シャルル=ダ・フールの暗殺
8・シャルル=ダ・フール-3
ジェアバード=ジートリューの周辺は混乱で満ちていた。
「やはりそうです! 兵舎の一部で同士討ちが起こっているようです!」
イライラと伝令を待っていたジートリューは、ようやく来た部下の報告をきいて唸った。
「くそっ! ハダートが言っていたのはこれだな! 内乱でも起こす気か?」
しかも、それを起こすためのラゲイラの手下が自分の兵隊に、これほどまでに入り込んでいるとは思わなかった。いや、気づいていても、人数の多いジートリューの軍では、一日二日で調べがつくはずもない。
「将軍! どうしますか!」
慌てた様子で部下がきいたが、ジートリューは、かっと大きな目を見開き、怒鳴りつける。赤い髪がまるで逆立っているようで、炎の揺らぎを思わせる。
「愚かものが! こういうのは気合いで鎮めろ!」
「そ、そんな無茶を……」
赤い髪のジートリューの髪の毛は、彼が怒ると本当に燃えているように見えるという。確かにそうかもしれない。怒髪天をつくというが、そういう時のジートリューには、あまり近寄りたくないのが部下達の本音だ。
だから、伝令の兵士は、言いにくそうにそうっと報告の続きを言う羽目になった。
「あ、あの……」
「どうしたあ! 言いたいことがあるなら、はっきり言え!」
「は、はい、あの……そのハダート将軍ですが、どうも、軍の動きがおかしいんです。警備とはとても思えないような、……城の方に行軍しているようにしか見えないのですが……。このままでは我々とぶつかることになるかと」
「なに! とうとうハダート将軍が裏切ったのか!」
近くの部下が言ったが、ジートリューは、珍しく反応を返さない。
「将軍、どうなさいますか! あの男は奇策を用いることを好みます。何が起こるかわかりませんよ!」
「まあ、どうにかなる! 衝突する前に時間稼ぎをしろ」
急に冷静になったらしく、ジートリューはあごに手をあて、何か考えるとすぐに歩き出した。
「将軍! ハダート将軍は、都合が悪くなるとどちらにもつくという蝙蝠のような男ですよ」
「奴のことはよくわかっている。もし、それが本当なら倒すまでよ!」
「し、しかし…………」
勢いよく言う彼に、部下達は不安そうだ。ハダートの策略は、少なくともジートリューや自分たちのそれよりも優秀で狡猾である。見破れるわけもない。ずんずん進んでいくジートリューに付き従いながら、彼らは困惑した顔を見合わせている。
「大体、あれがすぐに行動を起こすわけがないだろう」
ジートリューは、後ろの連中の不穏な気配を感じ取ったのか、振り返ってそう言った。
「あのハダートは、必ず自分の保身の為の道を作っておく男だ。ということは、ぎりぎりまで情勢を見てから、どちらにつくか決断を下す。まだ事は起こさないだろう」
それに、とジートリューは言う。ハダートとは長いつきあいになってきている。だからよくわかるのだ。あの男の思考は表裏がありすぎて複雑だが、意外なことに行動原理だけは単純だということも。ハダートという男は、この世の全ての出来事を「気に入る」か、「気に入らない」かで判断して行動しているだけなのである。
だから、「気に入って」いる限りは、何とか、今の状態を守ろうとする。だとすれば、積極的に動くはずがない。
「あれは、ああ見えてシャルルをひいき目に見ている。そう簡単に裏切りはせんはずだ」
ジートリューはそう断言し、自ら指揮を執るため、ずかずかと歩いていく。また再び顔を見合わせながらも、部下の将軍達は、結局は上司を信用するしかないのだった。
すっかり、決着はついていた。押し出されて隣室まで下がったときは、レビはすでに捕らえられていた。カッファにしても、こんな多勢に無勢の状態で、ラティーナをかばいながら戦うのには限界があった。レビ=ダミアスが捕まっていれば、抵抗するすべもない。
ザミルは何人かの兵士達を背にたたずんでいる。その下の床ではレビが倒れ込むように座っていた。カッファとラティーナの背の側にも兵士がいる。近衛兵の一人も、今はカッファの横で無抵抗に武器を捨てていた。
