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三日目



 三日目の朝が来た。
 位置を把握した瑠璃蜘蛛は、先頭に立って道を歩く。砂漠の多いここでも、神殿までの間は一応街道のようになっていて、そんなに迷うような道ではないと瑠璃蜘蛛は言っていた。彼女の言うとおり、定期的にオアシスがあり、休憩をとることができた。旅人の姿は少なかったが、盗賊などもいないようで、意外に平和に旅ができた。
 殿様は、今日も朝から飲んでいた。この旅に出てからも、彼は酒を抜くことが出来ないらしい。
 どこかにいってしまえばいいのに、と私は思ったが、殿様は、私たちの後を無言でついてきていた。
 殿様は、何のつもりで私達についてくるのだろう。瑠璃蜘蛛が頼んだとおり、護衛役を引き受けたつもりなのだろうか。そんなはずはないと思う。今もって彼は非協力的だし、私や瑠璃蜘蛛に何かあれば悪態をつくことが多い。
 きっと、一人で置いていかれても、どうしようもないからだと思う。
 一方で、私は、ようやくこの瑠璃蜘蛛という人間になれてきていた。
 最初は、感情のない冷たいひとなのだろうと思っていたが、彼女は十分優しくしてくれたし、時折、ふっと表情をやわらかくすると、言いようもなくかわいらしかった。普段が無表情なだけに、少しだけ笑った時がとてもやわらかく見えて魅力的だった。
 こんな容姿をしている割に、なんとなく男っぽい気がしてしまうぐらいさばさばしていて、頼りにもなる。ちょっと浮世離れしているというか、なんだか不思議な雰囲気はただよっていたけれど、この二日で私は彼女が好きになってきていた。
 そうして心に余裕が出てくると、また夕映えのねえさまのことがとても気がかりになった。
 夕映えのねえさまはきっと無事に違いない。私はそう思うことにしたけれど、内心やはり不安だった。もしかしたら、私を心配して探し回ったりしていないだろうか。私がいなくても、誰かなにもできない彼女の世話を焼いてくれるひとがいるだろうか。いろいろ心配すると、不安がとめどなくあふれてきそうだった。
 それに、夕映えのねえさまは、殿様のことが好きにちがいないから、いなくなった殿様のことを心配しているに違いない。それか、一緒に巡礼を行うはずだったのに、その機会を失って悲しんでいるかも。それどころか、殿様が無事かどうかわからなくて不安に思っているのかもしれない。
 そう思うと、余計に後ろを歩く殿様の自堕落な姿が私には許せなかった。どうして、ねえさまは、殿様がすきなんだろう。私には理解できないけれど、どこかいい所があるんだろうか。どうして、殿様は女に好かれるのだろうかと思った。
 午後、太陽が傾きかけた頃、小さなオアシスにたどりついたので、私達はそこで休むことにした。瑠璃蜘蛛曰く、無理にこれ以上歩いても次の宿場町には着かないのだそうだ。夜の砂漠は危険であるので、今日はここまでの旅になる。
 私は、水辺で足をつけて遊んでいた。砂漠の昼。気温が上がるなか、道を歩いてきた私たちにとって、日陰のある水辺はとても貴重なものだった。特に旅慣れていない私は、この熱い砂の上でひからびてしまうかと思ったぐらいだ。その分、水を足で蹴り上げたりして遊ぶのが楽しかった。
 殿様は、私たちとは離れた場所で涼んでいる様子だった。そのうちに眠ってしまっているようだった。
 私が水辺で遊んでいる間に、瑠璃蜘蛛はいつの間にか薪を集めてきて、すっかり夜を越す用意をしていた。そういうことは、いってくれればよかったのに、と私が慌てて彼女の所にいくと、彼女はいつもの調子で、気にすることはないわ、という。
「シャシャは、まだ遊びたい盛りだもの。こういうときぐらいしっかり遊ばなければね」
 瑠璃蜘蛛は、そういってすべて自分でしてしまうのだった。
「そういえば、あのひとは、どこにいるのだったかしら」
 瑠璃蜘蛛は、殿様のことをあのひとという。どうせ殿様というあだ名しかわからないのだから、彼をどう呼ぼうと勝手なのだが、思えば、彼と彼女の関係も不思議な部分があった。
 夕映えのねえさまをはじめ、紅楼の女達は、意外に殿様に好意を抱いている様子だった。危険な男だけれど、そういうところがいいとか、私には理解のできないことをいっている人もいた。
 殿様が今ついてきているのは瑠璃蜘蛛が一緒に来るようにいったからだ。女だけの旅は危ないし、殿様も戻る場所がなかったからだろうと思うのだが、そこに瑠璃蜘蛛の好意のようなものは特に感じられなかった。瑠璃蜘蛛は、特に殿様を好きな様子もないが、嫌いな様子もない。
