シャルル=ダ・フールの王国・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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雨情楼閣-11
 ハッとシャーは目を見開く。
 ――違う!
 シャーは、慌てて身を先ほどとは逆方向に投げ出した。それは直感による咄嗟の判断だったが、直後、シャーはそれが正しかったことを思い知る。右袖が軽く引き裂かれた。もう少し判断が遅れたら、右胸を抉られていた。身を翻しながら後退し、シャーは自分の予想が正しかったことを知る。
 ゼダの手、先ほどは右手に持っていたはずの刀を、ゼダは左手に提げている。それを目の端で確認し、シャーは声をあげた。
「左利きか!」
「さすがだなあ! つっこんでくると思ったが……」
ゼダは、含み笑いを浮かべた。
「びっくりしたかい? ザフの剣の使い方で慣れたからって、オレも同じようにいくとは考えるんじゃねえぜ、シャー」
 雨に打たれながら、ゼダは肩を軽く揺らして笑う。左手にぶらりと提げた刀が雨の向こうで揺れていた。
 左利きは厄介だ。右利き相手と、明らかに動きが違う。それに、右利きの相手の方が多いので、それに目が慣れてしまって判断が遅れるのだ。おまけに、先ほどのザフとの戦いで、シャーはこの奇妙な刀剣の癖を「右利き」の癖のまま覚えてしまっている。その通り動いて勝てるはずもない。
(まずいな…)
 シャーは、足をわずかに引く。泥に変わりつつある砂が、サンダルに擦られてしめった音を立てる。
(……さっきの奴以上変則的な動きになると、正直どうやっても見破れねえ!)
しかも、雨のせいで視界は最悪だ。カッと閃光が目の前に飛び込んでくる。激しくなった雨は、彼の頭からつま先までをずぶ濡れにしていく。巻き毛の黒髪も水を含んで重くなり、額に張り付いている。その額から流れ落ちる雨水が、目に入りそうになるが、ぬぐうことはできない。
 だが、見切れていないのは、ゼダにしても同じ筈だ。シャーの刀も、どうせ、彼らからすれば馴染めないもののはずである。うまくすればどうにかなるかもしれない。ただ、無傷での勝利を望むなら、ここで勝負を捨てた方がいいとシャーは踏んだ。
(死を覚悟でもするか?)
 シャーは自問するようにそう思う。そんなことはきくまでもない。幼い頃からずっと戦いの場にいたシャーは、死というものを見過ぎていた。他人の死だけでなく、自分も死ぬかも知れない場にいつもいた。だから、覚悟するのはそう難しいことでもない。ただ、これがそこまでして得る価値のある勝利かどうかはわからない。他の方法もあるのかもしれない。ただ、リーフィとサリカを二人とも助ける方法は、今のところコレぐらいしかないのだ。
 そして、その薄氷の勝利を得ても、二人がシャーのものになるわけでもない。そんなことは最初から期待してもいない。
(ただ、この場面における最善をつくす……って奴だよな。オレも報われねえ男だこと)
シャーはふと自嘲する。でも、おそらくそれでいいのだ。この期に及んであれこれ考えるのはかえって命取りである。こうした勝負の場では、そんなことをあれこれ考えるよりは、さっさと割り切って勝負に専念した方が割がいい。後のことは後で考えるほかはない。
 青白い稲妻が暗い天空を走る。シャーは一度構えを崩し、空に目をやった。幼い頃、訊いたことがあるような話では、親不孝者は雷に撃たれて死ぬのだとかいう。東の国ではまことしやかに信じられている話だ。だとすれば、自分もゼダもとうの昔に死んでいてもおかしくない。
 今、金属をもって戦っている二人に、落ちないとも限らない。そうして、二人もろとも死んでも、おかしくないと、シャーは不意に思った。
「夜半の雷か……」
 シャーはふっと笑った。
「撃たれて死ぬ罰当たりはどっちだろうな!」
 砂の上に水が溜まりだし、シャーの足には泥が付着していた。ばしゃ、と水しぶきが飛ぶ。シャーは、水滴の向こうのゼダの影に向かって飛びかかった。
