一覧 戻る 進む エルリーク暗殺指令-22 川面が緩やかに揺れる。 彼はそれを、鋭い視線で眺めていた。 王都の運河はそれなりに大きく、川幅も広い。 しかし、穏やかであったとはいえ、それは太内海の海と比べれば狭いものだ。 青い空を映し、都会の気怠い空気を伴い、王都の日は過ぎていく。川面には大小様々な船が浮かんでいるが、そこには様々な国の形式の船が見られた。 彼にとって、そこは異国の河川に過ぎない。 穏やかながら荒れたときは恐ろしさも見せる太内海の港とは、比べ物にならないほど緩やかで狭い場所だ。それでも、何故だろう。久しぶりに懐かしいような感覚を覚える。 それほど、この都は、国際色が豊かだった。まるであの、アーヴェの港にいるような感覚だ。 「ターリク、何を考えている?」 そう言って声を掛けられ、彼は後ろを振り返った。 「ムーサ」 顔なじみの大男がそこに立っていた。男は黒い顔ににやりと白い歯を見せて笑う。大男ながら、その男はどちらかというと知的な印象をいつも見せる。実際のところ、一見冷静そうにみせて、すぐに頭に血が上る彼と違い、その男は常に冷静でもあった。 「何を? 別に、何も考えちゃいねえよ」 「ふん、どうだか」 ムーサは苦笑して、彼の隣に立ち、船べりに寄りかかる。 「結局のところ、お前、後悔しているんじゃねえか」 ムーサにそう言われ、ターリクは舌打ちした。 「何をだ?」 「アーノンキアスの野郎と手を組んだことさ」 ちらりとムーサの大きな目が彼を向く。 「そんなことか。今更だぜ。テメエだって、結局あの時反対しなかったじゃねえか」 「まあな。これを逃せば、目的達成の機会はねえだろう。今更反対するつもりじゃねえよ」 だが、と、ムーサは空を見上げた。 「大体の仕事はもう終えたんだが、しばらく都から外に出られねえだろう。結構危険だなってさ」 「そんなことはわかってるぜ。だが、アーノンキアスの野郎も外に出られねえ。一緒だろう?」 ふっとムーサが俯いて笑う。 「だけど、お前があそこまであいつに許すと思わなくてな」 きっとターリクの表情が厳しくなる。 「そうでもしなきゃ、あいつ等を信用させることができねえからだ」 「まあ、そうなんだけどな。でも、俺はここのところ考えちまうのさ」 ムーサはため息をつく。 「”カピタン”が生きてたら何て言ったかな、って」 ふとターリクが無言に落ちる。 「お前も、そう考えてんじゃねえかと思ってさ」 「しょうがねえじゃねえか」 ターリクは一瞬目を閉じた。 「いねえやつがどういうかなんて、わからねえよ」 「それもそうだな」 ムーサは同調して頷いた。 「どっちにしろ、途中で抜けることなんざできねえからなあ」 「それなら、どうしてそんなことを言うんだよ、ムーサ」 そう尋ねると、大男はにんまりと笑った。 「この街でいると、どうも思い出しちまったんだよ。その”いなくなったやつ”のこと。何故かな、水がそうさせるのかねえ」 お前もそうじゃねえか、そんな風に視線を向けられる。 「何してんだ、こんなところで」 現れてそういった男は、彼らよりもさらに人相が悪い。 「何してたっていいだろう。ここはテメエらの船じゃねえ。俺達の船だ」 ターリクがぐっと男を睨みつけて言い放つ。 「気に食わねえなら、放り出すって、何度も言ってるはずだがな」 「相変わらず鼻っ柱が強いんだな、玄海の狼」 男は舌打ちしながら言った。 「俺は、だが、お前らの”お頭”に呼んで来いって言われたんだぜ。天下の緋色のダルドロス様にさあ」 ターリクは、ふんと鼻を鳴らした。 「その名前、軽々しく使うんじゃねえ」 ターリクはそうすごみながら、歩き出す。その後ろをムーサが無言でついていく。 船の向こうに、背の高い男の姿が見える。西方風の縫い取りのある上着に、東方風の細やかな紋様の帯を締めて、つばの広い羽根つき帽子をかぶった男。 