シャルル=ダ・フールの暗殺
3.ザミル王子-2
シャーは酒場で時間をつぶすといって、ラティーナを連れて行こうとしたが、彼女は丁重に辞退した。そのときのシャーの悲しげな顔を言ったら、腹が立つぐらいであったが、とにかく無視して振り切った。酒場に昼間からたむろしている彼の舎弟たちが、哀れみ半分からかい半分にシャーを慰めたり、笑ったりしていた。
シャーなどに構っている場合ではない。ラティーナは、昼に重要な人物と会わなければならなかったのだ。
シャーと別れて、ラティーナは決められたとおりに、神殿の礼拝所に行った。神殿には人があまりいなかった。静かで、神聖で、しかし、おごそかな空気に包まれ、ラティーナは決められたとおりの作法で祈る。この神殿には、戦の女神が祭られているという話だった。偶然、「彼ら」がそれを選んだのか、それともシャルル暗殺の成功を祈念するために指名したのか、ラティーナにはよくわからない。
礼拝のあと、ラティーナは、神殿の椅子に座って待っていた。やがて一人の男が現れ、彼女の目の前で祈り始めた。一通り祈り終えると、彼はラティーナの横に自然な形で座った。
「使者はあなた?」
ラティーナは声をかけ、そっと男の顔を覗いて、ふと口を押さえた。
「ザミル王子」
ラティーナは、意外なところであった人物に少し驚いていた。そこにいるのは、少し癖のある黒髪に、穏やかな瞳、整った顔をした優雅な青年だった。ザミル=リヴィートという名の、この綺麗な服を着た青年は、彼女の良く知る人物の弟である。つまり、この国の王になるはずだった人の弟だ。
「どうして……こんなところにいらっしゃったんですか?」
「あなたが協力していると聞き、使者に役目を代わってもらったのです」
ザミルは、兄のラハッド王子によく似た、柔和で穏やかな面差しをしていた。それを少し困ったようにしかめながら、ザミル王子は続ける。
「ラゲイラ卿に手を貸しているんだそうですね」
「え、ええ」
ラティーナが少しいいにくそうな顔をすると、ザミルは哀しげに首を振る。
「危険なことはやめてください、ラティーナさん。兄のことを思ってくれているのはありがたいのですが、このままだとあなたまで反逆罪に……」
「それはわかっています。でも……」
「手を貸すのがいけないといっているわけではありません。あなたが単独行動にでているというので、心配になって……。ああ、安心してください。ここは私が懇意にしている神官さまのいる神殿です。今、人払いをしてもらっていますから、誰も聞いていません」
ラティーナがいいにくいだろうかと思ったのか、ザミル王子はそうつげた。そして、目を伏せた。長いまつげが哀しげに見える。
「どうか、一人で危険な行動をなさらないでください」
その言葉はいくらかラティーナの琴線に触れたようだった。彼女は、少しうつむく。
「すみません。でも、あたしは待てなくて……」
「私もラゲイラ卿に協力しています」
ザミルは言った。
「あなたに力を貸しますから、どうかお一人では行動をなさらないでください。足並みを乱すと、きっとお互いの為にもよくありませんから。特にラゲイラ卿が何をしだすかわからない。あの男は、権謀術数を使わせるとなかなかなんですから」
「はい、……反省はしています」
ラティーナは素直に答える。
「ただ、シャルルをどうすれば殺せるか、あたしの手で仇をとってあげたいのに」
きゅっとラティーナのこぶしが握られた。ふと、ザミルは神殿の上を見る。戦の女神が、そこに大きな剣を掲げて立っている。
「義姉上」
本来そう呼ぶはずであった言葉で、ザミルはラティーナを呼んだ。びくりとして、ラティーナは顔をあげる。
「……一つ、方法があります」
ザミルは、ラティーナの目をまっすぐに見ながら言った。穏やかな青年の顔に、いくらか緊張が満ちる。
「今晩、シャー=ルギィズと連絡をとっていただきたいのです」
「ど、どちらの?」
間違った経験からか、ラティーナは恐る恐る訊いた。
「あの、レンクって言う人のほうでいいんですか?」
「……いいえ」
静かに、ザミルは言った。
「昨日、あなたが助けられたという人物です」
「な、なぜ、それを貴方が?」
誰にも話していないのに、と、ラティーナはいぶかしげである。ザミルは首を振った。
「昨夜、あなたを襲ったのはラゲイラ卿の手のものでした」
「えっ! どうして!」
少なからず動揺する様子のラティーナに、ザミルはそっと声を低める。
「おそらく、あなたの単独行動に歯止めをかけるよう、脅したのではないでしょうか。だから、お気をつけて……」
「は、はい。でも、どうしてあちらのシャーを……」
ラティーナがいぶかしげに訊くと、ザミルは低い声で答える。
「ラゲイラ卿の話によると、あのシャーという男は、カタスレニア地区を知り尽くしている様子……。彼と会ったものから訊いたそうですが、あのシャーという男は、城に繋がる地下道を見つけたことがあるといいます」
