り下げてくる。それをシャーは弾き返し、すかさず鋭く突き上げる。ザハークは、それをかろうじて避けた。
 シャーは、そのまま、何度か突きを見舞いつつ、ザハークとの距離を詰める。ザハークの曲刀は大剣の部類だ。懐に飛び込まれると、動きが制限されてしまう。
「そこだッ!」
 と、ザハークの右肩を狙って切り上げた。さっと彼は身をよじってよけたが、シャーは完全にザハークの懐に飛び込んでいた。間合いが近すぎて、ザハークは剣を振ることはできないだろう。
(もらった!)
 そのまま戻した刀でシャーは、ザハークの首に剣を突きつけようとした。
 が、その瞬間、ザハークは、剣を石畳の上につきたてて捨て、シャーの一撃を身を翻してかろうじて避けると、そのまま、懐に飛び込んだシャーの首に右腕をかけた。
「何!」
 その動きは予想外だった。まさか、剣を捨てるなど。
 ぐっとザハークの腕に力が入るのを感じ、シャーは慌てて顎を引く。完全にシャーの背後に回る形になったザハークは、そのまま、左手をシャーの頭にかけた。
「悪いな、小僧」
 ザハークの声が聞こえた。
「俺もそろそろ、勝負を決めねばならん」
(しまった! そうだ、コイツに、接近戦は……)
 圧迫が強くなる中、シャーは、焦った。これを極められたら、否応なく気絶してしまう。
(あの時、ダンナが言ってたのは、こういうことだったのか!)
 ――あの男と戦う時は、間合いはキッチリ取って戦え。あの男には、接近戦での奥の手がある。 
 シャーは、忘れていたジャッキールの言葉を思い出していた。


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