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サギッタリウスの夜-27
 
 バキン! と大きな音がして、シャーの持っている手旗が弾けとんだ。
 シャーは直立したままで、身じろぎもしなかった。視線だけをザハークから旗を持っていた手に移すと、矢は彼が握り締めていた手旗の棒を折り、布を壁に縫いとめていた。
「おお、すげえ!」
「本当にすごいわねえ」
 と、ゼダとリーフィが歓声をあげて視線を上にむけている。ということは、例の旗にも命中したのだろう。
「お前もこっちきて見てみろよ!」
 ゼダに言われたが、そんなことは、確認しなくてもわかっている。ザハークの腕前については、先ほどの対峙でよくわかった。あんな殺気、常人の出せるものではない。もちろん、それに実力も伴っているだろう。
 しかし、そのことにゼダが気づいていないということは、先ほどのやりとりは、シャーとザハークの間だけで交わされたものだったのだろうか。傍目には、真剣に狙いを定めているようにしか見えなかったのかもしれない。
「はは、まあ、ざっとこんなものだな」
 ザハークが、そういってにんまりと笑みを見せる。それはもう、先ほどまで漂わせていた殺気走った男の片鱗はなく、無邪気ないつもの彼である。シャーにはその落差が不気味に思えていた。
「シャー」
 不意に冷水を打つようなリーフィの声が聞こえて、シャーは我に返った。
「どうしたの?」
「あ、ああ、なんでも……」
 といいかけたところで、緊張感で忘れていた左胸の痛みが響いた。シャーはやや顔をしかめ、思わず左胸に手を置いた。
「い、いててっ」
「おいおい、大丈夫かよ?」
「あ、いや、その、蛇王さんの気迫に押されて、ちょっと古傷が痛んでさ。はははっ」
 とっさにそう調子よく言って、シャーは、軽くため息をついた。本当は、気迫ではなく、彼の殺気に触発されたのだろう。そうとも、この傷をつけたのは、ほかならぬ彼なのだから。
「でも、すごいよなあ。本当に当てるとは。さすが蛇王さんだね」
 そう口先だけ答えておいて、シャーは、矢を引き抜いた。
 その鏃に目を走らせる。これは、あの挑戦状に使われた矢の鏃と同じだ。リオルダーナ式の東方風の意匠が施してある、上等なものだ。シャーは実物こそ見ていないが、神殿の時に放たれた二本の矢のうち、一本は同じようにリオルダーナ式の意匠の凝らされたものだったという。
(蛇王さんは、一度たりともオレを狙っていなかった。狙いをつけてから、一度もそれを動かしていないし、目線もまったく動かしてなかった。あんなに殺気走ってはいたが、オレを殺すつもりはなかったってことだ)
 しかし。
 と、シャーは、そもそもの的であった旗を振り仰ぐ。
「さすが蛇王さんだなあ。狙い通りの場所に当たってるぜ」
「はは、そうだろう」
 ゼダは、のんきにそんな風に彼を賞賛するが、シャーは、冷や汗をかいていた。そう、宣言どおりなのだ。矢は、旗立ての先の金属の装飾の真下にきっちりと突き刺さっているようだった。
(今のではっきりわかった。やっぱり、コイツ、……サギッタリウスだ!)
 二つの的を同時に射抜いた恐ろしい腕前にしてもそうに違いない。だが、そうシャーに確信させたのは、あの強い殺気である。あれは、かつて戦場で射落とされた時の感覚そのもの。
 しかし、それならどうして、ザハークは、あれだけの殺気と殺意をみなぎらせておきながら、何故、シャーを狙わなかったのだろう。彼にはそのための時間も、機会も与えられていたし、そうする理由もあるだろうに。
「それでは、矢を貰っておこう」
 シャーの手にある矢を見て、ザハークが、こちらに歩いてきた。その顔には、特別な感情は浮かんでいなかった。立ち止まったシャーは、彼に矢を差し出し、ザハークは無言でそれを受け取る。そのまま、すれ違う際にも、ザハークは視線も合わさなかった。
 ただ、すれ違いざま、彼はシャーにだけ聞こえるような声でこういった。 
「貴様、なかなかいい度胸をしているな。見直したぞ」
 ばっと、シャーはザハークの方を振り仰いだが、ザハークが彼を振り返ることはない。まるで何も言わなかったかのような態度だ。
 シャーはぐっと歯噛みした。
(何を考えているのかわからねえ。この男……!)
