雨情楼閣-10
ゼダは、薄ら笑いを浮かべたまま、重たい空を一度みやり、そして、切っ先を突きつけられて座り込んでいるウェイアードと、彼の取り巻き達を見てため息をつく。リーフィが、少し遠ざかるように動いたが、ゼダは目も向けない。
「ぼ、坊ちゃん……」
ウェイアードがか細い声でポツリと言った。ゼダは煙管をくわえ、悠々と一服吸ってから不意に笑った。
「すっかりやられちまって……。仕方ねえな、お前達は。オレが手を出すつもりなんざ、なかったんだがよ」
ゼダは、手を通さずにかけたままの上着をふわりとしめった風に揺らした。そして、ややきょとんとしたままの取り巻き達に、顔からは考えられないほど冷徹な視線を送った。
「おめえらは下がれ。お前らじゃこいつは歯がたたねえ。例え、こいつがザフとやりあって疲れててもな」
ザフ、と呼ばれた男、つまりウェイアードは、突然、弾かれたように動いた。鼻先に突きつけられたシャーの刀が見えていないかのように、慌ててゼダの前にひれ伏す。ゼダは、ため息混じりに、しかし、少し笑いながら彼に声を掛けた。
「ザフ、おめえもおめえだな。オレに一言の相談もナシとは無茶をやったもんだぜ。何か言いつけたのは、オレを離すつもりだったのかい?」
「……ぼ、坊ちゃん、申し訳ありません……。か、勝手な行動をしてしまいまして……!」
「あぁ、いいって事よ。オレもちょっと見当違いをしてたみてぇだしな」
ゼダはそう言って、口の端をゆがめて笑った。
「お前で片がつくと思ってたんだがな。だが、お前も一度退けられたときに気づいておくべきだったぜぇ。シャー=ルギィズ。まさか、あんたが、ここまで恐ろしい奴だとは思わなかった」
ゼダは、ふっと笑いながら舐めるようにシャーを見た。そして、ザフに手でさがるように言う。ザフは一度頭を下げ、そして素早くゼダの前から引き下がった。
「ザフが一人でアンタを襲ったことについては詫びておくぜ。でも、いけすかねぇなあ。とっくに八つ裂きにされてるかと思って来てみたっていうのによ」
シャーは、ふっと笑った。
「ご期待に添えなくて残念だったよ、……そうか、てめえが本当のウェイアード=カドゥサか。よくもこんなまどろっこしい真似を」
「ウェイアード? よしてくれよ、その名はすかねえ。オレのことはゼダでかまわねえよ、シャー。まどろっこしいと感じさせたことについては謝るぜ。でも、オレは、表舞台に立つのがあまり好きじゃねえんでね」
ゼダの赤い上着が、風にひらひらと舞う。袖を通さないそれは、今にも吹き飛ばされそうだったが、微妙なバランスでかろうじて彼の肩に掛かっていた。
「オレの面じゃ脅しにもなりゃしねえからな。だから、ザフや他の連中に普段は任せているんだが……」
「ふん、確かに、カドゥサの御曹司には見えないよな」
シャーが皮肉っぽく言うと、ゼダは、自嘲的な笑みを浮かべた。そうして暗い表情を浮かべると、あの時のどじな冴えない男の気配は消え失せる。
シャーは、ようやくリーフィが「あなたと似ている」といった理由がわかった。ゼダも同じように自分のある一面を普段隠して生きている。だから、余計につかみ所なくうつるのだろう。特にその態度においてだけを考えると、ゼダの変化はシャーのそれよりも外見の点ではもっと激しい。無意識のうちにそれを見て取ったリーフィは、だから「恐い」といったのだ。
ゼダはふらりと煙管をふかしながら、語った。
「そうかもしれねえなあ。そもそも、オレは、本当はオヤジの正妻の子供じゃねえんだよ。跡継ぎとしてどうしても息子が欲しかったオヤジは、よその女とつくった子供をそのまま正妻の子として引き取った。それがオレだ。だから、ゼダは元の名前なのさ。オレはそっちの名前が気に入ってるんだよ」
「へぇ……」
シャーは、思わず唇を噛みしめるようにして苦笑いした。
「いいのかい、カドゥサってな名家のお坊ちゃんが、こんな放蕩三昧とは……」
「ふっ、オヤジは金儲けして新しい女と遊んでいれば満足ってな男だよ。オレがこんな放蕩をやってようが、よほどの事をやらねえ限り、オレに何もいってこねえだろうさ。それに、オレにすっかり失望してるみたいだからな、その気になれば廃嫡して別の女とガキでも作るだろうよ。…と、さてと」
ゼダは、煙草の煙を吐きながらにやりとし、煙管の中身を捨てて、それをしまい込んだ。
「いい加減、始末をつけようぜ。シャー」
ゼダはすうっと右手で腰の曲刀を手に取り、刃を封じている布を取り去った。はらはらと螺旋を描きながら地面に布が降りていく。
「オレは無闇に女遊びをするよりは、こうやって血生臭い狂宴に興じる方が好きな人種なんだよ」
「だろうな……」
シャーは、顎を引いたまま相手を見た。下から見上げるような目は、稲光の度に青く光る。
「どうして気がつかなかったのかねえ。…こんなに血の臭いのする奴、滅多にいねえというのにな」
「それはお互い様ッてやつだろ? オレも最初は気づかなかったぜ。こんな危ねえ空気の奴は珍しいのによ」
「お前と一緒にされたくねえな」
シャーは、軽く笑った。笑うときに揺れた肩のせいで、鍔がわずかにちゃりんと鳴る。雨はほとんど降り出しそうだった。ぽつ、ぽつと、一滴、二滴、シャーの青いマントに降りかかる。
