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エルリーク暗殺指令-36

 風を切る鋭い音が響いた。
 的の木片を矢が射抜く。からーんという乾いた音は二つあり、台から地面に木片が落ちた。
 弓を構えていたザハークは、一息ついて木片を拾い上げて確認した。
 木片の厚みは二センチほど。案の定片方は完全に貫いた形になっていた。もう一方は、木片を少し貫いたところで止まっている。
 それを指の先で確認していたザハークは、何か気に入らなかった様子で、ちっと舌打ちする。
 つと目を細めて、彼は珍しく苛立たしげに吐き捨てた。
「まったく、……あのアホが」
「あー、いたいた」
 ふとそんな声がきこえ、ザハークはそちらに視線を向けた。
「なんだ、小僧、来ていたのか? お前にしては早起きだな?」
「オレも忙しいんだよ、蛇王さん」
 シャーはそういって、肩をすくめた。
「でもさ、せっかくオレが珍しく早起きまでしてやったのに、肝心のやつがいないんだよねえ」
「あー、エーリッヒのやつは隠居老人並みに朝が早いからな。やつを捕まえるつもりなら、夜明け前に来なければダメだぞ」
 ザハークは面白そうにそういった。
「まったくだよ。で、蛇王さんは、朝練?」
「まーそのようなものだな。ここのところ、アイツの話し相手をしていたので、体が鈍ってしまった。復活すると無駄なドヤ顔が鬱陶しい感じだが、落ち込んでいる時の奴はむしろじめじめしているし、なにより変なところで繊細なので扱いに困るからな」
 珍しくげっそりした様子でザハークは首を振る。
「蛇王さんも結構苦労してるんだね」
「ルーナやリーフィ嬢がいたので助かったが、ああいうときの奴と来たら、本当にカビでも生えるのではないかというほどじめじめしていてだな。特に、リーフィ嬢がいて助かった。あんな奴でも相談に乗ってくれるし、何しろ、話し相手としてうってつけだ」
「確かにリーフィちゃんは、そういうの向いてる気がする」
 シャーは、小首を傾げて、
「でさ、副官さんに、ダンナは散歩ってきいたけど、マジ?」
「散歩だな」
 せめて朝稽古とかであってほしい気もしたが、ザハークにあえなく即答されてしまった。
「マジで? マジで散歩なの? なんなの、あのオッサン」
 思わず毒づいてしまうシャーに、ザハークは苦笑する。
「まあ、なんだ。リハビリみたいなもんなんだろう」
「んでも、こんな時にさあ。まだあのリリエスとかいう奴らも潜んでるんだろう。だったら、うろちょろしてるの、危ないじゃないか」
「まあ、お前のいうのももっともだがな」
 ザハークは苦笑しつつ、
「しかし、流石に二度も同じ手を食うほどアホではないだろう。その辺の心配はいらないのではないか」
 そうかなあ、とシャーが不満そうにいうと、ザハークはからかうような口調になった。
「それはそうと、ずいぶん大きな話を持ち込んだらしいではないか? どうせ、早起きしてきたのも、その打ち合わせだろう?」
「ああ、うん」
 ちょっとだけザハークに気まずくなるシャーだったが、ザハークの方は別段気にした風もない。
「良いのではないか。あの男には一番向いている仕事だ。相手のこともよく知っているし、なおかつ、攻めるのではなく守る方。奴には向いた仕事だろう。お前の周囲の理解が得られるかだけが心配なくらいだ」
「それは、まあ、アイードとかが根回ししてくれているみたいだったけどね」
 そう答えつつ、シャーはちょっと意外そうに言った。
「いや、オレ、こんな話をジャッキールに持ち込むの、蛇王さんは怒るかなって思ってた」
「んー? 何故だ?」
 ザハークはきょとんとして小首を傾げる。
「いや、ダンナって、結構繊細だし。宮仕えが長続きしないのって、そういうのが自分でわかってて避けてるんでしょ?  それなのにオレがわざわざ重圧与えるみたいなこと頼むとかさ」
 シャーは少しうつむく。
「蛇王さんに昔の話とかきいてたから……」
「はは、そんなに気にしなくても良いぞ」
 ザハークはニヤリとする。
「流石の奴もそこまで弱くはないぞ。さっきのリリエスの件も含めて、そういう心配をしているのがわかったら、怒られるから黙ってた方が無難だな」
