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シャルル=ダ・フールの暗殺
8・シャルル=ダ・フール-4


「ザミル王子……あなた!」
 黙っていたラティーナが弾かれたように悲鳴のような声で叫んだ。
「自分でやっておいた上であたしを騙したの! なんて人! 信じられない!」
「あんなお人好しだけが取り柄の兄に国をとられるのが嫌だったからだ!」
 ザミルはとうとうそう言った。
「あの兄がいるおかげで私はいつでもあいつの影だ。私の方があいつよりも才能があるにもかかわらず、あいつがいる限り、表舞台に出ることはできない! だから殺してやった! あいつさえ死ねば、王位は私に転がり込むはずだったのに!」
 ザミルは、やや狂気すら感じる目をシャーに向けた。
「貴様が悪いんだ! 貴様がすべての権勢を奪っていった! 貴様などに全てを奪われるとは思わなかった! 貴様のようないい加減な男に!」
「やれるもんなら、こんなしみったれた国の玉座なんかくれてやってもよかったぜ!」
シャーは抑えた声で言った。
「何い!」
「こんなどうでもいいような権力ならくれてやってもよかったといったんだよ。……てめえが信用に足る人間だったらな!」
「貴様あ!」
 激したザミルが、思わず剣の切っ先を半分だけ血のつながった兄に向ける。シャーは、表情を崩さなかった。すこしだけ口許をゆがめただけである。
「ほほう、オレに勝負でも挑むつもりか、ザミル」
 シャーは、刀の柄を握り直す。しゃりんと音が鳴り、彼はわずかに足を引いた。
 ざっと周りにいたザミルの護衛達が、動きを取る。
「殿下……!」
 立ち上がるカッファに手を振って、シャーは刀を大きく振って肩にかけた。
「ザミル、オレはお前よりは馬鹿だろうぜ。……確かにこんな多勢に無勢じゃ、いつかオレの剣は折れるかもしれないし、オレの体力だってやばいし、おまけに兄上が人質に取られているんじゃろくろく動けない。なのに、こんな風に余裕があっちゃったりなんかしてな、……ますます馬鹿だと思っているだろ?」
 笑いながらシャーはそういって、意味ありげな目を彼に向けた。
「でもな、馬鹿なオレでもお前より少しできたところもあるんだよ。……な、ザミル」
「何がいいたい!」
「そういきり立つな。オレを切り刻む前に、もう一度後ろを見てみてもいいじゃねえの? 客人がお待ちかねだ」
「後ろ、だと?」
 シャーの視線は、ザミルを突き抜けて後ろにのびている。ザミルは、思わず驚いて背後を見た。いくつかの扉の一つが開いていて、そこに長身の伊達男がにやにやしながら立っているのが見える。
「ハダート=サダーシュ。ようやく来たのか!」
「はい、城は私の兵によってほぼ支配されています。ご安心下さいザミル様」
 ハダートは、相変わらず丁寧な物腰の振りをしている。慌ててカッファが声をかけた。
「ハダート! 貴様、まさか裏切ったのか!」
「人聞きの悪いことはいいっこなしですよ、宰相殿」
 ハダートはへらりと笑った。
「ええい、一度は見直していたのに、貴様という奴はッ! 一体全体、殿下に何の恨みが!」
「カッファカッファ、落ち着いて。なあ、ハダートちゃん」
 シャーは急に苦笑いしながら、カッファの方を押さえる。そして、シャーはにんまりと笑いながら、ハダートに呼びかけた。そして、にんまり笑いながら、こう聞いた。
「おたく、どっちの味方しにきたの?」
「嫌ですね」
 ハダートは、含み笑いを浮かべた。その瞬間、彼の背後から彼直属の兵士達の鬨の声が聞こえた。
「ちょっと早かったかな。……もう少し引き延ばしたかったんだが」
「何をいっている?」
 ザミルが不審そうにハダートを見る。と、不意に、ザミルの後ろで悲鳴が聞こえた。はっと振り返ると、この部屋に入り込んでいたザミルの連れてきた兵士の何人かが、突然仲間の兵士に斬りかかったのだ。その間にハダートの背後から、数人の戦士達が忍び寄るように入ってきて、すでに少なくなっていた室内のザミル側の戦士達を駆逐し始める。
 驚いてハダートをみたザミルを、彼は嘲笑うような綺麗な笑みで迎えた。
「シャルル陛下も人がお悪い。私のような正直者を捕まえてそれはないでしょう?」
「ハ、ハダート=サダーシュ!」