「そうそう、先ほどそこの美形のにーちゃんにも訊いたことだが、二、三応えてくれよ。オレが死んでもお前が死んでも、聞き逃したら未練だからな
「あぁ、構わんぜ?」
相当不吉な話をしているのだが、二人とも意に介する気配もない。シャーもゼダも、そうした殺伐とした空気になれすぎていて、大方の感覚が麻痺しているのだろう。
「どうして、噂で知るだけの娘を買い上げようとした? お前が、囲うだけ囲って捨てちまうってのは有名な話だぜ」
「あぁ、オレというよりは、こいつらが欲しがるからな。飽き性のこいつらのために、あちこちから集めたんだよ」
「金で仲間を買うつもりか? 見下げ果てた奴だな」
「そうじゃあねえ。オレのわがままにつきあってもらっている礼よ。オレの放蕩につきあってもらってる以上、それ相応の礼をしなきゃならねえだろ? オレには生憎と金ぐらいしかねえからなあ。だから、美人が欲しいといったこいつらに、オレがくれてやったんだよ。ただそれだけのことじゃねえか」
ゼダはしゃあしゃあといいながら、もっとも、と付け加える。
「そこのリーフィはちょいと誤算だったよ。まさか、こんなにできた女だとは思わなかった。オレが、この前あんたにいった事は嘘じゃねえんだぜ。「理想」を探してるってやつ。オレは、オレで、ホントに好みの女を捜して歩いてるんだ」
「はっ、顔に合わねぇぜ。そんな恥ずかしいこと、よく言えるもんだな」
シャーは嘲るようにいったが、ゼダは別に気にしていないようだ。
「それじゃあ、てめえの遊びということでいいんだな?」
「遊び、まぁ、広い意味でそうだといってくれても構わないぜ」
ゼダは悪びれない。シャーは、ややため息をつくようにしながら、何となく複雑そうな顔をした。空を見ると黒い空から大粒の雨粒が少しずつ降り注いできていた。もう数分も持つまい。急速に強まる雨足が、ここをやがて覆うだろう。上をみあげると大きな影が天空に伸びていた。轟音と共に世界を照らす閃光に照らされて、マタリア館は魔の要塞のようにみえた。
「なるほどな。なんで、こんなにてめえに腹が立ってたのか、オレはようやくわかったぜ」
シャーの声がふと雨音を押しのけてはっきりと聞こえた。
「てめえみたいな奴にだけは使いたくなかったなあ、同族嫌悪なんて言葉はよ」
シャーは暗い声で言った。睨むような目には、複雑だが底知れぬ憤りのようなものがあふれていた。
「オヤジさんが嫌いで、反発する気持ちはわからねえでもないぜ。……オレも所詮同類だからな! 仲間をつくってつるむのもいいだろうさ。オレがどうこう言うことじゃねえ。だがな!」
だが、とシャーは声を高めた。
「それでも、自分の不満のはけ口に、何の関係もねえ女の子を金で弄んだてめえは最低だ! あの子達の運命を狂わせてまで、てめえのやっていることが正当化できると思うのか! 結局てめえのやってることは、てめえの嫌いなオヤジと何の変わりもねえじゃねえか!」
何の変わりもない、の言葉に、ひくっとゼダの口許が一瞬引きつった。
「オレが気に食わねえのはそれだ!」
天空から光が走り、一瞬だが異様にゆっくりと青とオレンジの火花をちらしながら、稲妻が地上に降るのが見えた。直後、けたたましい音が鳴り響き、取り巻き達は怯えて地面に伏せた。古来から雷は神の怒りを彷彿させる。彼らが怯えるのももっともなことだった。
しかし、少し離れたところに主人を見守るザフが立ち、そこからまた少し離れたところに、怯えもせずリーフィがたたずみ、固まったように動かない二人の男を見つめていた。
ゼダは何も言わない。シャーも何も言わない。落雷のことなど気に留めてなどいないように、彼らはお互いにらみ合ったままだ。ごろごろごろ、と重い雷鳴が響く。
「は……」
ゼダはわずかに嘲笑った。それは、先ほどのシャーから浴びせられた言葉の余韻を振り払うようでもあった。殺気と憎悪に似た色を放ちながら、ゼダはその目でシャーを睨み付けた。
「上等だ。いいぜ、シャー! 雷の中で斬り合いもなかなか乙じゃねえか!」
ざーっと、とうとう雨が彼らを強く叩きだした。その水滴を切るように、ゼダはにぎった剣を軽く横に払う。ぞくりとするような冷酷な笑みが稲光と刀に映る。
「オレはずっと退屈してるんだ、アンタの言うとおり…。だからよ、シャー、死ぬまでせいぜいオレを楽しませてくれよ……」
「そいつは無理だな
シャーはへっと鼻で笑ったが、目は冴え渡っていた。
「オレの剣はお前を楽しませるためにあるようなお遊びじゃねえ、他人を地獄に突き落とすための剣だ。遊びじゃなく、死ぬか生きるかぐらいの覚悟はして来いよ」
「ふん、いってくれるぜ!」
閃光が走るのと同時に、ゼダの足が地を蹴った。赤い上着は水に濡れ、重く、黒に近い色になっている。それが、ばっと背後の闇に消えるように飛んでいく。
ゼダの剣は、先ほどのザフのものと同じだ。先ほどの動きを思い出し、冷静にさえなれば、見切れないものではない。
が、シャーは一瞬、違和感を覚えた。ゼダの繰り出した突きが、一瞬、先ほどとは大幅に違う不定形な軌道を見せたのだ。