辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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『エウレカ』-5



「ファルケン、起きろ! 何があったんだ?」
 声が聞こえて、胸ぐらをつかまれたまま何度か揺られて、ファルケンはようやく目を開く。目の前には、黒髪の青年と赤っぽい髪の娘が彼をのぞき込んでいた。彼らはなぜか心配そうな顔をしていた。それが自分に向けられていることを理解するまで時間がかかった。
「おい、ファルケン…大丈夫か?」
 冷や汗で濡れた額をぬぐいながら、ファルケンはようやく瞬きをした。目の前にいる青年が、先ほど夢の中で彼を突き落とした男だと知って、ファルケンは一瞬びくりとする。
 一瞬怯えた目で見られたのがわかったのか、レックハルドは怪訝そうな顔をした。
「どうした? ……オレが、わかるよな? それとも、苦しくて喋れないか?」
「え、ああ…」
 言われて、反射的にファルケンは応え、目の前の人物の、普段よりかなり優しい表情を見た。違う。さっきの夢の人間とは違う。
「わかるよ。レックだ」
 レックハルドは少し安堵したようにため息をついて、手を離した。
「よかった…。…どっかおかしくなっちまったのかと思った…。でも、大丈夫か、えらく暴れてたが、どっか痛いとかそういうことはないのか?」
「あ、だ、大丈夫だ」
 そうして、ファルケンは周りをみた。静かな森だ。まだ真夜中らしく、空には星が見えている。
「あ、ああ…そ、そうか…」
 ファルケンは、ようやく、自分の状況を把握した。ここは、あの離れ島でもなく、もう自分の正体は二人にはばれていて、もう無理をして聖域に行く必要もない。
 そうだった。自分は帰ってきた。だから、もう、来る未来にも戻らない過去にも怯える必要はない。
「すごいうなされようだったから心配したんですよ」
 マリスが、心配そうにのぞき込んでくる。
「ホントにどこか悪いのかと思ったんだぜ…。いきなり真夜中に暴れ出すし。びっくりさせるなよな」
 呪いのことが頭にあるらしく、レックハルドはそんなことをいってため息をつく。
「ああ、ごめんよ」
 ファルケンは慌てて笑顔を作る。
「でも、本当に何でもないんだ。ありがとうな」
「本当か?」
 レックハルドは疑るように彼を見た。
「ああ、大丈夫だよ」
「そ、そうか、それならいいんだが……」
 レックハルドは、前髪をかきやりながらそう呟いた。ひとまずはファルケンを信用するつもりになったらしい。
「……そうか、二人とも、ずっとここにいたんだ…」
「はっ?」
 いきなりぽつりとファルケンが呟いたので、レックハルドは怪訝そうな顔をした。
「な、何だ?」
「いや、何でもないよ」
 安堵したようにそういってファルケンは、微笑んだ。マリスが少し心配そうに彼の方を見る。
「ファルケンさん、本当に大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
 ファルケンはため息をつきながらいった。
「……もう、多分大丈夫だ」
そうして、不意に空を見る。それはあの見せかけの月ではなく、本物の月の静かでまばゆいひかりだった。