「そうかなあ」
「ああ。確かに神経の細いところはあるのだが、前のリオルダーナに使えていた時に潰れたのは、なにも取り立てられて重圧を感じたせいだけではないのだ。あれは、まあ、周囲の妬みやら、あちらの王位争いなどが酷くてな。他にも、あのメイシアの身の上をどうしようかとか、抱えている悩みが多すぎたこともあるのだ。奴は目に見えた目標があった方が、安定して生きられるし、その方が好ましいと思うのだな」
 ザハークはにんまりすると、
「なので、俺はその話自体は良いことだと思ったぞ。まあ、あんな奴でも、多少前向きになるだろうしな」
「蛇王さんにそう言ってもらえると安心するよ」
 シャーが安堵してため息を漏らす。
「まあ、あとは心配なのは、オレ、ダンナの仕事ぶりを知らないことなんだけどね。敵だったときにちらっと知ってるけど、アレ、本領出せてないときだったみたいだし」
「それもそうか。普段のあのどんくさくて、すっとろい様子を見ると、心配になるのも理解できる。自分では常識人ぶっているが、所詮はお坊ちゃん育ちゆえの世間知らず的天然ボケ。おまけに肝心なときはすべて筋肉で何とかしようという、脳筋的で安直な基礎。うむ、まあ、不安にもなろうものだなあ」
「オ、オレ、そこまで言ってないよ」
 それはすでに悪口の域だが、ザハークは、ははっと笑う。
「まあ、しかし、奴は常に隊長待遇で傭兵稼業を渡ってきた男だし、それは伊達ではない。信用してやっていいのではないか」
「それは、信用はしてるんだけどね。いや、あんまり頼むと、たまに無理してるみたいなことがあるからさあ」
 そんなことを言うシャーに、ザハークはにんまりして言った。
「少しの無理ぐらいするだろう。なんだかんだいって、アイツはな、お前のことがかわいいのだ。兄貴風吹かせたいので、ちょっと背伸びぐらいする」
「ええ、そうかなあ。単にダンナの面倒見がいいだけでしょ?」
 きょとんとするシャーに、ザハークは続ける。
「まあお節介な性分なのは間違いないが、それだけでもないのだろう。素直でないし、口うるさいし、鬱陶しいところもあるだろうが、たまには甘やかされるのも悪くないぞ?」
「えー、甘やかされる気がしないんだけどなあ」
 シャーが口をとがらせるようにしてそういうのをみやりつつ、ザハークは言った。
「まあ、それはそうとだ。どうせ、奴は散歩とかいって出ていくと、小一時間は戻らんぞ。ここで待っているのも暇だろうし、どこかで時間を潰してからもう一度きたらどうだ?」
 そういわれて、シャーは考える。
「それもそうだな。そういや、朝メシ食ってないし。あ、蛇王さんもどう?」
「そうしてもいいのだが、もう飯を食ってしまったしなー」
 ザハークはそういって、髭をなでつつ唸ったが、やがて何を思ったのか手に持った弓をくるりと回しつつ、
「ああ、でも、俺にもやることがあるからな。今回は遠慮しておこう」
「やること?」
「うむ、実はな」
 と、不意にザハークは含んだように笑っていった。
「俺にもちょっとした仕事の準備があるのだ」

* 

 そそそ、っと建物の陰に隠れたところで、視線の先で女の子が飛び出てきた。
「あれぇ?」
 彼女は目標を失ったらしく、きょろきょろと首を巡らせている。
「おかしいなぁ。アイードさん、絶対ここにいたはずなのに。えーっと……」
 彼女はそう言って、しばらく、あたりを見回した後、こちらとは別方向へ去っていった。
「あーあ、やっぱりつけてきてたかあ」
 アイードは、いつもの、ちょっとのんびりしたような口調でため息まじりに言った。
「メイシアちゃん、このまま諦めて宿に戻ってくれるかなあ」
「心配ならいったん話を切りますかい?」
 隣にいた男がそう声をかけてくるが、アイードは首を振った。
「いや、大丈夫だよ。その辺には、俺の部下とかもいるし、多分素直に帰ってくれると思う……、うん”多分”」
そうつぶやいたところで、アイードは壁に体を持たせつつ、
「で。シーロのおやっさんの新しい情報は、さっき話してもらった感じでいいのかな?」
 ちょっと帽子の角度をなおしながら、アイードがそういうと、初老の男は頷いた。
