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エルリーク暗殺指令-7


 その男の名前はどこか奇妙だった。

 青い世界の中、その旗は赤くはためいていた。太内海は外洋に比べて穏やかで、太陽の光も緩やかに暖かく注いでいた。
 彼がその名を聞いたのは、波と風の音の中だった。
 少なくとも、彼にとっては非常に奇妙な名前に思えたのだ。
 別々の言語を少し誤りながらくっつけたような名前だと、彼は当時も思ったが、それは間違っていない。それぞれ別の国の服を、いいところだけ合わせたかのような彼の異装。それと、おそらく彼にとって好ましい響きを集めてつけたであろう名前の響きは、特に矛盾していなかった。
「どうした?」
 男が急に話しかけてきたので、彼ははっと顔をあげた。
 そこにいるのは、やはり不思議な異装の男。子供の彼には、男は実に大きく見えていた。実際の男の年のころは、彼にはよくわからなかったが、随分と年上の大人の男に見えていた。
 先ほどまで散々戦った後だというのに、男は息も切らしておらず妙に涼やかだ。
 男は彼の父親と”手数料”の交渉を終えていた。男は彼らを守ってくれたが、もちろんそれに対して報酬も求める。それを生業としている者たちの長がその男だった。しかし、男の取立ては厳しくはないこともあり、評判は大変良いものだった。
 彼の父は曲者として名を知らしめている成り上がりものの商人だったが、その彼をして交渉に応じる気を起こさせる程度には、その男は魅力的でもあった。
「貴方も見ていたでしょう。僕はとても弱い。部下達を守ろうと思ったのに、あっさりと彼らに負けてしまいました」
 彼はうつむいてため息をついた。
「僕は体が小さいから余計だ。だから、彼等にも子ネズミって馬鹿にされてしまうし……」
 その男はふっと笑った。
「ネズミってのは馬鹿にするにしては怖い動物だぞ、小僧。そりゃあ、アイツらがもの知らずな馬鹿なだけだ」
「え?」
 キョトンとした彼に、その男は覆面の下で笑ったようだった。
「小僧がもし大人になっても、ネズミみたいに小さいままだとしてもだからって弱いとは限らない。俺なら猫よりネズミみたいな男の方が怖いと思うね」
「どうしてですか?」
「どうしてって……、そりゃあなぜなら……」
 男は意外と優しい口調で彼にその理由を告げた。彼にとって、その男は英雄そのものに見えた。


 男の頭上で赤い旗がはためいていた。その旗には、短剣が四本描かれていた。
 彼はその光景とその男の名を、それ以来忘れたことがないのだ。

 その男は、ダート=ダルドロス。人呼んで”緋色のダルドロス”といった。
 
  *

「ひ、緋色のダルドロス?」
 アイードがそう反芻する。
「そう、緋色のダルドロス。懐かしい名前じゃねえか」
 ゼルフィスにそういわれて、彼はちょっと困惑気味に顎を撫でた。
「ま、まあ、懐かしい名前には違いないけどさ」
 アイードが呆れたように言った。
「しっかし、なんでまた、今頃……。もう、名前すらきかなくなってたのに」
「それは私が聞きたいね。でも、おもしれえじゃん?」
「何がだよ。厄介ごとが増えるだけだ」
 楽しそうなゼルフィスとは対照的に、アイードはややうんざり気味だ。
「なんだい、そのタルそうな名前の奴」
 全く聞いたことのない名前だ。
 おいて行かれ気味のシャーがそう何気なく口にしたとき、いきなりゼダが飛び込んで来た。
「ちょっと、お前! ダルドロスのこと、タルイ名前とかいったな!」
「え? な、なんだよ?」
 シャーは、ゼダの剣幕にややおされつつ尋ねる。
「なんだ、知ってるのかよ? 知り合い?」
「当たり前だろ」
 ゼダはやたらと胸を張って頷いている。
「ダルドロス知らないとか、もぐりだからな」
「オレは、知らないけど」