 ようやく水を一口飲んで、ファルケンはため息をついた。本当は喉が渇いて仕方がなかったのだ。
「落ち着いたか?」
「ああ。ありがとう」
 ファルケンが応えると、レックハルドは、ため息混じりにいった。
「くそー、お前いいよなー。マリスさんに抱きしめられたりしてさ…。うらやましすぎる」
 実はあの後、心配だったらしいマリスに「どこにも行かないでくださいね!」と抱きつかれたのだ。失踪するつもりはないことを何度も説明して、ようやく離してくれた。そもそも、マリスは、ファルケンが最初、レックハルドに全てを告げてから消えることに感づいていた。だから、恐らく苦しむ彼を見て決意が変わらないかと不安だったのだろう。
「いいな…オレも抱きつかれたい……」
 レックハルドは、いじけたように膝を抱えながらぽつりと呟いていたが、もう一度ため息をついてファルケンに目を向けた。
「つかぬことを訊くけど……お前……」
 レックハルドの方を振り向くと彼はやや真剣な顔をしていた。
「何だ?」
 少し戸惑ってから、レックハルドはきっぱりときいた。
「お前…さ、……オレが、引き留めなかったらあの後、どっかいって死ぬつもりだったんじゃないのか?」
「え?」
 唐突に訊かれて、ファルケンはきょとんとした。
「…悪かったよ…。ありゃ言い過ぎだった…。消えろ、なんて、ホントに消えるかもしれなかったお前に言うような言葉じゃねえよな?」
 レックハルドは多少落ち込んだような様子を見せる。
「あれは本気でいったわけじゃねえんだ…。…お前がそんなに追いつめられてるなんて思ってなかったもんだから、オレも感情的になって……」
 レックハルドは盛大にため息をついた。
「わるかったよ…。あれはわすれてくれ…」
 ようやくレックハルドのいっている内容がわかったファルケンは、少しだけほっとして笑顔を見せた。
「あれはもういいんだ。レックだって本気で言った訳じゃないんだろ? そのぐらいわかってるよ。それに、そういうつもりなんてなかったから、レックが気にすることないって!」
「そうか」
 レックハルドはため息をつきながら、少し安心したような顔をした。
「でも、苦しいときは、遠慮なくいっていいんだぜ。まぁ、マリスさんがいたらカッコつけたいだろうけど。…もう抱え込むようなことはよせよなあ」
 レックハルドはそう言って、自分の顎をなでた。
「オレは、自分が皮肉屋だってことぐらいわかってるから、ちょっと逆効果かも知れねえけど…。とにかく、辛いときは、オレでもいいから誰かに相談ぐらいしろよ、な?」
 気分屋ですぐに怒鳴ったりするレックハルドだが、こういうときの彼はとても優しい。ファルケンがだまってうなずくと、少しだけ安堵したような様子を見せる。
「そうか…それならいいんだ。酒…っても、持ってないしなあ。水でも飲んで寝ろよ」
 心底、心配そうにそう言って、レックハルドはファルケンの肩に手を置いて、自分の寝床に戻るべく毛布をとりあげた。
「じゃあ、早く寝ろよ。オレは今日は疲れたからもう寝る…」
「ああ、そうだよな、ありがとう」 
 レックハルドは、ああ、と返事をして毛布を被って倒れ込んだ。疲れているというのは嘘ではないらしい。
「あれは、全部嘘なんだよな…」
 気にしていない。そうはいいながら、先ほどのレックハルドの言葉にファルケンは安心した。レックハルドがこういうのだから、先ほどの夢は全部嘘だ。抱きしめてくれたマリスの暖かさも、あの夢を否定している。全部、あれは嘘で固められた夢だ。だから、もう、あの夢に怯える必要はない。
 もう辛い時間は終わった。復讐を名目に、自分を無闇に追いつめることもない。自分を追いつめてばかりの修行に明け暮れて、疲れ果てて寝るときだけが心が安まるような、あの辛い時間はもう帰ってこない。 
 でも、と心の中で疑念がわき起こる。
(これも夢だったら、どうしよう……)
 心配になってそうっとファルケンは立ち上がる。
 近くで毛布を被ったまますでにレックハルドは安らかな寝息を立てている。いつもの癖で、懐に入った財布を掴んだまま寝ている。この財布にすこしでも触れると、レックハルドはすぐに目を覚ますのだ。ファルケンが近づいただけで、物音を察知して、財布をそろそろと懐になおしこんでしまった。相変わらずの様子にファルケンは、少し安堵した。レックハルドは、昔と何一つ変わっていない。
 起こさないように足を進める。悪いと思ったが、木の上のマリスを覗きやる。彼女は彼女で、ファルケンの仕立てた寝床ですうすう寝息を立てていた。
 変わらない、あの頃と何も変わらない。自分が、まだ、彼らから信じられていた頃と、なにも変わらない。
 ファルケンはそれを確認すると、安堵のため息をついた。
「『よかった……よかった…夢じゃないんだ…! オレの妄想でもないんだ!』」
 ファルケンは、小声ではしゃぐようにいった。あまりに興奮していたので、ついつい辺境古代語で吐き出してしまう。ついで思わず微笑んだ。
「『あれは悪い夢で、これは夢じゃない。もう、オレは、あんな思いをしなくていい。オレはここにいてもいいんだ。』」
 ファルケンは胸を押さえた。一瞬だけ痛みを残して、何かがその中で消えた。微かに残っていた呪いの残滓が、完全に消え失せたような気がしていた。あの悪夢は、呪いが彼を闇の中に引きずり込もうとしての、最後のあがきだったのだろう。ファルケンは、自信に満ちた顔を夜空に上げた。
「『オレは、ようやくわかったよ…! オレがどれだけ駄目で嫌な奴でも、オレを助けてくれて信じてくれる人は、確実にいたんだ…。あそこで迷う必要なんてなかったんだ。惑わされることもなかったんだ。…オレは一人じゃないんだから!』」
 ぽつりといってファルケンは、背後に倒れ込むように寝転がった。
「『わかったよ…! ようやくわかったよ…!』」
 確かめるように何度もいって、ファルケンは息をつく。
「『迷わないよ、だから、オレはもう二度と…だから……』」
 絶対的信頼という名前の自信をくれたのは多分レックハルドで、絶対的信頼という名前の安心をくれたのは多分マリスだ。レックハルドがあまりにも信頼を寄せてくれるから、それに応えようとして自信をつけたのであって、マリスが信じてくれるから、何があっても安心だった。
 いつの間に忘れてしまったのか。例え、何をいわれようと、どちらの世界から排斥されようと、自分には帰る場所は最初から用意されていたのに。彼らに信頼される限り、自分は絶対に大丈夫だ。彼らが信頼してくれたこの事実がある限り、自分はどこでだって、きっと楽しく生きていける。例え、一人っきりでも。
「…オレはもう二度と迷わない」
 ファルケンは、ぽつりと、しかし力強い調子で、今度は人の世界の言葉で呟いた。
 ミメルのことは何となく引っかかる。でも、今はコレで満足だった。少なくとも、もう世の中を恨んだりしないでいられる。少なくとも、自分に誇りをもって生きることが出来る。
「ありがとう」
 この世界に戻ってこられてよかった。ファルケンはどちらにでもなくそう言うと、目を閉じた。
 本当は、最初から何も変わってはいなかった。本当は自分では、どこかでわかっていたのだ。イェームと名乗った狼人も、結局臆病なファルケンのままだったということを。彼が本当に変わったのは次の朝から。だが、きっとレックハルドもマリスも、その事実に気づくことはないだろう。
 それは、その時は、まだ、あまりにも微妙な変化にすぎないのだから。


 呪いの欠片が見せる最後の悪夢を乗り越えた彼の目の前には、きっと新しい世界が待っている。

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背景:創天様からお借りしました。



©akihiko wataragi