顔を橙色の鮮やかな布で隠した彼こそ、この船の本来の主である、ダート=ダルドロス。緋色のダルドロスのはずであった。 ** 「で、ダンナ、大丈夫なの?」 「ええ、大丈夫よ。すっかり元気になっているわ」 心配そうに尋ねるシャーに、リーフィは何でもないような顔をしてそう答える。 いっそのこと、拍子抜けしてしまうような態度だった。 「オレ、本当にのっぴきならない用事で、ここ数日、様子見に行けてなかったんで、本当心配なんだけど。……気休めはいいからね。本当に、大丈夫なの?」 そんな深刻そうなシャーに、リーフィはくすりとほほ笑む。 「そんなに心配しなくても大丈夫よ。確かに、シャーがお見舞いに行ったときは、寝込んでたけれど、今は本当に元気だから」 シャー=ルギィズが、リーフィの酒場に現れたのは、確かに数日ぶりのことだった。 シャーにしてみれば、確かにのっぴきならない事情があり、宮殿に帰ったせいで数日街に戻れなかったのだ。それは、先ほどのリリエス=フォミカ一味による襲撃とも無関係ではなく、それらを含めて新しい情報を得る為でもあり、それに伴う作戦の打ち合わせのためでもある。 ラダーナやゼハーヴ、カッファ=アルシールやレビ=ダミアスといったいつもの面々。そして、その中に、知らぬ顔でアイード=ファザナーが紛れ込んでいた。 アイードは、そのころにはすでにこの間の威圧感も覇気もなくなっており、河岸での襲撃事件についても全く知らない様子を貫いている様子だったが。 それはともあれ、新しい情報を得て、それをまとめて、新たに作戦を立て直して、としていて数日かかってしまった。その間に見舞いが遅れてしまっていて、シャーはこれでもずいぶんと心配はしていたのだ。 「でも、オレが最後に見舞いに行ったとき、まだ錯乱してたし、錯乱して暴れてるか、薬で鎮静させた反動で寝込んでるかのどっちかだったでしょ?」 「シャーが帰った後ぐらいから良くなったんだけれどね。まあ、蛇王さんとはよく喧嘩しているみたいだけど、大体、いつもの調子だと思うわ」 「うーん、それならいいんだけど」 シャーはそういってため息をつく。 あの後、彼らはアイード=ファザナーの別荘に、治療のためにジャッキールを運び込んでいた。 * アイード=ファザナーの別荘というのは、運河をのぞむ一角にあった。 華美でも豪華ではないが、ソコソコには広く、河に面した庭には船着き場が作ってあり、小舟が浮かんでいる。太内海風の白い漆喰で塗られた建物は美しく、あちらこちらに花が咲いていた。普段は彼も住んでいる風ではないのだが、手入れだけは使用人にさせているようだった。 シャーがその別荘の美しさを知るのは、翌朝明るくなってからのことだが、カワウソの癖に生意気なセンスと言わざるをえない。 そこに運び込まれた時こそ、ジャッキールはまだ気を失っていたが、いざ部屋で寝かせようとしたときに目を覚まし、急に騒ぎ出した。 獣のようだった先ほどまでとはまた違い、完全に混乱状態の彼は、何やら戦場にいるのと勘違いしているような騒乱ぶりだった。 「貴様あ! 殺す!」 「エーリッヒ、落ち着けというに!」 シャーとザハークが力づくで抑え込んでいるが、それにしても力が強い。 しかも、彼の言葉が分かる言葉だったのは最初だけで、次第にそれは何語かわからない言葉になっていき、今では何をわめいているのかすらわからなくなっていた。 「おい、小僧、俺がおさえている内に縄かなにかもってこい!」 「え、えぇ、で、でも……、ちょっと手荒じゃないかな?」 「こんな奴、素手で相手にしていると命がいくつあっても足りん!」 「で、でも……」 意外と冷淡な返事のザハークの言葉にためらっていると、薬の調合の準備をしていたリーフィがシャーの方を見た。 「シャー、蛇王さんの言う通りよ。縄を探してきて」 「え、あ、うん。