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サギッタリウスの夜-12

 
 
 
 ジャッキールは、本当に茶を沸かしてくれているらしくて、周囲にお茶のいい香りが漂いだしてきていた。なんというか、こまめな男だ。
「ねえ、シャー」
 ラティーナがやや緊張した面持ちで彼を見やる。
「あのひと」
「え、何?」
 どきりとして、シャーはわざと軽い表情で彼女に振り向いた。
「あのひと、私、見覚えがあるような気がするんだけど」
 ラティーナは険しい表情だ。
「そ、そんなこと、ないよ。きっと、初対面だよ」
 慌ててそういうが、ラティーナは割りに真剣な表情だ。
「確かに顔はあまり見覚えがないのだけれど、雰囲気というか、背が高くて外国人風で……」
「そそ、そんなの、この国際都市のこの王都じゃいっぱいいるよう」
 苦しい言い訳をするシャーだが、ラティーナは話を聞いていないらしい。
「実は、あの、この部屋の配置、というか、片付け方というか、見覚えがあるの」
 ラティーナは、首を振りながら周囲を見回した。
「あの読みかけの本の整理の仕方とか」
「ええ?」
 そういわれて、本棚を見ると妙にきっちりと本が並べてある。元々どちらかというと内向的なジャッキールが本を読むことは、想定されていたのだが、読みかけの本がその辺りに放置されていない。おそらく、数冊、しおりがきっちり挟まれていてその頭が覗いている、几帳面に立てられている本の塊があるのだが、それが読みかけの分なのだろう。
「私ね、あんまり几帳面な方じゃないから、こういう風にちょっとキッチリしているのみると逆に印象に残っちゃうのよね。しかも、昔、とある人のお屋敷でこういうちょっと病的な分け方で本を並べている人がいて、そいつの性格とか評判が……」
 ラティーナは、まだそれがどこの誰かを思い出していないらしいが、何かぶつぶついいながら続ける。
「後、あの、剣の立て方とか……。そもそも、あの剣、この周辺では珍しい形状よね。新月刀じゃないし。確かそいつの部屋にもそんな風な……。いやでも、あの人、こんな雰囲気でなくて、もっと暗くて顔が……」
「あぁぁ、いやあ、それは、気のせいだよ、全面的に気のせい」
 シャーは慌てて話をそらそうとするが、ばっとラティーナが彼の方を振り向いた。
「ねえ、シャー。あの人、名前なんていうの?」
「え? な、名前、でございます、か?」
 シャーは、苦笑いしながら、内心慌てていた。
「な、名前、ね、な、なんだったかなあ。あ、あの人、いろんな名前があるからさあ。しかも、オレ、いつもダンナってよんでっから――」
 これはまずい。はぐらかして、早いところ話を変えてしまわないと。
「そんなことより、ラティーナちゃ……」
「名前ならジャッキールでいいぞ」
 と言葉を継ごうとしたとき、いきなり、当の本人がお盆に茶の入った陶器をのせて、お茶のいい香りを漂わせつつ、ぬっと現れてそう告げた。
「確かに色んな名前で呼ばれていたが、今のところジャッキールで統一しているからな。気にせず、そう紹介してくれればいいのだぞ」
「ぎゃあああ、そうじゃねえって、オッサン!!」
「ん? どうした?」
 思わずシャーが悲鳴を上げると、ジャッキール本人は、きょとんとした様子になった。
「ジャ、ジャッキール、って! やっぱり!」
 シャーが顔色を伺うより早く、ラティーナは慌てて席を立っていた。
「シャー、これ、どういうこと? ジャッキールって、ラゲイラのところのジャッキールでしょう! 生きていたのも驚いたけど、どうしてこんなところに……!」
「い、いやぁ、これにはその、かなり深いような浅いようなわけが……あははははっ」
 ラティーナの大きな目にぎらりとにらまれて、シャーは、あははとわざとらしく笑ってみた。
「笑い事じゃないでしょう! どうして、よりによってこんなのと付き合ってるの! 貴方、命狙われてたんじゃないの? 大体、今日みたいな大事な話をするの相手の人選がどうしてこうなのよ! 敵だったんでしょ?」
「い、いやその、本当にこれには深いような浅いようなわけが。せ、説明するのは、すごい難しいんだけど。そ、そりゃあ、驚くよねえ、お茶までいれてもらったりしててさあ。お、驚くだろうけど、その、今回関しては、本当に相談役として適切なんだってば」
「シャーのお友達だからって黙ってたけど、昨日の派手なお兄さんもかなりクセのある人だったし、付き合う人考えた方がいいわよ! まともな人リーフィさん以外いないじゃない!」
