辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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  第四章:騎士ダルシュ(4)


「ザメデュケ草…っていったっけ」
レックハルドは、決してファルケンに顔をあわせないように訊いた。
「…あれって、…お前はあれをほかの薬草と一緒に売ったりするか?」
「え?」
今まで無口そのものだったレックハルドにいきなり聞かれ、ファルケンは質問の意味を一瞬、はかりかねた。
「あぁ、あれは、特別だから、あまり外には出さないんだ。一つ間違えたら、命に関わるような劇薬系の薬草は、どうしても必要な人がいない限りは、持ち出さないってきまりだからな。他にも、あまりよくない草とか、毒薬とかも、持ち出してはいけないんだ」
「そ、そうか」
レックハルドが、やけに肩を落とすので、ファルケンは首をかしげた。
「どうしても、あれがいるのか?確かに、あれには少しなら、いい効果がでるんだけど。もし、どうしてもっていう事情があるなら、持ってきてあげてもいいけど。他の薬草とうまく調合して使えば問題はないからな」
ファルケンがそう気を使って優しく言うのが、レックハルドには耐えがたい苦痛だった。
「…きまりって…?それを破ったらどうなるんだ?」
「あぁ、あまりむやみに教えたら、…ちょっとだけひどい目にあうかもな」
「ちょっとだけってどういうことだ?」
「軽い罰なら、しばらく、辺境に入れなくなったりとかするかな。精霊の怒りを買うかもしれないから、そうなると、ちょっとややこしいことになるけど…」
ファルケンの言う罰というのはよくわからなかったが、とにかく、森にはそこのルールがあるのもレックハルドにはわかる。彼が、彼の世界のルールに未だに束縛されるのと同じで、ファルケンには、ファルケンのいた世界のルールがある。ファルケンがはっきりと明言をさけたのが、その罰とやらがかなり過酷であることの裏返しだった。
「でも、レックは理由があって欲しいんだろう?誰か、困っている人でもいるんだろ?」
優しく笑いながら、彼は言った。
「…いや、なんでもない。そ、そんなんじゃないんだ」
レックハルドは、目を閉じた。ファルケンは怪訝な顔をしたが、まぁいいかとばかりに気に留めずに明るく続けた。
「…あぁ。でも、必要ならいつでもいってくれればいいよ」
オレが取ってきてあげるからな。と付け加えるファルケンの言葉を、レックハルドは、もうほとんど聴いていなかった。
(どうしたらいい?)
レックハルドは、自問自答を繰り返す。
(…ファルケンにあんな事をさせて、しかも、あいつがひどい目にあっても、オレは、それでいいのか?)
命は惜しかった。だが、辺境をあんなに好きだと言っているようなファルケンに、そんな汚い真似をさせるなどと考えると、レックハルドの心も激しく揺らいだ。真実を知ったとき、ファルケンはどんな顔をするだろう。軽蔑するだろうか。それとも…。それに、仮にレックハルドが助かったとしても、ファルケンのほうがひどい目にあうらしい。そこまでして逃げ延びたとして、その後、マリスに近づいて幸せになどなれるものだろうか。
(だとしたら、どうしたらいい?)
頼りになるのは、自分だけしかいない。常にそうだった。彼はそれでいつも、切り抜けてきたはずだった。
(…二人とも、無事に逃げ延びるには、どうしたらいい?)
