一覧 戻る 紅い剣の月の夜-5 危うく、ひたすら続きそうだったジャッキールの説教をかわしたところで、妙に沈黙が続く。 いつの間にやらリーフィも、戻ってきていたのだが、だからといって話が弾むわけでもなく、妙にぼんやりと静かになってしまったのだ。変な落ち着きがあって、空気自体はけして気まずいものではない。それぞれが落ち着いて、くつろいでいるといった様子だ。もともとリーフィもジャッキールも、それほど多弁ではなく、自分から話を振るほうではないので、自然とそうなるのだろう。 シャーは、そんな間の抜けた沈黙に苦笑した。別に居辛いわけではないが、口数の多い彼は、何となく場を盛り上げなければならない、変な使命感に駆られてしまうことが多かった。 「さっき、思わず昔のことを思い出しちゃってねえ」 誰にともなく、シャーはそう言った。 「思わず、野蛮な一面が外にでちゃったよ」 さっき、というのは、ジャッキールに飛び掛ったことだろう。その話が出たところで、リーフィとジャッキールの両方が、静かに視線だけうごかして、シャーの方を見た。シャーにとってありがたいのは、彼ら二人が取り立てて気まずそうな顔をしなかったことである。おかげで、彼も軽い気持ちで続きを口にすることができた。 「どういうわけか、師匠の夢を見てね」 「師匠って……、シャーの剣のお師匠様?」 「そ」 リーフィにきかれて、シャーは苦笑まじりに答えた。左手に顎をのせて、右手で杯をつつきながら、彼は大きな目をリーフィに向けつつ続けた。 「とんでもねえクソジジイでねえ。ろくなもんじゃなかったぜ。オソロシー奴だったよ。ジャキジャキと比べても、どっこいそっこいな感じだったもん」 思わずジャッキールが、神経質そうに片眉をひそめたのを、目の端で確認しながら、シャーは続けた。 「何の夢だというのだ。穏やかな夢ではなさそうだな」 ジャッキールが、少々不機嫌そうに口を開く。それは予想できていたので、シャーはにんまりとしながら、例の三白眼をちろりと彼に向けた。 「当たり前だよ。アンタの殺気のせいでみるような夢さあ、ロクでもねえ夢だよ」 むかし、と、シャーは続けた。 「オレが、まだ餓鬼のときにね、夜起きだしてみると、師匠が一人で剣の修行をやっていたのさ。その様子が、あまりにも鬼気迫っていてな、オレは、何故か恐くなったんだよ。その人間が、本当にオレが知っている師匠なのかどうかわからなくなってな」 シャーは、杯の酒で唇を湿した。 「まあ、寝ぼけてただけなんだよ、本当のこといえば。でも、オレが敵と見まがうほどに、師匠は確かに恐かった。思わずこっちに気づかれたときに、オレは反射的に持っていた剣に手を伸ばしたのさ。それで、師匠に飛び掛ったってわけよ」 急に周りのざわめきが耳に入った。向こうで、楽しげに笑う男たちの声が聞こえる。 「それで」 途切れた話をつなぐように、ゆったりとジャッキールが口を開いた。相変わらず明るくもない声だった。 「飛び掛った後は?」 「餓鬼のオレがかなうような相手じゃなし。一太刀浴びせる暇もなく、ボコボコにやられましたとも。オレが寝ぼけて飛び掛ったのがいけないんだけどね。あのジジイ、手加減というものをしらないからなあ」 シャーは、苦笑いした。 「その後で、自制のきかないやつが刃物を持つなって、散々怒られちまったよ。痛い目みるわ、怒られるわでオレはひどい目をみたぜ」 まあ、と、シャーは、一息ついた。 「別に今でもあまり自制のきかない男なのかもしんないけどね、オレは」 そこで少し間があいた。今度は、大きな笑い声がまわりでおこることもなく、ざわざわと人々のさざめきがきこえていた。 ジャッキールも無言だし、リーフィは無表情に黙っている。