わ、分かったよ!」 リーフィに気おされる形で部屋を出る。 「縄ったって……なあ。庭とかにあるのかな。まあ、あいつ、腐っても船乗りだし……」 そうつぶやきつつ廊下を歩いている。向こうではジャッキールとザハークが罵倒しあっているようだった。お互い言葉がわかっているのかどうかはわからないが、熱を帯びてきていてザハークもリオルダーナ方言がきつくなっている。まともに聞いているとこちらが混乱しそうだった。 錯乱しているジャッキールを見るのは、別に初めてというわけではない。元々の戦闘狂がたたってか、泥酔するといつにもまして見境がなくなったこともある。そういう場合は話が通じないのだが、今回の彼の錯乱っぷりはそうではないのだ。 (本当に、正気に戻るかな) シャーはふと心配になった。 (盛られた薬は致死量越えてるとか言ってたけど、それだと元に戻らないんじゃ……) 庭に向かいながら、シャーがそう考えていると、ふと玄関の扉をたたく音がした。シャーが顔をあげると、叩いた拍子に扉があいたらしく、その隙間から女の声が聞こえた。 「あら、鍵、あいてるじゃない。不用心ねえ」 女はそのまま扉から入ってきたが、シャーを見つけてにこりとした。 「はぁい」 そこにいたのは、夜に咲く徒花のような女だった。 波打つ金色の髪に青い瞳。お洒落で上品な衣服を身にまとっているが、体にぴったりとしていて妖艶といっていい体のラインを惜しげもなく見せている。整った美しい顔をしているが、紅い唇が色っぽい。そんな美女だ。 「蛇王、ここにいるんでしょう?」 「え、ええ、いますよ」 思わず気おされつつ敬語になってしまう。 「あ、えっと、もしかして、お医者様?」 ザハークが医者が来るから来たら教えろ、と言っていた。それを思い出して尋ねてみるが、医者という雰囲気ではない。 「まあ、この場面ではそういうことね。全く蛇王ったら人使いが荒いんだから。私、本職は医者じゃないのよ」 「本職じゃないって?」 「本職じゃないけど、まあ、多少の覚えはあるわよ。副業みたいなものね」 そういうと、美女はいたずらっぽく笑い、じっとシャーの方を見た。視線が合ったのでシャーは思わずドキリとしたところで、彼女がにこっとした。 「貴方がシャー? ふうん、なかなかいい感じじゃない。もうちょっと大人になって、髭でも蓄えたら似合いそう。三十路以降に期待大よ、アナタ」 「え、ああ、ヒゲ? み、三十路?」 「はい、シャー君、これ持って」 女は混乱するシャーに持ってきたカバンを押し付ける。思ったより重くて、思わずよろける彼を後目に彼女は中に入っていく。 「まったく、エーリッヒ、相変わらず人騒がせな男ね。お部屋どっち?」 「あ、あの、でも、結構錯乱してるみたいで……」 慌て彼女についていきながら、シャーは部屋に案内する。向こうからジャッキールのわめく声が聞こえるが、やはりそれは聞き取れないのだ。 「ああ、あれね」 女は金の巻き毛を右手で弄る。 「大丈夫よ。ちゃんと人の言葉しゃべってるじゃない。獣の言葉から人の言葉話すようになったんだから、間違いなく回復してるわ」 「人の言葉って? え? あれ? でも、何語かどうかも……」 「大丈夫よ。アイツの故国の言葉でしょ? 私も一部しかわからないけど、内容は支離滅裂なわけではなさそうだわ。まー、ちょっと頭が十数年前に戻ってるみたいだけどね」 シャーは目をしばたかせる。 「十数年前って?」 「味方に裏切られたみたいな話、過去の恨み言らしいわよ。まー、アイツもなんだかんだ色々ある男だもの。あんまり気にすることはないわ」 「おお、ルーナ、夜中にすまんな」 ふといつの間にかザハークが目の前に立っていた。扉の向こうを見る限り、結局シャーを待てなかったため、毛布やなにやらを使ってジャッキールをとりあえず制圧しているらしかった。 