一覧 次へ



踊る宰相  


 煙草と杏仁豆腐
  

 満月の夜だ。世の人は中秋の名月などというが、この男にそんな風流など無縁である。
「帝が死んでまだ跡目も決まらずねえ……。果たして、どうなるのかねぇ。この国は。」
 ほとんど他人事のようにいった男は、年の頃は三十を少し出たくらいのそれでも彼の身分からすればなかなかに若い男だ。
「そりゃ、あの生ッ白い奴が宮中なんか放り出されてせっつかれりゃ、あっという間に死ぬだろうよ…。かわいそうに。」
 少しは同情するのかそんなことを呟きながら、男はふうとため息をつく。酒も煙草も貰い物だ。もちろん、付け届けに決まっている。別にだからといって他人を優遇したことはないが、それは、彼が清廉の士であるからでない。ただ、くれるんだから、貰うだけもらっとけという非常に淡泊な考え方によるものだ。そのせいか、彼は恨みを買うことも多いという。
 不意に遠くの方から、詩混じりの講釈が聞こえてきた。幼い声だが、その見事な言葉の流れを聞いて、彼はひく、と眉を動かす。
「あのガキ、まだ寝てないのかよ!」
 彼は不機嫌そうに呟く。宰相にはあるまじき言葉遣いだが、これでも彼は立派にこの大帝国において一大権力者だった。酒と煙草を交互にやりつつ、彼は月を睨むように見る。
 目は細くてすらりとしていて、わずかに碧が混じっているが、宮中でその目を恐れない者はいない。この男の聡明な目は、どんな裏工作をしようと何もかもを見通してしまうからだ。嫌な奴この上ない彼だが、そこそこに人望はあり、特に下級の若手官僚からは羨望の眼差しで見られていた。だが、そんなことも彼にとってはどうでもいいことである。他人の評価は、自分の権力をはかる時以外、気にしない主義なのだ。
 息子の爵(しゃく)が家のどこかで、中秋の名月を肴に長々とこましゃくれた講釈を垂れているのがわかる。相手は恐らく乳母と使用人相手だと思うが、それにしても、古代の詩から典拠を引っ張ってくるあたり、末恐ろしいガキだと思う。雅を解する使用人から、嘆息が漏れているのをききながら、彼は眉をひそめた。
(くそっ、…あいつ、いつの間にか口がまたうまくなってやがる!)
 ぶつくさいいながら、彼はふと不機嫌になる。
 何というか、息子は彼に似すぎている。似すぎているので、何となく競争意識を持ってしまう。もっとも息子も息子でそうらしく、父に負けぬような恐ろしい弁舌を振るう。まだ子供だというのに、末恐ろしいと彼は思う。もっとも、自分の少年時代を棚に上げてであるが。
 一見、権力欲の強そうな彼だが、実際彼はそこまで権力にしがみつく男でもなく、別に一代で終わってもいいなどとろくでもないことを考えているのだが、あの息子なら自分でどうにかするので、きっと数代に渡り権勢を振るうことになりそうだ。全く末恐ろしいガキだとつくづく思う。
 男の名は杜陸(とりく)という。直隷総督、並びに左宰相という肩書きを持っていて、実際、国を自在に動かす力を持っていて、実際やり手としては有名だ。だが、それに反して彼には妙に淡泊な所があり、別に国家簒奪の意志はないようだ。もっとも、忠誠心などという殊勝なものも持ち合わせているはずもなく、彼は単に殺されない範囲で、自分の才能を弄んで生きているだけ、という感じだった。
 災害続きで荒廃した乱世直前の世の中に、彼は別に何を求めるでもなく、ただ自分の利益を読みながら生きている。
 ふうと酒のかかった息を吐きつつ、彼は月を見る。
「ああ、メイルもこの月をどこかで見てるのかなあ。」
 一応に妻であるメイル、この国の文字では梅児は、将軍梅蘭氏(めいらんし)の娘だ。といっても、実は異民族の将軍の娘である。元々西域に程近い蘭州のはじの生まれの彼は、その辺の異民族とつきあいがあるし、自身ももとより西域の血を受けているという。目の色が、若干他の漢人官僚と違うのは、その辺の事情があるのだが、口さがない政敵は、それは魔物が憑いているからだというような事を言う者もいるらしい。まあ、大体そういう輩には、嫌味でやり返してやるのだが。
