一覧 戻る 次へ 四日目-3 宿を出た後、私は瑠璃蜘蛛に言われるままに歩いていた。 瑠璃蜘蛛は、私に知らせを南路にいる本隊に向けて送るようにいいつけていた。伝令役は手配しているが、手紙と現物を持っていって欲しいというのだ。 そして、渡されたのは、殿様がはずした銀の指輪と赤い上着だった。赤い上着に血の染みがついていて、私は、それを見ると気持ちが沈んだ。 銀の指輪には内側に文字が書かれている。それは、はっきりとは読まなかったが、刺客に王子だといわれていた殿様の正式な身分が書いてあるのだろうと思う。 瑠璃蜘蛛は、私にお金とそれらと走りがいた手紙を渡して、馬子に渡すように言いつけていた。 とぼとぼと私が歩いていくと、ふと目の前に背の高い男が立っているのがわかった。 私はどきりとした。彼は私の持ち物をじっと見ていたからだ。 「お嬢ちゃん、どこにいくんだい?」 男は、そう声をかけてきた。親切そうな男だったが、あの林檎の一件で、私はすべての人が敵のように見えていた。 「これは?」 男がにこりと笑って、指輪をさした。 「あの、持ち主だった人が亡くなったので、ゆかりのある方に知らせを飛ばすんです」 私は瑠璃蜘蛛に言われたとおりにそう伝えた。 「そうか。ちょっと見せてくれないかい? 知り合いのものににているんだ」 「どうぞ」 「ありがとう」 男は私のもっている指輪を手に取った。瑠璃蜘蛛は、誰か行く道でそれを見せるようにいわれたら、遠慮しないで見せるといいといっていた。もし強引にとられたら、それはそれでいいとも言っていた。 男は、それをじっと見ていたが、何か小声で呟いた後、私の手にそれを戻した。 「人違いみたいだ。ありがとう」 「はい」 「でも、これの持ち主は亡くなったんだね」 「ええ、もともと調子が悪かったみたいです。それで、ゆかりのある方に手紙で女神様の神殿にきてもらうようにって」 「ああ、そうか。そろそろ祝祭だったからね。そこで弔ってもらうわけだ。もしかしたら、女神様の祭りの護衛役だったのかな?」 「そこまではわかりませんが、そうだったのかも。私は、あの、お使いなので」 「そうか。お気の毒だったね」 男はそういって、気をつけていくように私に言って立ち去った。 私は、男が去ってから急に緊張がとけてしまって、指先が震えるのを感じた。 私は急いで瑠璃蜘蛛が用意してくれていた伝令係の男達のところにいくと、殿様の赤い服と指輪をくるんで、南路の街に向かうようにお願いした。彼らの馬なら、おそらく巡礼の本隊が七日目に通る場所に本隊より早くつけるだろう。そこで、殿様の世話係の人に渡してもらえればいい。 手紙には、神殿に来るように。貴方の大切な方をお預かりしています。とだけ瑠璃蜘蛛は書いていた。 先ほどの男が言ったとおり、巡礼の途中、万一、護衛が死んだ場合、遺体はそこで葬られるが、遺品を神殿まで運び、神殿で弔う。そうすることで、死んだ護衛は女神の武官になるのだと伝えられている。それは知っている、知っているから、その文章を見た人間がどう思うかも私は知っているのだ。 瑠璃蜘蛛は、殿様が死んだから神殿に来い、と読ませるつもりでそう書いた。そして、尋ねてきたものがいれば、そう答えろともいった。 瑠璃蜘蛛はいったい何を考えているんだろう。時々、私は彼女のことがわからなくなる。 ようやく、宿に戻った時、ちょうど瑠璃蜘蛛は帰っていく医者を見送るところだった。 「君の手当てが早かったので大事には至らないようだ」 「それはよかった」 瑠璃蜘蛛はほっとした表情を浮かべた。 「しかし、しばらくは高熱が続くかもしれないな。左腕の傷が化膿している上に、本人の体力も落ちている。若いから大丈夫だとは思うのだが」 「そうですか」 瑠璃蜘蛛は、気を取り直して医者に聞いた。 「飲ませる薬は、この毒消しと熱さましでいいですね?」 