「それにしても、あんなトコに矢刺したまんまだと、苦情来るとマズイな。回収してくるか」
 と、まともなことを言い出したのは、ゼダだった。相変らず、シャーとザハークを取り巻く緊張感に気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、どちらかわからないが、彼は、ひたすら平静だ。
「それもそうね。今はお役人がたくさんいるし、このご時世に矢が見つかったら厄介だものね」
 リーフィの意見に、ゼダはうなずく。
「それじゃ、ちょっといって回収してくるか」
「おお、すまんな」
 ザハークものんきにそう頼んでいる。
「坊ちゃん!」
 ゼダが、ちょうど旗のあるところに歩き出そうとした時、突然、店の中から店主が慌てて駆け寄ってきた。
「坊ちゃん、大変です」
「な、何だよ? 一体」
 ゼダはきょとんとして、彼を見迎えた。またメハル隊長でも来たのか、と思ったようだったが、店主は眉根をひそめて困った様子になっていた。
「坊ちゃんがここに入り浸ってることが、とうとうザフのヤツにバレたようですぜ」
「ええっ、マジかよっ!」
 ザフというのは、ゼダの従者だ。ザフは、そもそも、シャーとゼダが一緒に遊んでいることに対して反対しているため、ゼダは、ここのところ、ザフから隠れる形で抜け出してきているのだった。ゼダは、鬱陶しそうな顔になる。
「アイツ、今日こそは戻ってもらう、とかいって飛び出ていったようですから、見つかる前に逃げたほうがいいんじゃねえですか?」
「お、おう、それもそうだな。チッ、あの過保護、いちいち面倒なんだよな」
 やれやれとため息をついて、ゼダは、ザハークに向き直った。
「てことで、オレは、急遽ここから消えなきゃならなくなったんだが、蛇王さん、色々ありがとうな。おかげで弓の腕も向上したし、本当楽しかったぜ」
「はは、俺もお前達と遊べて楽しかったぞ」
 ゼダは、彼にしては殊勝な態度だ。本当にザハークと別れることを残念に思っているのだろう。
「それじゃ気をつけてな。また、遊びに来てくれよ!」
「ああ、またここに来ることがあったら、立ち寄らせてもらうぞ」
「おう、約束だぜ」
「坊ちゃん!!」
 不意に道の向こうから、そんな声が聞こえた。ゼダは、やべ、と小さくつぶやく。むこうからやってきているのは、ほかならぬザフだ。
「んじゃ、リーフィ、またな! 三白眼野郎も、あんま、無理すんなよ!」
 慌てて彼はそういいおくと、さっと駆け出した。そのまま、道の角に入り込んですぐにその姿は見えなくなる。その後を、シャーやリーフィに目もくれず、ザフとその部下達が走り抜けていった。
 まあ、ゼダのことだ。抜け目のない彼のこと、どうせ上手く逃げおおせるだろう。それは、心配要らないだろうが。
(しかし、ネズミがいなくなったってことは、オレがアレ回収しなきゃならねーなあ)
 シャーは、うんざりしつつ、ため息をついた。
「しょうがねえな。オレ、あれ回収しにいってくるわ。リーフィちゃんたちは、店に戻ってて」
 シャーは、なんとなく気が抜けてしまってそういうと、リーフィが、ええ、とうなずく。が、一方のザハークの返事は意外だった。
「おお、せっかくだから俺も一緒にいくぞ」
 その言葉に、内心シャーはドキリとした。短い間だが、ザハークと対峙することになる。ザハークがソレを望んだのは、何か意味があるのだろうか。
「それじゃあ、私は、お店に戻っているわね」
 リーフィが、そういって店の方に戻りかける。リーフィは、先ほどのやり取りをどうみたのだろう、と、シャーは少し気になって、彼女のほうに目を向ける。リーフィは、それをなんと取ったのか。彼女は、ひとまずうなずいて、かすかに微笑んだ。ということは、リーフィの目から見ても、ひとまず、ザハークが彼に危害を与える人物ではないと判定したということだろう。
 それはそうかもしれない。ザハークが、シャーに一度たりとも狙いをつけなかったのは明らかである。もし、シャーを狙うつもりがあるのなら、一度ぐらいは彼に狙いをつけるだろうし、もっとためらいが行動にあらわれてもよいはずだ。しかし、それほどの心の迷いも彼にはなかった。彼は狙いをつける時に一切ためらわなかったし、一度もぶれることはなかったのだ。
