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辺境遊戯 第四部 


邪神の哄笑-8



 

「さて、どうしたもんか」
 レックハルドは、朝からとある建物の前に立っていた。そこは、普段彼には全く縁のない場所だった。周りを行きかう神官や学者風の人間も、彼が普段付き合うことのない人種である。 目の前には、立派な建物が立っていた。どこか神聖な雰囲気をも漂わせた荘厳なものだった。レックハルドも建物自体は昔からしっていたが、ここにこうやって立つのははじめてである。
 ヒュルカには、図書館がある。王国の資金が入ってもいるらしいが、正確には神殿の図書館であるらしい。どこの神殿かをレックハルドは特に気を留めなかったが、建物の前にいってみると、どうやら女神メアリーズシェイルの神殿の図書館であるようだった。
 首都キルファンドにはもちろん王立図書館がある。あちらのほうが大きく、もちろん蔵書も多い。だが、ヒュルカから動くわけにもいかないので、写本の量はすくないだろうが、ここで間に合わせるしかない。
 とはいえ、図書館というものは、全ての市民に開放されているものでなかった。ここで本を読めるのは、一握りの学者や神官たちだけである。入り口に一応門番がいるものだから、そうやすやすとはもぐりこめそうになさそうだ。
(マリスさんに頼めばよかったかな)
 レックハルドは思わずそんなことを考える。ヒュルカでも力のあるらしい家の生まれのマリスなら、恐らく図書館に入ることができるだろう。しかし、今日はそうしなかったのは、レックハルドとしても、余り彼女に事情を知られたくないことを調べにきたからにほかならなかった。
 レックハルドは顎をなでやると、図書館に入っていく学者たちを眺めた。彼等の様子を一通り眺めた後、レックハルドは意を決して足を進めた。
 こまやかに細工された門のアーチを眺めながら、レックハルドはつかつかと歩いていく。石造りの地面は、歩くたびに音が響く。レックハルドは、自然な動作でするりと図書館の門をくぐろうとした。
「ああ、ちょっとお待ちを」
 門番に呼び止められて、レックハルドは、す、と足をそろえて彼等のほうを見た。
「こちらは初めてのようですが、紹介状をお持ちですか?」
 二人の男がレックハルドを見て少し胡散臭そうな顔をした。商人然とした彼は、ここに来る人間の中では浮いている。もう少し年を重ねていれば、それでも何となく豪商に見えたかもしれないが、実年齢より五つぐらいは上に見えるレックハルドでも、そこまでの貫禄はなかった。それにもともと、彼はやせっぽちで、大してあがらない風采の持ち主なのである。
「ああ、これは失礼いたしました。こういうところはなれないものですから」
 レックハルドは、恭しく礼をして、彼等に向き直った。
「私はサライ様の使いでこちらに調べ物に参ったのです」
 レックハルドは、愛想笑いを浮かべた。
「サライ? サライ=マキシーン殿かな?」
(やっぱりな)
 レックハルドは内心ほくそえんだ。世捨て人ではあるが、元々宰相をしていた男であるサライだ。おまけに学もある。こういうところには出没しているだろうと踏んでいた。
「はい。サライ様に言付かって参ったのです」
「そうですか」
 一人が信用して通そうとしたが、もう一人が慌てて言った。
「し、しかし」
「何か?」
 レックハルドはわざとらしく首をかしげる。
「サライ殿のお使いということだが……。貴方は、どちらかというと……」
「ああ、このような商人のような格好をしておりますから、疑念をもたれるのもごもっともです」
 レックハルドは、苦笑して服をつまんだ。
「私は、東の草原の生まれで、商売を営んでおりますゆえ、このようななりをしております。しかし、この度ご縁があってサライ様と知り合い、ご用を言付かりました。サライ様は、我々草原のものとも親交が深いものですから」
 門番はお互いの顔を見合わせたが、結局、信用することにしたようだ。綺麗な服はきているし、利発そうにはみえるので、使いのものだといわれると信じないわけにもいかなかったのだろう。
「わかりました。どうぞ」
「失礼」
 道を開ける門番に微笑みかけて、レックハルドは館内にもぐりこんでいった。思わず含み笑いがもれそうになるが、誰かに見られたら正体がばれそうだ。
(だが、ちょろいもんだな)
 レックハルドは、そう毒づいて堂々と図書館の中に入っていった。だが、そうやって浮かれている場合でもない。今日、彼がここにきたのは、ここのところ彼を夜な夜な苦しめているあの夢に関することを調べにきたものなのだから。
(歴史書のあたりを探したらでてくるか)
 レックハルドは、そう考えて歴史書の集めてある棚を探しにかかった。ついでに伝説をまとめた本も見つかるとよいのだが、伝説ならレックハルドも多少なりともしっていた。伝説の中のハールシャーは、そのまま悪魔のような男であり、英雄たちに倒される怪物のようなものだ。詳しく調べると色々な片鱗が見えてくるのかもしれないが、大まかにそういうものだった。
 しかし、歴史書の記述はどうなっているのだろう。スティルフという歴史学者の書いた伝説の混じったものなら、何かわかるかもしれない。この前から見ている夢の内容に通じるものが、もしどこかで繋がることがあるとするのなら。
