エルリーク暗殺指令-39
「ほんで、メイシアは、ジャッキールにはいつ会いに行くんだよ」
「へ?」
いきなりシャーにきかれてメイシアは、無防備に間抜けた声を上げる。
「へ? じゃないだろ」
シャーはやや呆れつつ、
「いや、オレも事情深く知ってるわけじゃないけどさ。お前が王都に来たのって、どうせダンナのこと追いかけてきたんだろう。オレを狙う仕事はそのついでってことじゃないのかよ」
飲み物を飲み終わって、入れ物を返却した後、二人で並木道を歩く。
先ほど絡んできた男たちの姿は見えないし、比較的のんびりと歩けそうだ。並木道は何となく洒落ていて、メイシアは再び散歩して楽しくなってきたところだった。
そんなところで尋ねられたもので、どうも上の空になってしまった。
「え、あー、まあそうなんだけどね」
「アイードは何もいってなかったのか?」
「ううん、アイードさんは、すすめてくれてたんだけど、あたしがね」
「なんだよ?」
シャーは怪訝そうに彼女を見る。
「ほら、さっきも言ったでしょ。あたし、ちょっと不安だったんだって。それで、隊長に待ってもらってたの。隊長はいつでもいいよって言ってくれてたんだけどね。あたしがちょっと不安だったんだ」
「うん、まあ気持ちはわからなくもないな。でも、もう会いに行くんだろう。さっき、そんな感じだったじゃないか」
シャーが尋ねると、メイシアは頷く。
「うん、アイードさんがね、今夜か明日にでも会えるように手配したいって」
「今夜?」
シャーはちょっと眉根を寄せる。
(今夜はジャッキールと残りの七部将含めての会議があるっていう話、アイツにいってないのかな)
その会議には、流石のシャーも出る予定なのだ。戦力のかなめだというのに、アイードにサボられても困るし、第一、ジャッキールはその予定があると会えないと思うのだが。
(でも、副官さんが会いに来たのにどこかに行ってるしなあ。俺もジャッキールに今日の予定伝えにきたのに、留守だったわけだし……)
ということは、伝わってないということだ。
(これはアイードにちゃんと説明しなきゃ―な)
と思いつつ、
「実はちょっと今夜は大事な用があるから、明日になるかもしれねえよ」
「うん、大丈夫だよ。楽しみだけど、待ってるから」
メイシアは、特に不平をいうでもなく笑顔でそう答える。
「あたし、隊長の負担にならないようにしたいんだもん。大事なおしごとなんかがあるなら余計にだよ」
「お、そ、そうかあ」
(なんつーか、健気なとこあるなあ)
そんな健気にされると、ちょっと罪悪感を感じてしまうシャーだった。シャーは無意識に頭をかきやりつつ、ため息などをついてしまう。
その時、ふと見慣れた人影が目の前をよぎった。
「あれ、リーフィちゃん!」
シャーは思わず声を上げる。流石にシャーはリーフィに対する反応が早い。
「リーフィちゃん!」
そう呼ぶと、リーフィも気づいたらしくちらりと彼の方を見た。
「あら、シャー。こんなところで何をしているの?」
ととっとシャーは、早足で歩み寄る。
「いや、その、ちょっと散歩というか。ジャッキールに用事があって、別荘まできてたんだけど、アイツ、この辺散歩してるらしくてさあ。戻ってくるまで時間潰ししてたのさ」
そういうと、リーフィの視線がシャーの背後に向く。
シャーを追いかけてメイシアも、こちらに駆け寄ってきたところだった。
「あなたは?」
「あ、こっちは……」
とシャーが言いかけたところで、メイシアが、あ、と声を上げた。
「あれ、この間の酒場のおねえさん?」
「覚えていてくれたのね。あなたがメイシア?」
うん、とメイシアは頷く。
「だって、優しいしとってもきれいだったんだもん。忘れないよ」
「アレ、そういや二人とも、もう会ってたんだっけ?」
ちょっと置いて行かれ気味になり、シャーは目を瞬かせる。
そういえば、リーフィはあの夜にメイシアらしき少女と出会っていたのだった。
メイシアは、シャーの顔を見上げてまじまじと見比べる。
「な、なんだよ」
シャーが思わず面食らうと、メイシアはおもむろに口を開く。
「シャーはこの綺麗なお姉さんと知り合いなの?」
「お姉さんじゃなくてリーフィちゃんだよ」
「まさかカノジョ? それって犯罪だよ」
「な、なんでだよ!」
いきなり断罪されて、シャーはやや焦る。
「シャーって働いてないでしょ。ヒモは犯罪だよ」
「ちょ、犯罪でもないし、そもそもヒモじゃありませんーー! ねーリーフィちゃん、オレ達はそもそも……」
と話を振ると、リーフィは薄く微笑みつつ会話に入ってきた。
「大丈夫よ。シャーは、住所不定無職だけど、ちゃんとしたお友達だから」
(えっ、なんかさらっと否定された上に、ちょっとひどいこと言われてる気がする!)
