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44.不満
「盗賊の街」
くだらない日常だ。
くだらない。実にくだらない。
いつまで経ってもかわり映えのしない日々。
金を人から巻き上げては、それを生活の糧にする。それの繰り返しだった。充実もへったくれもない。ただ、生きるためにそうしているだけのことである。
ヒュルカの街は、そう言う意味では住みやすかった。獲物は街を徘徊していればいくらでもいるのだ。彼に心許せる人間はいなかったが、そんなものは、どうせ足を引っ張る要因になるだけである。こんな生き方をしている者に、そんな足かせなど要らない。それが、彼の信条だった。
「レック、今日はどうだった?」
ちょうど『仕事』から戻ってきたとき、スリ仲間の蓮っ葉な感じの少女が少し鼻にかかるような声で訊いた。
「あんた、腕いいもんね。儲かったんでしょ? ねえ、あたしにちょっとちょうだいよ?」
レックハルドはやや引きつった笑みを浮かべた。年は同じ筈だが、レックハルドは他の連中より随分と大人びて見える。
「パーサ、そいつに言ったって無駄だぜ。」
相棒の少年が肩をすくめた。
「オレがいっても、一銭も貸してくれたこともねえんだからよ。」
「えー、ケチなのね。レックって。」
パーサは非難の声を上げたが、今度はそのまだあどけない顔に少し挑発的な笑みをのせた。そして、レックハルドの腕に手を回す。
「じゃあ、かわりにさ。ちょっとあたしと遊ばない? お酒ついであげるからさあ、ねえ! そのお酌代、あたしにちょうだいよ。」
「悪いな、今はそんな気分じゃねえんだ。」
レックハルドは、その手を払いのけながら鼻先で笑った。
「それにな、オレはお前みたいなのは好みじゃねえんだ。仕事なら他を当たれ。」
「なにそれー。あたし、そんなんじゃないわよ?」
そう言いながら、パーサはまんざらでもない様子だ。レックハルドは、肩をすくめると、少し考えた末に握っていた銀貨を何枚か少女に投げやった。
「それやるからどっかいけよ。それからよ、誰にでも声をかけるようなあぶねえ橋を渡るのはやめといた方がいいぜ。いつか痛い目見るぞ。」
「わかってるわよー。でも、あら、こんなにたくさん? 意外に優しいのね。」
「お前がしつこいだけだろ。オレは鬱陶しいのはきれえなんだよ。」
うすら笑いを浮かべたまま、レックハルドは建物の中に入っていった。
「あーりがとー!」
パーサは手を振り、にこにこしている。そばで見ていた相棒の少年は肩をすくめた。彼女が、レックハルドに声をかけてくるのは一度や二度ではないからである。おそらく、レックハルドに好意を抱いているのだろう。
「お前も変わってるよな。よりにもよってあんな冷たい奴に。」
「そうかしら。あいつ、案外優しいとこあると思うのよね、特に女にはだけど。ほーら、結局、お金くれたじゃない。それに、男は悪くてちょっと影引きずってる方がいいのよ。」
パーサはにまっと笑った。
「ま、あんたじゃ無理ね。」
「ちっ、ほっとけよ。」
彼は不機嫌になり、パーサを振り返らずにそのまま続けて建物に入った。そこは、レックハルドがねぐらにしている事の多い廃屋より少しましな部屋だった。すでに今日の仕事を終えている彼は、すっかりくつろいでいる様子だったが、少年が入ってきたのを見て、少し不機嫌そうにしながら起きあがった。
「なんだ? まだ話でもあるのか?」
レックハルドは冷たい口調で言った。
「ヒュートさんから連絡だ。ハザウェイ家に今度押し入るらしぜ。あそこ、ここんところ主人の留守が多いらしいし、宝物蔵ががら空きっていう噂だからな。それにお前が参加しろって。」
「ヒュートっていうと、ああ、あいつか。」
レックハルドは、少しあごをなでて言った。
「…ハザウェイってえと、この町の有名な富豪だな。オレは鍵開け要員か?」
「ああ、そうだってよ。…なあ、呼ばれたの、お前だけだったよな?」
「そうだとお前がさっき言ったんじゃねえのかよ?」
「そりゃそうだが……」
相棒の何か言いたそうな顔を見て、レックハルドはほおづえをついたまま、少し冷たい笑みを浮かべた。
「まさか、オレに仕事分の報酬を半分わけてくれと頼んでるのかよ?」
絶句した彼に、レックハルドは嘲けるように言った。
「オレがそれに承知するとでも思ったのか?」
「あのな、組織の金だろ? 組織が、オレ達二人にくれる金じゃねえか。」
少年は、腹を立てたらしくレックハルドに噛みついたが、彼はさらりと流した。
「へえ、それが?」
「それがって…だから…」
「働いてるのはオレだろうが。なんで、お前に分ける必要がある。」
「レック、お前って奴は…!」
少年は立ち上がった。背は高いが痩せたレックハルドとは違い、少年は背は彼ほどではないものの、体格はそれなりによかった。だが、レックハルドは冷たい目を向けるだけだった。
「組織は、オレ達に金をくれるといってるんだぜ? 仕事分はねえが、オレだって情報をもってきてるじゃねえか。」
「形式上のもんだろ? それに組織組織うるせえんだよ。お前はそれしか口にしねえのか? 何が組織だよ? そんな怯えるようなもんかい?」
レックハルドは軽く吐き捨てた。
「所詮金だけの関係じゃねえか。どうせ、オレ達みたいな奴らは捨て駒。最後まで面倒見てくれるとでも思ってるのかよ?」
「レック、そんな事言って大丈夫なのかよ?」