シャーは、言ってはみたものの、何となく反応が恐くなってきた。 「なるほど」 ふと、ジャッキールは杯をおくと、腕を組んだ。案外普段は、おっとりとした動作もするらしいジャッキールは、十分なほど間をとりながら彼を見やった。戦闘のときとは違って、冷静な目のジャッキールは、別に優しくもないが、なにやら思慮深そうな光を宿しながら、意外なことを口にする。 「貴様は、師が怖かったのか?」 思わぬことを聞かれて、シャーは一瞬戸惑った。少し顎に手をあてて考えて、ようやく答えを導き出したのか、考えながら答える。 「さあ、確かに怖かったのかも。オレは、あの人が好きだったが、同時に結構怖かったよ。理解のできないところもあったしな」 「なるほど。貴様の師は厳しい男だったのだな」 「そうだね」 シャーは、ジャッキールの質問の意図を図りかねながらうなずいた。 「だが、師としてはいい師だっただろう?」 「どうだかわからないけど、悪い先生じゃなかったね」 「だろうな」 ジャッキールは、そこで初めてにやりとした。 「そのときは、どうしてそんなことで叱られるのかわからなかったのではないか」 「もちろん。オレを脅した師匠の方が悪いと思っていたよ」 「今なら?」 ジャッキールは、シャーを試すような口ぶりで訊いた。 「今なら?」 「そうだ、今なら、思いのほか理解できるのではないか?」 そういわれて、シャーは少し考えた。いつの間にか杯の酒はなくなっていた。いつの間に飲んでしまったのだろう。 「……さあ」 シャーは、にやりと唇を歪めながら答えた。 「案外わかるかもしれないね」 ジャッキールは、返事をせずに目を伏せて酒を飲んでいた。 「ジャッキールさんは、今王都にいるの?」 突然、思いついたように、今までずっと黙っていたリーフィが口を開いた。それをきいて、シャーが思わず手を打って便乗する。 「あ、そうそう。さっきから気になってたんだよな。なんか、この辺うろついてるみたいな感じだったしよう」 シャーは、顎に手を当てつつ、にやにやしながらジャッキールを横目で見た。 「いいのかよ、都には色々敵がおおいんじゃあないの〜。あいつとかあいつとかに、見つかったら八つ裂きにされるぜ?」 「相手もな」 さらりととんでもないことをつぶやく。 「別に行く当てもないし、しばらく遠出する気にもならんからな。まだ、この前の怪我も完治してはおらんし」 しかし、と、ジャッキールは、少し眉間をひそめながら訊いた。 「しかし、何故わかった」 「そりゃ、石鹸のにおいがするからだろ。ねえ、リーフィちゃん」 シャーは頬杖をつきつつ、リーフィのほうに視線をやる。 「ええ。お風呂に行くぐらいだから、ここにいるのかしらとおもったのよ」 「別に、住み着いていなくても公衆浴場ぐらい……。ここの郊外によい温泉地もあるので、湯治にもいいと思って……」 「そんなに頻繁にはいかないだろ。ひょっとして、風呂帰りなのかよ?」 「ま、毎日風呂ぐらいいくだろう」 何故かわからないが、妙に絡まれてジャッキールは、困惑気味に答えた。 「えー? そうなの。オレは別にそんなにはいかないけどなあ。金もないし」 リーフィが、微笑みながら言った。 「ジャッキールさんは、綺麗好きな感じがするものね」 「単に潔癖症なだけじゃない。そもそも髭がないのって、その年でここいらじゃ珍しいよ。ふつーは、ダンナぐらいの人は、髭ぐらいあるもんだろ」 「うるさい! 俺はああいうのは不潔な感じがしていやなのだ!」 思わず、そういいきったジャッキールを見やりながら、シャーは面白そうに笑った。 「ほれほれ、やっぱし、こだわってるんじゃんか。もしかして、風呂があるから、いついてるんじゃないの? 戦闘中は我慢してるけど、風呂がないと生きられないんじゃないのダンナ。