 噛みつきそうな顔で、ハダートを睨み付けたザミルだが、ハダートは少しの怯えも見せない。
「すみませんねえ、ザミル王子。どうやら情勢が変わったみたいでして」
 そういってハダートは、壁に肘をあててほおづえをついている。
「…………貴様、裏切りを!」
「ははは、ご冗談を? 私は、常に状況を見て判断する男ですよ? あなた様がもっと優勢ならば味方になってやっても良かったんですが……」
 そういってハダートは、くくくと軽い笑いを浮かべた。
「そこにいるお方が間に合った時点で、私の決断は一つに決まっていたのですよ」
忍び込むように入ってきたハダートの戦士達が、いつの間にかザミルの私兵達を反対側の部屋に押し入れていた。ザミルのそばには兵士はほとんどいなくなり、彼は孤立した状態で、周りを見回した。くっと歯がみをし、彼は抜いた剣をシャーの方にむけた。
「おのれ! 貴様! シャルル! 最初からわかっていたのか!」
「ジョーダンじゃないよ。オレがいくら勘がよくても、ハダートちゃんの考えはあまり読めないのよね。……オレが頑張って走ったご褒美だと思って欲しいな」
「もういい! 破れかぶれだ! お前だけは殺す!」
 ザミルはそういって剣を軽く振るった。
「潔くない奴だね、お前は――」
 シャーは、少しだけ笑いながら立っている。ザミルが動いたため、ハダートの連れてきた兵士達が慌てて武器を構えようとした。が、その時、シャーが左手を広げて命令した。
「手を出すな!」
 シャーはりんとした声で言った。
「し、しかし、殿下!」
 心配そうに声をあげたカッファに、シャーは鋭い声で言った。
「これはオレが始末をつける!」
ザミルは不意に切っ先を下げ、そのままそうっと歩き始めた。シャーは動かない。ただ、切っ先で地面を指したまま、凝然とたたずんでいる。ザミルは、時計回りに、ちょうど切っ先の示す交差点を中心にして、円を描くように歩きながら相手の好きを探る。ザミルは、刀を持つ手を入れ替え、それから構えを変える。シャーは相変わらずのままだった。
 この部屋を照らしているいくつもの灯りの炎がゆらいだような気がした。
 その時、ザミルが動いた。奇声を上げながら飛び込んでくるザミルの刀の切っ先を、止まっているものを見ているように眺めながら、シャーはそこに立っていた。
「シャー!」
 ラティーナの声が飛ぶ。
 すっと、シャーの刀が上を向いた。ザミルはそのまま飛び込んでくる。切っ先はまっすぐにシャーの左胸だ。あわや触れそうになるまでシャーは一切動かなかった。ただ、不意に彼が唇を動かしたのがわかった。
「甘いんだよ……」
 シャーの声がしたかどうか、ザミルにはわからなかった。シャーの体に切っ先がかかるかどうかというところで、急にシャーは左肩をひいてそれを避けた。ザミルが焦燥に襲われる頃には、シャーの右手に握られていた刀はザミルの眼前にぎらりと輝いていた。そのままその光はザミルの剣を一気に跳ね飛ばした。うまく折れたのか、ザミルの刀の切っ先と、柄の部分がそれぞれ別の場所に飛ぶ。
 右手を軽くおさえて、ザミルは上を仰いだ。シャーは、ただ黙って冷酷に、ザミル自身に切っ先を向けていた。
 咄嗟にザミルは叫んだ。
「……あ、兄上、待ってくれ! 実の弟に手をかけるのか! 半分とはいえ、血の繋がった兄弟だろ!」
「……黙れ」
 シャーは冷たく彼を遮る。
「その血を分けたラハッドをお前は殺した!」
「ラ、ラゲイラに唆されたんだ! わ、私のせいじゃない! 兄上! 頼む!」
「……兄上?」
 シャーは聞きとがめるようにもう一度繰り返した。
「今、オレを兄上と呼んだのか?」
 シャー、いや、シャルルは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「オレを兄上と呼んだのは、何度目だ? いいや、兄と呼んだことはなかったな、ザミル」
 ふとザミルは口を閉ざす。シャーは、激しい怒りの色を帯びた目をザミルに向け、突然声を荒げた。
「てめえの都合だけでべらべら喋りやがって!お前のせいで、何人の人間の運命が狂ったと思っているんだ!」
 シャーが本気で怒るのを、ラティーナは初めて目の当たりにし、思わず身が竦むのを感じていた。シャーは、激しい口調で続けた。
