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※この話は過去編です。暗殺編を読まれた方が意味はわかりやすいかと思いますが、ネタバレはありません。以前、メルフォ送信後ページで公開していたものです。
シャルル=ダ・フールの王国


 その不思議な男の名は――

 宮殿の夕方、まだ近衛兵だったカッファは、兜を直しながらため息をつく。これで一日の仕事が終わったわけではない。まだ建国したてのこの国には、それこそ危険がたくさんあるのだ。国王セジェシスの身を守ってこその近衛兵である。カッファは、それに、あのセジェシスという男がかなり好きだった。
「どうしたカッファ」
「ゼハーヴか」
 身分の低かったカッファとは違い、ゼハーヴは軍閥の出だ。彼はすぐに将軍職についたが、士官学校時代の友人であるカッファとはそれなりに懇意にしている。
「いや、今は陛下は宮殿に戻られてゆっくりされている。今夜も気合いをいれてお守りせねばと思ってな」
「そうだな、今の政情は不安だ。ハビアス殿がおさめてはいるが、いつ支配した国が反旗を翻すやもしれん」
「だから、我々がお守りしないとと思ってな」
 暮れゆく空に、カッファは重々しい口調でそう言った。夜は不安をかき立てる。夜の闇は、悪意を持つ者達を容易に隠してしまうからだ。
 と、不意に不安や悪意などとは無縁な声が聞こえてきた。おーい、おーいという声であったが、カッファもゼハーヴも一瞬気づかなかった。というのは、その声がバルコニーの下側からきこえてきたからである。ここは三階だ。二階のバルコニーで誰かが吼えているのだろうか。
 そう思って二人が下を覗こうと近づいたとき、ちょうどその横からにょっと黒髪が飛び出てきたのである。
「いよう! カッファとゼハーヴじゃねーか! 元気してっかあ!」
 異様に明るい声が聞こえ、カッファはゼハーヴと共に目をむいた。そこにいるのは、黒髪の巻き毛の美しい男だ。だが、その綺麗な容貌とは裏腹に、男は実に野性的な笑みを見せる。
 正直、彼の容貌と性格はてんでアンバランスで、表情もまるでばらばらだ。神も何もこんな男に、こんな当代一と言われるような美しい容貌を与えなくてもよいだろうに。まことに宝の持ち腐れとは、この男のためにある言葉だ。そもそも、顎には無精髭まで生えているし、くるくるの巻き毛も手入れされた気配もない。がっしりした体つきに、またそんな立派でもない服を羽織ったままだ。あれほど、服装には気をつけろと言ったはずなのに。
 いや、今はそれどころでない。カッファもゼハーヴも、彼が三階のバルコニーのてすりにどうして二本の腕をひっかけてぶら下がっているのか、それに一番驚いていた。
 彼らの憂慮など気にも留めず、男はからかうように大声で言った。
「なぁーんでえ! 元気ないなあ! 何かあったのかよ!」
「陛下! 何してらっしゃるんですか!!」
「こ、ここは三階ですぞ!」
「え、ああ」
 男は、ひょいと足元を見て、おお、と嘆息を漏らす。下までは結構高い。しかも、下は大理石張りになっている。さすがの男もやや危機感を覚えたらしい。
「さすがに、落ちたら死にそーだな」
「そうじゃなく、なぜ三階のバルコニーの手すりに引っかかっているんです!」
「ああ、だって階段使うの面倒だったからよっ! 直接壁をのぼってきたのよ!」
 快活そのものの声で高らかに言って、彼はわははははと豪快に笑い飛ばす。
「面倒だったからで済まされませんぞ! だ、大体、ここから落ちると…」
「そうですぞ、大体、あなたはこの国の国王…」
「ゼハーヴは何かと堅いんだよなあ。そんな事言ってると、つまらねえっていわれちまうぜ!」
 言いかけたゼハーヴの言葉をむげに遮って、よっと、という声と共に、彼はあっという間に手すりを乗り越えてきた。肩から自分の身長の半分はある大きな刀をかけている男は、無邪気ににっと笑った。
「よう、もう仕事終わったんだろ! 忍びでどっかいって飯でもくわねーか!」
「忍びでって、あなたは…!」
 ゼハーヴがそんなことをいうと、男はムッとした顔をして、がっとカッファの肩を叩いた。
「ゼハーヴは堅いよなあ! いいぜ、オレ、カッファと一緒に飯食いにいくもんな! カッファはそんな冷てえこといわないよな!」
「いや、私は誰も承諾した覚えは!」
「えぇ! 嫌なのか! 飯くわねえの?」
 そんなことを言われても。と、カッファは困ったように目を向ける。男はきょとんとした顔をしていた。二枚目の中の二枚目とは言われていたが、こんな風にぼうっとしていると子供のような印象さえある。カッファは徐々に断り切れなくなる。
「いや、そう言うわけでは…」
「それじゃいこうぜ! あ、オレちょっと行って来るからなあ!」
「陛下!」
 カッファを半ば無理矢理連れ出しながら、男は後を結局追いかけてくるお目付役気取りのゼハーヴを見る。結局お前もついてきたいんじゃねえか! と勝手に解釈する男に困惑しながら、ゼハーヴもカッファも、結局彼には逆らえない。
 おかしな男なのだ。この男。つくづくそう思いながら、二人は彼をきっと見捨てることはないのだろう。そういう人なのだ。


 その男の名はセジェシス=デ・ラーン=エレ・カーネス。
 ザファルバーンの建国者。後世、その業績から偉大なるセジェシスとたたえられる男に他ならないのだった。





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©akihiko wataragi