考えなくても良かった。レックハルドには一つの結論が出ていたのだ。ただ、それに気づくのが嫌だった。わざとそれを避けていたのだ。
その方法は一種の賭けだった。上手くいっても、一つを失い、下手をすると全部を失う。
(下手をすると、マリスさんとももう会えない。)
一筋の恐怖が、レックハルドの背筋を走り抜けていく。
(…それに、もう、こいつとも…)
レックハルドの後ろには、ファルケンが心配そうな顔をしながらついてきていた。
(せっかく…)
そう思うと、寂しかった。
(…せっかく、いい奴だと思ったのに…)
選択の余地はない。…わかっている。わかってはいるのだ。だから、レックハルドは、ファルケンの顔をまともに見られなかった。
ファルケンを利用したとしても、しなかったとしても、どちらにしろ彼は深く後悔しなければならない。仕方がなかった。
 
 
宿に帰る途中、やけにレックハルドが無口になったので、ファルケンはどうしたものかと様子をうかがっていた。あれ以降も話しかけるが、ろくに返事も返ってこない。本当にどうしたのか、と心配して、どこか気分が悪いのか?ときくが、それすら返事をしてくれない。
ファルケンは、妙な不安を感じた。というのも、彼は、レックハルドの心が、不安と悲しみと恐怖で満ちているのを感じ取ったからだった。
「なぁ、なんで黙ってるんだよ?」
ファルケンは、優しく尋ねた。
「なにか、心配な事があるなら…オレも相談に乗るよ?」
レックハルドの反応はない。どんどん先に歩いて行ってしまう。人はほとんど居なかった。人間の多いメインストリートから外れた場所を、わざわざ選んでいるという感じだった。商売人として、景気などを見るためもあって、いつもにぎやかな場所を歩くのが好きなレックハルドにしては、珍しいと思った。
「…それとも、…何か、あったのか?なぁ、…レック?」
ファルケンが訊いたとき、いきなりレックハルドは彼のほうにすばやく振り返った。その顔には、苛立ちのようなものが浮かんでいた。 
「うるせえな!いつまでオレについてきてるんだよ!この馬鹿野郎が!」
突然、レックハルドに罵声を浴びせられて、ファルケンは驚いて立ち止まる。レックハルドは、振り返って更に激しく彼をののしり始めた。
「大体な!オレはお前みたいなヤツは一番嫌いなんだ!それをのこのこのこのこ着いてきやがって!」
「…い、いきなり、どうしたんだよ?」
ファルケンは、レックハルドの剣幕に困惑した。しかも、この剣幕には違和感があった。何ともいえぬ、違和感のようなものが…。だが、それに気を取られる暇はファルケンにはなかった。彼にとって、レックハルドの態度の豹変は、ある一定の可能性を指し示していたのであるから。
「…いきなり?お前、自分のやった事に覚えがないって言うのかよ!へえ!お前、案外、ずうずうしいんだな!」
ぎくり、としたようにファルケンが一歩、後退した。
「オレに正体を隠してたんだろ!お前は!……わざと!」
「…レック…知ってたんだ…」
ファルケンは、少しうつむいた。
「あぁ、さっきわかったんだよ…!オレをずっと騙してたくせに!それに、嫌いなんだよ!辺境なんて!あんな気持ち悪い土地なんて!無理やり連れてきやがって!お前なんかと関わるんじゃなかった!」
「そんな…だ、だって今までは…」
(レックだって、辺境が好きだといったじゃないか。)
あの言葉に、嘘はなかったのに。とファルケンは、悲しい気分になる。
「何だよ!…気持ち悪いんだよ!ついてくるなよ!お前みたいな化け物とな、一緒にいると思うだけで鳥肌が立つんだよ!人間でもないくせに!街中なんかに出てくるな!」
何度も昔から彼に浴びせかけられてきた言葉が、同じようにかけられる。ファルケンの心に、昔、彼と旅をした仲間達が順々に浮かんでは消えていった。
結局、レックハルドも彼らと変わりなかったのかもしれない。今まで、一番、彼に優しくしてくれたのに…。ファルケンは、どうしたらいいのかわからなくなり、視線をそらした。それでも、はじめに正体を明かさなかった自分も悪いと思った。だから、彼は謝った。目があわせられなくて、彼はうつむいたまま静かに言った。
「ごめん…」
「あ、謝ってすむ問題じゃないだろ!」
レックハルドは、声を荒げるのに必死だった。
「出て行けよ!この化け物!辺境に帰っちまえ!…に、二度と…」
レックハルドは不意に声を詰まらせた。だが、彼は最後まで、その言葉を言い切った。
「二度と、オレの前に現れるな!」
ファルケンは、黙ってレックハルドを見た。決して、彼は涙を浮かべなかった。ただ、無理に表情を作って、顔をあげて笑って見せた。
「…い…」
「?」
