辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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9.号泣

太古編・「咆哮と大雨」


 昔の話をしよう
 狐のフォーンアクスの物語を

 フォーンアクスは乱暴者で
 里からとうとう追い出され
 人の世を旅する旅人になった
 
 フォーンアクス…狐のフォーンアクス…
 お前はどこへ行こうとしているのか
 お前の安息の地はどこにあるというのか
 
 フォーンアクス 目をあけて見るがよい
 お前は戻ってくるときに、あの皮肉な運命を知るだろう




 フォーンアクスは走っていた。豪雨の中をひたすら走って走って走っていた。邪魔をする者はなにもいない。
 瞳が涙に濡れていても、この豪雨の中ではみえやしない。それでも、彼は目をぬぐって走った。どろどろの土が、足にはねても、止まることもなかった。
 向こうに見える里も、豪雨のせいで霞んでいた。それでいい。里を見ると思い出して、涙が止まらなくなりそうだった。
 あの里には、人間と狼人が一緒に住んでいる。特にこの辺境の奥の里は、司祭達もよく通りがかる場所だった。人と彼らとは、違うものではあるけれど、数世紀以上も一緒に過ごしてきた。
太古、シールコルスチェーンとは、辺境の祭祀を執り行う役職の中、もっとも重要なものだった。なぜなら、そのまま祭祀を行おうとすると、妖魔や邪気が邪魔にはいって暴れてしまう。それを払うのがシールコルスチェーンで、彼らは、人の作った武器である「剣」を使ってそれを追い出すのが役目だった。だから、人と彼らはともに過ごさねばならないし、お互い頼りあわなければならない理由があった。
 シールコルスチェーンは、狼人と妖精の中から選ばれる。辺境の中でも、司祭よりももっとも強い力と意志を持った者だけが選ばれる。
 里の祭りの日、新しいシールコルスチェーンが若者の中から選ばれて、その就任の儀式が行われる。いいや、行われている。今。
 この大雨の中、就任式は行われているに違いない。
 フォーンアクスはそう思うと、なんだか哀しくなって、雨に紛れてまた涙した。

 
 ばさばさにのびた長い髪の毛を逆立てるようにしながら、フォーンアクスは、壇上の穏やかそうな青年を睨みあげた。
 乱暴者のフォーンアクスに逆らう者は里にはいない。狼人の中でも生まれつき力の強かったフォーンアクスだ。司祭ですら、その目を見ると怯える。それは、彼の力が司祭よりも強いことが明白だからである。
 狼人にしてはやや精悍な顔立ちで、目は大きくて鋭い。野性味溢れたぎらぎらした目で、彼はただ壇上の青年を見ている。青年も狼人らしく、頬にはメルヤーが描かれている。
「フォーンアクス…これは…」
 青年が口を開いた瞬間、当のフォーンアクスは噛みつくように言った。
「だまれ! セヴァルト! てめえなんざに何も訊いてねえよ!」
 びしりとフォーンアクスに言われて、セヴァルトとよばれた狼人は黙り込む。
「どうしてだ!」
 フォーンアクスは、奥歯を噛みしめながら叫んだ。
「どうして、セヴァルトなんだ! オレはシールコルスチェーンになれねえのか! 爺は言ったはずだ。一番強い奴がシールコルスチェーンになるんだって!」
 爺、と呼んでいるのは、一番目の司祭のことだ。フォーンアクスは責めるような口調で叫んで、司祭達に詰め寄った。
「どうして、セヴァルトよりオレの方が強いじゃねえかよ!」
「フォ、フォーンアクス! よせ!」
 司祭は、怯えながら彼を止めようとした。だが、言葉が通じるようなフォーンアクスではない。頭に血が上ると、フォーンアクスは何を言ってもきかなくなるのだ。
「どうして、セヴァルトなんだ! どうして、オレじゃないんだ!」
「お前は…その…」
 司祭は、声をのんだ。フォーンアクスの剣幕は凄まじく、おそらく力も彼の方が上だ。
「お前は…」
「オレがどうだってんだよ!」
 フォーンアクスに睨まれてしまうと、彼らは言葉を失った。
「いい加減にするのだ。フォーンアクス!」
 一つの声が、司祭達の後ろから聞こえた。
「お前は、乱暴すぎる。力に酔いしれておるのがいかん。それ故にお前は候補からはずしたのじゃ!」
 ふと、声が聞こえた。司祭達が道をあける中、その奥から、一人の男が現れる。その頭からローブをかぶった狼人は、静かな声でいった。それは、一番目の司祭であり、一番の年長者でもあった。
「いい加減、その気性をなおせ! お前には何度も言った筈だ!」
「爺! なんだと!」
 周りの司祭が、びくりとしたが、一番目の司祭は揺るがなかった。
「わからんのか? お前には自信がありすぎる。昔はこうではなかったのに、いつから傲慢になったのだ? それをどうにかしないと、自らを滅ぼすだろう。いい加減、自覚することだ!」
「うるせえっ! どういう意味だ!」
「いい加減に自らを知れ! お前はそれさえできれば、よいシールコルスチェーンになるだろう! なぜ選ばれなかったのか、それについて考えろ!」
 噛みつくようなフォーンアクスに、一番目の司祭はぴしゃりと言った。力では圧倒的に、フォーンアクスの方が強い。
「なんだとおっ!」
 フォーンアクスは、一番目の司祭につかみかかった。胸ぐらをつかんで、その非力そうな細い身体を振り回すように引き寄せる。だが、そのローブからのぞく碧の瞳にはおびえはない。ただ、静かにフォーンアクスを見上げているだけだ。
 なのに、どうしてだろう。フォーンアクスは、はっきりと怯えたのだった。そのまっすぐな目が恐くて、フォーンアクスは自分から手を離してしまったのである。一番目の司祭は、そのまま目を離さなかった。静かな迫力に満ちた瞳は、年老いたはずの彼をとても大きく見せていた。
「…フォーンアクス。…わかったか。お前はこの里より追放する。しばらく、世の中を見て回り、そして、己を知るのだ。」
 司祭はそういい渡し、ふっと彼から目を背けた。司祭の目が見えなくなると、フォーンアクスは逃げるようにその場を後にした。壇上で呆然としているセヴァルトの顔は見なかった。
 いつの間にか降り出した雨に紛れるように、彼は森へと消えていった。