 彼女は、どちらかというと、特に殿様に興味がなさそうな感じすらする。私が殿様のうわさを彼女に昨日話して聞かせたのに、瑠璃蜘蛛はそれにもそれほど興味がなさそうだった。
 いまも、いつもどおり「あのひと」呼ばわりだ。
 一方、殿様のほうもよくわからない。
 あれほど嫌味を言ったり、いきなり下世話なことをいったりして辱めようとしている割には、殿様は瑠璃蜘蛛にはあまり近寄らない。面と向かうと、殿様は実際は瑠璃蜘蛛にはそれほど強く物は言えないのかもしれない。
 殿様から彼女を呼ぶ時は、よくて「ねえさん」悪くて「お前」。私に彼女がどこに行ったか聞くときも「あの女」とか「あの冷血女」などとよんでいた。最初はなんてやつだろうと思ったけれど、殿様のほうもどうも瑠璃蜘蛛の名前や素性を良く知らないのだろうと最近わかった。殿様は、瑠璃蜘蛛が乙女の一人であるというぐらいしかしらないのだ。舞踊が得意だとか、織物が絶品だとか、そんなこともまったく知らないのだと思う。
 瑠璃蜘蛛が「あなた」とか「あのひと」と呼んで、殿様が「ねえさん」とか「あの女」と呼ぶ。お互いどうして名前を名乗らないのだろうと思う。けれども、殿様は意地を張っているのは明らかだし、瑠璃蜘蛛のほうは、特に名乗りの必要を感じていなさそうだった。
 私は、なんとなくそんな二人がおかしく思えてきていた。
 特に殿様は、瑠璃蜘蛛が苦手なのかもしれない。そういえば、彼は何かと私を間においてでしか、彼女と話をしないのである。
「殿様なら、あの日陰のあたりにいましたよ」
 私は、彼が休んでいるはずの茂みのほうを指差した。
「あのひと、大丈夫かしら。今日はなんとなく歩みが遅れ気味だったわ」
「そうですか?」
 私はきょとんとした。
「お酒は飲んでいたけれど、あの人、昨日から何も口にしていないわ。こんな行程を続けていたら、それこそ倒れてしまうと思うけれど」
 それこそ、殿様が意地を張っているあらわれだった。
「少しゆっくり歩いたつもりだったけど」
「別にそんなこと、気にしなくても……。あの人だってもう大人なんですもの」
 私がそういうと、瑠璃蜘蛛は苦笑した。
「シャシャは手厳しいのね。でも、様子を見てあげたほうがいいわ」
 瑠璃蜘蛛は、そういって殿様のいるほうにいこうとするので、私は彼女の先に立った。殿様にかまうのはいやだったが、これ以上彼女に働かせるのに気が引けた。
 先に茂みのほうにいくと、かすかに唸る声が聞こえた。
 そうっとのぞいてみる。殿様は、木にもたれかかって眠っていたが、昨夜と同じようにうなされているようだった。鼻から下に巻きつけてある布が汗で張り付いているようだ。
 木漏れ日を浴びて何かがきらりと光った。殿様の左手の中指。
 そこに銀の指輪がはまっている。殿様は装飾品を多くつけている人だったので、他の指にも指輪もいくつかしていたけれど、その中指の指輪は何の変哲もない銀の指輪で、ひときわ地味な印象だった。そういえば、前からそこには指輪があった。他の指輪は何度か変えていたけれど、その指輪はずっと変わっていない。大切なものなのだろうか。
 そんなことを考えて、私はそっと殿様に近づく。
 と、いきなり、殿様の目が開いた。
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。次の瞬間、私の鼻先に殿様の抜いた剣が突きつけられていた。
 硬直した私は、殿様の殺気だった視線とぶつかって、思わず気が遠くなりそうだった。
「お前か……! ちっ、驚かせやがって」
 殿様は、そう吐き捨てて剣をしまう。ぜえぜえと彼の呼吸音がせわしなく聞こえた。私はまだ動けずにいた。
「どうしたの?」
 遅れてきた瑠璃蜘蛛が、私達を覗き込んだ。私は思わず彼女の後ろに隠れた。それをみて、殿様は、ふいと尊大に顔を背けた。俺は別に悪くない、とでもいいたげだった。
「シャシャが驚かせてしまったのね。ごめんなさいね」
 瑠璃蜘蛛はそういって、小首をかしげた。
「あなた、やっぱり、どこか悪いのではないの?」
「別に」
 殿様は冷たく突っぱねた。
「別になんでもねえよ」
 そういう声が、少し苦しげだった。
「そうは見えないわ」
 瑠璃蜘蛛は、小首をかしげた。
「お酒ばかり飲んでいて何も食べないからかしら」
「そうかもな」
 殿様は、自棄気味にそういって額を押さえていた。いつもどおり二日酔いなのだと私は思っていた。そういう時殿様は迎え酒をする。そうやれば治るのだから、ほうっておけばいいのにと思った。殿様は、まだ酒を持っているのだ。