水滴を切りながら、ゼダの刀がびゅっとのびてくる。シャーは横に払ってそれを弾き、そのまま斜めに突き上げる。だが切り裂いたのは水滴だけだ。素早く避けたゼダは、シャーの横側に回り込み、そのまま切り下ろしにかかる。形状が特殊なだけあって、引っかけてしまうとまずいのだろう。それだけに、ゼダは確実に急所を狙ってくる。シャーは身を沈める。マントごと肘のあたりを掠ったらしく痛みが走る。
 だが、瞬間、雨のすだれの向こうで、シャーが笑ったのをゼダは見る。咄嗟に顔をのけぞらすと、雨とは逆の方向から来る水しぶきが風と共に顔に飛んだ。ゼダの鼻先をかすめるようにして、シャーの剣が通っていったのだ。ゼダは後ろに二、三歩後退し、体勢を整える。
「坊ちゃん!」
 見ていたザフが思わず声を上げ、腰に巻いていた短剣に手を伸ばし、ざっと一歩前に出る。その時、シャーの方を見ていたゼダが、きっとザフの方を睨み付けた。折良く、稲光が走った。 
「ザフ! この期に及んで手ェ出しやがったら、てめェただじゃすまさねえぞ!」
 ゼダの怒号が飛んだ。見かけが大人しそうに見えるだけに、それは逆に恐ろしく見える。ザフを初め、彼の取り巻き達はすくみ上がった。
「それに、まだ、オレの方がちょっと有利なんだぜ。……勝負に水を差すなよ」
「水を差すなの前に、すでに雨で差されてるけどな」
 シャーがふと口を挟んで笑った。
「はっ、いいねえ。そんな口も今に叩けなくしてやるぜ!」
「それはこっちの台詞だ!」
 言葉の終わりと共に青い閃光が走る。稲光と同時に、シャーの刀の切っ先がゼダの眼前に迫る。舌打ちして、横に流したあと、ゼダは足払いをかけてきた。それにいち早く感づき、シャーはぬかるみに足を取られないように気をつけながらさがる。
 雨に打たれて冷え切った刀の冷たさが、柄を通してもぞわぞわと駆け上がってくるようだ。ゼダの刃の軌道は相変わらず読めない。シャーがどうにかかわしているのは、勘と運の良さに寄る所が大きい。
 轟音と共に、またどこかに落雷したらしい。大気の震えと同時に、ゼダが揺らぐように動く。シャーは耳の横に刀を構える。ギインという音と共に、体を大きく振られ、シャーは横に飛ばされるようにして飛び退いた。 
 シャーより少し背が低い代わりに、ゼダは彼よりは体格がいい。やや重めに見えるあの刀は思った以上に重い。
 水たまりを蹴散らし、飛びずさるシャーに追撃が来る。
(やっぱり、このままじゃ危ないな。仕方がない。やはりあの手でいくしかないな)
 シャーは、ふと唇をゆがめた。最初から、そのつもりで来ていたのだ。
 そして、シャーは泥にぬかるむ地面を蹴った。
「何を考えてんだ!」
 ゼダの声が聞こえた。
「正面から飛び掛かってきても、てめえの有利にはならねえぞ!」
「そんなことわかってら」
 シャーは口の中でぼそりという。ゼダは思った通り、正面から剣を振るってきた。ぐるっと回るように水しぶきを切断しながら、その軌道は不規則に回るように、シャーの瞳に飛び込んでくる。
 雨の中に朱が飛んだ。
「なに!」
 ゼダは驚いて一瞬行動が遅れる。ゼダの剣はシャーの右膝の上を薄く切り裂いていた。シャーが避けると思ったのだが、シャーはただ最小限に直撃を避けただけでほとんど避けなかったのだ。その後、マントを大幅に切り裂かれながらも、躊躇せずにシャーはそのまま飛び込んでくる。
(相打ちを狙うつもりか!)
 ゼダは一瞬恐怖を覚えた。慌てて剣を引き、もう一閃するが、もう間に合わない。シャーはすでに懐に飛び込んでいる。ゼダは、腕を引く。シャーは飛び掛かるようにつっこんできながら、空いた左手をゼダの頭にのばした。頭を左手で押さえつけられ、ゼダは後ろ向きに転倒した。





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このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。
©akihiko wataragi