勢いよく言う彼の様子に、首を傾げたものの、とりあえず容態が悪くなったようでもない。リーフィは、何か用意するためにか、向こうの方に歩いていった。
 どこか安堵したようにため息をつきながら、ジャッキールは、顔を上げる。青ざめた頬に、常人にはわからない程度にさっと朱を刷いているのは、別に熱のためではない。
(なんといううつくしい娘御だ……)
 しかも、心身ともに。そう心の中で呟きつつ、ジャッキールは、味がわからないままに、そっとスープを口に運んだ。
 妙に頭の固いジャッキールが、彼自体は、結構惚れっぽいところのある男でもあることは、あまり知られていない。その惚れっぽさは、実際はシャーを軽く凌駕していたりするのだが、顔立ちが冷たく見えるせいか、はたまた誠実なせいか、その事実があまり周りに知られることはなく、そして、本人自身もその事実に気付いていない。
「あら」
 リーフィが、ふと声をあげたのをきいて、ジャッキールは顔を上げた。外の方から足音が聞こえたのがわかったのか、一瞬、彼の顔が険しくなる。リーフィは、そっと窓をあけてのぞき、ジャッキールのほうに振り返った。
「大丈夫。シャーだから」
「そうか……」
 一瞬追っ手かとおもったのか、ジャッキールの顔にはほんの少しの安堵が浮かんだ。
 リーフィは玄関の方に歩いていった。ほどなく戸がノックされ、シャーの、一度きいたらなかなか忘れない、緊張感のない声が響いた。
「リーフィちゃん。あけて〜。オレオレ、オレだから」
「はいはい。ちょっと待ってね」
 リーフィはそういって、入り口をふさいでいる鍵をはずした。直後、ぎい、と音を立てて扉は開く。闇に浮かびあがるようにして現れた、どこか青い瞳をした青年は、くしゃくしゃの頭をとりあえずかきやる。どこからどうみても、シャーでしかない人物に、リーフィは、わかっていたながらに、どこか安心するのを感じた。
「ああの、あのネズミ! 結局人に全部やらせて途中で逃げやがって……」
 入ってくるなり、シャーは、口を尖らせてそう文句を言った。
「ねえ、リーフィちゃん、ひどいと思わない?」
「まあ、また何かあったの。とりあえず、お疲れ様、シャー」
「ありがと。でもねえ、リーフィちゃん、大丈夫だった? いや、一人で帰しちゃってごめんね。あのネズ公がとんでもない……」
 いいかけて、シャーは、あ、と声を上げた。部屋の中にいる先客に気付いたのである。黒いチュニックを着た男の姿に、シャーは、一瞬、リーフィの新しい恋人かと肝を冷やしたが、そこにいた相手はある意味それ以上にシャーを驚かせた。
「アズラーッド……」
 ぽつりと呟いた男は、その青ざめて整った顔に、鋭い瞳を閃かせる。闇夜を引きずるような風貌が、刃物のような独特の鋭い冷たさを感じさせた。その男の手の届くところに、剣の柄が見えた。
 その瞬間のシャーの動作は素早かった。
 リーフィをあっという間に、背後にかばった時には、シャーの手には、すでに白刃が握られていた。
「ジャッキール! てめえ、何でここに!」
「シャー、落ち着いて」
「リーフィちゃん、コイツは……!」
 ジャッキールは、というと、一瞬刀を向けられたとき、反射的に剣に手を出しかけたが、すぐに自制したのかその手を止めていた。
「……剣を収めろ、アズラーッド。女性の部屋で荒事など不躾もいいところだ」
 ジャッキールは、眉をひそめてそういった。
「大体、俺がこの体で、貴様と十分に戦えるはずもないだろうが。それでもやるというのならかまわんが……この部屋を俺の血で汚すのは、貴様も本意ではあるまい」
「何だと?」
 そういわれて、シャーは、ジャッキールを注視した。チュニックの左肩の部分から、何重にもまかれた包帯が覗いている。いつもより青ざめた顔には、いくらかの倦怠感のようなものが見受けられたし、息遣いもいつもより熱っぽい。そして、剣に一瞬手を出しかけたときも、ジャッキールは左手を全く動かしていない。いや、動かせないのだ。
 それだけの状況から推測しても、ジャッキールが怪我を負っていて、その痛みのために、満足に戦えないだろうことは、すぐにわかった。
 だが、そうだとしても、何故リーフィの部屋にいるのかわからない。しばらくにらみ合いをしていると、後ろにいたリーフィが、シャーを止めに掛かった。
「シャー、落ち着いて。彼は、何もしていないわ。私が傷の手当てをしてあげただけ」
「え、ええ?」
 シャーは、例の大きな目をさらに見開いていた。
「ど、どういうこと? コイツが押しかけたりしたんじゃないの」
「違うわ。彼は私が連れてきたのよ。駄目だったかしら」
「駄目だったかしらって……。だ、駄目じゃあないんだけれども」


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