そんな複雑な気持ちのシャーを放置し、リーフィは挨拶をする。
「私はリーフィ。改めてよろしくね」
「あたしは、メイシア=ローゼマリーだよ。リーフィさんよろしくね」
「ええ」
またしてもおいて行かれ気味のシャーだ。
思わずわざとらしく咳払いなどしてみつつ、二人に割って入る。
「し、しかし、リーフィちゃんは何してたの? お仕事は?」
「今日、お仕事が夜からなの。それもあって、ジャッキールさんたちに差し入れを持って行ったのよ。ジャッキールさん、このところ、何か調べものしているみたいだったし、甘い物も欲しくなるかなと思ったの」
「さっすが、リーフィちゃん、やさしいー! あ、でも、アイツ、いなかったでしょ?」
「私が到着したころに、ちょうど戻ってきていたわよ」
「マジで! 何それ、なんなの、アイツ! オレの時にわざといなかったんじゃないの?」
なんとなく腹が立ってシャーはそう毒づく。悪態をつくシャーを見て、リーフィはくすくす笑いつつ、
「今なら蛇王さんと中庭でお話しているんじゃないかしら」
「そっかぁ。それじゃあ、そろそろ戻ろうかなぁ……」
シャーは不満げだが、そもそも今日用事があるのはジャッキールに対してなのだ。しかも、自分は実は忙しい。メイシアと話していて忘れていたが、本当は今日はとてもとても忙しい身なのだ。会議やら打ち合わせやら、それは住所不定無職の忙しさではない。
そんな忙しい日程を思い出したところで、シャーはちらりとメイシアを見た。
「えっと、……んじゃ、お前は先に宿に届けようかなあ」
「大丈夫、一人で帰れるよ」
「そういうわけにもいかないだろ。お前、危なっかしいし」
「危なっかしくないよ! あれぐらいならあたし勝てるもん」
「そういう奴が一番危ないのー! ったく、ジャッキールの奴、とことん弟子には甘いんだから」
自信満々のメイシアに、シャーが呆れ気味にいうと、
「よかったら、私が送っていきましょうか?」
リーフィがふと声をかけた。
「夜までお仕事もないし、メイシアちゃんがお暇ならお茶でもお付き合いできるわよ」
「え、でも、大丈夫かな。コイツ、さっき絡まれてた……絡んでたっていうか、だし」
シャーが心配そうに尋ねるが、リーフィが微笑んで答える。
「大丈夫よ。もうすぐお昼だし、お昼ご飯やお茶をして、宿に向かうだけなら、多分、大通りを通るだけだもの。人目につくところなら、問題が起こることは少ないわ」
ふむ、とシャーは唸る。
「それもそうかあ」
(まあ、なんかあったら、カワウソの部下がいるしな。さっきもオレが助けなくても、なんらかの助けは入ったんだろうし)
それに、今日は本当に忙しいのだ。
「それじゃお願いしようかな。んじゃ、大人しくしてるんだぞ」
「わかってるってば」
「本当かなぁ」
「なによう、信用ないなあ」
メイシアはちょっと不満そうにする。
「あ、そうだわ。シャー、これ、蛇王さんが渡してくれって。渡し忘れたっていってたわよ」
リーフィがそういって、布のかばんから包みを取り出す。ザハークにしてはシャレたきれいな模様の手ぬぐい。それに何か小さなものが入っている。
「えー、蛇王さんから、なんだっけ?」
シャーは小首をかしげつつ、布を開く。中のものがちらっと日の光で虹色に輝いた。
「あ、そうだ。すっかり忘れていた」
そこに入っていたのは、貝でできた髪飾りだった。
「ああ、ジャッキールさんが前に買っていたものね」
「本当はあの後返そうと思ったんだけどさ、蛇王さんが自分が直すからって言うんだよね」
壊れた部品の代わりに、どこから手に入れたのか、別の花模様に加工した貝細工がつけてある。
ザハークが言うには、今のままだとジャッキールは受け取らないだろうということだった。