「ええ、他にもちいさなものはありますが、大きな情報はさっきの通りです」
 シーロ、と名乗ったその男は、アーノンキアスに雇われていた男だ。アイードとゼダがダルドロスの船から逃げるときに彼らの前に立ちふさがった男だった。
「いやでも、悪いね。おやっさん。こんなことさせてさあ。アーノンキアスの奴は気づいてない?」
 アイードが尋ねると、シーロは薄く笑う。
「アイツはもともと間抜けな男、こんな細やかなことなんざ気づいてはいやせんよ」
「それもそうか。でも、気をつけてね」
「はい」
 シーロはそう言って頷くと、改めてじっとアイードを見上げた。
「どうしたの? 謝礼金少なかった?」
 アイードが不安げにそういうと、いえ、と彼は首を振った。
「十分いただいております。それに、俺がアーノンキアスを裏切ったのは、別に金が目当てじゃねえんで……」
 そういって彼は、ちらりとアイードをみて懐かしそうに目を細めた。
「本当に、アステイル親分によく似ていらっしゃる……」
 彼は感慨深げに言う。
「そうかねえ。俺の方がいくらか男前だと思うけど」
 アイードは苦笑して、少々おどけた様子で言った。
「まーでも、オヤジに似てるってのも、いいこともあるもんだな。オヤジに似てるからって、アンタが声をかけてくれたのは、正直俺にとっては幸運だったぜ。さすがの俺も、アーノンキアスの部下に知り合いはいなかったんでねえ。内部情報ほどありがたいものはねえからさ」
 アイードはそう言って、ちょっと苦笑した。
「でも、アンタみたいな未だに慕ってくれる男がいるんだから、親父も捨てたもんじゃないんだねえ。いや、俺は親父のことはよくは知らないんでね」
「南風のアステイルは、とてもいい男でしたよ」
 シーロは懐かしそうに言った。
「俺はアステイル親分の手下でした。あの方は慈悲深い男でしたが、キレると怖くてね。左目に傷があって、それのせいで見づらいもんで目を細めるクセがついたんだってコトで、いつも笑ってるような顔をしてましたんで。でも、その顔からいきなり雷落とされるんで、そりゃあおっかなかったですよ。笑ってると思いきや、突然ブチ切れるんですからね」
「へへえ、そりゃあ危ない男だな。一番近寄りたくない奴だ」
「でも、本当に惚れ惚れするほどのいい男だったんですよ」
 シーロは、ため息をついた。
「俺はね、今でも後悔してるんです」
「後悔?」
「ええ、あの時、何が何でも親分にしがみついてついていくべきだったってね」
 シーロは遠くを見るような目になる。
「あの時、親分は実家をつがなきゃならなくなりましてね。それで、船団を解散するって言い出した。あの時、北風のヴァレアースとの抗争も一区切りついて、北風とは仲良くなりましてね。アステイル親分はみんなに一目置かれていた。そんな脂の乗り切った時期だった。それが、決められた相手と結婚して家のいいなりになるとかいう。アステイル親分は言いましたよ。これからの俺の仕事は堅苦しい仕事で、今みたいには自由にはなれねえ。だから、お前らも選べ。ただ、残るならせめてカタギになれってね。そして、親分は今までの稼ぎを、手下に全部分配してくれた」
 シーロは俯いた。アイードは、左の口の端を歪めるようにして苦笑した。
「なんだ、あの人もそんなことしてたのか」
 アイードは何を思ったのか、にたっと笑う。
「それ、すんなりうまくいかなかったでしょ? シーロのおやっさんみたいな人は、特に反発するさねえ。へへ、粋がってる連中にカタギになれっつうだけじゃ、うまくいかねえよ」
「ご指摘の通り」
 言い当てられてシーロは少し苦い顔になりつつ、
「あのころ俺は、正直その話に気に食わなかった。あの泣く子も黙る片目のアステイルが、よりにもよって国の犬になる。そして平凡な男になる自分についてくるか、それとも自分だけで生きていく覚悟をして独立するか選べ。そう言ってる。それだけで、俺は嫌だった」
 シーロはつづけた。
「俺はその時、親分に噛み付いた。アステイル親分は俺の言い分を最後まで黙って聞いた後、唐突に立ち上がったと思ったら、俺のことをぶん殴ってね。何をいうかと思えば、『お前、つくづくこの仕事向いてねえよ。悪いことはいわねえから、早々に堅気になっとけ』ってね。そうじゃねえと、いつか後悔するぞって」