 雨はどんどんひどくなる。走りながら彼は、心の中で大声に叫ぶ。
 司祭ですら、自分には敵わない。なのに、何故だ。何故、自分を認めてくれる者はいないんだ。
枯れた木を蹴り飛ばして、邪魔になる蔓草は、全部引きちぎって、フォーンアクスはひたすら走った。
 シールコルスチェーンになりたかった。認められたかったし、注目もされたかった。だけど、それだけではない。フォーンアクスは、あの仕事にあこがれていた。力を正義のために使いたかったし、人から感謝されたかった。今の自分のままでは無理だから、そうなる契機がほしかった。憧れのシールコルスチェーンにさえなれば、自分は変われる。そう信じてきた。
「畜生!」
 走りながら、どうしてか涙が溢れてきて、フォーンアクスは服の裾でそれをぬぐった。
「畜生! どうしてオレじゃ駄目なんだ!」
 フォーンアクスは、吐き捨てるように言った。
「あいつよりオレの方が強いじゃないかよ! どうして、オレじゃシールコルスチェーンになれないんだ!」
 今まで強さだけでは、里一番だと思っていた。いや、里じゃない。この国の中だって、この森の中だって、いいや、辺境の狼人と人間をひっくるめて、多分一番強いのは自分だ。なのに、どうして、認めてもらえないのだろう。
 祭りの日に認められたのは、あのやせっぽちで自分より明らかに弱い、あの軟弱者の飾り石のセヴァルト。
「何がいけないんだよ。オレに何が足りないんだよ。」
 喚きながら、フォーンアクスは溢れる涙をぬぐった。涙ははらはら目から溢れてきて、止めることができなかった。今まで涙を流すような奴は、情けない奴だと思っていたから、本当はもう止めたかったのに、溢れる感情を支配することはできない。
 立ち止まったフォーンアクスの頭の上から、雨はざあざあと叩きつけるように降り注ぐ。涙はすぐに雨と混じり、洗い流されてしまう。
「なんでだよーっ!」
 フォーンアクスは、絶叫して、そこにあった朽ち木を蹴り倒した。
 悔しくて情けなくて哀しくて、フォーンアクスは、泥まみれになるのにもかかわらず、その場に跪いた。
「ちくしょう…! ちくしょう!」
 雨に打たれながら、フォーンアクスは涙をぬぐうのを忘れた。大声を上げながら、喚いてもここなら誰にも聞かれない。誰だって自分が泣いているのに気づかない。
 フォーンアクスは豪雨の中で叫びながら泣いた。狼の遠吠えのようなその泣き声は雨の音が全て洗い流してしまった。



 一夜明けると空は晴れわたっていた。昨日の豪雨が嘘のようである。
「よし! これでいいや!」
 フォーンアクスは、住処にあったものを適当に纏めると、布でくるんで背負った。ろくなものはないから、ほとんどが食料と水だ。
「にしても、どこいきゃいいんだ? オレ地図の読み方すらわからねえのに。」
 ぶつぶつ言いながら、フォーンアクスは以前旅人から強奪した地図を広げた。ぼろぼろの地図に、読めない文字が並んでいる。
「ま、いいか。歩いていればぶち当たるだろ。」 
 旅に出ようと決めたのは、追放されたからではない。悔しさもあるし、納得もしていないが、それでも、フォーンアクスは旅に出る気になった。あの一番目の司祭に言われたからでもない。ただ、こう考えただけだ。
「やっぱり、里なんて狭いところ、オレにはあわねえんだよな。よく考えたら追放って、あれじゃねーか。公認して放り出されたわけで、オレ、今から何やってもいいんじゃねえか!」
 フォーンアクスは歩き出しながら言った。
「そうだ。色んな場所を見て回ろう。どうせ爺もああいってたし、これからはオレが何をしようと里の奴らは文句いってこないはずなんだもんな!」
 彼は空を見上げて、両手を頭の後ろに回す。あれほど泣いたフォーンアクスの心は、今はなぜか今日の空と同じく、晴れ晴れとしていた。
「今日からオレは自由だ! 自由なんだ!」
 誰にともなく叫びながら、フォーンアクスは笑った。駆け出しながら、彼は深い森を開けた平野にむかって下っていった。


 
 フォーンアクス、狐のフォーンアクス…
 お前はどこにいこうとしているのか
 フォーンアクス、狐のフォーンアクス…
 お前が戻ってくるときに、お前は皮肉な運命を知る

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©akihiko wataragi