一覧 戻る 次へ 1.青年ハンスとエノルク書-5 「その葉を二つ分。おっと、量が多すぎる。すりきりじゃなくて、軽く二杯」 ラシードが肩でそう指示をする。 ハンスは、そうかなーといいながら、茶葉の量を調節する。焚き火にやかんをかけて、湯を沸かしながら、二人、正確には一人と一羽は、それに茶葉を調節していた。 ラシードは、薬草などにも詳しい。元いた世界と、この世界では、まるで別個のものも存在はしていたが、同じ特徴の薬草も多くあるらしく、シェイザスが持っていた刈り取ったばかりの薬草の薬効を言い当てて、彼女が驚いていたものだった。 しかし、今使っているのは、元の世界から持ってきた薬草を乾燥させたものである。せっかくなので茶でも飲もうとハンスが言ったとき、ラシードは、それにその薬草を入れるように指示していたのだった。 理由は、その薬草は不安を和らげる効果があるからである。いわばハーブティーといったようなもので、言われたとおりに調合してお湯の中に入れると、独特のいい香りがあたりに広がっていた。 「不安を和らげるお茶を淹れてるって、シェイザスのこと心配してるんだ」 ハンスは、肩から降りて荷物いれの上にとまっているラシードを見やった。カラスの姿の彼は、表情が極めてわかりづらいのであるが、ハンスは慣れっこになっているらしく、とりたてて気にする風はない。 「俺は別に心配なんぞしてないぜ。ただ、こういう異常事態になると、ガキは何かと混乱起こしやすいからよ。特に女の子となりゃあな。うるさく騒がれると迷惑だからだぞ」 「リケンさんも、素直じゃないよねえ」 ラシードの返答に、ハンスはあきれたように言った。 「リケンさんが、そういう冷たいこというから、不安にさせちゃうんだよ?」 「何をいいやがる。元はといえばお前のせいじゃねえか。あの黒い奴を追い払って森においてきた方がよかったのさ」 「俺、そんな器用なことできないもん」 ハンスは、口を尖らせた。 「徹底的に敵と戦う時は、女の子守りながらなんて無理だもん。相手の正体がよくわからないし。もし、そうやって下手してあの子に怪我させたりしたらどうするのさあ?」 「そんなもん、しょうがねえだろうが」 「しょうがなくないよ。目の前で女の子に怪我をさせられるなんて、騎士の名折れだよ。騎士の端くれとしてそんなことできないよ。危険な時は、安全優先が基本だよ」 「なあにが、騎士だよ。普段はぼさーっとしてるくせに、都合のいい時だけ持ち出しやがって」 「失礼だなあ。俺はこう見えても、ちゃーんと、騎士道精神は持ち合わせてるつもりなんだけどなー」 「どうだかねえ。平和ボケしたライオンの着ぐるみみたいな顔しやがって……」 ラシードにひどいことを言われているが、ハンスは、一転にこりとする。 「でも、いいじゃないか。旅は道連れっていうし、これも何かの縁だよ」 今度はラシードの方があきれた様子になった。 「ちっ、本当にお前って奴は気まぐれで何でもかんでも拾ってきてよ。犬猫みたいに何でも拾ってくるんじゃねえぞ。で、あのガキどこに行ったんだ?」 そういえば、先ほどから当のシェイザスの姿が見えていない。ハンスがぼんやりしているところをみると、別に迷子になったわけでもないだろうが。 「そこに湧き水があって、さっき一緒に水を汲みにいったんだけど、そこで顔を洗ってたよ。ほら、いきなり追いかけられたりして大変だったから、森の泥が跳ねていたみたい。ちょうど気分転換によさそうな場所だし、危なくなさそうだったから置いてきたんだ。多分そのうち戻ってくるよ」 「そうか。しかし、女の子を連れてるとなりゃあ、野宿ばかりするわけにもいかねえなあ」 「それじゃあ、宿をとればいいよ。俺も、野宿よりお宿のほうが好きー」 能天気に笑うハンスに、ラシードは、もはやため息も出ない。 「金はどうするんだよ。今までは、お前がもっていた金貨やら銀貨を金に替えていたんだが、子供をつれてちゃ強行軍はできないし、旅費がかさむぜ?」 