一覧 戻る 進む 第四章:騎士ダルシュ(4) 「ザメデュケ草…っていったっけ」 レックハルドは、決してファルケンに顔をあわせないように訊いた。 「…あれって、…お前はあれをほかの薬草と一緒に売ったりするか?」 「え?」 今まで無口そのものだったレックハルドにいきなり聞かれ、ファルケンは質問の意味を一瞬、はかりかねた。 「あぁ、あれは、特別だから、あまり外には出さないんだ。一つ間違えたら、命に関わるような劇薬系の薬草は、どうしても必要な人がいない限りは、持ち出さないってきまりだからな。他にも、あまりよくない草とか、毒薬とかも、持ち出してはいけないんだ」 「そ、そうか」 レックハルドが、やけに肩を落とすので、ファルケンは首をかしげた。 「どうしても、あれがいるのか?確かに、あれには少しなら、いい効果がでるんだけど。もし、どうしてもっていう事情があるなら、持ってきてあげてもいいけど。他の薬草とうまく調合して使えば問題はないからな」 ファルケンがそう気を使って優しく言うのが、レックハルドには耐えがたい苦痛だった。 「…きまりって…?それを破ったらどうなるんだ?」 「あぁ、あまりむやみに教えたら、…ちょっとだけひどい目にあうかもな」 「ちょっとだけってどういうことだ?」 「軽い罰なら、しばらく、辺境に入れなくなったりとかするかな。精霊の怒りを買うかもしれないから、そうなると、ちょっとややこしいことになるけど…」 ファルケンの言う罰というのはよくわからなかったが、とにかく、森にはそこのルールがあるのもレックハルドにはわかる。彼が、彼の世界のルールに未だに束縛されるのと同じで、ファルケンには、ファルケンのいた世界のルールがある。ファルケンがはっきりと明言をさけたのが、その罰とやらがかなり過酷であることの裏返しだった。 「でも、レックは理由があって欲しいんだろう?誰か、困っている人でもいるんだろ?」 優しく笑いながら、彼は言った。 「…いや、なんでもない。そ、そんなんじゃないんだ」 レックハルドは、目を閉じた。ファルケンは怪訝な顔をしたが、まぁいいかとばかりに気に留めずに明るく続けた。 「…あぁ。でも、必要ならいつでもいってくれればいいよ」 オレが取ってきてあげるからな。と付け加えるファルケンの言葉を、レックハルドは、もうほとんど聴いていなかった。 (どうしたらいい?) レックハルドは、自問自答を繰り返す。 (…ファルケンにあんな事をさせて、しかも、あいつがひどい目にあっても、オレは、それでいいのか?) 命は惜しかった。だが、辺境をあんなに好きだと言っているようなファルケンに、そんな汚い真似をさせるなどと考えると、レックハルドの心も激しく揺らいだ。真実を知ったとき、ファルケンはどんな顔をするだろう。軽蔑するだろうか。それとも…。それに、仮にレックハルドが助かったとしても、ファルケンのほうがひどい目にあうらしい。そこまでして逃げ延びたとして、その後、マリスに近づいて幸せになどなれるものだろうか。 (だとしたら、どうしたらいい?) 頼りになるのは、自分だけしかいない。常にそうだった。彼はそれでいつも、切り抜けてきたはずだった。 (…二人とも、無事に逃げ延びるには、どうしたらいい?) 考えなくても良かった。レックハルドには一つの結論が出ていたのだ。ただ、それに気づくのが嫌だった。わざとそれを避けていたのだ。 その方法は一種の賭けだった。上手くいっても、一つを失い、下手をすると全部を失う。 (下手をすると、マリスさんとももう会えない。) 一筋の恐怖が、レックハルドの背筋を走り抜けていく。 (…それに、もう、こいつとも…) レックハルドの後ろには、ファルケンが心配そうな顔をしながらついてきていた。 (せっかく…) そう思うと、寂しかった。 (…せっかく、いい奴だと思ったのに…) 選択の余地はない。…わかっている。わかってはいるのだ。だから、レックハルドは、ファルケンの顔をまともに見られなかった。 ファルケンを利用したとしても、しなかったとしても、どちらにしろ彼は深く後悔しなければならない。仕方がなかった。 宿に帰る途中、やけにレックハルドが無口になったので、ファルケンはどうしたものかと様子をうかがっていた。あれ以降も話しかけるが、ろくに返事も返ってこない。