「ああー、その、ま、あいつの性格が悪いのは認めるし、オレからはお友達のつもりはないの。で、でも、こっちのオッサンは、見掛けほど悪い人では……」
 話においていかれて、呆然と二人のやり取りを見詰めていたジャッキールは、ようやく事態を把握したらしく、茶を下ろしながらため息をついていた。
「あ、ああ、そうか。見覚えがあると思ったら、なるほど、お嬢さんは、サーヴァンの姫君だな。ラゲイラ邸で、何度か会ったことがある。その節は失礼した」
 ラティーナは、まだ警戒している様子でジャッキールのほうを見たが、ジャッキールの方は特に表情を変えず、軽く挨拶をした。そのタイミングを見計らって、シャーがすかさずフォローに回る。
「ままま、ラティーナちゃんも座って座って。ダンナがお茶出してくれたし、一緒にいただきましょうよう。絶対毒なんか入ってないから」
「そ、そうね……」
 ジャッキールが存外に紳士的な態度をとるので、一旦はそういいつつも、ラティーナはまだやや警戒している様子だ。シャーはラティーナの肩をおさえて席につかせつつ、慌てて軽い調子で声をかける。
「そんな警戒しないでってば。怖いのは見かけだけだから、この人。それとも、ラゲイラんときの評判そんなに悪かったの?」
「あまり顔を合わさなかったけど、根暗で陰気で執念深くてアブナイ人だって聞いていたの。だから、できるだけ、近寄らないようにしてたんだけど……」
 それをきいてジャッキールが深くため息をついた。
「まあ、仕方がない。ラゲイラ邸にいたときの俺の評判は最悪だったからな。なまじ客分の身分で出世してしまったことから、あることないこと噂され、根暗で陰気で執念深いとかあちらこちらで吹聴されていたものだった。いや、そもそも、俺の人格はどうせ陰気で根暗で執念深いのだから否定はしない」
 明らかに悄然としつつ、ジャッキールはぶつぶつ言っている。
「ちょ、ちょっと、ダンナ拗ねないでってば。いや、ダンナは、年中暗いわけじゃないじゃん。朝とか、すげー明るくてさわやかだと思うよ! ちょっと、もう、繊細すぎよ、ダンナ。噂は噂だってば。もう、ラゲイラんところと関係ないからいいじゃないの」
 シャーが予想以上に落ち込んでいるジャッキールを慰めにかかる。
「ね、いい噂だってあったでしょ? ほら、ジャキジャキ隊長だったじゃん。出世するぐらいだから、部下からの信頼ぐらいは厚く……」
 シャーが明るくそう振ってみるが、ラティーナは真顔で首を振った。
「いい噂はなかったわよ。あとは、拷問大好きな変態だとか、お小姓を狙っているだとか、逆に女好きで金にモノを言わせて花街から女の子を買い漁っているとか、夜な夜な辻斬りしているとか、とにかく悪い噂なら一通り聞いたもの。だから、あの時、シャーが捕まったときに初めて口きいて、思ったよりまともだなって思ったぐらいだったわ」
「うおおお、そんな根も葉もない噂まで……!」
 ジャッキールは頭を抱えてしまう。
「ははは、いいのだ。どうせ俺など人でなしの殺人鬼だと思われているのだ。どんな噂でも、信じられてしまうものだろうな、ははははは」
 思ったより追い討ちがショックだったのか、死んだような目で乾いた笑みを浮かべているジャッキールである。
「わわわ、悪化しちまった。も、もう、ソレぐらいにしてあげて。このオッサン、実は凄い繊細だから」
「そ、そうみたい、ね」
 シャーがそう頼むと、ラティーナは、やや呆然とした様子でうなずいた。おそらく、普段のジャッキールの様子に面食らっているのだろう。それもそうだろうとシャーは思う。
(なにせ、お仕事中と普段とがまるで別人だからね、この人)
 やはり面倒なことになった。一から説明する気力はないが、ともあれ、二人を落ち着かせてから本題に入らなければならないようだ。シャーは、何となくうんざりとした気分になるのだった。


 リーフィの働いている酒場では、今日は、朝から客が多かった。おかげで、リーフィはひっきりなしに料理や飲み物を運んでいた。
 朝から客が多いというのは、やはりいつもとは違う部分だ。普段は、太陽が昇った昼ぐらいから客が増えてくる。特に夏場は気温が上がりすぎて仕事にならなくなると、昼下がりに一気に客が増えてくる。しかし、一番仕事のしやすい朝から客が多いというのは、やはり、街がまだ元通りになっていないということのように思える。いまだに兵士がうろついているので、仕事にあぶれた連中が暇をあかしてやってきているのだと思われた。昨日も朝から忙しくなっていたのは、そのせいだろう。まあ、今日が昨日よりも忙しいのは、酒場も先日ようやく再開したばかりだから、再開したという話をききつけた常連が今日は朝から集まってきたということなのかもしれない。