ファルケンはなんとか微笑むと、わずかに頭を下げた。 
「今までありがとう…レック…。『大地の女神と黄金の祝福があなたにありますように』。どうか、元気でな…」
レックハルドは、はっきりとおどろいた顔をした。ファルケンの態度にではない。ファルケンの言った言葉に対してだった。ファルケンの言った『大地の女神と黄金の祝福』という言葉は、レックハルドの故郷の人間の使う、彼らの別れの挨拶の言葉に他ならなかったからだ。
「じゃあ、…オレは…行くから…」
ファルケンは、そういうと、もう一秒もここに居られないような顔をして、慌てたように振り返った。そして、そのまま、風のように走り去る。向こうの方に、どんどんと彼の姿は小さくなっていく。埃っぽい道の向こうをひたすら走っていく。
「…あ…おい…」
レックハルドは思わず呼び止めそうになったが、慌てて手を引っ込める。レックハルドは、少しうつむき、そしてこぶしを握り締めた。かすかにこぶしが震えていた。 ファルケンの姿が、町の向こうに消えていく。レックハルドは、それを見ないようにして足を進めた。
わざと人通りの少ない道を選んだのもあって、彼らの『喧嘩』に目を留めるものはいなかった。全て、計算どおりだった。道には誰も居ないのだった。
レックハルドは、傍目からも明らかに悄然として、道を進んでいた。
不意に上の方から、声が聞こえた。少女の甲高い、怒りの声が。
「なによ!今まであんなに持ち上げてたくせに!」
はっとして、上を見上げる。レックハルドは、細い目を少し大きく見開いた。
「…あんた…?」
そこに居たのは、かわいらしい少女だった。虹色にハーレションを起こす羽と不思議な素材で作られた衣服。大きな目に、敵意が見て取れた。緑色のかかった金髪をなびかせて、少女は、空の上で止まっていた。空に浮かんでいた。信じられない状況に、レックハルドはしばらく意識をとられた。
「結局捨てるのね?…あいつに助けられておきながら、恩知らず!」
少女は厳しく彼を責めた。その意味を知って、レックハルドはハッとする。
「ちょ。ちょっと、何を言って…。あいつって、まさか、ファルケンの…」
少女は黙って、彼を睨んでいる。レックハルドは不穏な雰囲気に怯える。宙から響く声に気づいたのか、道の向こうを歩いていた数人が、こちらの方に向かって歩いてきた。それにも、少女は気づいていないようだった。
「…あんたなんか、大嫌い!」
少女の体がかっと閃光に包まれる。途端、空中に火花が飛び散った。レックハルドは慌てて、地面に伏せた。バチバチバチという激しいスパーク音が響き渡る。
「わああ!」
レックハルドは思わず頭を抱えた。が、彼の体に電撃は走らなかった。代わりに、周りにいた男達が、意識を失って倒れている。レックハルドは顔を上げた。
彼だけが、無傷で取り残されていた。驚いて、レックハルドは周りを見てから、少女の方を見上げた。
「守りのことを忘れてたわ」
ちっと舌打ちし、少女はふわっと上昇する。きっと彼に憎悪の目を向けながら…
「あんたのこと、許さない!」
「あ、おい!待て!」
レックハルドは、手を伸ばした。少女は、ふっと消えてしまった。空気の中に溶け込むように。
「だ、誰だ…。あの子…」
羽があるから、妖精かもしれない。ファルケンのことを言ったのなら、彼の知り合いだろうか。
レックハルドは、冷静になって周りを見回した。地上を走る電撃に当てられたのか、あちらこちらで人々が倒れていた。命に別状のあるようなものではなかったらしく、皆、そろそろと起き上がっては、何事が起こったのか、とばかり不審そうな目を誰も居ない空中にむける。注目されては困ると思い、レックハルドは、すばやくそこから抜け出した。
路地裏に潜みながら、レックハルドは考える。どうして、自分だけが無事だったのか。あの少女は、確かに自分を狙っていた。
「…な、なんなんだ」
手を上げた拍子に右手がじゃらりと響いた。それに目を落とす。ファルケンのお守りがそこにかかっていた。銀色のプレートが、太陽の光をうけて光った。レックハルドは、はっとしてそれを手からはずした。
「まさか…、ホントにこれが…?」
そういえば、先程の少女も『守り』と言っていた。ファルケンが彼にこれを渡したのは、単なるゲン担ぎでもプレゼントでもなかったのかもしれない。そういえば、この前も、風の中、自分だけが平気だった。
レックハルドは、その場に座り込んだ。泣きたいような気分だった。右手にそれをはめなおし、レックハルドはうつむいた。
「…結局、また、お前に助けられちまったなあ」
レックハルドは、近くにいない相棒に呟いた。
「オレだって…」
レックハルドは、頭を抱えた。