「レビ様! 大丈夫ですか?」
普段よりもさらに顔色の悪いレビ=ダミアスは、まだ時折咳をしている。
「ザミル様……」
「カッファ=アルシール……。いつまであのシャルルに義理立てするつもりだ?」
「……いつまでとは、これはひどい言いようでございますな、仮にも兄上様に向かってその口のきき方はなんです?」
ザミルは、すっと近づくとカッファの手から武器を取り上げる。カッファは背後と前方に目を走らせ、きっと彼を睨んだ。
「兄? あの父がどこの馬の骨ともわからん女に生ませた子供がか?」
「何! サーラ様まで侮辱なされるつもりか! あの方はそのような女性ではない!」
ザミルはカッファに向かって剣を突きつけた。だが、カッファは恐れずに言う。
「大体、どうして、シャルル様をそう嫌われるのです? シャルル様は、あなたをかばったのですよ! あの時、あなたに嫌疑がかかったとき、シャルル様はこれ以上の詮索はよせ、と命令された。それがどういうことであるか、あなたならわかるはずでしょう!」
「あの男の情けなど受けたくもない。ふん、それが兄だと? 冗談ではない」
ふっとザミルは笑った。そうしてみると、ラハッドとまるで似ていないようだった。
「ラティーナ!」
声をかけられ、ラティーナはハッとする。
「なぜ、そこにいる。こちらに戻ってこい! シャルルはラハッドを殺した男だぞ!」
「わ、わかっているわ!」
ラティーナは、震える唇でそう言った。
「でも、あたしにはわからない。あなたを信用する気にも、シャルルを信用する気にもなれないわ……」
「ラティーナさん! 惑わされてならない。シャルルはラハッドを殺してなどいない!」
レビ=ダミアスがそう叫ぶ。
「ラハッドを殺したのは――」
「黙れ!」
ザミルに遮られ、レビは口を閉ざす。すーっと彼の前に、近くの兵士から剣がのびてくる。
「お前に無駄な口をきく権利はないのを忘れたのか?」
「レビ様! どうか、もう無理はなさらないでください!」
カッファが声を立てた。
「あなた様になにかあると、陛下が悲しみます! どうか、私に全てを任せて…………」
カッファはレビに目を向けながらそう告げた。レビ=ダミアスは、少し目を伏せる。自分のふがいなさに腹が立ちそうだった。
「すまない……。カッファ」
「構いませんよ、レビ様。……レビ様は、陛下のためを思って行動なされただけでしょう。なら、目的は同じですよ」
ふっとカッファは笑った。
ザミルは、突きつけた剣を、さらにカッファののど元に近づける。
「さて、カッファ……応えてもらおうか。一体、本物のシャルルはどこにいる?」
「我々も知らない……」
「何だと?」
ザミルはわずかに眉をひそめる。カッファはにやりとした。
「あの方は、我々にも居場所を教えたりはしない。だから誰も知らないのだ。例え、私でもどこにいるかはわからない」
「嘘をつくな……」
カッファは肩をすくめる。
「嘘など。大体、あの方の居場所がわかったら、まっさきに私があの方を捕まえに行っているはずだ」
「そうか…………」
ザミルは冷たい目をカッファに向けた。そして、にやりとするときびすを返す。
「では、貴様にもう用はない。……殺せ」
「ザミル!」
レビが声を上げるが、ザミルは応えない。兵士が一人剣を抜いたままカッファの方にやってくる。
「カッファ!」
「……レビ様、もし、『殿下』に会われましたら、私がすまないと言っていたとお伝え下さい。私は結局あの方に全てを押しつけてしまった……」
カッファは覚悟ができているのか、そうさらりと言った。兵士は徐々に迫ってくる。そして、そのまま剣を振り上げた。カッファは振り下ろされる剣を予想しながら、それを見ていた。ちらりと青い光がよぎったような気がして、ため息をつきたい気分になった。
(ああ、陛下……、サーラ様……。)
カッファの言う陛下は、セジェシスのことだ。冷たい銀の光の流れを見ながら、カッファはこう願った。
(どうかあのお方をお守り下さい!)
