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シャルル=ダ・フールの暗殺
8・シャルル=ダ・フール-1

 じりじりと照りつけるような暑い日だった。シャルルはふうとため息をつく。
「わかったよ。あんたがそこまでいうなら、オレが立とう」
 シャルルは観念したようにいって、不安そうなカッファに手を振った。心配しないでいいから、黙っててくれということらしい。まだ若いシャルル=ダ・フールは、以前戦場にいたときのようには深い兜をかぶってはおらず、はっきりと顔立ちが確認できた。あの深い兜のせいで、シャルルの顔をはっきりと覚えている人間は少ない。青く塗られた兜の下で輝いていた目は、今は静かにハビアスを見ていた。
「ただし、条件は三つある」
 シャルルはそう言って、ハビアスの目を見て、指を立てた。
「一つ、オレは政治には関わらない。オレは馬鹿だからさ、オレが政治なんかに手を加えるととんでもないことになるだろ。だから、あんた達でテキトーにやっちゃってくれよ。ただ、あまりにもひどいときは口出しぐらいはするかもしれないけど」
「あなたはご自分でおっしゃるよりは聡明なお方だ。いいえ、ご兄弟の中でも、あなたほど頭の切れるお方は珍しい。……しかし、あなたが望まぬというなればそれでもいいでしょう。そもそも、我々は国王たるあなたに政治的手腕を求めるわけではありません」
カッファはむっとしたが、シャルルはにこっと笑った。
「それじゃあ、一つ目は契約成立だな」
 今度は指を二本立てて彼はいった。
「二つ、オレは政略結婚もしなければ、後宮も作らない。王国の為の結婚なんてしないということだ」
「いいでしょう。あなた以外にもセジェシス様のお子さまはいらっしゃる。あなたが世襲を望まないというのであれば、その方の子孫で王位継承は事足ります。外戚のいないあなたなら、カッファさえよければ問題も起こりますまい」
「それじゃあそれも成立だな。カッファ、いいんだろ、別に」
 いきなり名指しされて、カッファはあわててうなずいた。シャルルは、にやっと笑った。そして、その目が一瞬剣呑な光をたたえた。わずかに青みがかったその目は、ハビアスはあまり好きではない。この王子のその目は、何となく不気味な感じがするからだ。伝承で伝えられる邪眼のように、何か不吉なものを寄せ付けるかのような目である。
 ふとハビアスは身構える。性格がセジェシスとよく似ているにも関わらず、彼よりも考え深いこの青年に、彼ははげしく警戒した。そして、彼は指を三本立てた。
「三つ、オレは何かが起こらない限り、宮殿にはいない。オレの好きなときに好きな場所で、好きな行動を取る。ま、お忍びであちこち回ってるよ、ってことだな。オレが本気で街の中に紛れたら、あんた達でも多分見つけられないだろうぜ。でも、それでいいっていうなら……そんな名前だけの王様でいいなら、オレは王位についてもいい」
「で、殿下……!」
 カッファが、呆然と呟いたが、シャルルは表情を変えなかった。ハビアスに挑戦的な目を向けたままにやにやしている。逆襲だとハビアスは思った。この若い王子は、彼が考えなかった方法で、ハビアスに噛みついてきたのである。ハビアスの強制に対しての、これは報復でもあるのだ。
 思わず、ハビアスはにやりとした。半分は、そんな彼に対する期待と興味のあらわれからきた笑みであり、もう半分は、こんな若い王族にしてやられたことに対する苛立ちから来た苦笑である。シャルルはただの世間知らずな王族ではないし、帝王学だけを学んできたわけではない。彼は一流の戦士であり、将軍であり、そして流れの遊び人でもあるのである。
 ハビアスは、胸の内にくすぶる複雑な感情を押し殺しながらくすくすと笑った。
「ふっふっふ。あなたは面白い方だ」
「そうかい? オレから見ると、ハビアスの爺さん、あんたも十分面白いひとだよ」
 シャルルの顔立ちは、セジェシスの一番愛した女に似ていた。その纏う雰囲気は、セジェシス自身によく似ていた。頭の切れるところは母に、明るくて行動的なのは父に――。兄弟の中、唯一セジェシスに似ていない落胤の彼が、その出自を疑われもせず長子として認められたのは、あまりにあの二人に似ているからだ。ハビアスもそう思う。間違いなく、彼はあの二人の息子であると。
「いいですよ、シャルル殿下。あなたという方を私は多分好きなのでしょう」
「へぇ、それホント?」
シャルル=ダ・フールは笑みをゆがめた。
「オレもあんたのそーゆー歪んだとこ、嫌いじゃないよ」
 そういって青いマントを翻し、若きシャルル=ダ・フールは足を進めた。
「それじゃ、契約は成立ね。……オレは王位につくよ。それでいいんだろ、ハビアス」
 カッファが慌てたように彼の後ろをついていく。ハビアスはそれを見送りながら、ふっと笑った。
「それでよろしいんですよ、殿下」
 隠している筈の心のゆがみさえ言い当てられて、ハビアスは、思うのだ。――あなたは恐ろしい方ですよ、と。


 地下水道のしずくの音は耳障りだ。
「は、はっ、……くそっ……! なんて遠いんだ!」
