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1.青年ハンスとエノルク書-2
 
 森の入り口から少し入った茂みで、薬草を刈り取っていると、いつの間にか太陽が高くのぼっていた。
「よいしょっと」
 刈り取った草をばさりとその場において、ダルシュは背伸びした。
「ああ、中腰でいると疲れちまうよなあ」
 なにやら老けたことを言う。ダルシュが刈り取るのは、薬草だけでなく、周りの雑草も混じっていることがおおいので、シェイザスは、ダルシュに草を刈らせて、必要なものを選び取る作業に入っていた。
「そろそろ、大分取れただろ?」
「そうね。あと、もう一つ違う種類のをとらなきゃいけないの」
「ええー? まだあるのか」
 ダルシュは、少しうんざりした様子で座り込む。その反応が面白かったのか、シェイザスはくすくすと笑ってしまった。
「でも、もうお昼になるから、お昼ご飯でも食べる?」
 シェイザスは、手に持っていた籠を引き寄せた。そこにパンを三つほどと葡萄を搾った飲み物を持ってきていた。念のために多めに持ってきておいて良かったと思った。
「おう、そうしようかな」
 ダルシュは、それを聞いて嬉しそうにした。
 シェイザスは、籠に手を入れて持ってきた昼ごはんを取り出そうとして、ふと首をかしげた。手に、明らかにパンや瓶とは違う感触がしたのだ。指先に当たったのは、紛れもなく金属の冷たい感触で、手のひらぐらいの大きさがあるようだ。そんなものをもってきていただろうか。
 シェイザスは、そっと中を覗き込んで、そして、どきりとした。
 籠の中できらりと何かが輝いている。金色に輝くそれにはつまみがついており、シェイザスは恐る恐るそれを押してみた。難なくふたが開き、中から見えたのは時計盤だった。
 見覚えがある。これは、『懐中時計』だ。夢であの不思議な男が自分の目の前で拾い上げて見せたものに間違いない。
「どうした?」
「え?」
 小首をかしげているダルシュに気づいて、シェイザスは咄嗟に首を振った。
「なんでもないわ」
 まさか、夢で拾った時計だなんて言えない。いくらダルシュでも、信じてくれないと思うし、シェイザスも自分でも何かの間違いだと思ったのだ。思わず、時計を籠に戻して何事もなかったかのように籠を置きなおすと、シェイザスはダルシュにパンを二つ渡した。
 倒れている木の上に座って、二人は昼食をとることにした。ちょうど、森の木々が抜けて、木漏れ日が差し込んでくる。まだ森の入り口付近であるので、緑も浅く、森の中はさわやかな光で明るかった。どこからか、鳥の声がしている。パンをちぎって口に入れながら、シェイザスはぼんやりとその風景を見やっていた。
「なあなあ、さっきの騎士の人が探してた男、このあたりに本当にいるのかな?」
 ダルシュが、パンを頬張りながらそうきいてきた。騎士に憧れのある彼は、いまだに先ほどのことがきになるのだろう。
「どうかしら。だって不思議な乗り物に乗っている大男なんて、とても目立つわ」
「そうだよなあ。すぐにわかるよな」
 ダルシュは、少し唸った。シェイザスは、少し笑う。
「ダルシュ。情報を手に入れて、騎士様にほめられようと思っても、ダメよ。そんな簡単に物事はすすまないわ」
 言い当てられて、ダルシュがどきりとした様子になる。
「お、俺はその、別に」
「すぐにわかるわよ」
 シェイザスは、くすくす笑ったが、ふとまじめな顔になる。
「でも、確かに、さっきのこと、なんだか気になるわね」
「そうだろ」
 ダルシュが、似合わないまじめな顔を作るが、シェイザスの心配はダルシュのものとは違うものだった。
 やはり、シェイザスは、ずっと先ほどの話がひっかかっていたのだ。盗まれた本、目撃されている不思議な男。
 不意に、籠に視線がいった。まだあの時計は籠の中にあるのだろうか。先ほどは自分の見間違いだったのではないだろうか。シェイザスは、不安になる。