「奴がいくら当日の記憶があいまいだと言っても、これが壊れた経緯は絶対覚えているだろう。あの男、根に持つからなあ。だから、これをそのまま娘にやるとか、そういう選択肢はないはずなのだ。ということで、娘にあったらお前がこっそり渡してやれ」
「えー、オレが? でも、流石にそれは本人の方が……」
第一、バレたら怒られそうじゃないか。
「壊されたものをアイツが素直渡すわけないだろう」
「別のを買うのはいいんじゃないかなあ」
「それもそうなのだが、ヤツが二つ目とか選び出すと時間がかかるぞ。優柔不断だから。エーリッヒはな、こういうことになるととことん空回りしてクソ面倒な男になるのだ。わかるだろう? 絶っ対にロクなことにならん!」
えらいいわれようだが、確かにそうだ。どうせ、この髪飾りを選ぶのも散々悩んで選んだにきまっている。
「それに、気持ちのこもったものに違いないからな。あの娘は娘であんなことがあって落ち込んでいるであろう。それを渡すと、きっと喜ぶとも思うのだ」
「うん、それは確かに喜びそうだ」
「だからこそ、ここは我々が気をきかしてやったほうがいいと思うのだな。それが双方幸せになる道だ。エーリッヒには後で俺が適当に伝えておくから、娘を見かけたらお前がコッソリと渡せ」
「蛇王さん、意外と優しいねえ」
彼らしからぬ気遣いをするザハークに、思わずシャーが本音を漏らす。
「失礼だな。俺も気は遣っているぞ。エーリッヒにはともあれ、あの娘は俺もよく知っているから。エーリッヒがどれだけ落ち込もうが勝手だが、罪のない娘を泣かすのは気が引ける」
本当はジャッキールのこともソコソコ心配している彼だが、相変わらず素直でないことを言う。
シャーはそんな会話を思い出しつつ、じっとメイシアの方を見た。
「なぁに?」
きょとんとしたメイシアに、シャーはつつみごと、ほら、とそれを手渡しする。
「あ、きれい! すごいかわいい! 髪飾り?」
メイシアは興奮気味にそういいつつ、シャーを見上げた。
「それ、ジャッキールのダンナがお前にって買った奴なんだよ」
「えっ、本当! 隊長が!」
メイシアが瞳を輝かせた。
「色々あって渡せてなかったらしいんだけどさ。本人からのがいいんだろうけど、ダンナも忙しそうだし、とりあえず渡しておくな」
うまく取り繕えたかどうかは謎だが、メイシアはずいぶん感激しているようなので、別に怪しむまい。
「そうなんだ。隊長、あたしがこういうの好きなの、覚えてくれてたんだ。嬉しいなあ」
「そんなに嬉しいのか?」
「そりゃあそうだよ。だって、これを用意してくれていたってことは、隊長が口先だけでなくてあたしのことを待っててくれたってことなんだもん。隊長があたしのことを気にかけてくれてたのは、アイードさんやシャーの口からはきいて知っているけれど、こうやって形になってわかると安心するよ」
メイシアは屈託なく笑う。その微笑みが、そのままシャーに向けられた。
「ありがとうね、シャー。嬉しいな」
「そ、そうか、それは良かったな」
シャーは先程感じた罪悪感がちょっと薄れた気がして、なんとなく安心して思わずほっとしたのだった。
*
メイシアをリーフィに任せ、再びアイード=ファザナーの別荘に戻ってきたシャーは、二人がいるという中庭の方に直接向かった。
が、ジャッキールどころか、ザハークの姿も見当たらない。何やら、木切れが落ちているので、先ほどまで彼らがいたのはたしかそうだが。
「ありゃー、また入れ違いかぁ?」
部屋の方にはいるのかな、と思いつつ、シャーは入口の方にまわろうとしたが、その時、ふと人影が庭の向こう側を歩いているのが見えていた。
庭の緑と花と白い建物の間に、紅い色彩がちらつく。
(アイード?)