 息を切らして走りながら、シャーはひたすらに出口を目指していた。走り慣れた道でも、今日はなぜかこんなに遠い。途中であった敵を一刀でなぎ払いながら進むたび、彼は焦燥にかられる。
(こんな事なら最初から城にいるべきだったか? でも……オレは…………)
 ジャッキールを止めるという目的もあったから、なるべく入り口で敵をくい止めなければならなかったということもある。宮殿に連絡をつけなかったのは、そんな暇がなかったからもある。だが、それだけでは無いことも薄々感づいていた。
 本当は、極力彼女に顔を見せたくなかったのだ。城にいる自分などを見せたくはなかった。いつの間にやらラティーナに本気で惚れていた自分は、ラティーナに、真実を告げるのが恐かったし、真実を知られるのも恐かった。
 そして、わかっていたからだ。行けばザミルと争うことになる事も――
「ラティーナちゃん……!」
 走りながら、シャーは知らずに口走っていた。
「お願いだから、先走りだけはやめてくれ……!」
 濡れたサンダルが道に不思議な音を立てる。前から来る敵をかわしながら、シャーは噛みしめるように呟く。
「悪いのは、オレだ! 全部オレなんだよ!」
「わあああああ!」
 前の男が奇声をあげながら飛びかかってくる。シャーは、足を止めなかった。そのまま剣を抜いて走り抜ける。
「お前らの相手している暇はねえんだよ!」
 危険な行為だとはわかっているが、足を止めるわけには行かない。自分の勘に全てを委ね、シャーは刀を振るった。手応えを確かめる間もなく、相手が倒れたのを見る間もなく、ただ慌てて走り抜ける。
 はっ、はっ、と小刻みに呼吸をしながら、彼は暗闇を睨んで走る。
「誰かがあんたに殺されるべきだとしたらオレなんだよ! だから誰も殺さないでくれ!」
全速力で風のように走りながら、まだ出口は見えない。



カンカンと音が響いている。ラティーナは、カッファの背中側に立っていた。暗殺者だということは知っているかも知れないのに、カッファ=アルシールはなぜか自分をかばっている。
 味方はカッファと騒ぎを聞きつけてきた近衛兵が一人。多勢に無勢だった。カッファがいくら一人で頑張っても、この数は倒しきれない。
「うおおおお!」
 カッファは、剣を一閃して、相手を打ち倒すと、ラティーナを背にかばいながら後退した。
「くそ……近衛兵はどうした!」
「そ、それが……みんな表を警護しているんです! 私だけは中を……! おそらく、まだ気づいていません!」
 そして、この近衛兵を外に出してももう無駄だ。敵は、すでに廊下にも出ている。この近衛兵一人走らせたところで、情報が伝わる前に殺されてしまうだろう。扉は厚く、おそらく外にいる連中にこの騒ぎは聞こえない。それに、近衛兵の連中にも、シャルルの部屋には何があっても入るなと普段から厳しく伝えてある。
 シャルルがレビ=ダミアスと入れ替わっているという事実を隠すために講じた策が、すべて裏目に出ているのだ。
「失敗だ! まさか内から攻めてくるとは!」
 カッファは唇を噛みしめた。そして、ラティーナをちらりとみた。彼女はびくりとしたが、カッファの目に敵意はなかった。
「そうか、言っていたな、あの方が……情報を…………」
 カッファは少しだけため息をつく。あの方が道順を言ってしまったならば、仕方がないと思う。あの時、全てを彼に押しつけた報いだ。だが、それでも彼が自分を恨んでそうしたのではないことは知っている。この娘に大方恋をしたのだろう。あの人はそういう人なのだ。
 カッファは、そう言うところを含めて、彼のことは好きだった。だから、責める気にはなれない。
 侵入者は二十人ほどいる。まだ増えていくようだ。これ以上は、戦っても勝てないかも知れない。
「サーヴァンの姫君、陛下を許していただきたい」
 カッファは静かに言った。声をかけられ、ラティーナはカッファの方を見た。とても宰相には思えない男は、武骨ないい方のまま、続けた。
「あの方は、常にラハッド様のことを気にかけていらっしゃった。急にはしんじられんかもしれぬが、陛下はラハッド様の件に関しては関係はない。……ただ、あの方は、止められなかった事に責任を感じ、哀しみに沈んでいらっしゃった」
「ど、どういう意味!」
 ラティーナは、ラハッドのことを持ち出され、やや感情的になった。カッファは静かにいった。
「陛下は、あなたの想像以上に心を痛めておられる。責任をとれとおっしゃるのなら、私が全てかぶる。だから、陛下を許してやってはくれまいか」
カッファがそういった直後、わっと刺客達が襲ってくる。カッファは長い刀を構え直すと、雄叫びをあげながら彼らに立ち向かった。
 ちょうど、カッファと刺客達が戦っている最中、隣室では、レビ=ダミアスとザミルの勝負が続いていた。
 甲高い金属の当たる音が響き渡っている。銀色の流れを受けては返し、そして、忍び込むようにして切る。だが、相手もさるものだ、なかなか決めさせてくれるものではない。 レビ=ダミアスは、肩で息をしていたが、それはザミルも同じ事であった。思ったよりも強いレビの攻撃に、ザミルはややとまどいを見せている。病み上がりのレビの顔色は、あまりよくないが、彼は息を切らしながらも、確実に狙いすました場所に切り込んでくる。
(やるな……!)