「あぁ、いくら女将軍だからって、オレを置いて戦いにいくことないじゃないか…嫌われてるのかなあ、オレ。」
 がっくりと肩を落とし、彼はため息をついた。異民族では女性が司令官になることは珍しいことでもない。武芸に自信のない彼とは逆で、あの妻は武芸百般に秀でていた。おっとりした性格で、一緒にいると色々と癒されるにもかかわらず、彼が狙われると必ず助けてくれたあの強くて綺麗で優しい妻、メイル。杜陸はなんだかんだいって、彼女にぞっこん惚れているのだった。それとの息子があのクソ生意気な爵であるわけだが、なんで、あの優しい妻に似なかったのかと思うと、哀しみの涙が出てきそうだ。
 いいや、それよりも、今は妻のことである。
「オレが本当に強欲だからって、見限ったのか! だったら、オレ、無茶苦茶謙虚になるから、帰ってきてくれ〜! あぁぁ、メイルー! うおおおお!」
 急に雄叫びをあげた杜陸だが、使用人達は気にしない。なぜなら、これはよくある風景だからだ。こういうときはそっとしておいてあげるにかぎるのである。
 だが、今日は珍しく、彼の魂の叫びの最中に邪魔が入ったのだ。どたばたと走ってくる下男の存在に、ふと彼は我に返る。そして、手すりからひょっと顔だけ覗かせた。
「おお、今日は派手だな、おい。どうした? 金塊の付け届けか?」
「…な、何を期待していらっしゃるんです? 真夜中ですよ。」
「ふふん、悪事を為すには夜中が一番だ。かくいうオレは受験時代にそれを悟った! で、今度は何だ? それとも、あいつらの送ってきた盗品か?」
 実は杜陸は、現在都を騒がせている義賊集団炎狼とも関わりがある。これは、もちろん公には知られてはいないが、彼は炎狼の親分の許飛鷹(きょ・ひよう)と親交があるのだ。お目こぼしをする代わりに、上納金を納めさせているのだが、それも秘密である。
 わくわくしながらそんなことを聞いてくる主人は、貴人としてどうなんだろうと思いながら、下男はため息をつく。
「と、とりあえず、旦那様の好きなものだとは思います。」
「ほほう、そりゃいいね。で、送り主は?」
「旦那様、お願いですから、深入りしないでください。」
 下男は恐る恐るといった風にそうっと杜陸に耳打ちした。
「後宮からの贈り物ということです。」
「はっ? なんだそれは。」
 杜陸も別に女が嫌いなわけではないが、後宮という所はとかく女の園なのだ。女同士の争いの恐ろしさもさることながら、杜陸のような縛られることを嫌う男にとっては、色々と恐ろしげな場所である。跡目の為だけに放り出されるなんてまっぴらだし、ここのところの皇帝はみんな後宮で酒と女で遊ぶような年頃なっては子供を残して早死にしている。色々あるのだろうが、とりあえず恐ろしいところだな、とだけ思っておくことにした杜陸だ。
 とはいいつつも、後宮と政治の間は切っても切り離せない。杜陸も以前、宦官を金で抱き込んで女官に付け届けさせたことぐらいはしたことがある。とはいえ、これは少し異常だ。宦官からの使いがこっそり来ることはあれど、明確に贈り物とは珍しい。
 興味津々でそっと闇に紛れながら出ていってみる。盗賊ばりに闇での動きに慣れた彼の行動は、下男でもわからない。いつの間にか後ろで煙草の火がともっていて、怯えることも一度や二度ではない。
 ふらっと出ていって見ると、二、三人の男が相当大きな箱を一生懸命運んできている所だった。
 夜目の利く彼は、下男が灯りを持って後からついてくる前に、月明かりで大体の人物を把握する。そして、少し驚いたような顔をした。