「ばれなきゃいいのさ。」
レックハルドは狡猾な笑みを浮かべた。そういうレックハルドの事を、彼はあまり好きにはなれなかった。内心尊敬などしてもいない彼が、実際ヒュートのような幹部の前に出たときのあの心から尊敬しているような態度は、あまりにも完璧で寒気すら起こしそうだった。それが演技だとわかっているだけに、彼はレックハルドを信じるつもりはなかった。
レックハルドは、今まで何人かの盗賊と組んで仕事をしていたが、すぐにその集団から抜けてしまっていた。組織でも、何度かきいたことだが、レックハルドは信用ならないというのだ。腕の良さを見込んで、仕事で組むことにしたこの少年も、レックハルド自身の狡猾さには嫌気がさしていた。彼が常に一匹狼である理由が、ようやくわかったような気がしていた。
本当は彼も臆病なのだ。そして。いつも誰かに頼っている。だが、その癖に、頼った相手を本気で信用していないのは目を見ればすぐわかる。実に冷たい目をしているのだ。レックハルドというこの盗賊は――。
「だが、組織に食わせてもらってるじゃねえか。」
「奴らの縄張りで仕事してるからか?」
レックハルドはちらと背後を見やった。
「けっ、おもしろくもねえな。もともと土の上にゃ境界線なんざあねえんだよ。あいつらが勝手に入ってきただけのことじゃねえか。」
「お前だって上納金おさめてるじゃないか?」
「ああ、そうさ。痛い目にあいたくないからよ。」
レックハルドはさらっと現実的なことを言って背伸びした。その目に、少し危険な光があった。
「オレに力さえあれば、あんな野郎にびた一文払ってやるもんかよ。もちろん、お前にもだぜ。オレにたかるつもりならな!」
「なんだと! オレがいつお前にたかった!」
少年は思わずいきりたち、レックハルドの胸ぐらをつかんだ。だが、彼は、冷めた目でこちらを見返してくる。
「たかってねえとでも言うのか? お前の腕じゃ、錠前一つ開けられねえし、財布一つ盗めないじゃねえかよ。」
レックハルドは、はん、と鼻先で笑った。
「笑わせるぜ。お前と組んで、オレに何の得があった? 教えて欲しいもんだね。そうだな、お前と組んで得だったのは、情報がオレより少しだけ早いぐらいかねえ。」
「い、いい気になるなよ!」
どんと、彼を突き飛ばすと、レックハルドは少しよろめいて床に座り込んだ。相変わらず、あの生意気な笑みを浮かべたままだ。
「オレだって、お前みたいな最低な奴と組みたくなんかねえ! 自惚れるんじゃねえぞ! お前と組むのはこれまでだ!」
「ああ、そうか。それじゃ、勝手にしろよ。大体最初から、オレはお前と組むなんて約束した覚えはないぜ。てめえがついてきただけじゃねえか。お前が、オレの腕を見込んでついてきたんだろうが? 違うか?」
言い放たれてレックハルドは、逆に冷たく言い返した。とりつく島もない言い方だったが、いい機会だと思った。もう、レックハルドには関わり合いになりたくなかった。
少年は、きびすを返すと、唾を吐き捨てて出ていった。レックハルドは肩をすくめた。
「何が自惚れるだ? ふん、お前こそ役不足だったんだよ。取引にもならねえのに、今までオレが我慢してやってたんだ。」
去っていった彼の背はもう見えなかったが、レックハルドはそれを追う気にすらならなかった。
彼は自分の腕を見込んで近づいてきた。だが、それはただの利害を見込んだもので、尊敬や友情とは無縁だ。
他人の力を利用しようとして近づいてくる奴にろくなものはいない。レックハルドは、それをよく知っているつもりだった。なにせ、彼自身がそうなのだから、自分を鑑みればよくわかることなのだ。
これで、今まで近づいてきた相棒達は全員去った。それで構わない。どうせ最初から信用のおけない連中だった。
「最初から邪魔だったんだよ。」
レックハルドは冷笑を浮かべながら言った。
「全部邪魔なんだよ、てめえらは。てめえらなんざ、最初から要らねえんだよ…。仲間なんていたら、オレが好き勝手できねえじゃねえか。一人なら、あれの倍は稼げたんだ。」
レックハルドは、静かに吐き捨てた。
「オレに今要るのは金だけなんだ。金さえあれば、こんなばかばかしい生活ともとっととおさらばしてやるぜ。」
そうとも、ほしいのは金だけだ。昔、自分と引き替えに族長に渡された、あの金色に光る魔性の物体。あれさえあれば、何でもできる。人も物も何もかも自分の自由にできる。
もっと効率よく金が欲しい。仲間だの何だの、面倒なものはいらなかった。
「ヒュートの命令に従って、こそ泥稼業か。…けっ、つまらねえなあ。」
組織の為に働くのは、正直吐き気がするほど嫌だった。しめられない為に、上納金も払うし、命令にも従っていたが、心の中では反目していた。組織、組織、組織、そんなものなどどうでもいい。ただ、身を守るために上辺だけ従って見せているだけのことだ。そのために命を賭ける気になどどうしてなる筈があるだろう。
「くだらなさすぎて、死んじまいそうだぜ。こんな生活。」
寝転がったレックハルドは天井を見上げながら吐き捨てた。
…その組織のための仕事、それに出かけたレックハルドがあの娘と会うのはそれから一週間後の事である。それが、彼の人生を変えることになるとは、その時、彼は予想だにしていない。
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