「…オレだって、……あんな事言いたくなかった…」
レックハルドの声は、ひどく小さかった。
「許してくれなくてもいいぜ…。ちょっとひどく言い過ぎたよ。…悪かった。そこまで言うつもりはなかったのに…」
レックハルドは、立ち上がり、ひどく寂しそうな顔を、ファルケンの去っていった方に向けた。あばよ…。ファルケン…。お前にも、大地の女神と黄金の祝福のあらんことを。)
レックハルドの心は決まっていた。もう、これ以上、ここには居られない。顔を上げ、彼は走り出した。この街から一人そっと逃げ出す。奴らに気づかれないように、すばやく。それしか、方法はなかった。
 
 
ファルケンは、落ち込んだまま歩いていた。
だが、何かすっきりしない。いつもと明らかに違った。
いつもなら、彼にああいった人間の心は、怒りと憎悪、軽蔑などの感情が受け取れた。なのに、レックハルドには、それがなかった。あったとしても、少なかった。代わりに、悲しみと戸惑いが彼の心の中にはあった。だが、それは表情にはほとんど出ないし、かけられた言葉は、彼が出会った人の中でも、もっとも辛らつな方に入った。あそこまで、ののしられたのは、随分と久しぶりだった。しかも、もっとも自分を信頼してくれただろう人間に言われたのが、ひどく衝撃だった。
「…どうして…」
ファルケンはつぶやいた。
「どうして、あんなにひどい事をいったのに、レックは悲しそうだったんだろう。だったら、どうして、あんな事をいったんだろう」
ファルケンには、その矛盾が解決できなかった。それを理解するには、彼はまだ幼かったのかもしれない。
「…ミメル。オレにはわからないよ」
ファルケンは、奥歯の方をかんだ。しかし、決して涙は浮かべなかった。決して…。
「お!どうした?」
いきなり、声をかけられ、ファルケンは少し顔を上げた。そこには、ダルシュの日に焼けた顔がある。
「また、あったな?」
ファルケンは、こくりとうなずいた。ダルシュは、怪訝な顔をする。先程とは随分と様子が変わっているのでおかしいと思ったのだ。
「…どうした?元気ないな」
「…あ、ああ」
「一緒にいる、あの性格悪そうな商人は何処行ったんだ?」
ファルケンは応えない。
「…オレが悪いんだ」
ぼそりと彼は言った。
「何だって?」
ダルシュは、瞬きをした。
「…意味がわからなかったぞ。もう一度言ってみな」
「…オレが…レックに全部話さなかったのが悪いんだ。それだけ…」
ダルシュは首をかしげた。
「なんだ?…もしかして、狼人ってえのがばれたのか?」
びくりとして、ファルケンは顔を上げた。警戒に満ちた視線に気づいて、ダルシュは、少し愛想笑いを浮かべて首を振った。
「あぁ、オレは、別に他の連中に話したりなんかしないぜ。…落ち着けよ」
「…そうか。みんな知ってるんだな」
「まぁ、知ってる奴はな」
ダルシュは曖昧に答えて、それから話を戻す。
「でも、あいつ、お前の正体知ってから逃げちまったんじゃないだろうな?」
「…レックは悪くないよ」
ダルシュは、いらだったような表情をした。
「何言ってるんだ!あのなぁ、お前とあいつならどっからどうみても、あいつの方が悪い事してるんだよ!他にも色々してると思うけど、あいつは、確信犯だぞ!」「オレが黙ってたのが、悪いんだ。だから…」
ファルケンが、冷静に説明しようという素振りをみせたが、気の短いダルシュは話など聞かない。
「あーっ!じれったいな!」
ダルシュは、持ち前の正義感を爆発させる。
「こういうときは、確実に逃げた奴の方が悪いんだよ!ちょっとあの辺で待ってろ!オレがとっ捕まえて、話させてやる!」
考えるよりも行動のほうが早いダルシュは、言いながらもうスタートを切っていた。
「あ!ダルシュ!」
ファルケンは、止めにかかるが、ダルシュはすでにかなり走っていた。振り向きながら大声で呼びかける。
「いいか!しばらく、そこで待ってろよ!」
そういうと、ダルシュの姿はすぐに向こうの方に消えてしまった。
「……レックに悪いよ。レックだって……」
(…もしかしたら、何か事情があったかもしれないのに…)
といいかけて、少しうつむいた。ファルケンには、まだ彼の心と言葉の違いの理由がわからない。
「オレも…人間のみんなと同じように、体と心がいっぺんに大人になればよかったのに」
ファルケンは、小声で呟いた。きっと、わからないのは自分が『子ども』なせいだ。とファルケンは思った。周りを楽しそうに歩く人間達がとてもうらやましく思えた。


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©akihiko wataragi