「何だ、貴様か。一体夜中にどうした?」
「杜陸殿。真夜中の訪問、まことに非礼でございました。」
 礼をしようとする彼に、人目に付くとまずいからやめろ、と視線で制し、杜陸はいった。
「いいや、お前と話をするのはむしろ夜の方が人目がなくていいのかもしれんが……なんだ?」
「この前は菓子をどうもありがとうございました。今日はそれのお礼にあがったのです。」
 よくわからないことをいう、とは思ったが、彼は顔を見知っている宦官だ。というよりは、杜陸が宮廷のあれこれを探るためによく使う宦官で、しかも、金銭で雇っている同然の人間だ。しかも、冷静で割と杜陸を買ってくれている、それなりに信用のおける人物の筈である。護衛をそれほど連れていないので、私用なのだろうか。
「それで、これを、オレにくれるというのか?」
「はい。それでは、人目につくのも困りますでしょうし、中にこれを運ばせていただいたら、私は去ることにいたしましょう。」
「ああ、すまんな…。しかし………」
 といいかけて、杜陸は一瞬、宦官と目があった。その視線には、何か違和感がある。それはすぐにはわからないが、とりあえず杜陸は、何も言わずに受け取ることにした。
 とりあえず、色々黒い噂の多すぎる杜陸だ。人目につくと危ないので、私室に持ち込ませた後、他の連中を追い返してから、杜陸は箱を眺める。人間一人ぐらいは入れそうだ。それでも刺客だとは思わない。あの宦官は信用できるし、それほど危険な色を覗かせていなかった。あの目に映った色は、どちらかというと、「何とかしてくれ」とか「お任せします」に近かった。それに、妙に彼も内密にしたがっていたような気がする。そんなわけで、とりあえず、一人で開けてみることにしたのだが……。
 コンと蓋を叩き、杜陸は唸る。
「アイツ、何考えてるんだ?」
 顎をなでて少し考えてみる。だが、結局彼は蓋に手を掛けた。
「ったく、何がはいってんだろうなあ。昔の大秦国の帝みたく、女が入ってたりして…な…?」
 杜陸はびくりとする。蓋に手を掛けたとき、中から大きな目が二つ彼を見上げていたからだ。暗い中でも夜目の利く彼の目が確かなら、それはまだ年端もいかない少女のもののように見えた。 
「こ、こんばんは。」
 かわいらしい声が耳に入るやいなや、杜陸は容赦なく蓋を叩きつけた。
「あ、な、何するの!」
「ああ、いけねェなあ、年取ると目が悪くなっちまう。何かオレ、今幻見たわ。」
 左手で額をおさえつつ、右手はそのまま蓋をおさえながら彼は他人事のようにそう言った。
「ちょ、開けなさいよ! 話ぐらいきいたらどう!」
「うるせえなあ、おい、誰か紐もってこい!」
 部屋の外にいるはずの召使いを呼びつけながら、がたがた揺れる蓋を押さえつけようとするが、中の少女も必死だ。抵抗されて、顔が半分出ている。さすがに御簾の向こうの顔は知らないが、めざとい杜陸は、その少女の声を聞き覚えていた。だから余計に面倒なのだ。
「な、何をするのよ、女の子が入ってるのにこんな事していいと思ってるの!」
「いたいけな娘が箱の中に入ってるかよ。おら、ガキは家帰って寝ろ!」
 どん、と足をのせて蓋を踏みつけると、中で少女は余計に暴れ出した。
「ちょ、ちょっと、何足で踏んでんのよ! どけなさいってば!」
「おーい、誰かー。この喋る箱送り返せ!」
「人を呼ばないでってば! あたしじゃなくあんたが大変な目に遭うわよ。」
「るせーな。この屋敷内は、絶対的秘密が守られたオレの帝国だぞ。じゃなきゃ、オレはとっくに死んでるっつーの!」
 妙に自信満々だ。がたがたと手を伸ばしてくる少女は必死に叫んだ。
「いい加減にしないと、不敬罪で訴えてやるんだから! あたしはこれでも皇太后なんだからね〜〜!!」





一覧   次へ

背景:
©akihiko wataragi