「ひとまずそれで様子を見たほうがいい」 「はい、ありがとうございます」 立ち去りかけて、医者は、ふと眉をひそめた。 「それで、近くにあった死体のほうは、君の言うとおりに寺院に引き取ってもらったが」 「はい、それでよいかと思います」 瑠璃蜘蛛は、言った。 「会ったばかりでお名前も存じ上げませんでしたが、私を守ってくださった方でした。丁重に葬ってください」 瑠璃蜘蛛が何の話をしているのかわからないが、彼女は神妙な顔つきでそういう。 「ああ、そう伝えておく」 医者はそういうと、瑠璃蜘蛛の見送りを受けてまた街のほうに帰っていった。その時、瑠璃蜘蛛が、「このことはどうぞご内密に」とそっとささやいたのを私は聞いた。 「シャシャ、お帰りなさい」 瑠璃蜘蛛は、医者を見送って私に言った。 「ごめんなさいね、疲れたでしょう? さあ、早く中に入って」 そういわれて私は瑠璃蜘蛛に案内されて部屋に入った。 部屋では、寝台に殿様が寝かされていて、時々苦しげに息をついていた。そうしてみると、痩せた殿様はひ弱で貧弱な感じがした。まるで別の人のようだった。 「心配かけたけれど、大丈夫みたい。しばらく様子を見てあげないといけないけどね」 瑠璃蜘蛛はそういって、私の様子を見た後、眉をひそめた。 「大丈夫? もしかして、誰かにきかれたの?」 「はい。でも、ねえさまの言うとおりにしました」 「それならよかった」 瑠璃蜘蛛は安堵したようだったが、心持ち緊張した様子でそっと呟く。 「でも、やっぱりそうなんだわ。他にも誰かいるのね」 私は、とうとう彼女に訊いた。 「……ねえさま、どうしてあんなこと……」 「そうすれば、この人が死んだように見えるからよ」 さらりといってのけた瑠璃蜘蛛は、私を手招いて側に座らせた。 「シャシャ。この人が返り討ちにした刺客と、林檎を渡した刺客は違う人よ。ということは、おそらく命を狙っている人は、他にもまだいるはず。もし、まだこのひとが生きていることがわかったら、必ず襲ってくるわ。今は抵抗できないから、間違いなく殺されてしまう」 「けれど、あれでごまかされるでしょうか」 「わからないわ。でも、効果はあると思うの」 それに、と彼女は続けた。 「あのこのひとが返り討ちにした刺客を、仲間に見せかけておいたわ。もし、彼と狙っている刺客が別の場所から派遣されているのなら、騙されてくれるかもしれない。今はそれにかけるしかないわ」 「それで、殿様の服と指輪を?」 「ええ、それを持たせて神殿に来るようにと言う手紙をつけたら、それを見たものは、護衛が死んだので神殿で弔うという風に受け取るわね。それなら、数日時間が稼げるわ。世話係の方が誤解してしまったら気の毒だけれど、神殿に着けばすべてわかるのだから……」 瑠璃蜘蛛は、殿様のほうを見る。 「数日で、あのひとが元気になれば、それでいいわ」 「でも、あれこれ使ってしまってお金が……」 私が心配してそういうと、瑠璃蜘蛛は、大丈夫よ、と答えた。 「かんざしを売ったから」 瑠璃蜘蛛はけろりとそんなことを言う。祭祀に使うかんざしをどこかで売ってきたらしく、言われれば彼女の頭から、豪華な宝石がなくなっていた。 「当面の逗留はできるわ。彼が目を覚ますまでは、大丈夫じゃないかしら」 「けれど、そのかんざしは……」 「お祭り用だけど、しょうがないわ。それに、お祭りにも間に合うかどうかわからないし」 瑠璃蜘蛛が、そういうのをきいて、私は何かが心の中ではじけた気がした。 どうして、瑠璃蜘蛛まで、殿様を助けるのにこんなに必死になるのだろう。彼にそんなに魅力があるからか。 いや、違う。瑠璃蜘蛛は、殿様を慕ってはいなかった。 好意でないとしたら、同情? でも、どうして? 私の中で、色んな思いが交錯して爆発してしまいそうだった。 「瑠璃のねえさま、殿様をおいて二人で巡礼を続けましょう」 ふと気づいた時には、私はそんなことを口走っていた。 一覧 戻る 次へ |