相手は困ったようにそういい、店の方に足をかけたようだった。中をのぞき込んで本当に休みなのを知ると、彼はため息をつく。
「折角来たのに、残念だな…」
 シャーは、ようやく面倒そうに首を向け、相手の顔を見ようとしたが、その前に違和感を感じたのだ。今の声、確か、以前にきいたことはないか。ほおづえをついていたシャーは、ぴたりと動きを止め、用心深く注意しながら相手の方を見た。
 相手も暗い室内にいる彼をすぐにはわからなかったようで、彼の顔を見て、はっきりと驚いた顔をした。
 シャーが椅子を蹴るように飛び出して、構えを取ったのと、相手が一歩後退したのは同時だった。
 そこにいた相手は、きちりとした服装で、大人しそうな顔はしていたが、あの夜にあった男そのものであった。
「てめえ…ゼダ!」
「シャー=ルギィズ、てめえの根城かよ!」
 シャーは反射的に身を翻し、右手をそっと柄にかける。だが、ゼダは首を振った。
「おっと今日はお前とぶつかるつもりで来たんじゃないぜ!」
 ゼダは、相変わらず吸っていたらしい煙管をはずして、指先で振りながら言った。服装は割合にきっちりしているが、それでも声色から表情まで、先ほど店に入ってきたときと、一瞬で変化している。特に声と口調の変化は凄まじい。もっとも、シャーも人のことを言えないぐらいに口調も声も変わるのだが。
「ちょっと今日は、あの時の女に会いに来たのさ」
 すでに言葉遣いも目つきも変わっているゼダは、独特の退廃的な雰囲気すら漂わせつつ、そう言って笑う。
「はあ? 何訳のわからんことを?」
「あぁ? オレは言わなかったか、オレはこれでも理想の女は探してるんだって。ああいう健気でしっかりした女が好みなんだよ。だから、ちょっとおつきあい願えないかなあって。ほら、まず人間何事も信頼が大事だからな」
 どこかで訊いたような台詞を言いながら、ゼダは煙管を吸ってふっと煙を吐く。
「だから、会いに来た。いいんだろォ。あの子、テメェのイロってわけでもねえんだろ。なーら、オレが多少色目つかってもいいだろが」
「ふーん、言いたいこと言ってくれるじゃねえの」
 シャーは、口許をひくつかせながらゼダに近寄った。
「いいじゃない。リーフィちゃんに会わせてやっから、ちょいと外に出ろ」
「ああ」
 ゼダがそう言って、一歩店に入りかけていた足を避けた途端、シャーは突然扉に駆け寄った。
「あっ!」
 ゼダが声をあげるももう遅い。シャーは無言でぴしゃりと扉を閉める。ゼダが卑怯だぞ、と、声を上げるが気にしない。どんどん戸を叩くゼダを押さえつけながら、そこに近くの椅子や机をとにかく積み立てて、入り口をふさぐ。
「あああっ! シャー、てぇめええええ!」
 向こうでゼダが叫んだが、シャーは、冷淡な目で光を完璧に遮断した扉をみるだけだ。
「こら、開けろ! あけねえか!」
「ふーっ、これでよし」
 シャーは手を叩いて埃を払うと、まだ戸を叩いているゼダを完全に無視した。
「てめーっ! シャー! 覚えてやがれ! 開けねえと殺すぞ!」
「できるもんならやってみろォ! 返り討ちにしてやる!」
 シャーはそう言い放ち、まだうるさい扉を睨み付けた。
「ふん、オレなんかフリーになって一番最初にアタックかけたのに、おもいっきり振られたんだぞ」
 シャーはぶつくさという。
「それをポッと出のお前なんかに横からとられてたまるか! オレがふられんのは仕方ないけど、てめえにだけは絶対に渡さん!」
 ふと、物音に気づいたのか、リーフィがこちらに歩いてくるようだった。シャーは慌てて部屋の入り口まで出てきて、へらっと笑う。
「どうしたの? 何か物音がしたような気がするけど?」
「ああ、ネズミが出たんで、外に出して置いたんだ。それより、リーフィちゃん…、裏口から外に出ない?」
「いいけど、どうしたの?」
「ネズミが入り口でちゅーちゅーうるさいからさ。できたての服、囓られるのいやだし」
 リーフィはわずかに首を傾げる。シャーは、そろそろ静かになった表口をちらりと見ながら、軽く舌を出した。



「ああの、腐れ三白眼があああ!」
 怒りおさまらぬゼダは、一度扉をけっ飛ばすと、きっちり着ていた上着を乱し、袖を垂らしながら肩に掛ける。そうすると、顔はともかく、どう考えても危なげな人間に見えるゼダは、布に巻いたままの腰の剣をなでながら、道を帰りだした。
「決めた! オレは、あいつを殺る! …みてろよ、シャー! てめえ、絶対にこの恨みを晴らしてやるからな!」
 憎悪に燃える富豪カドゥサの御曹司は、砂埃立つザファルバーンの王都を闊歩しながら去っていくのだった。




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