「しかし、俺は狭いところで高いところに上るのは好きではないのだ。悪いが、お前が上って取ってきてくれ」
 ザハークは、そういってにっこりとすると、自分が先に立って建物のほうに歩き出した。


 その建物までは、それほどの距離はない。が、ザハークの背後をつけるようにして歩くシャーには、その時間はやや長く感じられた。ザハークは、その間、彼から声をかけてこなかった。シャーも、声をかけることはない。その沈黙は、殺伐とした空気となって二人の間に重くのしかかる。
「蛇王さんさ」
 シャーは、その空気を押しのけるようにして、あえて軽く声をかけてみた。
「なんだ?」
 ザハークの返事は、乾いていた。空気だけはぴりぴりと刺すようで、そのくせ彼自身の雰囲気はさらさらと流れる水のように静かだ。
「蛇王さんは、もしかして、以前オレに会った事がある?」
「ふふ」
 ザハークの気配が、再び変わっていた。今のザハークは、酒場で彼らが話していた男とは別人のようだ。あの陽気で無邪気な彼らしくもなく、修羅場を幾度となく掻い潜ってきたものの凄味を漂わせていた。
「何故そんなことを訊くのだ?」
「オレが、アンタと会った事があるような気がしたからだよ」
 シャーは、率直にそう答えた。別に偽る理由もなかったが、この男には下手な小細工は通じない。正面からぶつかるほうが、いくらかマシのように思えていた。
「そうか。貴様がそう思うのならそうかもしれん。この世の巡り合わせとは、実に不思議なものだ」
「ああ」
 シャーが同意する。
 上空では風が吹き始めたのか、赤い旗がひらひらとはためいているが、その旗の動きは制限されていた。よく見れば、旗の一部が、矢に縫いとめられているのだ。そこまで彼は計算して矢を放ったのか、それとも、偶然そうなったのか。ぼんやりそんなことを考えつつ、シャーは、尋ねた。
「蛇王さん、さっき、オレにいい度胸だって褒めたよな」
「そうだったか」
「ああ、そういったよ。確かに」
 とぼけたような返事をするザハークにそう答えると、不意に彼が立ち止まった。シャーもつられて立ち止まる。ザハークは背を向けたままだ。彼との距離は、わずかに五歩ほどの距離しかない。妙な緊張感が高まる。息苦しく、思わず、剣の柄を握ってしまいそうだ。しかし、剣に触れることは、なんとなくはばかられた。そうすることは、自分の臆病をさらけ出すことのようにシャーには思えた。ザハークの背中は大きく、そして、威圧感すら漂わせている。
 唐突に、ザハークは、ふふふ、と含んだような笑いを漏らした。
「いや、お前が俺に会ったことを覚えているのなら、よく矢面に立ったものだと感心したまでだ」
「え?」
 一瞬、ザハークが何を言ったのか理解しきれず、シャーは、思わずきょとんとしてしまう。ザハークは、ちらりと振り返って、にやりとした。どこかしら皮肉っぽい笑みではあったが、そこに敵意は感じられなかった。
「まあ、俺とお前が本当に出会ったことがあるのかどうかは、神のみぞ知ることよ」
「蛇王さん、それってどういう……」
 シャーがそう尋ねかけたとき、ふと、リーフィの声が聞こえた。
「シャー!!」
 普段は大声をめったに出さないリーフィの切羽詰った声に、シャーとザハークは同時に向き直った。
 店の方から駆け出してきたリーフィが、彼女にしては慌てて二人のほうに走ってくる。
「ど、どうしたの、リーフィちゃん!」
「ラティーナさんが! 早くお店に戻って!」
 駆け寄ったシャーにそう告げる。シャーは、血相を変えて店に駆け戻った。走る最中、ザハークが、背後から何か叫んだ気がした。
 店の表では、店主をはじめ従業員が、あるものは刃物を構えつつも、ややおびえたそぶりをみせていた。シャーは、剣の柄に手を置いたまま、店の軒をくぐる。
「シャー!」
 薄暗い店内でラティーナの声が響いた。
 見れば、顔を覆面で隠した数人の男が、ラティーナを羽交い絞めにしている。シャーを見迎えると、彼らはざっと横に散った。その俊敏な動きと、統率の取れた行動は、彼らがただの暴漢ではないことを示していた。