髪の色を見るまでもなく、洒落た服を身にまとってこんなところを歩くのは彼以外にいない。
この別荘には使用人もほとんどいないし、いても主人のような洒落た服の着こなしができるはずもないのだった。
アイードはシャーが中庭にいるのに気付かなかった様子で、迷うことなく離れの方に向かっていた。そのまま、離れの扉を開けて入っていく。
この屋敷の離れは、倉庫として使われていた。アイードの衣裳部屋にもなっているのだが、以前にシャーとゼダが封印された衣装箱を見つけた場所だ。
(アイツ、何しに行くんだろ。あんなところに)
シャーも、例の衣装箱のことが気になっていた。
あの衣装箱には、異国風の服や船乗りの道具などが入っていた。そして、誰かが書いた古い日記帳。それはいまだよくわからないアイードの過去をちらつかせていた。
シャーは気配を消して彼の後をつけることにした。
入り口の扉は開いたままだ。シャーは足音を忍ばせて、そろそろと中に入る。
がた、ごと、と何やら音がしていたが、アイード以外の人がいる気配はない。音のする部屋をそっと覗き込む。窓からの光がはいっていて、室内は思いのほか明るい。
そこで、ひざまずいたアイード=ファザナーの目の前に、あの衣装箱があった。
開いた衣装箱の中は、相変わらず色とりどりの衣装や道具にあふれている。まるで宝箱のようだった。
アイードは無言でほこりを払いながら、衣装のいくつかを手に取るようにしていたが、それをはらいのけるようにして中から剣を一振り取り出した。
シャーもあの時見た新月刀だが、鞘の装飾が美しい。夜空の星のように宝玉がちりばめられ、波のような紋様の洒落た細工がしてあるものだ。
(なにやってんだ、あいつ)
シャーが息を殺して見守る中で、アイードはしばらくそれを手にしていたが、思い立ったようにして刀身を引き抜いた。すらりと滑らかに刀身は滑り出て、窓からの陽光を浴びてキラキラと輝いた。それは優美なものだった。上品で美しく、そして、何かそれ自体が輝いているような……。
アイードは無言で剣を眺めている。窓からの光が絶え間なくそそぎ、彼がかすかに刀を動かすたびに、部屋に光が反射してキラキラとあちらこちらが光る。
その様子をシャーもつられてぼんやりと眺めていたが、ふと反射光が彼の顔にあたり、思わず身をそらした。その瞬間、足が後ろの木箱を蹴ってしまい、ごとんと大きな音が立つ。
「誰だ!」
アイードが振り返って鋭い声で問いかける。
(やべ……)
シャーは身をひそめながら、このまま出ていくか逃げるかを判断していたが、ふと部屋の向こうでアイードが笑う気配がした。
「なぁーんてねぇ」
アイード=ファザナーは、にんまりと笑いながらシャーに呼びかける。
「殿下、人を覗くときはもうちょっとうまくやった方がいいですぜ?」
ちっとシャーは舌打ちして、姿を現した。
「いつから気づいてたんだ?」
「いつから? さて、俺がここで剣を抜いたあたりからですかね。それまではうまくやってたと思いますよ。殿下(アナタ)、猫みたいに足音しないんでね」
アイードが愛想笑いをしながら立ちあがり、ぱちんと剣を鞘におさめた。
「そうそう、そういえば、この間はすみませんでしたねえ」
ふとアイードはそんなことを言い出した。
「この間?」
シャーの方がピンとこなくて、思わずそんな風に聞き返す。
「殿下にちょっと無礼な口をきいたことですよ」
「あの後もお前には会ってるじゃないか」
「そりゃあ、あの後も会いましたけど、さすがに他の人がいる前で、殿下にあんな口きいたとか知られたくないんでね。謝りたかったんですが、遅れちまったんです。これでも、俺は俺なりに反省しているんですよ」
あの時、彼が挑発的な態度をとった時のことを言っているようだった。
「俺も、あの時、ちょっと気が立ってたもんですから。いくら殿下にお許しをいただいたとはいえ、何でも失礼すぎましたねえ。まあ、何やらいいましたが、あんまり気にしないでください。今のままでも、ちゃんとそれなりに働きますので」
(何を今更!)