と、不意にもう一つ、閃光が走った。カッファに剣をおろそうとした敵は、肩口から血を吹き出しながら倒れ伏す。あっけに取られるカッファの前に、一人の男が現れていた。剣を床まで振り下ろした彼は、そのまますっと立ち上がり、姿勢を整える。青いマントが、揺らめいているのがわかった。
カッファはその顔を見て、驚きと焦りの入り交じった表情をした。
「で、殿下!」
殿下? とばかりにラティーナは、入ってきた男を見た。大きな目はかすかに青みかがり、痩せてひょろりとした長身に、着古してもなお青いマントを引っかけている。手にした異国風の刀と、くるくるの黒の巻き毛のポニーテール。その白い部分が多い目は、彼女が知らない感情の色を帯びて、どこか遠くを見ていた。
いつの間に入ってきたのかはよくわからない。たくさんの灯りで煌々と照らされながらも、この部屋にも夜の闇がある。それに紛れて忍び込んできたのか、兵士に紛れながらそうっと現れたのか――、どちらにしろ、彼は兵士達がザミルとカッファに目を奪われている内に、部屋に忍び込んでいたようだった。
シャーは、その時無表情だった。そうしているとまるで別人のようだった。だから、ラティーナは一瞬名前が出てこなかったのだ。その「殿下」と呼ばれた男の名前が。
「……シャー…………」
シャーはこちらを向かなかった。ただ、真剣な面もちで、ザミルの方を睨み付けていた。
「カッファ、下がれ。……あとはオレがやる」
「は、はっ」
静かな彼の声に、思わず気圧されてカッファは反射的に応えた。
「シ、シャルル…………」
レビ=ダミアスが、声をかけるとシャーはようやくそちらに顔を向けてにっと笑った。
「兄上、お久しぶりでございます。相変わらず顔色が悪いんじゃないの? ちゃんと静養しなきゃ駄目だっていつも言ってるでしょうが」
シャーは、そういってレビに軽く挨拶をすると、ザミルの方を見た。
「ふふん、人のお部屋で勝手な真似してくれるじゃなあい? 不作法な弟だな、ザミル君。大体、なんつーまねをするんだよ。ラティーナちゃんはお前の姉御だろ? で、レビ兄上とカッファにも、敬意を表さないといけないんじゃないのか?」
「シャルル=ダ・フール……!」
ザミルは、ぽつりと呟きながら、目の前のへらへらした男を見た。緊張感のかけらもないくせに、妙な殺気がその背筋あたりから漂ってきていた。
そして、部屋の片隅にあるまっぷたつにされたテーブルを見て、ああっと声を上げた。
「あっ、うそん……。あの机、使い物にならないじゃないかよ」
わざとらしく、そんな情けない声をたてながら、シャーはザミルの方を見た。
「オレ、あの机気に入ってたのよねえ。後で弁償してよ。もー、ザミルちゃんなら、そのくらい払えるんでしょ?」
「ふざけるな!」
「ふざけてなんかないさ」
シャーは、ふっと表情を固め、少しだけ口調を変えた。
「オレは常にまじめだぜ。ザミル」
そして、口許だけを綺麗にほころばせた。それは、貼り付けたような笑みだったが、奥に潜む怒りが透けて見えるような笑みでもあった。ラティーナは、思わず身をすくめた。シャーのそんな顔など一度も見たことがなかったからだ。
「ああ、そういや、お前とこうして差し向かいで口をきいたのは初めてだったな、ザミル。それがこんなことになって、オレは悲しいぜ」
「都合のいいときだけ兄のように振る舞うな」
「冷たいなあ、ザミル。お兄ちゃんは辛いな。それとも何か?」
シャーは、冷たい視線をザミルに向ける。
「戦ばかりしてたような野蛮な兄に親しみなんかもてないか? それもそうかもしれねえな」