 なにっとばかりにゼダが睨み付けるのを、アイードが遮るようにしていった。
「いや、三白眼さんは一昔ぐらい前、こっちいなかったでしょ。知らなくて当たり前ですよ」
 シャーの無神経な発言で空気が悪くならないようにと、アイードが妙に気を回す。確かにシャーはそのころ東方遠征に参加していたので、王都周辺はおろか、いたのと反対側の西の沿岸部のことなど知る由もないし、正直興味もあまりなかった。
「へえ、有名人なんだ」
「まあ、私掠船の親分っていうか、ぶっちゃけアイツら海賊だったんですけどねー」
「ダルドロスは、むしろ義賊!」
 アイードがそういうとゼダがすかさず入り込んできた。
「正直、うちの国のヘタレ水軍より、よっぽど頼りになるしかっこよかったんだからな!」
「あー、確かにうちの国は、陸戦力はともかく、海の方は……」
 シャーがわざとアイードをチラ見しながら、そんなことを言う。むっとするアイードだが、ここで乗るわけにもいかないので、こほんと咳払いしながら睨み付けた。
「ザファルバーン水軍は、いつも真面目に活動しているし、評判のいい軍隊だと思いますけど……」
「へー、そうなの。詳しいねー」
 シャーがわざとらしくそういう。
「そりゃー、こう見えても元船乗りですからね」 
 別に嘘ではない。陸でも戦えるが、アイードだって一応船に乗っていたことはあるのだ。海戦の業績があんまり目立たないだけで。
「まー、うちがヘタレなのは事実だけどな」
「ちょっ、お前……」
「それは事実だからしょうがねえとしてだ」
 ゼルフィスが身も蓋もないことを言って、アイードの反論も押さえつけ、ふとゼダを見やった。
「なんだい。お兄さん。ダルドロスのこと知ってるのか?」
 ゼルフィスに尋ねられ、ゼダは深く頷く。
「もちろん。実際、オレは本人にもあってるからな」
 妙に誇らしげに彼は答えたものだ。その様子は、最近なんだかんだいいつつ付き合いが長くなってきたシャーにとっても、珍しい表情ではある。
「オレの実家は、もっと西の方の太内海のほとりの出身だからさ。餓鬼の頃は、商業都市チェナンザによくいて、船でザファルバーンと行き来していたものさ。交易が盛んってことは、当然悪党も多いわけでさ。で、商品満載の船走らせてりゃ、そういうヤカラはどうしても近寄ってくる。一回オレが船に乗ってる時に、海賊に襲われたことがあったんだよ」
 それは、今から十年ほど前にさかのぼる。



 その時、彼は太内海に浮かぶ船の上にいた。
 十年ほど前というと、ゼダはまだ正真正銘の子供だった。今でも童顔の彼だが、当時はもっと背も低く、同年代の子供からしても小さく見えた。
 そのころの彼は絵にかいたような純粋無垢なお坊ちゃんで、今のように裏表のある男ではなく、今では考えられないが天使のようだと使用人達からほめそやされる少年だった。
 ゼダの父はチェナンザの貧乏商人からザファルバーンとの交易で成功して財をなした男であり、今は王都にほぼ定住しているが、当時は船でチェナンザとザファルバーンの港を往復していた。
 ザファルバーンは大河や湖を利用した運河によって太内海とは反対側の大外洋につながっている為、古来より交易の中継地点として栄えた経緯がある。金と人の集まるところには悪党も寄り付くわけで、当然、海賊の多い場所でもあった。それに対して各国も指をくわえてみていたわけではないが、いわゆる私掠船を黙認することで抑え込むことも多く、国や領主と実質的には契約したものもいた。アイードの先祖などもそうで、ファザナー家の始祖自体が私掠船の船長上がりだった。
 その日、大量発注をこなす為に、商品を満載して船出したカドゥサの船は二隻あった。
 その一隻に、たまたまチェナンザに滞在していた幼い頃のゼダがザフやザフの父と共に乗っていた。
 ゼダは船旅が意外と好きだった。彼にとって船旅はいい気分転換になった。
