辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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24.意地悪

「嫌な上司」


 難しい上司を持つと苦労する。
 だが、そう言う意味ではレックハルド=ハールシャーは、それほど扱いにくくはない。時々癇癪を起こしたりはするのだが、彼の場合はそれは長引くものでない。ワンマンな所もあるが、独裁的というほどでもなく、面倒なことは得意そうな者に任せるというか、押しつけるというか、とにかく人に任せることもする。
 新米書記官の彼だったが、徐々にハールシャーの性格を掴みつつあった。
 ちょうどその日の昼、ハールシャーは戦場にいた。天幕で休んでいるという話なので、そこに書類を持っていくことにしていた。
ハールシャーは、あまり華美を好まない。好まないというよりは、ただのケチといってもいい。だから、天幕にしろ、あまり上等とはいえないので、見張りがいなければ要人がいるように見えないぐらいだ。
「宰相殿。あの、書類を…」
「ああ、そうか。じゃあ入れ。」
 ハールシャーは言葉遣いが悪い。都の下町でごろつきが使うような言葉で喋る。それを嫌うものもいるが、書記官は慣れてしまってあまりきらいではなくなった。
 といっても、宮中ではそんな言葉遣いはしない。気持ちが悪いほど猫を被って、たいへん丁寧に喋る。だが、むしろソレは慇懃無礼なほどなので、とりようによっては、ただの皮肉にも聞こえなくない。
 どちらがいいかというと、突き放すような淡泊な、こちらのいい方の方が好感が持てる。
 見張りに挨拶をして、彼は狭い入り口をくぐる。中もそう広くはないが、人一人がいるには十分なほどの広さといえるだろう。赤い絨毯が敷き詰められていて、それなりに居心地は良さそうに見えた。
「何の書類だ?」
 絨毯の上に寝転がっていた若い上司は、三十をいくらか越えたほどで、その肩書きに対しては本当に若い。だが、同時に妙に老けた感じもするのは、彼の人生経験によるものだろうか。
 鋭い目の彼は、書記官を射抜くように見上げていた。が、驚いたのはそれに対してではない。その横に赤い髪の女が座っていたからだ。
 いや、武装しているため、女にみえなかったが、恐らく女性だ。それがレックハルド=ハールシャーの側に控えていたのである。
 いきなりのことにびくりとしたが、ハールシャーはいっこうに構う気配がない。
「どうした?」
 寝転がっていた絨毯から少しだけ身を起こし、ハールシャーは面白そうに彼を見上げた。
「そう怯えるな。お前が期待するほど色気のあるような場面じゃないさ。安心しろ。オレ達は仕事の話をしていただけだからな。」
 そういう女はにこりと微笑んだ。優しい表情で、おおよそ戦場には似つかわしくない女だが、武装をしているということは、きっとこの娘も戦場に出るということだろう。帯刀をしているぐらいだから、よほど親しいのか、それとも信頼が置けるのか。
「まぁ、部下の方ね。」
 彼女はあかるくいうと、赤い色を帯びた髪を跳ねあげた。確かにその手には、地形図が握られている。確かにそうなのかもしれないが、この状況でいわれても信じがたい。
 ギルファレスではそうないことだが、メソリアやバイロスカートでは、女性が戦場に立つことは珍しくない。
 さすがに昼間から女性といちゃついていることはないだろうとは、思うのだ。だが、この二人はどうなのだろう。
「でも、それは、内政の方の資料ですね。」
 ちらりと上を見上げて、目の大きな女はいった。
「それでは、わたしの前ではそちらの方が話しづらいでしょうし、外でお話したらどうですか?」
「そうだな、じゃあ、ちょっと出てくる。」
 ハールシャーはそう答え、彼を急かして外に出た。
 書類を渡して説明している間も、正直彼は気が気でない。あれが、彼の妻ならいいのだが、そうでないなら少し危ない場面をみた気がする。
 ハールシャーは政略結婚をしているのだ。ギルファレスでは、一夫多妻は認められてはいるが、政略結婚をしている者がよその女を戦場にまで引っ張り込んでいるのはまずすぎる。