そんな彼をみやった途端、冷静な彼女がふと頬を赤らめて手を当てる。 「はー、蛇王、今夜も超素敵。なんで、こんなイケヒゲがこの世にいるのかしら」 そんなことを小声でつぶやく彼女を見つつ、シャーはややこの状況についていけていない。 「仕方ないでしょ。蛇王の頼みだもの。でも、こんな夜に淑女をこんな色気のないトコ、呼びつけるものじゃないわよ?」 「はは、それはすまなかったな。エーリッヒから出張代金はぼったくっていいぞ」 ザハークはどうも本気で腹をたてているらしい。 「俺には何を言っているかさっぱりだが、罵倒されていることはわかるからな。リーフィ嬢がいなければ、後ろから射殺してやるのに」 「ちょ、蛇王さん、物騒なこと言わないでよ」 「うーん、何言ってるか、訳さない方がエーリッヒの身の為だわねえ」 ルーナは呆れたように肩をすくめる。 「まあいい。ちょっとぐらい調合間違えてもいいぞルーナ。死ななければ何してもいいからな!」 「はいはい。相変わらずねえ、貴方達」 ルーナと呼ばれたその美女は、どうやら昔から彼らのことを知っているようだった。ふとザハークの方がシャーを見やった。 「そうだ、小僧。縄はもういいから、湯を沸かして来い。心情的には窓から突き落としたいが、リーフィ嬢の手前、一応手当てしないといかんからな」 「いや、イチイチたとえが怖いんだけど……。穏便にしてよ」 シャーはそういうとザハークにルーナのカバンを引き渡すと、自分は水をくむために井戸に向かった。 井戸で水を汲んで、かまどに火を入れて湯を沸かす。作業に集中している間は、ある程度不安な気持ちは忘れられる。しかし、シャーの脳裏にはいろいろなことが浮かんでいた。 とうとう鍋を火にかけてしまうと、その思考が一気に頭を駆け巡る。 医者は本職ではないと言っていた謎の美女ルーナ、一体、ザハークとどういう関係なのだろう。 錯乱しているジャッキール、いつの間にか消えてしまったメイシア=ローゼマリー。 そして、別荘に自分たちを案内しながら、姿をあらわさないアイード=ファザナー。 「カワウソのやつ、……一体、アイツ何なんだ……」 なかなか煮立たない鍋の水面を見やりながら、シャーは考えていた。ふつふつと小さな泡が立ち上る、その一粒一粒をみながら、様々な思いが巡る。 自分は今まで、あの男のことを真剣に考えたことがなかった。 叔父のジェアバードやその友人のハダートなどは、味方になるまでは手ごわい相手でもあった。一つずつ信頼関係を重ねて、今のような関係になったけれど、アイードは違う。アイードは、ジェアバード=ジートリューという叔父がいて、彼がシャーの味方になった故に、いつの間にか味方をしてくれていた。 いつもからかっていたけど、別に嫌っていたわけではない。あの優しい穏やかな性格に、シャーだって幾度となく救われたことがある。会議中、シャーが困ると、うまく話題を変えてくれるのは、いつもアイードだった。頼りないと思ったが、彼の人柄は好きだった。 けれど。 ――あいつが、何を考えているのか、わからなくなってしまった……。 メイシアとジャッキールの間に入った時のアイード=ファザナーは、彼がまるで知らない男だった。七部将、部下としての彼と、その男はまるで違う人物なのだ。 「指輪、どうしよう」 シャーはぽつりとつぶやいた。 「オレ、本当浅はかだな。これだけで全部うまいこといってる気でいたけど……」 シャーはため息をついた。 エルリーク総司令の印章。今まで、それを持っていれば、この難局は乗り切れる自信があった。 (オレが名前を借りちまったから、ジャッキールのダンナも巻き込んだのかもしれないし) ふと、シャーは先程のことを思い出していた。 すんでで思いとどまったが、下手したらジャッキールを殺すところだった。もちろん、そうしなければ自分に危険が及ぶことを本能的にわかっていたからこその行動ではあったが、それを思い出すとなんとなく落ち込んでしまう。 (昔は、ああいうヤツだし、またどうせ殺し合うんだろうなって思ってたけど……) と、不意に目の前の鍋が噴きこぼれはじめていた。 「わわわ、やべっ!」 いつの間にか沸騰していたことに気づいて慌ててシャーは鍋を下ろす。 盥にうつして水を足してちょうどいい温度にしたころに、ふと気づくと屋敷の中は静かになっていた。 (あれ、なんだ、静かすぎる……) 先ほどまで遠くでジャッキールとザハークの罵倒合戦に、ルーナの声が混じっていたと思うのだったが、どうしたのだろう。 急に心配になってシャーは、できたお湯を持ち上げると慌てて部屋へと運んだ。 「あの、湯が沸いたよ、リーフィちゃん!」 そういって部屋に飛び込むと、薬品の香りが鼻を突いた。 いつの間にか机の上に薬草を乾燥させたものが並んでいた。それと重さをはかるものなど薬の調合に使うらしきもの。 妙に部屋が静まり返っていた。シャーの方を見る者はおらず、その視線をたどると乱れた寝台の上だ。 「え……」 シャーはあわてて盥をおくと、黙っているリーフィやザハーク、ルーナを見やる。 「ちょ、これ……」 荒れた部屋の寝台の上で真っ青な顔をしたジャッキールが倒れこんでいた。 「え、まさか……」 シャーが青ざめたとき、あら、とリーフィがようやくシャーに視線を向けた。 「あら、シャー、沸かしてきてくれたの?」 「え、その、お湯は沸いたけど、これ……」 「ようやく黙らせたところだ。ヤレヤレ、体力が有り余っているヤツを相手にするのは疲れる」 ザハークがあきれた様子で汗を拭く。そんなのんきな様子に、シャーはやや慌てる。 「いや、これ、ほぼ死んでない? 息してる感じないんだけど」 「あー、それ、大丈夫よ」 ザハークにかわってルーナがあっけらかんという。 「エーリッヒは、元の顔色が悪いからいつでも死んでるみたいにみえるだけだわ。ちょっとキッツイ鎮静剤くれてやったから、滅茶苦茶深く眠ってるだけよ」 ルーナが例の調子でそんなことを言う。 「超うるさいでしょ、でないと」 「そ、そうなの?」 なんとなくシャーはルーナが信じられずに、思わずリーフィの顔色をうかがってみる。 「ええ、このまま騒いでいると、ジャッキールさんの方も、体力使いすぎて参っちゃうもの」 「それはそうかもしれないけど」 「大丈夫よ、心配いらないわ。ルーナさん、とても優秀な方だもの」 リーフィがそういう。 「あら、リーフィちゃんたら。ほめても、何も出ないわよお」 気をよくしたルーナが、おほほほーと、この場に不似合いに明るく笑い飛ばす。 「だって、あの劇薬をあんなに素早く調合する方は初めて見たわ」 「ふふふ、まあ、昔取った杵柄ってやつ? リーフィちゃんは理解のある子ねー。いいわいいわ、かわいいわー」 ルーナはリーフィの頭を撫でつつ、やや真面目な顔をする。 「ま、あの薬が解毒剤なら、大体エーリッヒが使われた薬も検討つくってもんだけど、とにかく、錯乱するタチの悪いやつなのよね。解毒剤ったって、すぐに効くわけじゃないし、なんていってもコイツもぶっちゃけ毒薬だからねえ。まったく、久々にこういう気持ち悪い薬作るヤツ見たわ」 「リリエス=フォミカという男なのだが……」 「ふん、あの錬金術士クズレの暗殺者でしょ? 見た目も気持ち悪いから、よーく覚えてるわよ」 ルーナは見下したように言いつつ、 「まあ、これでしばらくは落ち着いてると思うわ。今夜は目を覚まさないでしょうけど」 「え、でも、そんなキツイヤツ飲まされてて、体大丈夫なのかな? ほら、こういうの、結構心臓に来るらしいってきくし」 シャーはまだちょっと信用しかねているのか、そんなことを尋ねる。 「ふっ、甘いわね、ボウヤ」 ルーナが笑って言った。 「ぶっちゃけ、解毒剤も鎮静させたの含めて、コイツに使ってるの、全部キッツイ薬よ。