「お金のことなら心配ないんじゃない?」 ハンスは、何も考えていなさそうな笑顔で答える。 「ほら、いうじゃないかー。金は天下の回り物って。なんとかなるよ」 「気楽なこといいやがって、このお気楽野郎が。世の中そんなに簡単なもんじゃねえぞ」 ラシードは、そういいながらも、ハンスに現実的な返答を求めてはいなかった。 「でも、そろそろ夕方だねえ。今日はこれぐらいの行程で済ませたほうがいいかなあ」 「そうだな。ちょっと空から近くに街がないか見てきてやるよ」 ラシードは、そうこたえ、空の方を見上げた。 「うん、お願いします」 ハンスは、軽い調子でそういったが、ふとその大きな目を開いて小首をかしげた。 「でもさあ、襲ってきたあの黒いのってなんなんだろ? 俺達を襲ってきたの、初めてじゃないよね。前もああいう黒いのが追いかけてきたことがあったよね?」 「多分、この世のものじゃねえよ。なにかっていう種類は特定できないけどな」 ラシードは、ため息混じりに言った。 「どうせろくなものじゃねえ。ただ、ああいうのはしつこい。俺達がなんらかの事情で狙われているなら、その事情を排除しない限り、何度でも付きまとってくる」 「困るなあ。俺、しつこいの苦手なのに」 「しょうがねえさ。それより、お前の持っている本、あれが本当にどこかの国の宝物だとしたら、もっと厄介ごとを巻き起こすぜ?」 「ああ、あのエノルク書っていう奴」 ハンスは、荷物入れの中にある大きな本に目を向けた。 「でも、あれを解読しないと、俺達、元の世界に帰れないもん。すんなり、返すわけにはいかないよね?」 「当たり前だ。俺達をここに呼んだ張本人のようなものだからな。手がかりを手放すわけにはいかない。まあ、しばらくは十分気をつけないといけないぜ」 「うん、わかった」 ハンスが、そう答える。ラシードは、その返事が、どこか生返事のような気がして不安になる。この男は、いつでもどこまでが本気なのかわからないし、正直な所、何を考えているのかもさっぱりわからないのだ。 悪い奴ではないのは確かだが、何かと得体がしれないようなところがある。それは、付き合いの長いラシードにもそう思えているのである。 (頼むぜ、本当に) ラシードは、この先のことを考えると、なぜかどっと疲れてしまいそうになるのだった。 せせらぎの音がさらさらと聞こえていた。 シェイザスは、その側にしゃがみこんでため息をついていた。 「とんでもないことになったわ」 まるで悪夢のような出来事だが、どうやら夢ではないらしい。どうしてこんなことになったのか、全くわけがわからない。 シェイザスは、冷たい水に手をひたひて、頬を濡らして見る。やはり冷たい。夢の中では、こんなに感覚が鋭くないので、やはり現実なのだ。 救いなのは、ハンスが悪い人ではなさそうなことだった。いや、人なのかどうなのか、今のところよくわからない。彼は外見は、どうみても辺境の狼人風だし、何となく普通の人間とは違う雰囲気があった。 けれど、カラスのラシードの方は、どうだろう。自分を邪魔だと思っているのではないだろうか。彼の少し冷たい態度が、シェイザスには気がかりだった。 ため息をひとつついてみる。彼女は立ち上がった。 「そろそろ帰らなきゃ……」 ハンスが心配するかもしれない。 シェイザスは、彼らが待っている場所へと戻ることにした。 歩いていくと、そこにはハンスが座ってのんびり休んでいる所だった。ハンスは不思議な男で、いつ見ても幸せそうに見えている。傍で焚き火をしているらしく、細く煙が上がっていた。何かやかんのようなものがかけられている。 「あ、帰ってきた」 シェイザスの姿をみとめたらしく、ハンスがにっこりと微笑んできた。それにほっとして、シェイザスは小走りに彼に近づく。 この状況で、頼れるのは彼だけだ。その笑顔が親しみやすいことは、彼女にとってはよいことだった。 「ちょうど、お茶がわいているんだよ」 ハンスはそういって、金属製のカップにお茶を入れてくれた。