 ザファルバーンは尚武の国だ。その王子達も、ある程度の武芸の心得を持っている。だが、よく知られていないが、一番恐ろしいのがシャルル=ダ・フールだ。ほとんどの王子が、土地の剣技を習ったのに対し、彼だけは異国の剣術を教え込まれたと聞く。シャルルは公の剣技の練習に出てこなかったから、その腕前のほどはわからない。
『シャルル=ダ・フール=エレ・カーネスでございます。ご機嫌うるわしく、母上様。』
 本当の母のいないシャルルは、妃に対してはすべて母上と呼んでいたし、血のつながらない兄に対しても弟に対しても、表向き兄弟と呼んでいた。彼が何を思い、何を考えていたのかはわからない。ザミルが、シャルルの声で思い出せるのはそれぐらいで、それほど関係は希薄だった。シャルルは王族の中では特異な存在で、その出自のせいもあり、公に出るのを嫌っていたのである。
 数えるほどしかザミルも彼には会っていない。セジェシス在位中の公式行事にシャルルはほとんど姿を現さなかったが、まれに出てくるときは、シャルルは羽根飾りの付いた青い兜を深くかぶり、その影武者とされる人物と同じ姿をして現れた。他の者が豪奢でゆったりとした服装をしている中、王子とは思えぬ武者姿をしていた彼がシャルル=ダ・フールであると知るものは少ない。ザミルもずっと知らなかったほどで、将軍の息子の一人だろうとてっきり思っていたぐらいである。あの兜のせいで、ろくに顔も覚えていない。
 ただ、ザミルが覚えているのは、時々シャルルが見せる荒々しい空気だった。痩せた長身をふらつかせながら歩くシャルル=ダ・フールの、兜の下からのぞく眼差しに、その全身から感じられる殺気のようなものに、彼は戦場の空気を見て取った。あれからすれば、このレビ=ダミアスは、王族らしいといえるかもしれない。父のセジェシスもそうだが、シャルルも、王というよりは戦場の王といったほうがいいような雰囲気がつきまとっている。
 だから不審だと思ったのだ。あの男がよりによって病気などと。身体が弱いなどとどうしてそんな嘘をつくのか謎だった。だが、あまりに彼が片鱗を表さないので、内乱の間に病気にかかったのかもしれないと思いだした。それならばそれで都合がいいとも思っていた。
「ザミル! 行くぞ!」
 レビの声が聞こえ、ザミルは現実に引き戻される。真横に薙ぐ彼の刀が、ぎらりと銀色の光を放つ。鋭い剣だった。おっとりとした彼の性格からは読めないほど、それは激しく鋭い振りである。慌てて対応しようとしたが、受けて流せるようなものではなかった。
 激しく刀身を叩かれて、ザミルは剣を手放してしまった。剣を落とされ、ザミルはさすがに青ざめる。
「覚悟しろ! ザミル!」
 レビはそういって、刀をふりあげたが、途端、彼の動きが止まった。
「うっ……」
 突然がくりと肩を落とし、彼は激しく咳き込み出す。やがて立っていられなくなったのか、剣を床に立てながら、けほけほと咳き、身体を辛そうに曲げている。
 あっけにとられていたザミルはようやく状況をつかむ。そうだ、発作が起きたに違いない。レビは病持ちなのである。
「お、惜しかったな、レビ=ダミアス」
 ザミルはようやく安心して、落とされた剣を拾った。レビは、まだ剣こそ手放していないが、咳が続いてまともに喋ることすらできない。
「……う、ザ、ザミル…………」
 息苦しそうにレビはぜえぜえと、雑音混じりの呼吸音を響かせている。ザミルは安心しながら、剣を構えた。
「なるほど、大口を叩くだけのことはあったな。だが、それもこれまでだ」
 ザミルはふっと笑う。隣の物音が聞こえてきている。すでに自分の味方が中に入ってきているのだ。
「……楽にしてやろう」
「くっ…………!」
 レビは、かすかに歯がみした。呼吸が苦しくなって、立っていられず、座り込んでいる。動かなければならないのに、動くことさえままならない。レビは、胸を押さえながら、ザミルを見上げた。
(ああ、シャルル……)
 彼は血のつながらない弟を思い出しながら、ぽつりとおもった。
(すまない……君の役に立とうと思ったのだが、……私では…………)
 ザミルは突き出した刃をさっと掲げた。そのまま、真下に振り下ろそうとしている彼の口許には歪んだ笑みが浮かんでいた。





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背景:空色地図 -sorairo no chizu-
©akihiko wataragi