一覧 戻る 進む サギッタリウスの夜-16 手の中で、ガラス細工の星がちゃらちゃらと軽い音を立てる。 酒場を出てから、人目につかぬように裏路地をひっそりと進んでいたカッファの足取りが心なしか、来る前より弾んでいることを、後ろから影のように付き従う護衛のルシュールは気づいていた。 「旦那様、本日はご機嫌ですね」 めったと口をきかないルシュールが、自分から声をかけてくるのは珍しい。カッファは、思わずどきりとして、振り返った。 宰相となったカッファは、普段、自宅の守りをこのルシュールという古株の警備隊長に任せているが、私用で出かける時の護衛にも彼を使うことが多かった。彼の腕は確実だし、全幅の信頼が置ける相手でもあるし、このルシュールという男は、何よりも口が堅い。特にシャーのことでは、秘密も多いことから、身内の中でももっとも口の堅い男を連れに選ぶのは当然である。 「あ、ああ、まあな。あれも無事であるようだし」 カッファも素直ではないので、そんな言い方をしてしまう。ルシュールは、例の二人の複雑な親子関係を知っているので、思わずひっそりと笑いながら続けた。 「それはそうと、あの娘、なかなかの美人でございましたな」 「べ、別に、私はあの娘に鼻の下を伸ばしていたわけではないぞ。ちゃんと、あれの近況についてだな」 カッファは、慌てて申し開きをする。 「しかし、若様もなかなかおやりになる。相変わらず、高嶺の花狙いですね」 「い、いや、あの娘に関しては、多分、我々の思っていたような関係ではない気がするが」 と、カッファは、リーフィのことを思い出してうなった。 「とはいえ、なかなか賢そうな良い娘のようだ。あの娘が友人なら、殿下もそんな無茶をすまい。私に協力的なようだったから、また、そのうちにあの酒場には訪れることになるだろうから、その時に殿下の様子をそっと尋ねることもできるだろう」 ルシュールは、にやりとした。 「旦那様が再訪なされるとは、あの娘を随分とお気に召されたようですな」 「い、いや、そういうわけではないのだぞ。今度こそ、勝負で勝たねばならんのでな」 「勝負?」 ルシュールが聞き返してきて、カッファははっとした。カッファは、負けず嫌いな性格なので、酒場の娘のリーフィに将棋でこてんぱんにされたことをルシュールに告げていないのだ。 「い、いや、なんでもない。気にするな」 「は」 ルシュールは、相変わらず陰気な笑みを浮かべて軽く返事をしただけだった。 「それより、先ほど、なにやら物騒な雰囲気の男と歩いていたのはサーヴァンの娘ではなかったか?」 カッファは、不意に先ほどすれ違った男女を思い出して聞いた。 男の方に見覚えはないが、何か妙な殺気を纏った戦士風の男。そして、もう一人は、服装が違ったので雰囲気が変わってわからなかったが、どうもあのラティーナだったような気がする。それに気づいて、カッファは慌てて顔を背けて逃げるように酒場を去ったのだったが――。ラティーナに、酒場に来たことがばれたら、おそらくシャー本人に伝わってしまうし、そもそも、カッファも意地っ張りなので、心配して様子を見に来たことをラティーナに知られたくないのである。 「そうかもしれませんね。若様のいらっしゃる酒場に向かっておられたわけですし」 「それでは、あの男も殿下の知り合いだろうか。また物騒なのと関わって……」 カッファは、うんざりしたようにため息をつく。 「まあ、サーヴァンの姫も無事であることが確認できたわけであるし、ともあれ、今回の訪問は実のあるものだった」 「そうでございますな」 二人は、裏路地を抜けて大通りに向かっていた。古い建物が多く並ぶ通りには、人の気配が少ない。けして見晴らしはよくはなかったが、高い建物が多いのでどうしても見下ろされる形になっている。