ちょっとぺこりと会釈して、アイードはいつも通り愛想よく笑う。しかし、彼の本性めいたあの時の態度を知っているシャーには、どこか白々しくも映ってしまうのだった。
そして、もちろんアイードの側もそれはわかっているようだった。彼は別にシャーに許してほしくてこんなことを口にしているわけではなかった。
あくまで穏やかな口調の彼。それなのに、何故かあの時の続きをきかされているようですらある。
目の前の男は、いつものアイードなのに、どこかしら危なっかしい感じがする。
今のこの男からは、何故かケモノの危険な香りがする。
「何してたんだ、こんなところで」
「何って。ちょっと懐かしいものを取り出してみただけですよ」
そう尋ねてみると、アイードはそういって微笑するのみだった。
「殿下は、この中のものを見たんでしょ。だったら、何となくわかりますよね」
「これ、お前の昔の持ち物なんだろう」
「ええ。”留学”時代のね」
アイードは臆せずにそう答える。
シャーは無言で少しの間考え、
「アイード、お前が北部諸島に留学したなんて、本当は嘘なんだよな」
アイードが静かに視線を向ける。そこから表情が読み取れない。
「北部諸島で、海上での戦闘のための技術や操船なんかを勉強してたって……。確かに記録上はどこの街、学校にいたとか残っている。でも、残っていたのは記録だけだった。けれど、ここにあるものからは、お前がいたのは、どう考えても太内海の西部や南岸部……、そういうものしか出てこない」
「へへえ、お忙しい中、わざわざ俺のことを調べていただいてたんですか? いけませんよ。そりゃあ、無駄な時間ってもんです」
アイードは苦笑しつつ言った。
「まあ、そう思わせた俺が悪いんですけどね。殿下、俺はね、前にも言った通り、別に殿下(アナタ)を裏切ろうってつもりは当面ないんですよ。俺は敵じゃないんで。だから、忙しいさなか、俺のことなんて調べても無駄にもほどがあるってもんですよ」
「だったら、訊いたら教えてくれるのかよ」
シャーがちょっと挑発的に尋ねると、アイードはゆるやかに笑う。
「さて、どうでしょうね。まあ、素直に教えるわけがないでしょうね」
アイードはのうのうとそう答え、
「まあでも、本当に、”留学”はしていましたよ。ただ、場所は確かに北部諸島ではありませんでしたがね。それに学校なんて上品なもんは通っていなくて、ほとんど実地訓練でした。最初の航海で難破までしましたからねえ」
アイードは簡単にそう認めた。
「殿下の予想通り、当時の俺がいたのは太内海の南沿岸部と西側ですよ」
「どうして、北部諸島で留学していたことにしていたんだ?」
「留学するのは、当初から予定していたからですよ。でもねえ、俺はそれまでに家出していましたから」
アイードはそういって首をかしげるような仕草をした。
「ジートリュー一門は、そんな家出なんか許すような家じゃあないでしょ。表向き、予定を早めて北部諸島への留学に行ったってことにしてたんですよね」
「家出って……」
「まあ、思春期の餓鬼でしたからね。反発するときは思い切り反発しますよ」
戸惑うシャーに対し、アイードはやんわりと笑う。
「”家出”は、楽しかったのかい?」
「さてどうでしょう」
アイードは含んだ言い方をして、箱の方に視線をさげた。
「いい思い出だけなら、こんな風に鍵をつけて部屋の奥に押し込んだりしないんじゃないんでしょうかね」
「でも、悪い思い出だけなら捨てたり焼いたりするだろう。こんな風に大切にしまいこまないよ」
「まあ、そういう言い方もできますかねえ」
アイードはにやりとして笑う。
「それがわかるなら、殿下にも、思い当たることがおありなのかもしれませんねえ」
シャーはそれには返答しない。
「これはねえ、俺にとっては甘みもあれば苦みもある記憶なんですよ。ただ、このころの俺がいなければ、今の俺も存在できないわけでね。見たくないけど大切なものかもしれません」