確かに常人なら死ぬわ」 「えええ、し、死ぬんです?」 言い切られてシャーが慌てる。 「常人ならって言ったでしょ? よりによって、この男、あのエーリッヒよ。この男の生命力を舐めてはいけないわ。エーリッヒはね、ほぼあいつよ。ゴで始まってリで終わる、台所でごそごそしているあれ。貴方まだ、コイツと付き合いが浅いでしょ? こういってはなんだけど、今までどう考えても死んでる筈の怪我してるのに現役傭兵引退してない化け物なのよ」 ルーナは呆れたような口調で言った。 「ぶっちゃけ、精神はぺらっぺらの紙同然で脆いんだけど、肉体は再生する鋼みたいなものよ。だから、こういってはなんだけど、この程度なら心配するだけ無駄」 ルーナはびしりと告げる。 「むしろ、目が覚めて正気に戻ったら、こっちがドン引きするほど凹むと思うわよ。その、ボロボロの紙切れ同然の精神を心配してあげてほしいわ」 「あー、それか……」 ザハークがうんざりとした。 「うむ、その辺はリーフィ嬢にお願いしたいな。なにせ、落ち込むと面倒なのだ、エーリッヒのヤツ」 ザハークがリーフィに救いを求めて視線を送る。 「んー、でも、見かけによらず、意外と優しいトコあるじゃないの、シャー君」 ルーナが、ふと表情を緩める。 「エーリッヒをこんな心配してくれるの、なかなかいなかったからね。エーリッヒ、目が覚めたら感涙ものよ」 「い、いや、そんな風に言われるほどでもないんだけどさ」 シャーは、ちょっと照れ隠ししつつも、やはり心配そうになる。ジャッキールは昏睡している様子で、彼らの騒がしい会話にも全く反応を示していなかった。 「思い返すと、色々助けてもらってたな、って思ってさ」 シャーはそうつぶやくとため息をついた。 * 「大丈夫よ、シャー」 リーフィに声をかけられて、シャーはふと我に返る。 「ジャッキールさんも、シャーのこと気にしてたわ。自分のことで気に病まれていたら困る、って言ってたくらいだから」 「そうなの?」 「ええ」 リーフィは頷く。 「直接会ってお話したほうが、シャーも落ち着くと思うの。だから、お見舞いに行ってあげるといいと思うわ」 「うん、もちろんそうするつもりなんだけどね」 シャーは軽く微笑む。 「そういえば、今日は私もお昼からお店が休みなの。お昼ご飯の片づけが終わったら自由だから、あとで行くわね 「あれ? 昼から休み? 珍しいね」 シャーが小首をかしげる。リーフィは眉根をひそめて、少し小声になる。 「ほら、今、行商人さんたちが王都に入るのが大変みたいでしょう? ここ数日、関所が閉ざされていたの、シャーも知ってる?」 「ああ、王都の門の取り調べが厳しくて、物資入るの遅れてるんだったっけ?」 「ええ、それで新鮮な食糧が入りづらいの。それで、うちなんかは休んじゃったほうがいいかもしれないってなったのよ」 「え、そうなんだ。そんなところに影響出てるの?」 シャーは内心マズイと思っていた。関所の制限をしているらしいのは知っているが、そこまで影響していると思わなかったのだ。 「前は陸路だけだったけど、今は水門の管理が厳しいんですって。けれど、今日から再開しているから、また明日から入ってくるわよ」 「そ、そうか、それならいいんだけど……」 シャーは、思わず苦笑する。 「私、お店が終わった後、ちょっとお使いを頼まれているのよ。それが終わったら、アイードさんの別荘にお邪魔するから、先に行ってて」 リーフィにそう言われ、シャーは頷いた。 「うん、それじゃ、オレ、先に行ってるよ」 シャーがそう答えると、リーフィはじゃあねと挨拶し、そのまま店に戻っていく。 一人になってしまうと、シャーは急に肩を落とし、ため息を一つついたのだった。 「なんだか、気が重いなあ……」 思わず漏れたそれは、それは偽らざる本音だった。 一覧 戻る 進む |