リーフィは、やや困惑気味に、といっても、最近、リーフィの表情を見慣れたシャーでも、ほとんど分からない程度に眉をひそめていった。サリカの方は、ややオーバーなほどに両手を広げて、振り返る。
「焦らないでって…リーフィねえさんは嫌じゃないの? なんで、今になって、あたし達が身売りされなきゃならないの!」
「だから、落ち着いて。…まだ、そうなるとは決まっていないわ」
 リーフィが落ち着いているのは、おそらく半分元からあきらめが入っていたからで、サリカは諦め切れていないからなのだろう。そもそも、リーフィは今まで苦労が多かったので、自然とそういう風に割り切れるのかもしれない。だが、リーフィよりも年下で、彼女よりもきつい性格のサリカは、到底冷静になどなれない。
「リーフィねえさんはいつもそうなのよ! すぐに諦めたりして! ねえ、逃げましょう! こんなところから逃げるの!」
「サリカ、ここはお店なのよ。そんなことをこんなところで話すものじゃないわ。冷静になりなさい」
「マスターも誰もいないのよ! いいじゃない! 今なら!」
 サリカは興奮気味にいった。感情が先走るタイプのサリカは、こうなると少し手がつけられないようだ。
「あ、あの〜……ちょっといい?」
 リーフィが困っている様子を見てか、店の隅っこにいたシャーがこそこそとやってきた。
「何よ!」
 感情が高ぶりすぎたせいか、涙目になっているサリカだが、シャーを睨むときの強い視線はかなりのものだ。思わず射すくめられて、シャーはびくりとする。それでもシャーは、おずおずと、サリカの表情を伺いながら口を開いた。
「あ、あのねぇ、サリカちゃん。……何があったかしらないけど、とりあえず落ち着いてみてよ。ねっ、何かみんなで相談すればいい知恵もでるかもしんないし……。と、とにかく、マスターがいないからっていって、そんな無茶なこといって、サリカちゃんが後で怒られたらまずいよ」
 サリカは無言である。わかってくれたのかもしれないと思い、シャーはそうっと近づいた。
「ね、事情を話してくれれば…」
 そこまでシャーの声が響いた直後、パーンという乾いた音が鳴った。思わずシャーは、後ろの床にひっくり返る。ひっぱたかれた頬を左手で押さえつつ、シャーはそうっとサリカを見た。涙目のサリカの目には、怒りの色が映っている。
「鬱陶しいのよ! あんた!」
 一瞬、酒場の全ての空気が止まったような、そんな感覚がした。サリカは続けて、シャーをいくらか罵る。そして、泣き叫ぶような声で怒鳴りつけてきた。
「あたし達の気持ちなんて、全然わかってないくせに!」
「サリカ!」
 リーフィが少し鋭い声で言った。
「サリカ、シャーに謝りなさい!」
サリカはリーフィを見る。無表情でほとんど感情を表に出さないリーフィが、ここまで相手をかばうのは珍しいことだ。しかも、こんなシャーのような男相手に。サリカは、不満そうにリーフィに視線を向ける。
「リーフィねえさん!」
「サリカ、シャーだって、悪気があって鬱陶しいわけじゃないのよ。それに、シャーはあなたのことを考えてくれているから…!」
「リーフィちゃん……かばってくれてうれしいけど、なんか今、オレの心に冷たいものがぐっさり刺さった」
 シャーはぽつりとそういうが、リーフィはきいていないらしい。彼女にはそもそも他意はなさそうだし、自分がひどいことを言っていることにもあまり気づいてないらしい。
「最近、ねえさん変よ! そんな奴かばったりして」
「サリカ…。シャーは……」
 リーフィが説明しようとしたが、ふとシャーが微かに首を振ったのが見えた。自分が、関与していることは言うなということだろう。リーフィが言葉に詰まると、サリカは、むっと下顔になった。
「リーフィねえさん、そんな奴に同情して、それでいい仲になったんじゃないの!」
「大丈夫、そういう可能性はないわ」
(うわ、ものすごくきっぱり否定された)
急にさらりと否定され、シャーは内心哀しかったが、とりあえず、そろそろこの騒ぎをおさめねばならない。慌てて彼は立ち上がった。
「リ、リーフィちゃん、もういいよ。ごめんね」
 そして、サリカに向き直る。
「ご、ごめんね、オレ、何やらサリカちゃんの神経逆撫でたみたい。そんなつもりはなかったんだけど、ちょっと、オレ、今日出直してくるわ」
 そういって、シャーはさっと酒場から出ていく。その後を慌ててリーフィが追いかけていった。
 酒場にいたシャーの舎弟達は思わず呆然としたり、女の怖さを身に感じたりして静まりかえっている。ただ、サリカだけが、シャーとリーフィの去った入り口を、睨みつけるようにまだ見つめていた。


 すでに外は暗くなっている。シャーとリーフィは、街をアテもなく歩きながら話をしていた。


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