本当にどうしたのか、と心配して、どこか気分が悪いのか?ときくが、それすら返事をしてくれない。 ファルケンは、妙な不安を感じた。というのも、彼は、レックハルドの心が、不安と悲しみと恐怖で満ちているのを感じ取ったからだった。 「なぁ、なんで黙ってるんだよ?」 ファルケンは、優しく尋ねた。 「なにか、心配な事があるなら…オレも相談に乗るよ?」 レックハルドの反応はない。どんどん先に歩いて行ってしまう。人はほとんど居なかった。人間の多いメインストリートから外れた場所を、わざわざ選んでいるという感じだった。商売人として、景気などを見るためもあって、いつもにぎやかな場所を歩くのが好きなレックハルドにしては、珍しいと思った。 「…それとも、…何か、あったのか?なぁ、…レック?」 ファルケンが訊いたとき、いきなりレックハルドは彼のほうにすばやく振り返った。その顔には、苛立ちのようなものが浮かんでいた。 「うるせえな!いつまでオレについてきてるんだよ!この馬鹿野郎が!」 突然、レックハルドに罵声を浴びせられて、ファルケンは驚いて立ち止まる。レックハルドは、振り返って更に激しく彼をののしり始めた。 「大体な!オレはお前みたいなヤツは一番嫌いなんだ!それをのこのこのこのこ着いてきやがって!」 「…い、いきなり、どうしたんだよ?」 ファルケンは、レックハルドの剣幕に困惑した。しかも、この剣幕には違和感があった。何ともいえぬ、違和感のようなものが…。だが、それに気を取られる暇はファルケンにはなかった。彼にとって、レックハルドの態度の豹変は、ある一定の可能性を指し示していたのであるから。 「…いきなり?お前、自分のやった事に覚えがないって言うのかよ!へえ!お前、案外、ずうずうしいんだな!」 ぎくり、としたようにファルケンが一歩、後退した。 「オレに正体を隠してたんだろ!お前は!……わざと!」 「…レック…知ってたんだ…」 ファルケンは、少しうつむいた。 「あぁ、さっきわかったんだよ…!オレをずっと騙してたくせに!それに、嫌いなんだよ!辺境なんて!あんな気持ち悪い土地なんて!無理やり連れてきやがって!お前なんかと関わるんじゃなかった!」 「そんな…だ、だって今までは…」 (レックだって、辺境が好きだといったじゃないか。) あの言葉に、嘘はなかったのに。とファルケンは、悲しい気分になる。 「何だよ!…気持ち悪いんだよ!ついてくるなよ!お前みたいな化け物とな、一緒にいると思うだけで鳥肌が立つんだよ!人間でもないくせに!街中なんかに出てくるな!」 何度も昔から彼に浴びせかけられてきた言葉が、同じようにかけられる。ファルケンの心に、昔、彼と旅をした仲間達が順々に浮かんでは消えていった。 結局、レックハルドも彼らと変わりなかったのかもしれない。今まで、一番、彼に優しくしてくれたのに…。ファルケンは、どうしたらいいのかわからなくなり、視線をそらした。それでも、はじめに正体を明かさなかった自分も悪いと思った。だから、彼は謝った。目があわせられなくて、彼はうつむいたまま静かに言った。 「ごめん…」 「あ、謝ってすむ問題じゃないだろ!」 レックハルドは、声を荒げるのに必死だった。 「出て行けよ!この化け物!辺境に帰っちまえ!…に、二度と…」 レックハルドは不意に声を詰まらせた。だが、彼は最後まで、その言葉を言い切った。 「二度と、オレの前に現れるな!」 ファルケンは、黙ってレックハルドを見た。決して、彼は涙を浮かべなかった。ただ、無理に表情を作って、顔をあげて笑って見せた。 「…い…」 「?」 ファルケンはなんとか微笑むと、わずかに頭を下げた。 「今までありがとう…レック…。『大地の女神と黄金の祝福があなたにありますように』。どうか、元気でな…」 レックハルドは、はっきりとおどろいた顔をした。ファルケンの態度にではない。ファルケンの言った言葉に対してだった。ファルケンの言った『大地の女神と黄金の祝福』という言葉は、レックハルドの故郷の人間の使う、彼らの別れの挨拶の言葉に他ならなかったからだ。 「じゃあ、…オレは…行くから…」 ファルケンは、そういうと、もう一秒もここに居られないような顔をして、慌てたように振り返った。