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17.期待
太古編・「黒
の雑感」
都市国家ミィンは、小さいがその地方ではかなり有力な国家である。黎明期の村にとって、彼らの軍事力は脅威であるが、今のところミィンは、武力を使う気もないらしい。外交は活発で、交易も行われている。その中でもミィンは、辺境の狼人達との交渉に力を入れてきた。お互いの区分を守るという意味では、彼らは実にうまくやってきた。
司祭は、今日、そのミィンの大臣が来るのを待っていた。山深い辺境に踏みいるのは危険であるが、今日は彼は、文官数名以外の供は連れないと通達してきた。普通、辺境に入る時、王国の高官は兵士をかなり連れてくるものである。だから、彼は代わりに、彼の周りを狼人の壮士達を守りにやらせていた。兵士を入れないのは、その宰相なりの礼儀なのだろう。
現在のミィンの宰相はまだ若いがなかなか切れる人物であるらしい。評判はあまり良くないが、政治的手腕は確からしい。それに、兵を連れないで来るところを見ると、肝は据わっているのだろうか。
やがて一人の男が狼人達に守られながらやってくるのが見えた。司祭達を統括する一番目の司祭である彼は、前に出た。狼人にしてはふけ顔かもしれない彼は、長老としての威厳めいたものが備わっていた。
「これはカラルヴ殿。遠路はるばるようこそ。」
「これはこれは、…一番目の司祭のあなたが迎えてくれるとは思いませんでしたよ。霧の実のグレンヒュール殿。」
カラルヴがそういうと、グレンヒュールはくすりと笑った。
「おやおや、そんな昔の名前を。よくご存じでしたな。外の方は、私を一番目としか呼びませんので、そう呼びかけられると私としては懐かしい。」
「その辺の狼人に訊いたんですよ。」
カラルヴはそういうと、にやりとした。
「グレンヒュール殿こそ、私のあだ名をどこで? その名は私の本名ではございませんよ。」
「それは風の噂というものですよ。」
グレンヒュールは、陽気にわらって彼を迎えた。
「そういえば、フォーンアクスの面倒を見てくださっているとか?」
「面倒を見るというほどたいそうな事はしていませんよ。ただ、餓死しない程度の金はいくらか渡しましたが。情報と引き替えに。」
グレンヒュールは少しため息をついた。
「あなたぐらいのものです。この危機に気づいているのは――。私を初めとして司祭は浮き足立つばかりで、対応ととろうともしない。全く、情けないものですよ。」
「はは、それはどことも同じ事ですよ。私が情報を得るために金を使っていることに、他のものは嘲っているようですが。」
カラルヴは少し慰めるように言った。
「平和な時代というのはおおよそそう言うものでございましょう。」
ええ、といって沈んだ様子のグレンヒュールを見て、カラルヴはニッと笑った。
「それにしても、グレンヒュール殿は、あのフォーンアクスに目を掛けていらっしゃるようだ。…奴はあなたがオレを追いだしてどうのこうのと文句を垂れていましたが、本当はそうでもないんでしょう?」
「え、ああ。まあ。」
グレンヒュールはやや照れたような顔をした。
「あれは……きっと分かると思うのです。私が人間の世界を旅しろといったわけも、そして、自らの欠点も。」
グレンヒュールはため息をついて、カラルヴの方をみた。
「あなたのような方が、あれの面倒を見てくださると心強いですな。」
「ははは、それは買いかぶりすぎというものですよ。…この前フォーンアクスに、『てめえみたいなタイプが一番嫌いだ』とかののしられましたしね。」
カラルヴはあくまで笑っていたが、グレンヒュールはやや顔色を変えた。
「ええっ、あの馬鹿がそんな失礼なことを。…すみません、代わって私が非礼をお詫びいたします。」
「いえ、自分のことはそれなりに理解しているつもりです。あの男の性分からすれば、私のやっていることは許せないことなのでしょう。」
カラルヴはあくまで冷静だ。それを見ながら、グレンヒュールは申し訳なさそうな顔をした。
「す、すみません。なにぶん、アレは本当に馬鹿で馬鹿で。」
「でも、あなたは彼に期待していらっしゃる。…しかし、不肖私めにも気持ちは何となく分かりますよ。」
カラルヴは、ふっと笑いかけた。
「あれは型破りが少しすぎますが、悪い奴ではありません。…私はこういう性分ですから、かえってああいう奴がうらやましくなることがあるんですよ。」
「…あなたにそう言ってもらえると、私としても安心しますな…。」
グレンヒュールは安堵のため息をついた。こんな理解者がいいるというなら、フォーンアクスもいずれは気づくかも知れない。一体自分の何がいけなかったかということを。
会談はおおよそのところ終わった。カラルヴが一度休みをもらって、連れてきていた数人の供の所に情報を伝えに来た頃頃にはすでに日が暮れていた。
「しかし、変わったお方ですね。…あの一番目殿は。」
「何がだ?」
「黒
(
」の二つ名で呼ばれる男は、部下の方を振り返る。
「狼人なのに、何となく…こう…変わった感じがしますね。」
「人間ぽいってか? お前は奴らとつきあったことがないらしいな。連中はつきあってみると、そうオレ達と変わってるわけでもない。…だが、そうだな、あの爺さんは、ちょっと人間に肩入れしすぎかもな。」
そうして、彼はにやりとした。
「…どういう意味で?」
「あの爺さんは純粋な狼人じゃない。」
カラルヴはそう言って、近くの木に寄りかかった。
「多分、人間の血が混じってるんだろうな。」
だから、おそらく、フォーンアクスを人間の世界に出したのだろう。それは、人という動物を信じてのことでもある。
(そんなにいい奴ばかりでもないさ)
カラルヴはそう思いながら苦々しい気持ちになる。まだ残りの打ち合わせがあるはずだ。カラルヴはため息をつくと、職務に戻ることにした。
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