 あの時計を見たことで、シェイザスは、今朝の夢をはっきりと思い出していた。
 紫に染まる辺境の森。
 狼人のような金髪の大男。
 そうだ、彼は古い本を抱えていたのではなかっただろうか。夢の中で拾ったのだといって。
 聞こえるはずがないのに、時計の秒針の動く音が聞こえてくるような気がする。
「ダルシュは、辺境の狼人って見たことある?」
 何気なく、シェイザスはそんなことを口にしていた。
「へ? 狼人?」
 いきなりそんなことを聞かれて、ダルシュは面食らったようだった。
「いるって言う話だけど、俺はあったことないな。だって、辺境の森もめったに入らないし、あいつらは森の中にしかいないってきいてるし。でも、時々、森の外を旅している狼人もいるんだっていう話をきいたことはあるよ」
「そうね。でも、この森の奥にはきっといるのよね」
 シェイザスはそういってため息をつく。
「うん、でも、別にこっちが悪いことをしなきゃ、襲ってきたりしないだろうし、大丈夫だよ」
 ダルシュは、シェイザスの心配の原因を知らず、ただ単に森の中で不安になっていると考えているのだろうか。そういって笑う。
「そうよね」
 シェイザスは、ふと籠に目をやる。あれが幻であってくれれば、こんな不安な気持ちを覚えなくてもよいのに。
「あのね、ダルシュ」
 思い切って声をかけてみる。いやに思いつめたようなシェイザスの様子に、ダルシュが怪訝そうな顔になる。
「私と一緒に、この籠の中を見てほしいの」
「はあ?」
 ダルシュは、目をしばたかせながら、シェイザスと籠を見比べた。何の変哲もない籠だ。それから先ほどパンを取り出したのは、シェイザス自身だったではないか。
「どうしたんだよ? なんか、虫か蛇でも中に入ったのか?」
「そうじゃないんだけど」
 思わず、シェイザスは、口ごもる。ダルシュの視線を受けて、夢で拾ったものを確認してほしいなどという自分の要求が馬鹿馬鹿しいことのように思えてきた。しかし、何かが不安なのだ。この不安は、間違いなく予感に違いない。
「あのね、ダルシュ、実は……」
 シェイザスがそういいかけたとき、不意に空が暗くなった。顔に落ちた暗闇に、ダルシュも気づいて顔をあげる。
 木の間から漏れてくる日の光が、暗くなってきていた。木の枝の向こうに透けて見える太陽の形が欠けている。
「日蝕だわ」
 シェイザスがぽつりと言った。
「えぇ? それってやばいじゃねえか!」
 日蝕は、とても不吉なことだといわれている。それも、通常天体の運動で起こるといわれている日蝕ならまだよいのだが、それでも予測しきれないものは、辺境の森の深奥にある精霊が起こすものだといわれている。外にいても不吉なものであるのに、辺境の内側に入り込んでいる今だと、もっと不安になってしまう。
「外に出よう!」
 ダルシュが、そういって立ち上がり、集めた薬草をかき集めた。シェイザスも慌てて作業を始める。
 周りがどんどん暗くなっていく。二人は、慌ててかき集めた薬草を籠の中に入れた。
 その頃には、ずいぶんと空は暗くなっていた。急に森がざわつき始め、不安がどんどん膨らんでしまう。
 何故か、黒い霧まで出てきたようで、急に視界が暗くなってきていた。
「なんだか様子がおかしい。早く出よう!」
 ダルシュが、そういってシェイザスの手を引いた。
 帰り道をいそぐ二人だが、視界はその間もどんどん悪くなっていく。辺境の森の中は、足元が悪い。明るい時なら、それほど険しいものではないが、草むらを駆け出すと、どうしても足を草の根やつる草にとられてしまう。
「早く! なんだか変だ!」
 ダルシュが振り返ってそう声をかける。その姿さえ黒い靄がかかって見えづらくなってきている。
 周りが暗い。何か足元を黒い何かが触ったようで、シェイザスはぞっとした。

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