その道を越えていけば、大通りに出るのだ。 カッファの顔は、それほど、一般市民には知られてないのだが、あまり目撃されるのも困るので、なるべく人目は避けていた。それに、そもそも、シャーの潜伏するカタスレニア地区は、大通りから外れた場所にあるので、比較的寂しい道を歩いていく必要もあるのだが。 しかし。 不意にルシュールが、立ち止まって剣に手を伸ばした。かたん、という音でカッファが驚いて足を止める。 「どうした? ルシュール」 「いえ。少し不穏な気配を感じましたので」 ルシュールは、眉根を寄せ、周囲をさっと見回す。だが、どうやら異変はない。カッファも、元々は武官であり、前王の護衛兵を勤めていたこともあるので、ある程度の勘は働くが、怪しげな人影は見当たらなかった。 「考えすぎではないか」 「そうだとよいのですが」 ルシュールは、まだ警戒しているようだが、カッファはとりあえず進むことにしたが、ふと手の中の星のガラス細工が指の間からこぼれてしまった。星のお守りは、地面で二、三度はねて、カッファの前方の足元に転がった。 「おっと、いかん」 せっかくもらったものだ。失くすわけにはいかん。と、カッファが慌てて屈んで手を伸ばそうとした。 その時。 少し離れた右方向にある、古く最も高い建物の屋上に、ルシュールは人影を見た。 「旦那様!」 風を鋭く切り裂く音が聞こえ、ルシュールは彼には珍しく慌てて主を呼ばわった。 シャーとゼダは、不機嫌そうにメハルと向かいあわせに座っていた。ゼダなどは不貞腐れて、煙管をくわえていつものようにぷかぷかやっているし、シャーは、メハルと目を合わせないようにして足を組んで酒を口に含んでいる。 そんな態度の悪い二人に、メハル隊長は、ちっと舌打ちした。 「あぁ? んじゃ、お前等、何か? その、女の子が街角で弓矢で狙われたって言うんで、調べてたってのか。で、調べたついでに弓に興味が湧いてきたんで、遊んでたってそういうことか?」 「遊んでねーよ、調査の一環だよ」 ゼダが、ぶっきらぼうに返答する。 「何が調査だ」 「おめーらがちゃんと調べねえからだろ。オレぁ、役人に女の子が狙われたって伝えたのに、忙しくてそんな悪戯にゃ構ってられねーとかいって、ろくろく調べもしやがらねえし。しょうがねえから、俺等が調べてるんだよ」 「当たり前だろ。こちとら色々忙しいんだ。お前等の悪戯に構ってられねえっての」 「悪戯で済む問題かよ。女の子が狙われたんだぞ。こんなご時世にそんな悪戯する馬鹿がいるかよ」 ゼダがやや熱くメハルに食って掛かっていた。 「模倣犯ってのもいるだろが。第一、その話、俺は初耳だぜ。まあ、参考までに後で調べてやるけどな、何せ今は忙しいんだ。怪我人も出てねえみたいだし、直接、例の事件と関係がなきゃ関わってられねーんだ」 「忙しい忙しいって言ってよお」 シャーが、鬱陶しそうに口を開く。 「その割には、何かとオレたちに絡んでくるじゃないの、メハルさんよ。なんか、オレ達に話があるのかよ?」 シャーは、珍しく最初から絡み口調だった。まあ、メハルには、どうせ実力を見抜かれているのだ。今更猫をかぶるつもりもない。 「当たり前だろうが。てめえら、人の行く先々でちょろちょろしやがって! 何かと動きが怪しいから目につくだろうが。また問題起こしたりしてないだろうな」 「オレ達がいつ問題おこしたってんだよ?」 ゼダが顔を膨らせる。メハルは、ぎろりとゼダを睨んだ。 「叩いてねえだけで、叩けば埃がわんさと出てくるだろうが、お前等なんて。大体、俺を舐めるなよ。テメエの正体など、俺にはとうにお見通しなんだぞ。前の通り魔騒ぎの時、お前は容疑者の一人だったんだからな。みっちり調べさせてもらったぜ。