 シーロは俯いた。
「その時は反発しました。俺は独立することにした。まず、貰った金で商売を始めました。でも、あの頃の俺は血気盛んでね、正業とはいいがたい仕事だった。当然、上手くいかなかった。結局、気が付いたら逆戻りしていました。でも、結局、俺は人の上には立てねえし、かといってアステイル親分以上の男にも会えない。南風のアステイルって立派な男を知っている以上、俺は他の船長連中の下につくのに我慢ならなかった。以降、何やってもうまくいかずに中途半端で、こんな具合ですよ」
 シーロは言った。
「そんな中、”紅い貴婦人”を見かけた。紅い貴婦人は、南風のアステイルが最後に建造した船でしてね。俺も進水式に参加していた。緋色のダルドロスとかいう若造が、何故か紅い貴婦人に乗っているという噂を聞いたのは、俺が別の海域にいるころだった。興味を持って戻ってきたころには、もう死んだのだと聞かされました。それっきり忘れたつもりだった」
 アイードは黙って話を聞いている。シーロはその様子を懐かしく思ったのか、ふと目を細めた。
「ある時、ラーゲンの一味から仕事が回ってきました。俺は断るつもりだったが、”紅い貴婦人”が絡んでいるという。十年近く行方不明だった緋色のダルドロスが、いまさらその船を動かすのだと。俺は、気が変わりましたよ。あの船をみて、懐かしく思った。そして、こんなところまで来てしまった」
 シーロは目を伏せて笑う。
「全てはアステイル親分のお導きでしょうね。あの船は、小さいけど本当にいい船なんですよ。そして、それは、あの方の倅のあなたが持つのにふさわしい」
「俺がそこまでの男だといいんだけどね。自信ないなあ」
 アイードは曖昧に笑った。
「でも、シーロのおやっさんのことには責任持つぜ。アンタさえよければこの仕事が終わった後でも、仕事の口ぐらいは利くよ。もとはといえば、親父の後始末が悪いんだからさ」
 シーロは少し驚いて、
「いえ、しかし、それは……」
「いいんだよ。俺にも似たような覚えがあってねえ。他人事には思えないし」
 アイードは背をもたせかけるのをやめた。
「それにしても助かったぜ。また何かあったら教えてくれ。今後ともよろしくな、シーロ」
「ああ、はい!」
 シーロが少しうれしそうな顔になっていた。
「それでは、また何かありましたら報告します」
「ああ、よろしくね」
 シーロが踵を返してそっと去っていく。アイードはその背中が見えなくなるまで見送った後、ふっと苦笑を浮かべた。
「まったく、しょうがねえなあ」
 そう吐き捨てるように言いながら、彼はため息をふかぶかとついた。
「あの野郎、同じ失敗してやんの。ダセエったらありゃしねえよ」
 アイードはそうつぶやいて、肩をすくめる。
「でも、俺は、ちゃんと後始末はするつもりだけどな」
 そうつけくわえ、彼はもう一度息を吸い込んだ。
 先ほどのメイシアのことも気にはなったが、アイードは直接彼女を追えない理由があったのだ。
「さて、もう一件、行くか。待たしちゃ悪いしな」
  
 *
 
「あれー、ここにもいないかあ」
 アイードの後をつけているメイシアは、予想した場所に彼の姿がないのを確認し唸っていた。
「アイードさん、どこにいっちゃったんだろう」
 てくてくと石畳の道を歩く。
 そんな状況ではあったものの、メイシアは久々の外での散歩を楽しみながらアイードを探していた。
 ザファルバーン王都カーラマンは、基本的には砂漠の都市だった。その外見も砂漠の街といった様子だったが、運河周辺だけは太内海や大外洋につながっているせいか、港町の風情を色濃く漂わせている。場所によってはだが、アイードの別宅のように太内海の白い港町の香をさせていることすらあり、異国情緒があってなかなか良い雰囲気だった。異国の文化が入りやすい、ちょっとしたオシャレな街。そんな側面もある。
(ここ、歩くと楽しいなあ。隊長とデートするならここよね)
 そんなことをうっすら考えながら、メイシアは足を進める。