「てめえら、素人じゃねえな? 何が目的だ!」
「ふ、お前は、さては、例の宰相家の狗だな?」
 長らしい男が、笑いをかすかに漏らす。シャーは、思わずぎくりとする。その呼ばれ方をするのは初めてではない。本来の身分を偽ることに成功した代償として、彼が引き受けたのは、国王の身代わりにして密偵という身分でもあった。彼の本来の身分を知るものも正体を知るものも、ごく一部でしかない代わりに、彼の存在は、宰相家にいた謎の養子であり、そして、病弱の国王の代わりに実働要員として動いていた男として扱われていた。
 かつて、ラティーナが協力していたラゲイラ卿やザミル王子がそうであったように、他の王族に仕えるものたちも、彼をそうした存在としか掴めていない。
 だが、彼を、シャルル=ダ・フールの身代わりだと誤解することのできる人間もまた限られているはずだった。その情報を掴んでいて、今彼と敵対しようという人物。つまり、おそらく、目の前の男は、王妃サッピアの――。
「お前の飼い主に伝えろ! 娘の命が惜しければ、今宵、極秘に金星神第二神殿にて礼拝を行えとな!」
「何!」
 背後で足音がしたのは、ザハークが踏み入ってきたかららしい。一瞬、男が彼に目を向けたのがわかった。が、すぐに男はシャーに目を戻す。
「兵を連れてきたのがわかれば、この娘は殺す! 将軍に告げることも許さん」
「シャー、ダメよ! 絶対に……ッ!」
 何か話しかけたラティーナは、口をふさがれて言葉を途切れさせた。
「おい、手荒に扱うなよ! 彼女を傷つけてみろ、承知しねえ!」
 シャーは、相手を睨み付ける。
「それは、お前の主人の態度次第だ!」
 そういうが早いか、彼らは影のように動きだした。店の裏口を把握しているらしい彼らは、流れるように外へと抜けていく。ラティーナを抱えた男達も、もがく彼女を押さえつけてそのまま裏口へ向かった。
「待て!」
 シャーは剣を抜きざま飛び掛ろうとしたが、男がすかさず短剣を投げつけ、身を翻す。それを弾き飛ばしつつ追いかけようとしたが、いきなり肩を何者かに掴まれた。
「待て! 深追いするな!」
 止めたのはザハークだった。その行動は、シャーにとっても意外だった。一瞬あっけにとられた彼に、ザハークは言った。
「やめろ。一人で追ってはならん。危険すぎる」
 シャーは、きっと彼をにらむが、ザハークは静かな目をしていた。そう、この男には底意はない。何を考えているのかわからないが、その目には悪意も敵意も浮かばないのだ。
「しかし……! あのままじゃ……!」
「冷静になれ。いろんな事情があるらしいが、ヤツらとて烏合の衆ではない。感情に任せて追ってはならんぞ」
 ザハークの言うことももっともだ。しかし、だとしたらどうすればいい。
 ラティーナを助ける条件として、「シャルル=ダ・フール」が、第二神殿に深夜の礼拝を極秘に行うことを彼らは要求してきた。それは、この間やり損ねた暗殺をそこで行わんが為だ。ここで彼らが言うシャルル=ダ・フールとは、もちろん、表向き国王として祭礼をつかさどってきたレビ=ダミアスのことを指しているだろう。まさか、あの兄をそんなところにかりだすわけにはいかないが、レビの耳にこのことが入れば、自分が一人で行くといいかねない。
(かといって、本物のシャルル=ダ・フールであるオレが一人で行くとしても、確かに勝ち目はない)
 隠密行動のできる部隊を持つハダートに告げ、どうにか極秘裏に兵士を配置することはできなくもないが、時間は限られている。そして、ハダートに兵の動員を頼んだことが相手にバレれば、その時点でラティーナは殺されるだろう。
(オレが、蛇王さんに気を取られすぎたんだ。もう一人敵がいることを軽視しすぎた)
 シャーは、思わず歯噛みする。
「シャー」
 遅れてリーフィが、店内に入ってきた。彼女は、ラティーナが拉致されたことに気づいているらしく、何もシャーに訊かなかった。
 シャーはしばらく沈痛な面持ちで何か考えていたが、息を一旦深く吐き出した。
(だが、できるなら勝負は早く仕掛けなきゃならねえ。夜半まで待たせたら、相手の思うツボだ。こちらも迅速に相手を追いかけて奇襲したのなら、オレ一人でも或いは――)