「それを何故今……」
「ちょっと色々考えることがあったんでね。考えを整理するのに、昔のものを一度見ておこうかなって思ったんですよ」
「考えること?」
にっとアイードは無言で微笑む。
シャーはしばらくそれを睨むように見ていたが、彼から返答を得るのをあきらめてため息をついた。
「……その剣、随分いいものだな」
シャーは改めて、アイードの手にある剣に視線を向けた。
それだけは別に嫌みでもお世辞でもなく、確かにシャーでも見惚れるほどに良い剣だった。
自ら船乗りだというアイードは、あまり長い剣を使いたがらないが、その剣は彼にしては長い方、しかし、シャーやジャッキールなどの使っているものよりは多少短い。片手剣にしては少し大きめだが、アイードぐらいの体格があればそれくらいのものは軽々ふるえるはずだ。
「ああ、これですか?」
話を変えてみるとアイードは、からりと表情を変えて剣を彼の目の前に差し出した。
「ああ、しまいこむにしてはもったいないなって……。名のある剣なんだろうな」
「確かに、もったいない剣ではありますよ。ちょいと俺の手にもあまるほどのね」
アイードはそう答えて、すっと鞘を引いた。中から再び煌めく刀身を引き抜く。間近でみると、やはりとても良い剣だ。
「鞘もやたらとキラキラしてるしな。お前の趣味か?」
「いやあ、さすがの俺もここまで派手なのはちょっと……。これはね、俺の親父の形見みたいなもんなんですよ」
意外な言葉にシャーは顔を上げる。
「お前の親父って……。先代のファザナー家の棟梁の?」
「厳密には間に俺の母親が入っているので、先々代といった方がいいですが、まあ彼は”先代”で通っていますね。母上は、”奥様”で通っていますんで。先代は、アウロース=ファザナーって男でね、殿下も、俺の親父の評判はうっすらご存じでしょ? ロクな男じゃねえって話」
「本当にうっすらとしか知らないけどさ」
アイードにはっきりそう言われると、シャーもちょっと遠慮気味になってしまう。
当然、年齢的にシャーはアイードの父のことなどよく知らないが、それでも、その後アイードが父親のせいでなんといわれてきたかぐらいは知っている。叔父のジェアバード=ジートリューがどれほど人前でそれを言わせないようにしていても、陰口はいつしか様々なところできかれるものだ。
ともあれ、彼の父のアウロース=ファザナーの醜聞は、シャーですらよく知っている類のものだった。
「別に遠慮はいりませんよ。世間様であの男がどういう風に言われているかは俺が一番よく知ってる」
シャーは、頷いた。
「アイードは、先代のことがあまり好きじゃないんだと思ってた」
「世間的にはそう思われるでしょうね。実際の話もね、この間、ネズミの子にも話しましたが、昔はそりゃあすんげえ嫌いでしたよ。殿下がセジェシス陛下に見せる態度を見ていると、どうも思い出しちまうぐらいにはね」
アイード=ファザナーはさすがに遠慮がない。
「まあ、だから、俺は殿下(アナタ)やネズミの子の気持ちもちったあわかるんですよ。それなもので、俺は先王陛下のことがあんまり好きでないのかもしれませんね」
アイードはちょっとにやりと笑う。
「で、剣の話をしていたんでしたっけ」
そう話を戻し、
「この剣はね、ステラ・マリウス。海の星」
アイードは剣を軽く掲げる。
「もとは北極星をさす言葉あたりのもじりらしいんですよ。名前を付けたのは先代だという話です」
アイードは、刀身に陽光を当ててキラキラさせる。
「北極星っていうのは、天測するときに大切な星でね。迷ったときにはそれを見て、進行方向を修正してみたりする。不思議とね、この剣もどこかそういうところがあって、なんとなく迷うような気持ちになったとき、俺はコイツが見たくなることがあるんですよ」
アイードは感慨深げにそんなことを言った。