「オレはな、王位なんててめえらにとっととくれてやってもよかったんだよ! なんで、オレが戻ってきたかわかるか! お前らが、勝手に殺し合いやがったからだ!それを止めるのに、オレは呼び戻された。本来なら、オレは王位につくような男じゃないし、そんな器じゃねえ! お前がラハッドを殺しさえしなければ、オレは王なんかにならずにすんだ! あの娘は、こんなことに巻き込まれずにすんだ! あの娘がどれほど辛かったか、てめえにはわかるわけねえよな!!」
 ザミルは震え上がっていた。真っ青になり、がくがくと肩を震わせている。あの冷酷さも横柄さも、無残なほどにそこにはなく、ラハッドに似た穏やかそうな顔がかえってこの場で哀れを誘った。
「……やめてくれ!殺さないでくれ!」
 シャーは、異母弟を忌々しげににらみつけた。刀を握った手が、怒りのためなのか震えている。
 きっと、シャーはそのままザミルを殺すだろう。ラティーナはそう思った。シャーはしばらく小刻みに震える切っ先をザミルに向けたまま、冷たく輝く瞳をそののど元に向けていた。しかし、やがて、シャーはその殺意にぎらつく瞳を隠すように、ふとそのまぶたを閉じた。そのまま剣を引く。そして、彼はザミルに背を向けて歩き出しながら、後ろに向けて叫んだ。
「ハダート!」
 いきなり呼びつけられて、さすがのハダートも少しだけびくりとする。それほど、シャーの口振りがいつもと違ったからであるが、ハダートにはそれを追求する間も雰囲気も与えられなかった。
「連れて行け。後の始末はお前の独断に任せる!」
「わ、わかりました」
 応えながら、そういうシャーの顔が、半分は怒りに燃え、半分は暗く沈んでいるのを横目で見た。彼とて許したわけではないのだろう。ただ、シャーには曲がりなりにも血の繋がった弟を殺すことができなかっただけだ。そして、自分に命令を下してきたのは、多分ハダートがそれなりに自分の意を汲むだろうことを予想してのことである。
(そんな損な役回りばかり押しつけてくるなあ、あんたはよ。)
 ハダートは兵士にザミルを連れて行くように命令しながら、わずかに笑った。
「兄上! 命だけは助けてくれ!」
 ザミルが最後に、もう一言だけ無様に叫ぶのがシャーにもおそらく聞こえていただろう。ハダートは、兵士とともに部屋の外にでて、そして扉を閉めた。
「ザミル殿下。今更見苦しいじゃありませんか……」
 ハダートが冷たくいいながら、そしてにやりと笑った。
「オレがあんたの兄上なら、間違いなくあそこで殺してるけどな。自宅謹慎ですませようって思っているんだよ、あの三白眼はさ」
 と、彼はなれなれしくザミルの肩に触れた。それから、寒気のする様な冷徹な目を彼に向けた。ザミルは、思わず声を飲み込む。
「あの馬鹿はまだあんたに温情をかけるつもりだ……。だが、二度目はないぜ。……今度なにかあったなら、アレが気づく前に、オレがあんたを殺す」
 ハダートは低い声で脅すようにそうささやくと、きっと部下に命令する。
「とりあえず屋敷に送り返して幽閉しておけ」
 ザミルは言葉を飲み込んだまま、声を立てなくなった。それを部下達が引っ張っていくのを少しだけ見送り、ハダートは肩を軽くすくめて扉をあけて中に入った。
 その途端、ガッシャアン、と派手な音が鳴ったので、ハダートは思わず肩をすくめた。護衛の兵士も、自分の部下もいなくなった部屋の中で、シャーは、抜いた刀で、先ほど真っ二つにされた机を蹴り倒して、それをさらに叩ききっていた。思わずハダートは息をのむ。かつて、彼が一度だけ荒れた時を思い出し、ハダートは戦慄した。
「あの野郎!」
 シャーは、歯を噛みしめながらいった。
「なんで、兄弟で殺し合いなんかしなきゃいけねえんだ! あのクソオヤジ! 生きてやがったら、オレがトドメを刺してやる!」
 シャーは、もう一度テーブルを蹴った。サンダル履きの足の指から血がにじんでいたが、それにすら気を止めなかった。誰もシャーを止める者はいない。いつもは、怒りなど表には出さない彼を、止める権利はその時、彼らにはなかった。







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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi