「失礼いたします、殿下。少々、『こと』が起こったかもしれません。これよりおさめて参ります」
 そう断り、ラゲイラは急いで部屋の外にでた。進むうちに、慌てた様子の召使いとすれ違う。召使いは、あっと叫び、それから急きこんでこういった。
「た、大変です。こちらにジートリュー将軍が!」
「ジートリュー将軍だと!」
 ラゲイラは、苦い顔をした。
 ジートリューとは、七部将の一人で、ジェアバード=ジートリューというのが本当の名である。有名なシャルル擁立派だった七部将最大の軍勢を持つ将軍だ。
 まさか、企みがばれたのだろうか。と考えたが、それは違うだろう。それなら、十騎やそこらで訪れるわけがない。それにジートリュー将軍は、どちらかというと力任せな将軍で、かなり単細胞なはずである。知性派のラダーナ将軍や七部将のまとめ役であるゼハーヴ将軍ならいざ知らず、鈍いジートリューが、他の者もまだ気づいていないだろうこの企みを知るわけがない。おまけに、やることなすこと派手な彼が隠密行動を任されるはずもないのだ。
「いいでしょう。私が直接会ってきましょう」
 ラゲイラは召使いにいい、そのまま進む。慌てて、後を召使いが追いかけてきた。
果たして、玄関にはジートリュー将軍が、兵士数十名と一緒に立ちはだかっていた。がっしりした体に、精悍な顔つき。大きな目をしていて、それがラゲイラをじっと見ていた。その髪の毛は、噂通り燃え上がるように真っ赤だった。
 ハダートを「水」に例えれば、ジートリューは「火」。ハダートが「水の将軍」なら、ジートリューは「火の将軍」。
 ザファルバーンの民衆が、面白がってそういうのは、彼らの性格だけではなく、外見も含めてのことである。そして、その例え通り、彼らは犬猿の仲であるというもっぱらの噂である。
「こちらにハダートがいるとの話を聞いてきたのだが!」
 ジートリューは、軍人らしい、大きい、通る声で訊いた。
 ハダート将軍と喧嘩でもしたのかもしれない。ラゲイラは、彼らが仲が悪いことを思い出し、そう考えた。
 ジートリュー将軍は別に横暴な男ではない。ただ、目的を得るとどこまでもまっすぐなのだった。だから、彼がこんな無礼な行動に出ても何も不思議ではなかったし、軍閥としては最大の力を持つジートリューがいくら無礼だからといっても、軽々しく罰を与えるわけにはいかなかった。
 だからこそ、ラゲイラは、この将軍が幾ら無礼でも何一つ文句を言わなかった。もともと単純な男である。口でまるめこめば、ジートリューは帰るにちがいない。計画に気づいていない者を警戒して、かえって怪しませてはやぶ蛇である。
「ハダートさま? さて、確かに、わたくしはサダーシュ将軍とは懇意にしておりますが。何の御用ですか? ジートリュー様」
 ラゲイラは、愛想笑いを浮かべてすっとぼけた。ジートリューは、そういわれて少し困った顔をしたが、すぐに何か思いついたような顔をして声を高めた。
「ハ、ハダートが私に金を借りたが、返してもらっていないのだ。昨日までに返す約束だったのだが!」
 妙にたどたどしい言い方であるが、ジートリューはもう一度武人特有の高圧的な言い方で続けた。
「ハダートの家のものに訊けば、こちらに出向いたとのことで…………あぁ、深夜だとは思ったのだが、どうしても……! わ、私にも火急の事情があって、あの男に至急面会せねばならなくなった! ハダートの奴が私を騙したという可能性もあろうことであるし!」
 ラゲイラが冷静なせいなのか、それとも他に理由があってか、彼の言葉は徐々に怪しくなってくる。とにかく、ジートリューを後は少し説得すればいいだけである。
 ラゲイラは少し安心し、これでジートリューを帰せると思った。だが、不意に後ろから問題の張本人が現れたのである。
「何かあったのですか?」
 ひょっこりとラゲイラの横から顔を出したハダートを見て、言葉の続けようを失っていたジートリューはようやく救いを見いだしたように叫ぶ。
「ハダート! 私がかした金を返せ! 至急必要なのだ!」
 ハダートは、肩をすくめる。
「深夜になんだ? 礼儀を知らん奴だな。しかも、どこに押し入ったと思っている?」
「う、うるさい! 私は至急の用があるのだ! この詐欺師!」
 ハダートが、ひく、と眉を動かした。ラゲイラは、危険な匂いにハッとする。
「貴様とは直接話をしなければならないようだな! この、七部将の面汚しめ!」
 ハダートの暴言は、短気なジートリューの短い導火線に火をつけたようだった。突然、顔を赤くした彼はハダートの胸ぐらにつかみかかる。ややハダートの方が背が高いが、どう考えてもジートリューの方が強そうだった。
「何だと! それは、貴様だろうが!」
「表へ出ろ!」
 ハダートは叫ぶ。


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