 唯一の男子であった彼は、実家にいると父の妻や妾達にいびられるのが常だったので、船の上でいる方が気が楽だったのだ。自分を跡取り息子としか見ておらず、愛情を注がない父とは当時から不和ではあったものの、乗る船が違うので関わり合いになることは少ないのも良かった。ゼダはそのような理由から、なるべく父が移動するときに一緒に船に乗ることが多かった。
 しかし、商品を満載して船速の遅い船は、海賊たちにとって格好の獲物だった。
 ゼダの父もそれがわからぬわけではなかったので、警戒は十分になされていた。しかし、悪天候もあり、予定と違う海路をとることになったことが運の尽きだった。
 海賊たちの横行する海域に入り込んでしまった彼等は、やはり見逃されることはなかったのだ。
 乗り込んで来た海賊たちにあっという間に船は制圧された。ゼダも海賊たちの前に引き出され、甲板の上に立たされた。
 ザフは当時から気が短く、ゼダを乱暴に扱う彼らに反抗した。しかし、ザフも当時は十をいくらか過ぎたばかりの子供で、屈強な男たちにかなうはずもない。
「やめろ!」
 慌ててゼダが間に入るが、抵抗むなしく首根っこを掴まれてしまった。
「なんだ。この子ネズミみたいな奴」
 意に介さない様子で男が言った。「坊ちゃんを離せ」とつかみかかるザフは踏みつけられ、ゼダは吊り下げられたままだ。圧倒的な力の差があった。
「坊ちゃんだかなんだかしらねえが、売り飛ばしても大した金になりそうにねえな」
 ぐっとゼダは唇を噛んだ。こんなに簡単に押さえつけられたことが、悔しくて仕方なかった。自分はあまりにも小さく、あまりにも無力だ。
 しかし、その時。不意に声が空から降ってきた。
「それぐらいにしておけよ!」
 そう、それは降ってきたという表現がぴったりだった。それで反射的に、皆がその声の方を見た。
 本当にいつから彼はそこにいたのだろう。一目でその存在を認識できるほどに、彼は目を引く存在だったというのに。
 いつの間にやら、逆光を背負ってマストの上に誰かが立っていた。どうやら一人の男らしい。
「餓鬼苛めて悦にいってる暇があったら、後ろでもちゃんと見ることだぜ」
 そういうと、それは手元にある縄を手にしてそのままするりと目の前に降りてきた。
「野郎!」
 ゼダを掴んでいた男が、彼を離して振り返りざま襲い掛かる。が、その人物は甲板に着地したと同時に身をひるがえした。短い黒いマントが翻り、男を軽くいなすと同時に剣を抜く。まるで踊るようにしなやかに彼は足を運び、いつの間にか男を倒していた。
 彼は、ゼダの目の前に立っていた。
 彼は明らかに異装を纏っていた。
 黒く短い片マント、纏う上着は派手に飾られた丈の短いものだ。北西の国の闘牛の祭りで使われていると絵で見たものに似ていたが、ゼダにはその真偽はわからない。ただ、その腰に巻いてある帯は東方風の意匠が凝らされ、目から下を隠すスカーフもまた同じ東方風のもの。頭にも綿織物がまかれていたが、彼はその上に黒いつばの広い帽子をかぶっていた。それには豪奢なターバン飾りをつけており、その赤い羽根飾りが海風に揺れている。
 西と東と様々な文化の服を好きなものだけ引っ張り込んだ混沌とした服装をしたその男は、しかし、巨大な存在感を放っていた。
 その男の背後にもう一隻船が見えていた。船に掲げられた旗は真っ赤に染め抜られ、そこに四本の短剣が描かれていた。
「ダ、ダート=ダルドロス!!」
 海賊の一人がそう叫んだ。
「緋色のダルドロスだ……」
 不意にそばにいたザフがぽつりとつぶやいた。
「緋色の、ダルドロス?」
 その奇妙な自分の名前を、彼は耳にしたのかどうか。男はちらりと振り返り、覆面の下で引きつった笑みを浮かべたように彼には見えた。
 それは、ゼダにとって、”緋色のダルドロス”という男が特別な存在になった瞬間でもあった。
 

 ひとしきり語り終えて、ゼダはやや興奮気味に言った。 