そして、そのまま、風のように走り去る。向こうの方に、どんどんと彼の姿は小さくなっていく。埃っぽい道の向こうをひたすら走っていく。 「…あ…おい…」 レックハルドは思わず呼び止めそうになったが、慌てて手を引っ込める。レックハルドは、少しうつむき、そしてこぶしを握り締めた。かすかにこぶしが震えていた。 ファルケンの姿が、町の向こうに消えていく。レックハルドは、それを見ないようにして足を進めた。 わざと人通りの少ない道を選んだのもあって、彼らの『喧嘩』に目を留めるものはいなかった。全て、計算どおりだった。道には誰も居ないのだった。 レックハルドは、傍目からも明らかに悄然として、道を進んでいた。 不意に上の方から、声が聞こえた。少女の甲高い、怒りの声が。 「なによ!今まであんなに持ち上げてたくせに!」 はっとして、上を見上げる。レックハルドは、細い目を少し大きく見開いた。 「…あんた…?」 そこに居たのは、かわいらしい少女だった。虹色にハーレションを起こす羽と不思議な素材で作られた衣服。大きな目に、敵意が見て取れた。緑色のかかった金髪をなびかせて、少女は、空の上で止まっていた。空に浮かんでいた。信じられない状況に、レックハルドはしばらく意識をとられた。 「結局捨てるのね?…あいつに助けられておきながら、恩知らず!」 少女は厳しく彼を責めた。その意味を知って、レックハルドはハッとする。 「ちょ。ちょっと、何を言って…。あいつって、まさか、ファルケンの…」 少女は黙って、彼を睨んでいる。レックハルドは不穏な雰囲気に怯える。宙から響く声に気づいたのか、道の向こうを歩いていた数人が、こちらの方に向かって歩いてきた。それにも、少女は気づいていないようだった。 「…あんたなんか、大嫌い!」 少女の体がかっと閃光に包まれる。途端、空中に火花が飛び散った。レックハルドは慌てて、地面に伏せた。バチバチバチという激しいスパーク音が響き渡る。 「わああ!」 レックハルドは思わず頭を抱えた。が、彼の体に電撃は走らなかった。代わりに、周りにいた男達が、意識を失って倒れている。レックハルドは顔を上げた。 彼だけが、無傷で取り残されていた。驚いて、レックハルドは周りを見てから、少女の方を見上げた。 「守りのことを忘れてたわ」 ちっと舌打ちし、少女はふわっと上昇する。きっと彼に憎悪の目を向けながら… 「あんたのこと、許さない!」 「あ、おい!待て!」 レックハルドは、手を伸ばした。少女は、ふっと消えてしまった。空気の中に溶け込むように。 「だ、誰だ…。あの子…」 羽があるから、妖精かもしれない。ファルケンのことを言ったのなら、彼の知り合いだろうか。 レックハルドは、冷静になって周りを見回した。地上を走る電撃に当てられたのか、あちらこちらで人々が倒れていた。命に別状のあるようなものではなかったらしく、皆、そろそろと起き上がっては、何事が起こったのか、とばかり不審そうな目を誰も居ない空中にむける。注目されては困ると思い、レックハルドは、すばやくそこから抜け出した。 路地裏に潜みながら、レックハルドは考える。どうして、自分だけが無事だったのか。あの少女は、確かに自分を狙っていた。 「…な、なんなんだ」 手を上げた拍子に右手がじゃらりと響いた。それに目を落とす。ファルケンのお守りがそこにかかっていた。銀色のプレートが、太陽の光をうけて光った。レックハルドは、はっとしてそれを手からはずした。 「まさか…、ホントにこれが…?」 そういえば、先程の少女も『守り』と言っていた。ファルケンが彼にこれを渡したのは、単なるゲン担ぎでもプレゼントでもなかったのかもしれない。そういえば、この前も、風の中、自分だけが平気だった。 レックハルドは、その場に座り込んだ。泣きたいような気分だった。右手にそれをはめなおし、レックハルドはうつむいた。 「…結局、また、お前に助けられちまったなあ」 レックハルドは、近くにいない相棒に呟いた。 「オレだって…」 レックハルドは、頭を抱えた。 「…オレだって、……あんな事言いたくなかった…」 レックハルドの声は、ひどく小さかった。 「許してくれなくてもいいぜ…。ちょっとひどく言い過ぎたよ。…悪かった。