 もちろん、こんな面倒なことをせずに、名前を出した当のサライに聞いてしまってもよかった。あの男は、もっと詳しい事情を知っているのかもしれない。だが、今までの経験からしてみても、彼が素直に教えてくれるとは考えづらかった。あの男は、かなり意地悪であるし、自分に対して協力的な割りに、どこか敵対的なところがある。レックハルドには心当たりがないのだが、サライは自分に対して、時々憎しみめいた感情をぶつけてくることがあるような気がする。いや、憎悪というような厳しいものではなくて、もっと複雑で、もっと軽いものだ。ただ、彼が自分に対して、時折なにかしら複雑なものを抱いているらしいことは想像がついた。
(それも、ハールシャーに関係するのか)
 レックハルドは珍しくそんなことを思う。
 辺境に関わる以前から、レックハルドは、ハールシャーという男の影の中で生きてきた。レックハルドという名前が、その男、古代の奸臣の名前であったから、何かとそれだけで白い目を向けられたこともある。彼の人格と素行とあいまって、あいつにはレックハルドがお似合いだとも何度も言われたものだ。何となく忌々しく思ったことだった。
 そして、辺境と関わってから、その影はある種の恐怖を伴ってじわじわと彼に迫ってきていた。何度か辺境にかかわりのあるものたちからかけられた言葉。時折夢に現れる黒い男の影と記憶。極めつけは、この前の謎の黒装束の人間たち。
 もはや、逃げることはできなくなってきていた。レックハルドは、本当なら知りたくもない彼の姿について見極めなければならないのだ。
(さてと、どこだろう)
 レックハルドは、歴史書の棚を捜索していた。レックハルドはスティルフとかいう男の編纂した本を探していたが、なかなか目に付かない。字が読めるものの、基本的には学を修める機会のなかったレックハルドには、風聞程度の知識しかなかったものだが、ただ、以前にサライあたりが、そういう本があるということについて言っていたのを、うろ覚えしていただけである。読みやすいという噂もどこかできいたような気がする。
 歴史書、歴史書。
 レックハルドは、そろそろと歩いて歴史の分類のある棚のあたりを歩き始めた。そこにはたくさんの本が並んでおり、中にはレックハルドがまったく読めない異国の本もあった。
(……勢いできちまったが、俺、ここの言葉は母語じゃねえんだよな。読んでわかるのかな)
 いまさらながらにレックハルドは不安になってきたが、いまさらここで帰るわけにもいかない。一度入ってしまったからには、目的を達成しなくては。
 と、ふと、一冊の本が目に入った。どうやら数十巻に分かれているらしく、同じ色の背表紙がずらずらと並んでいる。その背表紙には「スティルフによる史書」と、かすれた文字で書かれていた。どうにかこうにか判読できそうである。
(これだ……!)
 レックハルドは、その一冊を手に取った。随分と長いシリーズらしい。一冊目をめくってみたが、随分古い聞いたこともない王国の名前が書かれていた。レックハルドは、軽く唸った。どうもこれではないらしい。正直、どこに目的のものがあるのか、全く見当がつかなかった。
(一冊一冊探していくべきなのか?)
 レックハルドは、途方もない気分になって不安になった。思わずため息をつく。これは面倒な作業になりそうだ。
 ――もう少し右の本です。
 ……と、どこからか声が聞こえた。どきりとして周りを見るが、人の気配はない。静かに人が足音も立てずに行きかうのが見えただけだ。
 そうだ。図書館の中にいるものたちは、まるで息を殺しているように、その存在すら感じさせない。
 レックハルドは、汗が噴出すのを感じた。この声は、まさか。
 ――あなたも真実が知りたいのでしょう? 思い出す必要はないと忠告さしあげたのに。ふふふふふ。
「お前は……」
 レックハルドは周りの静寂に、それでも気を遣いながらつぶやいた。心臓が激しく打ち始め、レックハルドは唇を噛み締めながら、頭に響いてくる声に敵意をぶつけた。
 ――いいえ、今は遠くにいます。少し貴方のお手伝いをしようと声をかけただけですよ。私はあなたの僕ですから。
(マリオーン、貴様!)
――ああ、恐いことだ。まあいいでしょう。しばらくは、ご自分でお調べになるといい。
 笑い声が静かに遠ざかり、再び図書館の重苦しい静寂だけが蘇ってくる。
 ふと、レックハルドは我に返った。くらくらと軽いめまいがしたが、それを収めて前を見る。気がつくと自分の手が一冊の本の上に置かれていた。
(これを見ろってことか?)
 マリオーンの気配は消えているようで、彼の笑い声ももはや聞こえてこなかった。レックハルドはそっとその本を開いた。古い本特有のにおいが鼻を突き、ほこりがふわりと舞い上がる。
(ギルファレス王国最後の王フェザリアは……)
 そこまで読んでレックハルドは、一瞬電に撃たれたように立ち尽くした。
 金の髪をした少年の姿が一瞬頭をかすめたようだった。
(最後の王、フェザリア……)
 もう一度本に目を落とす。その隣に、とある男に関する記述が乗っているのを認めた。
「レックハルド=ハールシャー」
 レックハルドは思わずそうつぶやいて、本に静かに目を戻した。