「もう、何というかすっげーかっこよかったんだから!」
「はいはい、わかったわかった」
 子供のように憧れを語るゼダに対して、シャーはやや冷めた様子だ。
「でも、十年前の話なんだろ。なんで久しぶりに名前がきけたってなるんだい」
「そりゃー、それからちょっとしてから、急に名前聞かなくなって……」
 聞かれてゼダは、急に声を落とす。
「なんか、アーヴェの海賊と争って殺されただの、縛り首になっただのって噂があったりしてよ……。いや、調べたけど、それ以上はわからねえんだが……」
「え、そうなの?」
 シャーはアイードに視線を送る。
「まあ、巷じゃそういわれてますね。実際に、それぐらいから姿も見なくなりましたし、名前も聞きませんし」
 アイードは顎を撫でやる。
「縛り首になったのがどうだか知りませんけど、まあ、死んでるんじゃないです?」
「絶対に死んでない!」
 ゼダがアイードに食ってかかる。
「そんなチンケな罠にはまって死ぬような人じゃなかった!」
「そんなこと言われても、所詮海賊だしなあ」
 アイードは困惑気味だったが、このままゼダを刺激するのもどうかと思ったらしく、ゼルフィスに視線をやった。
「あ、で、そのダルドロスが今度は何だって? 偽物騒ぎは数年に一回ぐらいあったけどよ」
「さっきも言ったろ。川で不審な船を拿捕したんだ。ソイツらは、どうも頼まれて運び屋してたらしいんだけどよ。積み荷がねえのさ」
「積み荷って、なんだ? 何か密輸品とか?」
「いんや、多分人間」
 ゼルフィスは、手を振った。
「陸路で王都に入ろうとすると、城門での身体検査があるからよ。脛に傷もつ奴は入れない。だから、船で積み荷のふりして川を遡上してきたってわけさ」
「なるほどな。いや、一応それは心配してたんだけどさ。積み荷がないってことは逃げられたのか?」
「ああ、ただ積み荷を運んでたやつらは捕まえた。そいつらは頼まれてヒトを運んだっていうんだよな。運んだのは、当然よからぬ連中だが、どうもそいつらが太内海の海賊繋がりでさ。アーノンキアスって知ってるだろ? アイツの部下みてえでさあ」
「ああ、海賊横丁アーヴェの”王様”んトコの舎弟だな。確かに割と大物だけど、あれぐらいの奴なら、王都にお忍びてきててもおかしくないけど……」
 とアイードは答えつつ、ちょっとまずいことになったとは思っていた。
 海賊まがいの連中が入り込んできているということは、治安的に問題だ。もしかしたら、何かラゲイラ卿絡みで上洛してきたとも限らないのだ。
 そしてどうも視線を感じると思ったら、シャーも同じことを思ったのか、アイードに呆れたような視線を送ってくる。
「し、しかし、アーノンキアスとダルドロスに何のかかわりが……」
 ごまかすようにアイードはゼルフィスに質問する。
「そのアーノンキアスを運んできたのがダルドロスだっていうのさ。そいつらが言うにはだけどな」
「ええ?」
 きょとんとしたアイードに対し、ゼダがむっとした顔になった。
「まさか、ダルドロスはそんな奴等に加担するような男じゃない」
「私もそう思っているが、連中はそういってたってことだ」
 ゼルフィスはあくまで冷静に答えるが、どこか面白そうだ。
「なんでも”本人”もきてるらしくてよ、河岸(かし)にダルドロスの旗掲げた船が泊まってるの見たって話もしてたぜ。なあ、大将、俄然面白くなってきやがったろ!」
「お前なあ」
 アイードは、うんざり気味にため息をつく。しかも、後ろからの視線が気になる。
 お前に国の警備、任せて本当に大丈夫なのかよ! というシャーの視線だ。
(畜生、三白眼ボーヤが珍しく”お仕事”中の面してやがるし、コレは後で追及されちまう。あああ、なんだってこんな時にこんな話持ち込んでくるんだよう)
 アイードは頭が痛くなってきたが、とりあえず額の汗をぬぐいつつため息をついた。