 しかし、ハールシャーのような自由奔放な男が、計算の為に結婚しただけの家庭に満足するとは、彼には思えないのである。
「どうした? 何か気になることでもあるのか。」
 ふと、ハールシャーは尋ねてきた。いや、おおよそ、彼が何を気にしているのかはわかっているのだろう。
「遠慮なく訊け。」
「はっ、はぁ…。で、で、では……」
 恐る恐る、しかし、つい好奇心の欲求に負け、彼は訊いてしまった。
「先程の女性は?」
「…誰だと思う?」
 ハールシャーは意地悪く訊いてにやにやしている。
「ハールシャー様には、確か…」
「ああ、妻がいるな…それが?」
 どうなんだろう、と思わず書記官は考えた。
 先程も考えていたように、ハールシャーはただの政略結婚で結婚したという噂だ。この地方では女性が戦場に来ても何らおかしいことはないが、粗末なあの陣幕で貴婦人が我慢できるだろうか。おまけに、あんな武装をした姿だったし、貴婦人がそんなことで満足できるだろうか。
「誰だと思う?」
 困っている様子の彼にハールシャーは追い打ちを掛けてきた。それが、妙に楽しそうににやついている。だが、新米書記官にしてみればそれどころではない。
 細君ですか、と応える。もしあっていたらいいのだが、間違っていたらハールシャーの機嫌を損ねそうである。おまけに常識的に考えて、細君がここにいるのは変だ。
 愛妾ですか、と応える。これは間違っていても、正解していても言い方によっては首が飛びかねない。
「なぁ、誰だと思うんだよ?」
 にやにやしながらハールシャーは、もう一度追いつめる。獲物をいたぶって遊ぶ猫のような、無邪気に残虐な笑みだ。彼に余裕があったら、すぐにわかったかもしれない。この男、ただ、まじめな彼をからかって遊んでいるだけなのだ。
 だが、返答に命がかかっていると思いこんでいる若い書記官は、正直それどころでないのだった。
 どうしようどうしよう。こんな事で将来を失うのも嫌だ。
 あわあわと傍目には笑えるほどに狼狽しながら、彼は考える。横ではハールシャーが意味深に笑いながら、「どうなんだよ?」といった視線を向けてくる。
「あ、…あの…」
「ん? 何だ、はっきり言ってみろ?」
 嫌な奴だ。とは彼は思わなかった。そんな余裕すらなかったのだ。
 震える唇で彼はとうとう答えた。
「…あ、あの方は、……宰相殿のいい方なのですか?」
 ひく、と一瞬ハールシャーは眉を引きつらせたようだった。おどおどと怯える彼に、一瞬空気が震える音がした。それは、当の相手が声を発したからだったのだが、それは彼の恐れていた怒声ではなかった。それは笑い声だったのだ。
 ぽかんとしている彼に向けて、ハールシャーはげたげた笑いながら、ふとにやりと口をゆがめて笑いを止めた。ぽんと肩を叩かれて、書記官はびくりとするが、直後ハールシャーの鋭い視線に射られて怯える。すでに彼は表情をなくしていて笑っていないのだ。
「うまいことごまかしたな。」
「ああ、いいえ。」
「つまり、オレの妻には見えないと、そういうわけだよな?」
 今度は声が出なかったので、首を振るとハールシャーは、いきなり相好を崩した。
「まーぁ、いい人っていうのには間違いねえな。」
 彼は答えを言わずにまた面白そうに笑うと、彼の肩を叩いて楽しそうにいった。
「お前、他の奴の前でいったら下手したら首が飛んでたぞ。オレがいるだけでよかったな。」
 そう楽しそうにいって、彼は妙に笑いながら向こうの方に歩いていってしまった。その笑みの理由は、いつまで経っても彼にはわからない。
 ただ、この人の悪い上司は、一人だけ楽しそうに変な笑いを浮かべながら、愉快そうに向こうに歩いていってしまった。
 それが単なる彼のからかいだと知るまで、随分時間がかかった。

 
 そうして、彼が、その女性の正体を知るのは、さらにまた随分後のことになるのである。

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©akihiko wataragi