 しかし、瑠璃蜘蛛は、何か気になるのか、彼の側にひざまづいた。
「何か食べないと体に悪いわ。今日は昨日よりも顔色が悪いし」
「いいだろう。俺の勝手さ。ほうっておいてくれ」
 殿様は、突っぱねようとしたが、瑠璃蜘蛛は自分の荷物入れから、パンと果物を取り出すと殿様に差し出した。
「今はもっと栄養になるものはないけど、これぐらい食べたほうがいいわ」
「お前の施しなんていらねえよ」
 殿様は、冷たく言った。
「せっかくねえさまが用意してくれているのに……」
「シャシャ、いいの」
 いいかけた私の言葉は、当の瑠璃蜘蛛にゆったりとさえぎられた。
「別にそんなつもりはないわ。あなたが心配になったから」
「それじゃあ何だって言うんだ。俺は売女のお前に哀れみをかけられるほど落ちぶれているってか?」
 今の言葉が、殿様の癇に障ったのだろうか。口調が早口になった。
「そうだろうよ。俺の姿は、さぞかし哀れに見えるだろうな。王族とは名ばかりで、実際はそれにのっかかっているだけのただの酔っ払いさ」
 殿様は、額を押さえながら自棄気味に言った。
「こんな死に損ないの俺でも命を狙われる。そんな価値すらないのにな」
「そんなことはないわ。あなたが命を狙われるのは、それなりに価値があるからでしょう?」
「価値、か。強烈な皮肉だな、ねえさん」
「別に皮肉をいったつもりはないわ。でも、勘違いしないでね。私はあなたの命を奪う行為に、自分の命を粗末にするほどの価値を見出していないわよ」
 瑠璃蜘蛛はそう答えて、差し出した果物を一口かじった。
「これはあたりね。とても甘いわ」
 そういうと、彼女は殿様に向き直った。
「毒を怖がる貴方でも、こうすれば安心して食べられるでしょう」
 瑠璃蜘蛛は、薄く微笑んだらしい。
「私は、あいにくとまだ死にたくはないもの。毒の入った果物に口なんてつけないわ。あなたもこれで信じてくれるわね?」
 そういって瑠璃蜘蛛は、殿様に果実を押し付け、ついでに持っていたパンをちぎって一口食べ、彼に渡した。
「それに、私達は、あなたの力が必要なの。いくら私が道を知っているといっても、女二人での巡礼は危険だわ。あなたがそばにいてくれるほうが心強いわ。たとえ、あなたが命を狙われているひとであってもね」
 瑠璃蜘蛛はそうして立ち上がる。
「だから、あなたには元気でいてほしいわ」
 私は、殿様がもっと怒り出すのかとひやひやしたが、意に反して殿様は、面食らったように瑠璃蜘蛛を見上げているだけだった。
「……あんた」
 殿様が不意にぽつりといった。
「なあに?」
「あんた、なんだか変な女だな……」
「よく言われるわね」
 瑠璃蜘蛛は、苦笑した。
「とにかく、今日はここで休むから、あなたもゆっくり休んで頂戴」
 瑠璃蜘蛛は、そういってまた薪をあつめに戻ろうとする。私はその後ろをついていきながら、そういえば瑠璃蜘蛛は殿様を王族と知ってからも、まったく言葉遣いを変えていないのに気づいた。
 私は、彼女が殿様を怖がらない理由がわかった気がした。
 その日は、それ以降は平和だった。殿様も、私達に何か言うこともなく、自分の持ち場所から出てこようとしなかった。
 日が暮れて、すっかり空を星が覆うようになると、瑠璃蜘蛛は火をおこした。食事は、持っていた堅く焼いたパンを食べて済ませた。今日も明るめの月が昇り、砂漠を静かに照らしている。
 瑠璃蜘蛛は、何か鼻歌を歌いながら、焚き火を調整していた。
「その歌、妓楼の女の歌っている歌とは違うんだな」
 殿様が珍しく自分から声をかけてきた。
「ええ、私の故郷の歌なのよ」
 瑠璃蜘蛛は、そう答える。殿様は、そうか、と答えて顔をのぞかせた。
「高地の歌だ。ねえさんは、山の出身なのか」
「まあ、詳しいわね。どうしてわかったの?」
「同じ歌を歌っていたやつがいたのを思い出した」
「そうなのね。私は、もう方言も忘れてしまったけれど、この歌だけは覚えているわ。気になるかしら? 私、夕映え姐さんほど歌がうまくないから、あなたには聞き苦しいかしらね」
「別に、あんたと夕映えと比べる必要はないよ」
 殿様の声が少しだけ優しくなった気がした。
「その歌、久しぶりに聞いた。好きに歌ってくれ」
 彼にしては珍しいやわらかい言い方だった。再び、瑠璃蜘蛛が歌いだした時、殿様は目を閉じていた。
 その夜は、殿様はうなされていなかったように思う。
 私も、そうしているうちに、眠くなって寝てしまった。


 




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