そこまで言うつもりはなかったのに…」 レックハルドは、立ち上がり、ひどく寂しそうな顔を、ファルケンの去っていった方に向けた。あばよ…。ファルケン…。お前にも、大地の女神と黄金の祝福のあらんことを。) レックハルドの心は決まっていた。もう、これ以上、ここには居られない。顔を上げ、彼は走り出した。この街から一人そっと逃げ出す。奴らに気づかれないように、すばやく。それしか、方法はなかった。 ファルケンは、落ち込んだまま歩いていた。 だが、何かすっきりしない。いつもと明らかに違った。 いつもなら、彼にああいった人間の心は、怒りと憎悪、軽蔑などの感情が受け取れた。なのに、レックハルドには、それがなかった。あったとしても、少なかった。代わりに、悲しみと戸惑いが彼の心の中にはあった。だが、それは表情にはほとんど出ないし、かけられた言葉は、彼が出会った人の中でも、もっとも辛らつな方に入った。あそこまで、ののしられたのは、随分と久しぶりだった。しかも、もっとも自分を信頼してくれただろう人間に言われたのが、ひどく衝撃だった。 「…どうして…」 ファルケンはつぶやいた。 「どうして、あんなにひどい事をいったのに、レックは悲しそうだったんだろう。だったら、どうして、あんな事をいったんだろう」 ファルケンには、その矛盾が解決できなかった。それを理解するには、彼はまだ幼かったのかもしれない。 「…ミメル。オレにはわからないよ」 ファルケンは、奥歯の方をかんだ。しかし、決して涙は浮かべなかった。決して…。 「お!どうした?」 いきなり、声をかけられ、ファルケンは少し顔を上げた。そこには、ダルシュの日に焼けた顔がある。 「また、あったな?」 ファルケンは、こくりとうなずいた。ダルシュは、怪訝な顔をする。先程とは随分と様子が変わっているのでおかしいと思ったのだ。 「…どうした?元気ないな」 「…あ、ああ」 「一緒にいる、あの性格悪そうな商人は何処行ったんだ?」 ファルケンは応えない。 「…オレが悪いんだ」 ぼそりと彼は言った。 「何だって?」 ダルシュは、瞬きをした。 「…意味がわからなかったぞ。もう一度言ってみな」 「…オレが…レックに全部話さなかったのが悪いんだ。それだけ…」 ダルシュは首をかしげた。 「なんだ?…もしかして、狼人ってえのがばれたのか?」 びくりとして、ファルケンは顔を上げた。警戒に満ちた視線に気づいて、ダルシュは、少し愛想笑いを浮かべて首を振った。 「あぁ、オレは、別に他の連中に話したりなんかしないぜ。…落ち着けよ」 「…そうか。みんな知ってるんだな」 「まぁ、知ってる奴はな」 ダルシュは曖昧に答えて、それから話を戻す。 「でも、あいつ、お前の正体知ってから逃げちまったんじゃないだろうな?」 「…レックは悪くないよ」 ダルシュは、いらだったような表情をした。 「何言ってるんだ!あのなぁ、お前とあいつならどっからどうみても、あいつの方が悪い事してるんだよ!他にも色々してると思うけど、あいつは、確信犯だぞ!」「オレが黙ってたのが、悪いんだ。だから…」 ファルケンが、冷静に説明しようという素振りをみせたが、気の短いダルシュは話など聞かない。 「あーっ!じれったいな!」 ダルシュは、持ち前の正義感を爆発させる。 「こういうときは、確実に逃げた奴の方が悪いんだよ!ちょっとあの辺で待ってろ!オレがとっ捕まえて、話させてやる!」 考えるよりも行動のほうが早いダルシュは、言いながらもうスタートを切っていた。 「あ!ダルシュ!」 ファルケンは、止めにかかるが、ダルシュはすでにかなり走っていた。振り向きながら大声で呼びかける。 「いいか!しばらく、そこで待ってろよ!」 そういうと、ダルシュの姿はすぐに向こうの方に消えてしまった。 「……レックに悪いよ。レックだって……」 (…もしかしたら、何か事情があったかもしれないのに…) といいかけて、少しうつむいた。ファルケンには、まだ彼の心と言葉の違いの理由がわからない。 「オレも…人間のみんなと同じように、体と心がいっぺんに大人になればよかったのに」 ファルケンは、小声で呟いた。きっと、わからないのは自分が『子ども』なせいだ。とファルケンは思った。周りを楽しそうに歩く人間達がとてもうらやましく思えた。 一覧 戻る 進む このページにしおりを挟む |