まさか、あの悪徳商人のお坊ちゃんが、こんなガキみてえなツラした野郎だとは思わなかったがな」 「ふーん、そりゃあお見それしたね。ザフでなくて、オレが本物だって知ってるわけかい」 ゼダは、別に態度を改めずに、生意気な様子で煙草をふかしていた。 「金でもみ消そうが、お前の素行不良についてはつかんでるんだぜ。大人しく質問に答えやがれ」 「あー、そうかいそうかい。んじゃ、しょっぴいてみろよ、色々揉めて面倒なことになるぜ」 いっそ、喧嘩をうる体でゼダは身を乗り出す。 「おいおい、やめとけって!」 さすがにシャーが、慌ててゼダを抑えにはいるが、シャーとて不満は不満なのだ。 「何さ、忙しいっていう中、オレ達を無理に捕まえたってことは、アンタ、オレ達のこと、例の事件に絡んでるとか疑ってるワケ? そりゃあ、お門違いもはなはだしいってもんだぞ。第一、弓の腕前見てたんだろ? オレ達じゃ、少なくとも狙撃は無理だよ」 メハルは、ふむ、とうなって二人を見比べていたが、やがて、ゼダのほうを見やった。 「よし、まあ、お前はいいか。あっち行ってろ。こっちの三白眼に聞きたいことがある」 「はん、偉そうにしやがって」 ゼダは、気に食わない様子で立ち上がって、メハルを睨みつけた。 「用がないなら呼び止めんなよな。それに、ここは、そもそもオレの店なんだぜ。あんまりでけえ顔すんなよな。あ、ツラがでかいのは生まれつきか?」 「おい、口答えしてっと、マジでしょっぴくぞ、コラァ!」 メハルが恫喝するが、ゼダは、舌打ちして詰まらなさそうに矢場のほうに向かっていった。一人で矢の練習でもするつもりだろうか。 いつの間にか、酒場には人気がなくなっていてゼダとシャーの二人だけだ。それもそうだろう。メハルのようなややこしい役人がいるのだ。疑われると困る。 (ああ、こりゃあ本格的に営業妨害だよなぁ) シャーは、うんざりとしながらゼダを見送り、ため息をついた。 「オレだけ残した理由はなんだよ? あいつが、カドゥサの御曹司だって知ってるなら、あいつの方が陰謀に絡みそうな出自じゃないか」 「アイツも絡んでるかもしれねえが、お前の方が更に怪しいからだよ」 メハルは、きっぱりという。 「あの事件のあった夜、お前等どこにいた?」 「酒場で酒飲んでたよ。後は家かえって寝てた」 「嘘つくなよ。あの時、乱闘騒ぎがあってな。お前等に似たやつが逃げるのが目撃されてるんだよ」 「オレ達とは限らないじゃん。ま、仮にオレ達だったとして、その時間にそこにいたってことは、逆に事件に絡んでないってことだろう? 騒ぎのあった場所は、事件の起こった神殿から遠く離れているんだからさ。第一、アイツと違ってオレにゃ、事件に絡んで得する要素がなにもないじゃんか」 メハルはにやりとした。 「おいおい、今更、何もできねえ雑魚のフリはするなよ、三白眼野郎。お前の腕前は、大体予想がついてるんだ」 「別に、今更アンタに隠すつもりはねえよ。隠すつもりなら、もっと殊勝な態度とってるぜ」 シャーは、そういって腕を組んだ。 「でも、別にオレは、どこにも雇われてねえし、暗殺事件なんかに関わるわけないじゃねえか。弓の腕だって、あれぐらいのヘッポコじゃ、要人暗殺なんて土台無理だよ」 「お前がタダの野良猫じゃねえってことは、調査済みだよ」 「何がさ」 「お前、あのハダート=サダーシュ将軍と面識があるよな」 「さぁて、どうだろうね。ありゃ、単に顔が広いだけ。あんまり広いんで、オレが引っかかってるだけだよ」 そういえば、ジャッキールが絡んだ通り魔事件のときに、メハル隊長はハダートに使われていたらしい。しかも、元々はジェアバード=ジートリュー将軍の部下でもある。彼らが自分の正体までは言うまいが、話題には出たのかもしれないし、勘の鋭いメハルのこと、なにかしら気づくことがあったのだろう。 一覧 戻る 進む |