 それなら今すぐ後を追う必要がある。ただし、情報を誰とも共有している時間がない。
 シャーは、顔を上げた。
「やっぱり、オレが後を追うよ」
「でも、危険すぎるわ」
 リーフィが、そう止めに入る。
「相手が複数いるのだから、シャー一人ではダメだわ。せめて、ゼダを探してきましょうか?」
 リーフィがそうたずねるが、シャーは首を振る。
「アイツはそれこそネズミみたいに隠れ家がいっぱいあるからさ。本気で逃げてるアイツの隠れ家を探すのは、大変すぎる。時間が足りないよ。……ダンナは留守だしね」
 そう、肝心な時にあのジャッキールはいない。いや、もしかしたら今頃家に戻っているかもしれないが、ここから呼びにいく時間すらもどかしい。それにもし彼がいなかった時の、時間の浪費は痛いものになるだろう。
「けれど」
 心配そうなリーフィが、何か言いかけたところで、不意に黙っていたザハークが口を開いた。
「わかった。貴様は、どうしても、行くというのだな?」
「ああ、止めても無駄だよ」
「そうか」
 ザハークは何を思ったのか、目を眇めてうなずいた。そしてこともなげにこう告げた。
「わかった。俺も一緒にいってやろう」
 その言葉は、さも当然のように彼の口からすべりでたものだった。それがあまりにも自然で、しかし、その言葉の響きは、大いに驚くべきものでもあった。
「お前には、今すぐ頼める助っ人がいないのだろう? だったら、俺が協力してやる」
 シャーは思わずあっけに取られたが、ザハークは真剣だ。その瞳は揺るがなく、そして澄んでいる。
「蛇王さんが?」
 そう聞き返して、シャーは、ふと思いをめぐらせた。
(この男は、サギッタリウスだ)
 そう、ソレは間違いない。あの戦場で彼を射抜いた傭兵サギッタリウス。彼を殺そうとした男。そして、今も、彼の命を狙っているはずの。本来敵であるはずの男なのだ。
(しかも、蛇王さんが、あいつらとグルじゃないっていう確証はない。一緒に行って、途中で襲われたら、オレに勝ち目はない)
 シャーは、ザハークを見上げた。ザハークの視線は真剣なものだ。いつもの無邪気さと子供っぽさがなりを潜め、何かを達観したような、そんな静かな目をしていた。
 シャーは、一瞬の逡巡の後、決意したように懐に手を入れた。そこからあの挑戦状を取り出し、ザハークが先ほど射抜いた手旗の布を巻きつけて結ぶと、彼はリーフィに向き直った。
「リーフィちゃん、ちょっと頼みがあるんだ」
 そういわれて、心配そうに彼らのやり取りを見守っていたリーフィは、小首をかしげた。
「これ、あのダンナんとこ持ってって」
 そういって、その包みを手に置く。リーフィは、わずかに不安そうな顔になった。
「シャー、それって……」
「さ、時間、間に合うかどうかわかんねえけど、追いかけてきて欲しいからよ。ダンナにはさ。あのダンナは、この中身を見れば、大体推察できるだろうから」
 シャーは、あえて悲壮感を隠すのに、軽い表情で笑っていった。
「あのオッサン、夕方には、きっと自分の家に戻ってくるはずだよ。いなかったら家で待っててやって」
「ええ」
 リーフィは、シャーの顔をしばらく見ていたが、やがて軽くうなずいた。
「わかったわ。でも、シャー、気をつけてね」
「へへ、大丈夫だよ。さ、後はよろしくね」
 にこっと笑って見せると、リーフィも軽く微笑む。それに満足して、シャーは、ザハークを振り仰いだ。
 あえてザハークに笑いかける。が、不安が隠しきれず、その表情がやや引きつったのが自分でもわかった。
「オレ、あんたのこと、信用しているぜ。蛇王さん」
 そう告げる。ザハークは、その表情をなんと取ったのだろう。一瞬だけ、彼は大人びた表情で目を伏せて、それから、いつもの無邪気な笑みでニコリとした。
「おう、任せておけ」
 それには、どういった意図があるのだろう。シャーには、結局、この男の心のうちが読めそうになかったけれど、ただ、その笑みは力強いものだった。


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