 もはやアイードは見失っているので、見つかる気もしない。もうただの散歩に目的が変わっていた。
「アイードさん、あまり出歩くなっていってたけど、……うん、一周して戻るくらいなら怒られないかな」
 そんなことを言い訳のように呟く。
「まあ、アイードさんなら、怒ったりしないかな」
 優しいもんね、と独り言をいってみる。
 そう、彼は優しい。
 アイード=ファザナーに助けられてから数日、アイードの人となりはメイシアもよく理解していた。
 アイードはザファルバーン七部将の一人だという。ファザナーの若旦那と、周囲に呼ばれているのも聞いている。メイシアはザファルバーンのことは詳しくないが、七部将がどれほどの権力者かはうっすらとわかっている。
 少なからず、この運河周辺とザファルバーンの海岸線は彼の支配下なのだという。
 けれど、彼はとても優しく、そして気さくだ。とても偉い人にも見えない。その一方でちょっと気障でおしゃれでお坊ちゃん的なところもある。気弱なところもあって、頼りないところもある。
 でも、結局は話しやすくて庶民的。偉ぶっているところがなくて、いい人。
 とにかく、アイード=ファザナーは、頼りなさげなところを除けば、とても好印象の男だった。
 だからこそ、気になるのだ。
(アイードさん、絶対何か隠してるよね)
 先程の、アイードの態度のことが気になる。
 何故か、太内海西岸にやたらと詳しいアイード。その彼が自分の歌を聞いて顔色を変えていた。あれはメイシアの故郷の言葉で歌われたものだ。彼がその言葉を知っていたのか、旋律を知っていたのかわからないが、明らかに彼はあの歌を知っている。
 メイシアの出身地を予測して、それであの話をした途端、彼は真っ青になったのだ。
 けれど、そのあとは、何かとうまーく取り繕われてしまって、メイシアも直接色々聞けずにいたのだが。
(ききづらいけど、やっぱり確かめなきゃね)
 だが、彼が、もしあの奴隷狩りに何かしらのかかわりがあるのだとしたら、と考えると、メイシアもどうにも心の整理がつかない。それを知っているということは、彼に裏の顔があるということでもあるのだ。
 あんな優しいアイードに、何かしらの裏の顔があるのだということも、考えたくもなかった。
(でも、まだどんなふうに関係があるのかもわからないしなあ)
 メイシアは、こういうもやもやしたのが一番苦手だ。
(やっぱりあの場で聞いちゃえば良かったかなあ)
 そんなことを考えながら、川沿いの道から中に一歩入ったところで、ふと前から男が二人歩いてきた。
「あ、お前……」
「え?」
 きょとんとして立ち止まる。
 そこにいたのは、大柄の男が二人。一人は粗暴そうな顔に切り傷のある大男。
 もう一人は背がすらっと高くて顔もまあまあ整って上品だ。少し背が高すぎるきらいはあるが、優男風。あくまでぱっと見だが、雰囲気だけなら、少しジャッキールと似ている。
 二人とも共通して流れの戦士といった雰囲気だが、今は普段着の装いだった。どうやら、王都が厳戒態勢なこともあり、昼まで歩くときは目立つ武装ができないのだろう。
「なんだ、お前……」
 見覚えがある。メイシアは目を瞬かせてから、あ、と声を上げた。
「あんた達、あたしと一緒にリリエスに雇われた人だっけ?」
「誰かと思えばエーリッヒの連れまわしてたガキか」
 大男の方がそういって鼻で笑う。
「リリエスに別に連れて行ってもらってたみたいだが、どうにか王都に入ってたんだな」
「アンタ達こそ、よく入れたわね」
 メイシアは強気でそういう。
「王都の門から入れないと思ってたわ」
「生意気言いやがる」
 大男がむっとした様子になると、後ろにいた優男がまあまあと笑いながら入ってきた。
「ワズン、こんなところで喧嘩はよそうぜ。なるほど、あのエーリッヒ、”ジャッキール隊長”が連れていただけあって、なかなかかわいい子じゃないか」
 そんなことを言いつつ、にっと笑う。
「せっかく再会できたんだし、仲良くしようじゃないか」
「ちッ、フルド、こんな餓鬼でも食いつくとは、お前の女癖も大概だな」
 大男が悪態をつく。
「もしかして、あんた達も隊長を探しているの?」