 何にせよ、リーフィは朝から忙しかったのだ。
 リーフィの酒場での女の子達の仕事は、客の傍で酌をしたり、話し相手になることもあるが、普通に給仕のようなこともしているし、料理を担当するものもいる。まだ酒の入らない朝などは、単に客同士が雑談したいだけのこともあるので、あえて客の傍にいかないこともある。
 それなもので、今日のような忙しい日は、指名でもされない限りは給仕に徹していても問題はなかった。リーフィとしては、この店にそういう気楽な部分があるのは、結構気に入っている。
 ところが、忙しく料理を運んで、ふと合間に息をついているリーフィの元にサミーがやってきたのだった。
 最年少のサミーは、ただですら甘え上手で要領がいい。何かお願いする前には、こういう風に決まって上目遣いにしながら、手を後ろで組んで近寄ってくる。だから、リーフィはこの時点で、サミーが彼女に何かしらお願いをするのだということがわかっていた。
「ね、リーフィ姐さん、交代お願い」
「あら、お客さん?」
 そ、とサミーは、答える。まだあどけない顔立ちのサミーは、わざとなのか自然なのかはわからないが、ちょっと困った表情になってちらりと客のいる方を見た。
 サミーの視線の先。そこには、一人の客が座っている。
 年齢は、四十はすぎているだろう。顔に見覚えがないので、常連ではないことは確かだ。上質の服を着ているし、腰の剣や短剣などの装飾品からみても、それなりにしっかりした身分の男のようだ。髭を蓄えた実直そうな顔をしていたが、やや小難しそうにもみえなくもない。
 隣の客の馬鹿騒ぎにやや顔をしかめつつ、周囲と雑談する様子もないが、それ以前に、こういう女性のいる酒場に普段から来ている雰囲気ではなかった。実際に、慣れていないのか、やや落ち着かない様子だ。
「あら、見たことのない方ね」
「そうなのよ。この店初めてだっていってたの」
 サミーは、そういってお願い、と手を合わせる。
「ね、一人で来てるし、とおもって一応声かけてみたんだけど、結構、難しそうなオジサマでしょ? リーフィ姐さん、ああいう人得意じゃない? いつも、ああいうお客さんがリーフィ姐さん目当てに来るじゃない」
「得意というのは語弊があるわねえ」
 リーフィは苦笑した。
 確かに、リーフィは、以前にいた妓楼の頃のつながりの客がいるので、身分の高い常連客を抱えているし、そうした相手と難しい話をすることもできた。が、別に得意というわけではない。ただ、慣れているだけだ。それに、この店にまで来てくれている客とは、付き合いも長いのだから、話をしやすかった。初めて会う客と話をするのは、普段はあまりおしゃべりではないリーフィにとっても気を遣うことであるし、緊張もする。
「まあいいわ。お料理や飲み物を私の代わりに運んでくれるなら、お願いきいてあげるわよ、サミー」
「本当? リーフィ姐さん!」
 私も甘いわねえ、とリーフィはやや自嘲しながら、あざとく喜ぶサミーの笑顔を見ていた。やはり、一番下の彼女には、何かと甘くなってしまいがちだった。
「それじゃあ、お願いね」
 と、サミーはくるりと回りながら笑顔を振りまき、リーフィの元から去りかけたが、ふと何か思い出したように、あ、とつぶやく。
「そうだわ。リーフィ姐さん。あのお客さん、なんだかあの三白眼のことを聞きたいみたいよ」
「あら、シャーのこと?」
 ええ、と、サミーはうなずく。
「この店の常連だけど、今日は来てないわって言ったら、そうかって。もっと詳しい話聞きたそうだったけど、私あいつのこと、全然しらないもの。……でも、お役人じゃないと思うけど、あんな人から探られるなんて。何か捕まりそうなことでもやったのかしら、あの変態三白眼」
 やや好奇心を覗かせながら、サミーはそう尋ねてくる。リーフィは笑った。
「ふふ、それはシャーに失礼じゃない。まあいいわ、それも含めて、お話してみるわね」
 リーフィはそう答えると、その問題の客の下へと足を運ぶことにした。

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