「んー、まあ、それじゃあ、河岸を一応捜索してもらうとして……。後は、えーと、奴等のいそうなところとか、目的がなんなのとか、調べるという感じに……」
「安心しろ、そういうのはすでに指示してある」
 すかさずゼルフィスがそういう。さらに心証が悪くなったようで、シャーの視線が冷たくアイードに突き刺さる。
 と、その時、ふとゼダがだっと立ち上がった。
「その河岸って、川にある一番でっかい船着き場だよな?」
「ああ、そうだけど」
「わかった!」
 ゼルフィスが答えると、ゼダはだっと店の外に駆け出して行った。
「あ、ちょっと……っ!」
 アイードが追いかけて店の外に出て、声をかけてみるが、ゼダはきいている様子もなく、すでに走り去っていった。
「あーあ、あいつ、割とマジだな。あの反応」
 隣で追いかけてきたシャーが呆れたように言う。
「変なトコで熱くなりやすいんだよなー。そんなに尊敬してる英雄かなんかだったのかね?」
「お友達なら、止めてあげてくださいよ」
 アイードが困ったように言った。
「海賊(アイツ)らに関わるとロクなことないし、大体、船着き場にゃ、それなりに船がありますから、そうやすやすとわかるとも思えませんし……」
「あのネズミは友達じゃないっつの。大体、丈夫いから大丈夫だよ」
 シャーが不機嫌に言い捨てた時、ちょうど反対の道から買い物帰りのリーフィとマディールが歩いてきた。
「あれ、どうしたんです? お揃いで……」
 マディールが抱えた荷物を運びこみながら、怪訝そうな顔になる。リーフィが彼に卵などが入った籠を預けながら、小首をかしげた。
「シャー、何かあったの? こんなところに出てきて……」
「あ、おかえりなさい。いや、ちょっとねえ、ネズミの奴が……」
 シャーがそう言いかけた時、ぬっと店の中からゼルフィスが出てきた。
「ってことで、ちょっと邪魔したぜ、大将。コイツは駄賃がわりにもらってくわ」
 そういいながら、ゼルフィスの手にはアイードが焼いた菓子があって、早速一つもぐもぐ食べている。
「ああ、悪いな。俺もまた落ち着いたら戻るから」
「いいって。たまには息抜きしたいんだろ。それに、私はあんたの作る菓子もたまには食いたいしな」
 男前にそんなことをいい、ゼルフィスは、ふとリーフィに目を留めた。
「お、お客さん? ああ、もしかして大将手伝ってくれてるっていうコかい? 話にはきいてるよ」
「ええ、リーフィです」
 そう挨拶すると、ゼルフィスはにっこりとする。
「そうか。私はゼルフィス。大将の事よろしくな!」
 そういうと、ゼルフィスは、じゃあなといってスタスタと去っていく。その颯爽とした後ろ姿を見やりながら、シャーはため息をついた。
「な、なんか。嵐みてえな兄ちゃんだな……」
「ええ、まあいつもああなんで、疲れるんですよね」
 アイードが追随してやれやれと言いたげに首を振ったとき、リーフィがぽつりとつぶやいた。
「素敵……」
「え?」
 シャーが思わずきょとんとすると、リーフィがなにやら両手を組み合わせてゼルフィスの後ろ姿を見つめていた。とはいえ、リーフィのことなので、表情にはほとんど出ないのだが。しかし、ほんのすこし頬が染まって、ほんの少しだけ目つきがうっとりとしている……気がするのは、付き合いの長いシャーだからわかることだが。
「ゼルフィスさん、格好良くて素敵な方ね……」
「ええっ!」
 シャーは、慌ててリーフィと去っていくゼルフィスの背を見比べる。
「ちょ、リーフィちゃん」
「私も、あんな風なの、憧れるわ」
 もう一度そんなことを言うリーフィだ。
 シャーの中で、一気に嫉妬の炎が燃え上がってくる。
(なんだよ! 滅多にそんなときめかないのに、よりによってあんな元気なだけが取り柄の兄ちゃんに……。い、いや、顔もいいけどさ! いや、人間所詮顔か! それだったら、オレに勝ち目ないし! こん畜生!)