「地下道」
ラティーナは反芻し、ぱちりと目をしばたかせた。
何か危急の時に、王族や大臣たちが逃げられるよう、城の内部には地下に脱出口が掘られているという。地下水路になっている場所もあるというが、そうした場所から確かに城には侵入できるのだ。
ただし、シャルルのいる宮殿、特に寝室に繋がる地下道は極秘にされており、知るものはほとんどいないとされている。それさえ見つければ、攻め入るのは簡単なのだが…………。
「あのシャーが知っているというんですか?」
「わかりません。可能性はあるといいます。ぜひ、彼を呼び出し、計画を教えた上で協力してもらいたいのです。そのために近いうちに、呼び出していただきたいのです」
ザミルの目は、まっすぐラティーナに向けられている。ラティーナは頷いた。
「あさって、シャーとは落ち合う約束になっています。レンク=シャーの住処に行くという名目でですが」
「どちらを通るでしょう?」
「きっと、カタスレニアのはずれの通りを通ると思います。そのときに、彼に……」
「持ちかけてみましょう。……我々も行きます」
ザミルは言い、少し穏やかに笑った。
「でも、無理はなさらないで。あなたは、私の大切な義姉上なのですから」
ザミル王子の微笑みは、兄のラハッドに似ている。ラティーナは、微笑み返しながら、思い出して少し切ない気分になった。
ラティーナにあさっての夜に落ち合いましょうといわれて、シャーは少なくとも少し不安だった。まさか、奴らのところにいったのではないかと心配もする。だが、昼間は彼らはうろついていないだろうし、自分とレンクを間違うような娘だから、おそらく町の中も良く分かっていないだろう。
今日は、その約束の日である。それまで酒場にきてくれるかと思っていたのに、ラティーナはつれなくて、一度も顔を見せてくれなかった。それで少しシャーは落ち込んでいたのである。
(でもなあ、なんだっかなあ……)
シャーはお茶を飲みながら思った。
(見てられないんだよねえ、あの子……)
シャーはそう呟き、もう一度お茶をすすった。その態度を見て思ったのか、後ろからカッチェラが声をかけてきた。
「兄貴……景気はどうっすか?」
景気というのは、「ラティーナとうまくいったかどうか」ということである。
「ぜんぜんだめー」
シャーは、茶を飲みながら手を振った。なんだか、間延びした猫の鳴き声のような声である。
「オレねえ……もしかして不器用? それとも、魅力が無いのかなあ。ちょっとショックー」
「不器用というより、単にもてな……」
カッチェラは、言いかけてため息をついた。さすがに本人を傷つけてしまう。
「なに、そのため息。いま、もてな……とかいいかけたよね?」
聞こえていたらしく、シャーが苦々しい顔をした。
「いーえ、何も言ってません」
カッチェラが肩をすくめた。
「やっぱり、押しが足りないんじゃないですか?」
「でも、出会ってすぐだし」
「とはいえ、最初が肝心じゃ?」
「第一印象は最悪だと思うよ〜……だってよりにもよって人違いなんだもの〜……」
シャーは、はぁ……とため息をついた。そういう仕草は、きまってシャーが誰かに一目惚れした時にとる仕草だ。もともとシャーは、惚れっぽくできているのだが、かえってそのためなのか、その一目惚れがうまくいったことはない。
「こ、これからですよ!」
後ろにいたアティクが大柄な体に合わない優しい物言いをした。
「兄貴はかっこいいですって!」
「え! そう! オレ、そんなにかっこいい? 美男子?」
アティクの言葉に反応し、シャーはがばりと起き上がる。カッチェラは、頭に手をやり、不安げにこちらを見てくるアティクを軽くにらんだ。
(調子に乗せすぎ。)
「ねえ、オレってかっこいい?」
だが、アティクはシャーに肩を押さえられて捕まっている。
「なあ、アティク。オレって美男子だよな?」
じとーっとしたシャー特有の視線が、それを肯定することを促してくる。
「い、いや、そのっ……」
「違うの?」
今度はなんだか哀れみを誘う視線だった。アティクは、べそをかきそうな顔になりながら、カッチェラを見るが、助け舟を出してくれそうにはない。
「は、はい。……兄貴は美男子だと思います……」
「そう! そうだよなーっ! オレ、自信ついちゃった!」
シャーは、ぱんと手をたたく。それを見て、周りのものが肩をすくめた。アティクだけが、自分の失態を呪うように頭を抱えている。
「おかみさーん、酒いっぱいちょうだい!」
おそらくはアティクの金だろう。それを狙って、シャーは店の女将に声をかけた。アティクはシャーの言う「いっぱい」が「酒をグラスに一杯だけ」という言う意味なのか、「酒をたくさん欲しい」という意味なのか図りかねて、ぞっとしていた。