「リリエスが雇った傭兵は何人かいるけど、そりゃあ、エーリッヒのことを知っている人間は何人もいるさ」
 優男の傭兵フルドは、穏やかに微笑みつつ続ける。
「あの男は敵の多い男だったけど、有能には違いなかったからな。だから、あいつを倒したら金だけでなくてそれ相応の名声も栄誉も得られるってものだ」
「でも、リリエスは三白眼の男が狙いだったんでしょ?」
「もちろん、表向きはそうだけどさあ。……でも、エーリッヒも”いる”。それどころか、三白眼のヤツに関わりがあるとかなんだろう。俺とかコイツの狙いは、どっちかというとエーリッヒ。ほかにも何人かいるよ、エーリッヒ狙いのヤツ」
 ま、とフルドは、相好を崩した。
「俺は、でも、何がなんでもエーリッヒを狙うってわけじゃないんだけどな。こっちのヤツは、個人的に恨みがあるらしくって……。昔、突っかかって返り討ちにあって、顔に傷が残ったんだよな」
「うるせえよ」
 大男の傭兵ワズンはそう吐き捨てて、優男をにらむ。確かにワズンは右ほおに切り傷があった。
「エーリッヒの野郎は、今度こそオレが地獄に送ってやる」
「隊長がアンタなんかに負けるわけないじゃない!」
 メイシアが自然とそんなことを言う。ついっと口が滑っただけだが、傭兵ワズンが彼女を睨んだ。
「なんだと」
「だって、そうだもん。そんなこと言ってる内は、相手に勝てないもんだ、って、隊長が言ってたよ」
 メイシアはそういった。
「それに、本気で戦った隊長が傷残すくらいで済ますとか、ありえないもの。お仕置きされただけなんでしょ」
「この小娘!」
「おいおい、寄せよ、ワズン」
 優男が止めにかかるが、かまわずいらだったワズンが掴みかかる。メイシアはそれを華麗に避けると、さっと腰の剣に手を伸ばす。
「今日は戦う格好じゃないけど、あたしだって、剣を抜くとただじゃ済まないんだからね!」
「ほほう、面白いな。エーリッヒのやつが何を仕込んでたのか楽しみだ」
 ワズンの下卑た笑みに、むむっと眉根を寄せてメイシアが大きな目で睨んだ瞬間、ふと男達の背後に人影がふらふらっと現れた。
 彼らが振り向く間もなく、人影は大男のワズンの方ににぶつかった。
「わー」
 人影はひとたまりもなく、よろけてころびそうになる。同じくよろけたワズンが彼をすぐに睨みつけた。
「なんだ! てめえっ!」
「おーっと、すみませんね。前見てなくって」
 慌てて釈明するのは、ひょろっとした痩せ型の青年だった。
「すんません、ぼんやりしてて。ホント不注意なんですよ、旦那。許してください。マジですみまっせんでした!」
 彼は軽い調子で平謝りし始める。そのあまりの小者感に、ワズンはふんと鼻を鳴らす。
「ちッ、失せろ!」
「はーい、ホントすみません。消えさせていただきます」
 そう言ってさらっと通り過ぎようとしたところで、ふっと彼が顔をあげた。くるくるした癖の強いまとめ髪の先が揺れて、前髪の下の目はぎょろっとした感じの三白眼。
「あれっ! あんた……三白眼のひと?」
 メイシアが、彼に気付いて声を上げる。慌てて彼は、シッとばかりに口に人差し指を当てるが、それで二人の傭兵の注意を引いてしまう。
「あっ、お前、まさか!」
 優男のフルドが”それ”に気付いた。
「お前、人相書きの……」
「なに?」
 そこまでいうと、ワズンの方も思い至ったらしい。
 彼らにとっては標的である人相書きの男は、なかなか特徴的な容貌だった。もちろん実物の方が、なにかと弱々しい雰囲気を漂わせているが、その顔立ちは間違いない。
「てめえが、シャー=ルギィズとかいう……」
「えっ、なに、人違い……あ! おあっ!」
 すぐさま後ろから襟を掴まれ、そのまま前にぐるっとまわされると胸ぐらを掴まれる。
「ちょ、何するんですよ。人違いですよー」
「何をしらばっくれやがって! お前、バラせば仕事は一つ終わりなんだよ!」
 そう言ってワズンは、腰の剣に手を置く。
「人違いでも、別にこっちは構わないんだぜ?」
「あ、そーなの」
 シャーは肩をすくめた。
「なるほどね。まー、狙われてんのは知ってたけどさ。そーゆー態度なら、こっちも穏便に済ませるわけにもいかねえわな」
