ハダートはへらりと笑った。
「ええい、一度は見直していたのに、貴様という奴はッ! 一体全体、殿下に何の恨みが!」
「カッファカッファ、落ち着いて。なあ、ハダートちゃん」
 シャーは急に苦笑いしながら、カッファの方を押さえる。そして、シャーはにんまりと笑いながら、ハダートに呼びかけた。そして、にんまり笑いながら、こう聞いた。
「おたく、どっちの味方しにきたの?」
「嫌ですね」
 ハダートは、含み笑いを浮かべた。その瞬間、彼の背後から彼直属の兵士達の鬨の声が聞こえた。
「ちょっと早かったかな。……もう少し引き延ばしたかったんだが」
「何をいっている?」
 ザミルが不審そうにハダートを見る。と、不意に、ザミルの後ろで悲鳴が聞こえた。はっと振り返ると、この部屋に入り込んでいたザミルの連れてきた兵士の何人かが、突然仲間の兵士に斬りかかったのだ。その間にハダートの背後から、数人の戦士達が忍び寄るように入ってきて、すでに少なくなっていた室内のザミル側の戦士達を駆逐し始める。
 驚いてハダートをみたザミルを、彼は嘲笑うような綺麗な笑みで迎えた。
「シャルル陛下も人がお悪い。私のような正直者を捕まえてそれはないでしょう?」
「ハ、ハダート=サダーシュ!」
 噛みつきそうな顔で、ハダートを睨み付けたザミルだが、ハダートは少しの怯えも見せない。
「すみませんねえ、ザミル王子。どうやら情勢が変わったみたいでして」
 そういってハダートは、壁に肘をあててほおづえをついている。
「…………貴様、裏切りを!」
「ははは、ご冗談を? 私は、常に状況を見て判断する男ですよ? あなた様がもっと優勢ならば味方になってやっても良かったんですが……」
 そういってハダートは、くくくと軽い笑いを浮かべた。
「そこにいるお方が間に合った時点で、私の決断は一つに決まっていたのですよ」
忍び込むように入ってきたハダートの戦士達が、いつの間にかザミルの私兵達を反対側の部屋に押し入れていた。ザミルのそばには兵士はほとんどいなくなり、彼は孤立した状態で、周りを見回した。くっと歯がみをし、彼は抜いた剣をシャーの方にむけた。
「おのれ! 貴様! シャルル! 最初からわかっていたのか!」
「ジョーダンじゃないよ。オレがいくら勘がよくても、ハダートちゃんの考えはあまり読めないのよね。……オレが頑張って走ったご褒美だと思って欲しいな」
「もういい! 破れかぶれだ! お前だけは殺す!」
 ザミルはそういって剣を軽く振るった。
「潔くない奴だね、お前は――」
 シャーは、少しだけ笑いながら立っている。ザミルが動いたため、ハダートの連れてきた兵士達が慌てて武器を構えようとした。が、その時、シャーが左手を広げて命令した。
「手を出すな!」
 シャーはりんとした声で言った。
「し、しかし、殿下!」
 心配そうに声をあげたカッファに、シャーは鋭い声で言った。
「これはオレが始末をつける!」
ザミルは不意に切っ先を下げ、そのままそうっと歩き始めた。シャーは動かない。ただ、切っ先で地面を指したまま、凝然とたたずんでいる。ザミルは、時計回りに、ちょうど切っ先の示す交差点を中心にして、円を描くように歩きながら相手の好きを探る。ザミルは、刀を持つ手を入れ替え、それから構えを変える。シャーは相変わらずのままだった。
 この部屋を照らしているいくつもの灯りの炎がゆらいだような気がした。
 その時、ザミルが動いた。奇声を上げながら飛び込んでくるザミルの刀の切っ先を、止まっているものを見ているように眺めながら、シャーはそこに立っていた。
「シャー!」
 ラティーナの声が飛ぶ。
 すっと、シャーの刀が上を向いた。ザミルはそのまま飛び込んでくる。切っ先はまっすぐにシャーの左胸だ。あわや触れそうになるまでシャーは一切動かなかった。ただ、不意に彼が唇を動かしたのがわかった。
「甘いんだよ……」
 シャーの声がしたかどうか、ザミルにはわからなかった。シャーの体に切っ先がかかるかどうかというところで、急にシャーは左肩をひいてそれを避けた。ザミルが焦燥に襲われる頃には、シャーの右手に握られていた刀はザミルの眼前にぎらりと輝いていた。そのままその光はザミルの剣を一気に跳ね飛ばした。うまく折れたのか、ザミルの刀の切っ先と、柄の部分がそれぞれ別の場所に飛ぶ。
 右手を軽くおさえて、ザミルは上を仰いだ。シャーは、ただ黙って冷酷に、ザミル自身に切っ先を向けていた。
 咄嗟にザミルは叫んだ。
「……あ、兄上、待ってくれ! 実の弟に手をかけるのか! 半分とはいえ、血の繋がった兄弟だろ!」
「……黙れ」
 シャーは冷たく彼を遮る。
「その血を分けたラハッドをお前は殺した!」


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