 あっという間にそんな思考を巡らせているとも知らず、リーフィは無邪気に尋ねてきた。
「あら? シャー。いつの間にか、ジャッキールさん達もいないし、ゼダもいないみたいだけれど、どこに行ったのかしら?」
「しらなーいよ」
 シャーは、あからさまに拗ねたような口ぶりになった。
「あれ? 何拗ねてるんです?」
「オッサンたち戻ってくるの遅いから、ちょっと探しに行ってくる!」
 そうぶっきらぼうにいって、シャーは先ほどジャッキールとザハークが消えた方向へと歩き出した。
「シャー、どうしたのかしらねえ」
 リーフィが怪訝そうに小首をかしげるが、アイードは思わず笑いだした。
「はは、リーフィちゃんがゼルフィスのことをカッコイイって言ったもんだから、ヤキモチやいてんのさ。あれは」
「まあ、そうなの?」
 リーフィは少し驚いた様子になった。
「シャー、普段は勘がいい方なのに気づかないのかしらねえ。あの人は、どうみても……」
「はは、リーフィちゃんは流石だね。アイツの”コト”、すぐわかったんだ」
 アイードが感心したようにいうと、ええ、とリーフィは頷いた。
「ええ。でも、男の人には意外とわからないのかしらね。とっても素敵な装いしてるから、”彼女”」


 そんな会話をされているともつゆ知らず、シャーはブツクサと文句を言いながら歩いていた。
「ちぇっ、せっかくリーフィちゃんに久しぶりに出会って癒されようと思ったのに。何故かカワウソ野郎がいるし、ネズミは走ってっちゃうし、ダンナと蛇王さんもなんかおかしいし、オレは道歩くと見知らぬ女の子に襲われて面倒だし。おまけに、カワウソが仕事サボってる間に、変なの王都にいれちゃうし……。アイードの奴、リーフィちゃんいなくなったら問い詰めてやっからな」
 とりあえず、リーフィがいなくなってからなのだが。だが、アイードもおそらくリーフィがいなくなると怒られるのがわかっているので、なかなかスキを見せないだろう。リーフィをあくまで盾にするに違いない。
(あのカワウソの野郎〜!)
 せっかく仕事を忘れる気分で遊びに来たのに、これでは仕事の続きみたいだ。
 シャーはため息をつきながら、道を歩く。先ほど、ジャッキールとザハークはこのあたりの角を曲がっていったと思うのだが……。
(しかし、遅いな。どっかで命がけの決闘とかしてなきゃいいけど……)
 真剣に心配にはならないが、あの男たちのやることだ。今はこの街で穏やかに暮らしている二人だが、元々、それなりにヤバイ気質があるので、いきなり火がつきかねないとシャーは思っている。
 そんなことを考えていると、目の前からザハークが歩いてきた。
「あ! 蛇王さん! どこに行ってたのさ!」
「おう、すまなかったな。ちょっと色々あってな」
 ザハークはそういって笑ったが、普段の無邪気な陽気さはなりをひそめているようだ。
「あれ? ダンナは?」
 ジャッキールがついてきている気配はない。シャーがそう尋ねると、ザハークは苦笑した。
「ちょっとあってな。先に帰った」
「え? そうなの? あんなにお菓子楽しみにしてたのにさ」
「ああ」
 ザハークは頷いて、ふと少し真面目な顔になった。
「それはそうと、できたらお前に頼みたいことがあるのだがな……」
「へ? オレに?」
 急にザハークにそんな風に振られて、シャーは思わずきょとんとした。
「何さ、急に改まって……」
「いやなに。大したことではないんだが……」
 とザハークはごまかすように笑う。
「エーリッヒが何かしでかさんうちに、アイツを止めてやってくれんか」
「え?」
 軽く言う割には、意外と重い頼み事でシャーはあっけにとられる。しかし、それにも構わず、ザハークは相変わらず軽い調子でつづけた。
「アイツは俺が何言っても素直にきかんからな。だが、お前が言えば多少は響く。アイツを止められるとしたら、お前ぐらいなものだと思ってな」
 冗談かと思ったが、どうもザハークは冗談を言っている風ではない。相変わらず何を考えているのか分からない彼だったが、意外にも今日は真面目な気配があった。
「ちょっと手を貸してくれんか?」
 そう再び尋ねられたシャーは目をしばたかせた。
「ああ、いいよ」
 そう答えておいて、シャーはなんとなくちょっと不安な気持ちになったものだった。

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