辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005


  
 

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11.苦い
「掌中で踊る」

 栄光とよりどころを失えばどうなるだろう。サライは目の前の光景を見ながら考える。失脚だけならいい。だが、目の前の男には、もう未来すらない。
 王都につけば、そのまま首をはねられる。そういう運命にあるのだ。
 サライは、以前は宰相だった男の姿を従者とともに眺めやっていた。髪を振り乱した男は、小刻みに肩を揺らしていた。泣いているのではない、笑っているのだ。
 痩せた長身は、以前よりもまた少し痩せたように見える。細い目は、以前の輝きをなくして、どこか空虚だ。彼がいつも着ている黒いマントも、今は土埃に汚れ、ほつれていた。かつて、所々を装飾していた宝石もなにもその身にはない。
 反逆罪は、それが立証されれば死罪だ。今度はあの国王とゼヴィリア公爵がともに手を組んで、ハールシャーを絶対に逃がさないようにしている。彼の罪は、たとえ本人の身に覚えがあろうとなかろうと立証されることだろう。
 護送される彼は、時々不気味な笑い声をあげていた。それを横で見ながら、それでも彼を都まで引っ張って行かねばならない役人達ですら、いくらかは哀れみを感じていたようだ。縄を引く男は、ハールシャーを彼が歩くスピード以上には引き立てようとはしなかった。
 元々が野心に満ちた男だっただけに、その姿は哀れに見えた。見物人達も同じことを思っていたのかもしれない。栄華を極めた男の転落ぶりは、人の情を刺激するものでもあるのだ。
 だが、サライは何か違和感を感じていた。

 
 面会に行ったときのハールシャーは、確かに憔悴しているようにも見えたが、仮にも宰相だった彼に乱暴な扱いはできなかったのか、あまり苦労していそうではなかった。ただ、彼には未来がない。それだけのことである。
 王都までは、一応貴人の扱いがされる。それは簡易の裁判手続きがされるまでのことだ。それが終われば、扱いは人間以下である。
 ハールシャーは、家族のことなどについてサライにいくつか言づてを託していた。
 よくしてやれなかった妻に残った財産を。息子には、他国で生き延びる術を。そして、後見人のトジェックに謝罪を。頼れるのはあなたしかいませんから、とも、寂しそうに言ったのだ。
 その様子は、あまりにも悄然としていて、サライですら眉をひそめそうになるような状態に見えた。
 ところが、去り際にハールシャーは訊いたのだ。刻むような笑みを浮かべながら、彼はあの緑の内に砂の色を秘めた瞳に、底を読ませぬ光をたたえてからかうように訊いた。
「絶望がすぎた人間ってのはどうなると思います?」
 サライは、首を振った。
「さあ、私は知らないな。」
 サライに言われ、ハールシャーは、やや上目づかいに挑戦的にサライを見た。
「絶望がすぎたものは、希望に走るしかないわけですよ。望みがつきたなら、新たな望みを探すしかほかない。ないなら考えねばならない。自分をごまかしてでも可能性を探さなければならないのです。」
「ほう?」
「…少なからず、それしか方法がないのならですがね。現実逃避ととるか、それとも手だてと取るか、それは人次第です。」
 一瞬、意味がわからなかった。ハールシャーがなにか自分に謎かけをしてきているのだと言うことはわかったが、それが何かその時はわからなかった。
 ハールシャーは、ふうとため息をつき、彼を見上げた。今生の別れを惜しむようなその寂しげな笑みは、ハールシャーという男にはおよそ似つかわしくもない。諦観の境地にいるのかもしれないと、サライはそれを見ながら予測した。
「……笑うならお笑い下さい。サライ様。」
「いや、私は、少なくともおぬしは笑えんな…。」
 サライは立ち去りながら優雅に微笑んだ。
「おぬしの掌中に落ちるようで気にくわん。」
 ハールシャーは、ふっと唇に笑みをのせた。
「…あなたも一筋縄ではいかぬお方だ。」
 面会を終えてからしばらくして、ハールシャーの入った牢獄から、割れんばかりの笑い声が聞こえてきた。狂気すら感じる哄笑は、サライが外に出ていってからもしばらく聞こえていた。

 

 通り過ぎていくときに、ふとハールシャーは群衆の中のサライを見つけたらしかった。その目が、サライの方を見た。その一瞬、一瞬だけ、ハールシャーはうっすらと微笑んだのだ。その、砂色と草の色の混じったような、独特の色の瞳に、輝きを放ちながら。
(残念だったな! サライ!)
 そう声が聞こえたような気がした。
(オレは「手だて」だといっただろう?)
 その目がそう言っているようで、サライは思わず拳を握った。
 横にいた従者が、ハールシャーの様子を見ながら、哀れそうに言った。彼の目からは、ハールシャーは栄光の座から転落した、哀れな宰相にしかみえないのであろう。
「とうとう、気が触れてしまったのでしょうか。あの気丈な宰相が……、まだ若いのに。可哀想に。」
「かも、しれんな。」
 サライはふっと笑ったが、それはかみつぶしたような笑みだった。
(何がだ!)
 彼には、あの時のハールシャーの異常な目の輝きの理由がわかるような気がした。
(何が絶望だ? 最期まで貴様はあらゆる可能性を信じているのではないか。)
 あんな目とあんな笑みをする男が絶望しているわけがない。彼に同情した者は、すべてハールシャーの掌の上で、踊っているだけにすぎない。すべては彼の予想の内。あのギルファレス王も、ゼヴィリア公爵も、この男の小手先で踊っただけだ。彼は、全ての結末を予想して、この策を選び取ったのだから。全ては、彼が無事に逃げ切るための策。生きるための方策にすぎない。
「たいした役者だ。」
 思わず吐き捨てた言葉には、悔しさのようなものがこもっていた。
 そうだとも、たいした役者だ。ともすれば気にくわないほどに。
 サライは、唇をゆがめた。それは嫉妬にもにた感情かもしれない。
「…本気であの時、殺させておくべきだった…。レックハルド=ハールシャー…」
 

 その後のハールシャーについては、史書は多くを語らない。ただ、山道を護送中、レックハルド=ハールシャー狂乱し、断崖より身を投げる。と、のみかかれている。

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©akihiko wataragi