「そんな箱の中にしまい込んでいるのにか?」
「言ったでしょう。見たくないはずなのに捨てられないのは理由があるってね」
アイードは薄く微笑んだ。
「一つだけ誤解を解いておくとね、俺は今は先代のことは恨んでいたりなんかしないんですよ。これは俺に残された、一つの羅針盤のようなものだ。だから時々、不安になるとね、まるで親父に相談しにいくみたいにここにきてしまうのかもしれない」
「お前に不安なことなんてあるのか」
「失礼ですね、色々ありますよ、それは」
ちょっと挑発的に尋ねると、アイードはそれを受け流すように微笑んだ。その反応を確認しながら、シャーはそろりと切り込む。
「さっき、これはお前にとって甘くも苦くもあるって言ったよな。……それはお前の顔の傷と関係ある?」
「この傷は剣術のけいこの時の事故でついたものですよ」
「そんなこと、信用できるわけないだろ」
シャーは少し言い方を強める。
「まァ、ネズミのボーヤにも見抜かれてましたしね。流石に嘘っぽいですよねえ、この話」
アイードは底の見えない表情を浮かべつつ、ふっとわらった。
「でも、俺は、うわべを取り繕うのはうまいんですよ」
アイードがそんなことをいう。
「こんないかにも嘘っぽい話でも、俺が言えば大体の人は信じてくれる。まあ一種の才能みたいなもんです。でも、本当のところは、俺は平凡な奴でね、実際ろくろく根性もなくって、とりわけ強いわけでもない。それでも、格好はできるだけつけたいって男なんで。他人からみりゃあ、随分馬鹿馬鹿しいでしょうが、せめて外面だけでも整えたいなって思うんですよね」
「外面?」
アイードがいきなり何を言い出したのか理解できず、シャーが少しきょとんとする。
アイードは右手で左ほおの傷を撫でた。
「客観的に考えれば、俺がいくらこの傷は勲章だとかなんとかいったってね、どう考えてもそれは嘘なんですよね。それでも大体の人は信じてくれる。でも、今の殿下みたいに、一度気づいてしまった相手にはごまかせないでしょうね。こんな風に顔を裂かれた男ってのは、そのときに一緒に自身も尊厳も矜持(プライド)も、全部まとめてズッタズタに引き裂かれて踏みにじられているにきまっている。全くみじめなものさあ。だからこそ別人みたいにならざるを得ないんだってこと」
アイードは静かにシャーをみやった。
「じゃあ、お前にとってそれはみじめなものなのかよ」
シャーは内心それを口に出すことを恐れを抱いていたが、なるべくそれを見せないようにして尋ねた。
「そりゃあみじめでしょうねえ。俺は以降、あの頃には戻れなくなっちまったし……。戒めって言ったのは嘘でもないんで。昔みたいに血が騒ごうが、コイツが全部止めてしまうわけです。殿下とは、それ以降しか会っていないので、まあ、わかりづらいでしょうねえ」
アイードはそういって目を開いたが、その視線は言葉とは裏腹に投げやりなものではなく、どこか優しげでもあった。
「でもねえ、殿下、俺は昔からね」
その声にシャーはアイードの目を見る。
彼の瞳は穏やかで暖かな海の色に似ている。深みのある、ゆらぎのすくない緑。それでいて、陽光にきらめく。
「男ってのは、ギリギリの時にどこまで意地張ってカッコつけられるかで決まる、って思ってるんですよ」
アイードは笑って言った。
「実のところ、それだけは、それ以前もそれ以後も変わっちゃいない」
シャーが目を瞬かせるうちに、アイードは剣ステラ・マリウスを鞘になおした。ぱちんと音が鳴り、剣がおさめられたあと、アイードの表情はまた底意のわからないものになっていた。
そんな謎めいた微笑みを浮かべたまま。
「その辺のことは、どこか心の片隅で覚えていてください」
アイードは謎かけのように、そんなことを言った。
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