 竜の雫の暦の450年、ギルファレス王国は、メルシャアドに宣戦布告した。時の王は5代目のフェザリア、これがギルファレス最後の王である。宰相はレックハルド=ハールシャーだった。フェザリア王はまだ少年といってもよい年齢であり、前王の死去によって王位についた若い王である。ハールシャーは、生まれがよくわからない男であり、生年も未詳であるが、その戦争当時、要職についている人間の割には若い方だったといわれる。私は彼が三十路をいくつか過ぎた程度だったと推測している。
 対するメルシャアドの王も、まだ二十歳をいくつかすぎたばかりの若い王だった。しかし、メルシャアドは、辺境に面していたことから、狼人をたくさん抱えており、その戦闘力は弱小国と侮れるものでなかったといわれている。メルシャアド王はカルナマクという青年で、狼人からも信頼されていた。メルシャアドには、ザナファルという名のすぐれた狼人の将軍がおり、ギルファレスとの戦闘時、彼の鬼神のような活躍により、ギルファレスは苦戦を強いられた。
 もとより、狼人は恐ろしい力を持つものである。だが、本質的にはおとなしいとされている彼らは、普段はそれほどの力を発しない。しかし、こうした有事に際しての彼らは、人間にはまねのできないような統率のとれた集団行動に、強靭体躯、そして、普段抑えている彼らの暴力的な衝動が加わって、とても人間には手のつけられないこととなるのだった。

 レックハルドは、ページをめくりながら、思わず息をのんだ。ああ、そうだとも。間違いはない。
 顔はまだ思い出せないけれど、「ハールシャー」の主君は随分若かった。いいや、その主君のことを彼は「餓鬼」とあざけってすらいた。そして、そのときハールシャーは、スティルフが推測するとおり、三十路をいくつか過ぎたぐらいで、大臣としては非常に若い部類に入ったものだ。
 そして、最後のメルシャアドの王と狼人……
(とにかく、続きを読まなきゃな)
 レックハルドは、次のページをめくって、指で文をなぞりはじめた。難しい文章だったが、どうにか続きも読めそうだった。
 普段のレックハルドなら、きっと意味がわからなかっただろう文章でも、なぜか今の彼にはひどく理解しやすく、予想しやすいもののように思えていた。
   




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