熱くなるのかと思ったが、取っ手は熱くなかった。 「はい。これでも飲んで落ち着いて」 「ありがとう」 お茶は、不思議な香りがした。飲み物の温かさとその香りで、シェイザスはなんとなく気持ちが落ち着いた。 薬草でも入っているのだろうか。普通の茶ではなさそうだ。 ハンスは自分も茶を飲みながら、のんびりとゆったりとした時間を楽しんでいるようだった。ハンスの真似をすると、さらに心が落ち着いてくるようだ。 「ラシードは?」 落ち着いたところで、シェイザスは姿を見ないカラスを心配して聞いた。自分を避けているのだとしたらどうしようと思ったのだ。 「んー、リケンさんなら、お空の散歩だよ。偵察してくるってさ」 「そう」 シェイザスは、頷いて、ふと不安げにハンスを見上げた。ハンスは、何も考えていない様子でぼんやりしている。 「あのね、ハンス」 「なあに?」 ここで思い切って聞いてしまおう。シェイザスは勇気をだしてこういった。 「ラシードは、私がついてきて嫌がっているのでないかしら」 シェイザスは、少しうつむいた。 足手まといなのは明らかだし、ラシードが何かと文句を言っていたのもしっている。実際、彼女がいない方が、ハンスも旅が楽というものだろう。お金もないようだし。 しかし、ハンスは、あー、とのんきに口を開けて続けた。 「やっぱり気にしてるんだ。あの人の言うことを真に受けることないよ」 「でも、迷惑だっていってたわ」 「そんなことないよ。第一、このお茶の作りかたを教えてくれたの、リケンさんだもん。シェイザスが、不安がっているだろうから、落ち着かせたほうがいいからって。不安を和らげる香草を多めに入れろっていわれたんだ」 ハンスは、片目をつむってそんなことを言う。 「あの人は、口が悪いし、根性ひねくれてるからね。ついつい悪態ついちゃうだけさ。気にすることないよ」 ラシードがいたら怒り出しそうなことを、ハンスは平気でシェイザスに言う。 「そうかしら?」 「そうだよ。女の子がいるから、野宿は控えろっていったのもリケンさんだもん」 ハンスは、ハーブの入ったお茶を飲み干して口元をぬぐった。 「リケンさんは、口は悪いけど、悪い人じゃないよ。シェイザスもいずれわかるさ。心配することないない」 ハンスは、軽い調子でそういう。 それにしても、ラシードは、どう見ても「人」ではないと思うのだが、シェイザスはそう突っ込むのをやめた。ハンスの前では、そうした小さなことはすべて無意味に思えてくる。 「それじゃあ、ハンスの言うことを信じてみるわ」 「うん、そうするといいよ」 ハンスは、にこりとすると小首をかしげた。 「でも、ココ、変なところだね。さっき、森の中で日蝕になったよ? でも、おかしいなあ。この前日蝕になったばっかりだよ。そんなに頻繁に起こるものじゃないのにさあ」 「日蝕はね、辺境の神様が起こすものなの」 シェイザスは、ハンスにそう説明する。 「日蝕は、確かに自然に起こることもあるの。それは本当に稀なことだって聞いているわ」 「そうだよね。月が太陽を隠すから日蝕になるんだよ」 男は知った風なことを言う。そのことが本当なのかどうかはシェイザスは知らないが、とにかく天体の動きにより日蝕が起こることはこの世界でも知られていた。 「でも、そうじゃない日蝕もあるの。それは、辺境の神様が不安なことがあって、暗闇で太陽を覆い隠してしまうのだって聞いているわ。だから、日蝕はとっても不吉なの」 ハンスは、瞳を瞬かせながらその話を聞いていた。 「さっきの日蝕も自然に起こったものでないわ、きっと。辺境の神様が起こしたものよ。すごく嫌な感じがしたもの」 「そうかあ。で、辺境ってそういえば何? この世界の人は皆辺境っていうけど、何のことなの?」 ハンスにそう聞かれてシェイザスは、かえってきょとんとしてしまった。本当に彼は何も知らないらしい。 「知らないの? さっき、私とハンスが出会った森の中が辺境よ」 一覧 戻る 次へ |