そーいや、この前、剣の騒動でふらふらしてるときも、妙にこぎれいにしてたけど、毎日風呂いったり、服の洗濯とかしてたんじゃないの〜、逃亡生活中の辻斬り犯の癖に」 「あ、あれは、濡れ衣だといっただろうが! お、俺の日常生活に口を出すな!」 「お! 人の日常には説教するダンナがねえ〜。自分には甘いね、ダンナ」 「う……!」 思わず、詰まったジャッキールをみやって、シャーは勝ち誇った笑みを浮かべた。こういうときはあまり怒っても恐くないので、シャーは、ひーひー笑う。あからさまに冷静さを失ったジャッキールは、かっこうの標的なのだ。からかうと、これ以上ないほど面白いのである。一旦冷静さを失うと、口が全くまわらなくなるジャッキールは、やけに気味酒をあおる。それをみながら、シャーはさらに笑うのだった。 「なんだか盛り上がっているようなので、お酒、もう一本もってこようかしら」 その様子を見て、何を判断したのか、リーフィがぽつりとつぶやいた。 結局、ジャッキールは、そのうちに帰っていった。いつの間にかそれなりに遅い時間になっていたので、シャーもいい加減お暇することにして、リーフィと外で話をする。 歓楽街の夜は、酔っ払いどもが多くて、それなりににぎやかなものだ。たとえ、場末のここいらでも、やはりそれなりに人気がある。砂漠の夜の冷たい風が、酔った頭に何とはなくここちよかった。 「それにしても、あのオッサン、今日は変に優しかったな。なんか、悪霊でも憑いたかね。いや、普段のが悪霊がついてる人だから、いい幽霊でもついたのかなあ」 そんなことを口にするシャーに、リーフィは、ちょっと笑いながら言った。相変わらず表情の薄い彼女である。 「ジャッキールさん、多分、ちょっと悪いなあとおもったんじゃないかしら」 「ええ? 何が」 リーフィが、急にそんなことをいうので、シャーはきょとんとして聞き返す。 「何に気を遣ってたっていうの?」 「だって、ジャッキールさんのせいで、変な夢を見たんでしょう? シャー」 「ああ、あのオッサンの殺気でね。影響されちまったのかもなあってぐらいだけど」 「それに対して、ちょっと責任感じたんじゃないかしら。だから、ちょっと優しく言ってくれたんだと思うわよ」 そういわれれば、あの後、少々気まずそうな様子だった。機嫌の悪いときのジャッキールなら、切りかかった時点で返り討ちにされてもおかしくないぐらいなのだが。 「ええー、そうかな。ダンナに優しくされても、不気味なだけだけど。明日大雨が降りそうだよ」 あえて意地悪く言うシャーを見上げつつ、リーフィは言った。 「あの人、見かけによらず、かなり繊細なひとみたいね」 「困った人だよ。ホント。一歩間違えたら、オッソロシイ殺人鬼なんだけどな」 シャーは、苦笑しながらそういって、はた、と動きを止めた。 「そーいや、ここにいるとはいったけど、あのオッサン、どこに住んでるんだろ。仕事も見つかってないのに、なにしてんのかねえ」 「そういえば、そうね。向こうの方に歩いていったけれど」 リーフィが、人形めいたしぐさで首を傾ける。 「……案外、裏長屋みたいなとこで、内職して暮らしてたりしてね……。恐ろしいけど、ありえそうで恐い」 「内職……。確かに、意外に似合いそうね」 リーフィのぼんやりとした声をききつつ、シャーは、うーむ、とうなった。想像すると笑えるものがある一方、あの第一級のキケンジンブツが、そんなところで平和に風呂に入ったりしつつ、のんびりとうろついているのを考えると、何となく先行きが不安になるシャーであった。 一覧 戻る このページにしおりを挟む 背景:空色地図 -Sorairo no Chizu-様からお借りしました。 |