痩せた体をふらっと寄せて、シャーは、普段とは違う眼差しでザミルを見ていた。不穏ではなく、その目にあるのはおそらく憤りと寂しさの混じった複雑なものだった。
「種明かしをしてやろうか、ザミル。……お前はオレの事、つまり、アズラーッド・カルバーンと名乗る男が影武者だと思っていただろう? それはオレとカッファと将軍数名で組んでついた大嘘さ」
黙り込んでいるザミルに、彼はそういってため息をついた。
「街生まれのオレには、王子だの将軍だの扱われるのは窮屈でねえ、それで名も無き青兜として通したのさ。時々、それでもシャルルとして扱われることもあったみたいだが、そのせいで、陣中にシャルルが二人いる、つまりどっちかが影武者だって説がたっちまって……でも、オレはそれでいいとおもった。だから、その噂を利用して、ずっと影武者の振りをしてたのさ。なかなか居心地は良かったぜ」
そうして、きっとザミルに目を向けた。その目に複雑な色が浮かんでいた。
「笑えるだろ、ザミル。影武者と言われてたのが、まさか本人だったなんて……。情報操作なんて、案外簡単なもんだ。……オレが病弱だって事にしておけば、今ならどこでだってそれでまかり通っている。そうだろ?」
ザミルは応えない。シャー、いやシャルルは微笑を口に、そのままゆっくりと近づいてきた。
「なぁ、オレのかわいいザミル」
「よるな!」
ザミルは不快そうに顔をしかめ、手の剣をひきつける。シャーは気にせず、ふらりと彼に近寄っていく。
「つめてえ奴の多い兄弟のうちで、お前のにーちゃんはオレに優しかった。遠征ばかりで疲れ果ててたオレを慰めてくれた。といっても、あいつ、オレの顔もろくろく覚えない内に死んじまったみたいだけど……。兜なんて被らなきゃよかったぜ」
くっとシャーは苦笑した。
「お前も知ってるだろ、ラハッドは優しい奴だったからさあ。お前の母上が優しくて、オレにまで気を遣ってくれたように、あいつも優しい奴だった。だからさ、オレはあいつのことは結構好きだったよ。……あいつはオレのように馬鹿でもなければ、お前のようにどん欲でもない。王にはむいていたかもな。あいつが王になるなら、オレはちゃんと歓迎してやったさ……。あいつはラティーナちゃんと結婚する予定だったし、ついでに二人で国を治めれば万々歳ってところだろ。最高だよなあ。……でもなあ!」
シャーは、ぎらりと輝く目をザミルに向けた。
「てめえがラハッドを殺したんだなァ、ザミル!」
ラティーナがはっと息を呑んだのがわかった。ザミルはわずかに顔を引きつらせている。
「オレがそんなことを知らなかったとでも思ったのかよ? あいつが死んだとき、そばにいたのはお前だけだった! つまり、毒を入れられたのはお前だけだったんだよな? だけど、オレは、信じたくはなかった。同じ兄弟だってえのに、まさか血で血を洗うような真似をしているなんてさ……」
シャーは、感情を殺したような目で、ザミルを見ていたが、その口調はいつもとは違い激しい感情が吹き出しているようだった。
「ああ、とっくに知っていたよ。でも、オレはお前を信じたかった。だから、それ以上調査するのをやめさせた。……だって、そうだろ、オレ達は兄弟なんだろう? ろくろく喋ったことがなくったってさ!」
シャーは、感情の高ぶりとともに少し大声になっていた。そして、また声を低める。
「……何故だ……。何故ラハッドを殺した?」
ザミルは応えない。シャーは、重い声で相手を問いつめる。
「オレみたいな異腹の兄ならまだわかる。……だが、ラハッドとお前はあの母御から生まれた紛れもない兄弟だ。……何故だ? あの優しい母上が悲しむのを知っていながら、どうしてラハッドを殺した!」
ザミルの口許に皮肉っぽい笑みが浮かんだ。