 シャーは、そう言ってきらっと彼を上目遣いに見た。その瞬間、雰囲気の変わった彼に、ワズンがぎょっとする。
「なんだ?」
「こっちの予定が狂ったっていってんだよ!」
 とちょっと口の端を歪めると、シャー=ルギィズは自分を掴んでいる手を強い力で掴み返した。そして、さっと身を沈める。
「なっ……!」
 相手の手が外れた拍子に、シャーはワズンの向こう脛を思い切り蹴飛ばしていた。
 彼が悲鳴を上げて飛びずさり、優男の相棒が素早く剣を抜いたがシャーはすでに身を翻していた。
「おい!」
 メイシアに駆け寄り、シャーは慌てて彼女の手を掴む。
「おい、何をまたぼやっとしてんだ! 走るぞ!」
「えっ? あ、うんっ!」
「待て!」
 後ろから声が追いかけてくる。
 メイシアは、先導して走り始めたシャー=ルギィズの後を追いかけた。
「あれ、あんた、一体、どっから湧いてきたの?」
 そんなのんきなことを言われて、シャーは急に気が抜けつつ、
「人をボウフラみたいにいうなよ。散歩してたら、なんか女の子が絡まれてたから見てたらお前だったの! いきなり、喧嘩売ったりするなよなあ」
「喧嘩売ってないよ。事実を指摘しただけだもん」
「それが売ってるってことなの。ったく、ジャッキールのダンナのやつ、喧嘩の売り方と買い方ぐらいちゃんと教えとけよな」
 シャーはやれやれとため息をつきつつ、ちらりと背後を見やる。後ろからわあわあワズンのわめく声が聞こえた。
 連中はそれほど足が速くない。それに、この辺りに土地勘はないようだ。ということは、ちょっとうまく立ち回ればこちらのものだ。
「さくっと、あいつら撒くぜ? ついてきな」
「あれっ、戦わないの?」
「こんなとこで揉め事起こすと、面倒なんだぞ。カワウソの部下がうようよしてるからな。お前気づいてないみたいだが、さっきから、何人もいるんだから」
 シャーは角を曲がってすぐの古い建物と建物の間に隙間を見つけ、そこに転がり込んだ。メイシアが続いてくる。狭い壁の間で、服がこすれる。
「あー、せっかくの服が汚れちゃうよー」
「そんなこと気にしてる場合かってーの」
 シャーはそう言いつつ、メイシアを引き込むと、シッと唇に手を当てる。今度こそ静かにしてもらわなければ。
 路地から足音が響いてくる。ちょうど二人の目の前を、二人の傭兵が一瞬横切っていった。そして、また足音が遠くなっていく。二人は何か声を上げながら、向こうのほうに走っていったようだった。
 しばらくすると、そこには静寂が訪れる。
「よし、これでいけるかな」
 静かになったのを確認し、そう言ってため息をついて、シャーは改めてメイシアの方を見た。
「お前、メイシア=ローゼマリーだよな」
「うんそうだよ。三白眼の人」
 あっ、とメイシアは何かに気付いて声を上げる。
「あ、そうだ。あたしね、この街であんたを狙ってたんだけど、今、あたし休業中なの。だから、襲わないから大丈夫」
「何寝ぼけたこといってんだよ。そんなことはいいっつーの。狙うんだったらとっくにかかってきてるだろ」
 変なことを気にするメイシアだ。それもそうかー、などとのんきにいいながら、
「でも、あんたにはお礼言わなきゃだよね。ありがとうね。えーっと、三白眼の人、名前なんだっけ?」
 きょとんと小首を傾げる。シャーは思わずやれやれと肩をすくめる。
「お前、オレに全然興味ないよな。賞金書いてる人相書きのに名前はシャー=ルギィズって書いてあったろ。シャーでいいよ、シャーで」
「シャーね」
 ああ、と頷いてシャーは身を起こした。
「ほれ、あいつら戻ってこないうちこっち抜けるぞ」
 シャーは、建物の奥の路地を示す。
「うん、わかった。あ、あたしは、メイシアでいいよ。ローゼって名前もあるけど、あれは隊長専用だからね。軽々しく呼んじゃダメだよっ!」
「言われなくても」
 とシャーは前髪をぐしゃりとやりつつ、苦笑した。
「そんな名前なれなれしく呼んだら、あのオッサンに何されるかわかんねーでしょ。基本、めちゃくちゃ過保護なんだからさ、あのダンナ。恐れ多いにも程があるさ」


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