辺境遊戯 第二部
プロローグ
あれから、日蝕は起こっていないらしい。空にはぎらつく太陽が、雲ひとつない青い青い空の上で、我が物顔に振舞っているのだった。
カルヴァネス東の国境周辺最大の都市、イリンドゥは、マゼルダ系らしい人でごった返している。草原ときわめて近い都市であるここは、草原系遊牧民とカルヴァネス系がまじりあって生活をしている。
暗黒街も然り。混成の組織もあれば、両極端にわかれているものもいる。ただ、別に抗争が起こるほどでもないようだ。辺境であんな騒ぎがあったわりには、国そのものは割合平和である。
ころんと目の前でサイコロが転がった。目を読み、覆面の男は手馴れた手つきで、黙って出された札を手に取り立ち上がる。そのまま換金し、止めようとする男を無視して外に出て行こうとする。
「おい、お兄さん、待った!」
鋭い声がかかった。後ろに小男が立っている。
「おい、お前、勝ち逃げか?」
男は、突っかかるように覆面の大男に言った。
「そういわず、もっと遊んでいったらどうなんだい、お兄さん」
「あいにくと、オレには時間が無いんでな」
つれない返事に、男は不機嫌にぱちんと指を鳴らした。大男の勝ち分はかなりの金額になる。
「それで済むと思っているのか? それなら、判断を間違えてるって事になるぜ、お兄さん」
後ろに数人の男が立ち上がってきている。腕には覚えのありそうな、屈強な連中だった。賭場の連中は、争いの予感に少しだけ顔を引きつらせる。
ただ、この覆面の男も結構な体格だ。だから彼らもすぐに彼に飛び掛ろうとはしないのだった。
ふっと覆面の男、イェーム=ロン=ヨルジュは微笑んだ。
「…なにも勝ったままにげようというわけじゃない。このままだと、あんた達が怪我をするだろうし、オレも事を荒立てたいとは思わねえ」
「何だァ!」
いきり立つ男にちらりと目を向ける。布の端から見える髪の毛や目の色、そして頬の赤い紋様で、男たちも彼が狼人だとは知っているらしい。彼が目を向けただけで、男たちは黙りこくった。
「他の賭場で聞いたんだがな、あんた達、どうやらヒュルカから来たそうだな。新参者だって話だ。結構、無茶をしているって噂も聞くぜ」
彼は、振り返った。
「情報をくれれば、情報料として勝ち分の半分以上はあんたにもどしてやるさ。オレもこの世界のルールをしらねえとはいわない」
奇妙な事を言う、とばかりの一番上役らしい小男に、イェームは視線を走らせる。
「マゼルダ人の博徒に聞いたんだが、レックハルドという男がここに来ただろう? どこに行ったんだ? 教えてもらいたい」
はっと小男は顔色を変えた。矢庭にあせった顔をして、男たちを追い立てる。
「お、お前らあっち行ってろ!」
男たちは妙な顔をしたが、小男は容赦なく彼らを追い払った。そして、イェームを静かに個室に先導する。彼は黙って後をついていった。
狭い人気の無い部屋に入ると、小男はひそひそとささやき声で彼に話しかけてくる。
「あんた、ヒュートの兄貴の関係者か?」
怯えたような声で、彼はそっと続けた。
ヒュート、というのは、いつかレックハルドにザメデュケ草をファルケンから聞き出すように強要した、暗黒組織の上役の名前だ。ダルシュにやられてそれっきりだったが、レックハルドに対して、まだ恨みを持っているらしい。
「だったら、何も言う事はねえ。あいつはすぐに逃げおおせちまった」
「関係のねえことだ。オレはあいつがどこに行ったのかが知りたいだけだ」
きっと目を向けながら、イェームは静かにきいた。だが、小男は油断しなかった。ヒュートの手の汚さは有名な話だ。
「だからしらねえと…。あんたの勝ちは勝ちでいいから、そのまま帰ってくれ」
イェームは腰に下げていた剣をとった。この男は腰に長剣を一本、背中に大きな刀が一本、細かい武器にいたっては、どれほどあるかわからない。それに怯えたが、それでもまだそこまで危険な色はイェームには見えなかった。
「…オレは奴とは関係ない。どこにいったか教えてくれ」
小男は肩をすくめた。ここはしらを切りとおすに限る。
「しらねえ。他の奴にきけよ」
「正直に言え! オレは機嫌が悪いんだ!」
イェームは、彼としては珍しく乱暴に言い、ダンッと剣の鞘のこじりで床を叩いた。
「あんた、ホントにヒュートの兄貴とは関係ないんだな! ホントだな?」
「ああ。…無関係だ。告げ口する気にもならねえ」
「こ、ここでラクダを一頭買って行ったんだ。砂漠に出るって…。ヒュートの兄貴から見つけ次第殺せっていわれていたんだが、あいつ、すっかり人が違ったみたいになってて…」
男は少し上目遣いにイェームを見上げた。
「まるで別人みたいになっちまってたんだ。ああ、一言の世辞も言わねえし、愛想笑いもしやがらねえで。…生意気だっていって殴りかかった奴は、逆にうまくかわされてやられちまって……」
「…別人?」
訊き返し、イェームは眉をひそめた。
「ああ、本当に。用件以外は口をききやがらねえし、やたらと度胸も据わっちまってさ。昔は、そりゃあ生意気だったが、面と向かって逆らわねえやつだったのに…。まさか、用心棒を一人蹴り倒すとは思わなかった。アレ以上刺激したら刃傷沙汰になりそうだったから、金で手をうったんだが――」
「…い、いつの話だ」
話もそこそこに、イェームは身を乗り出しながら焦った様にきいた。
「いつ、ここに来たんだい?」
「おとといだ。…もうイリンドゥにはかえらねえだろうから、お前には迷惑はかけねえとかなんとか、いってやがったが――どうだか」
ざっとイェームは立ち上がった。
「お、おい!」
小男は、イェームに怯えて少しだけ身をすくめた。それを一瞥もせずに方向転換すると、イェームは手にあった金の大半を男に投げやった。
「情報料だ。…とっておけ」
袋越しに受け取ったまま、小男はきょとんとしていた。そのままイェームは黙って部屋を出て行く。小男には、もしかしたらイェームが、レックハルドを狙うヒュートの刺客に見えたのかもしれない。
賭場を出てまっすぐに町外れのほうに走る。たしか、そちらのほうに急いでいけば、マジェンダ草原を抜けて死の砂漠に入るといわれている。
通りでは、レックハルドを思わせるような行商人や商人の姿がちらほら見える。おそらく彼と同族なのだろう。そこにレックハルドの姿が無い事に、軽く失望を覚える。
しかし、彼がここにいないということがはっきりしていることは、むしろ彼にとっては幸運だったともいえるだろう。
「もう、死の砂漠に向かったというのなら、かえってよかったかもしれない」
彼はつぶやいた。イリンドゥには、マゼルダ系の商人が多い。レックハルドと同じような服装の連中はゴマンといるのである。その中から、レックハルドを探すのは、もしかしたら砂漠で彼を探すよりも面倒かもしれなかった。
「……頼むから、早まった真似はやめてくれよ」
祈るようにつぶやいて、イェームはそのまま、商人の呼び声が聞こえるイリンドゥの町を門に向かって走り出した。